心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

過去のメルマガから⑮『ハートを開いて、周りとの調和・共生に意識を向ける』

2019年08月26日 | 思うこと
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆しています。


今回で、「過去のメルマガから」の連載は終わりです。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
ハートを開いて、周りとの調和・共生に意識を向ける2019年3月

人間には「欲」があります。人間の本質的な欲は、「食欲」「性欲」「睡眠欲」だといわれていますから、これは生物として生存するために必要なものです。しかしそれが「我欲」となると話は別です。


我欲である「我だけ、自分だけ」になってしまうと全体との共生ができなくなります。一番大きなところでいえば、自然との共生感覚を持つことができなくなるのです。そうなると、人間は大自然にとって地球にとって、いない方がいい邪魔な存在となってしまいます。これは、今の自然環境に対する人類の行動を振り返るとすぐにわかることだと思います。


我々一人一人が共感すること、共有すること、共生することの重要性に心から気づき、そうするように行動することがこれからの時代の人類に求められていることを感じています。


そしてここには隠されたところで、人間がより良く変わらないようにする(本来の共生、共感の感覚を取り戻さないようにする)ための意志も別のところから働いていることを感じています。


世界は、一部の特権階級である超々富裕層によってコントロールされ支配されています。


超々富裕層。それはヨーロッパの王侯貴族をはじめ、銀行というシステムを手中にしたロスチャイルド、石油を手にしたロックフェラーなどを中心にして、その傘下にある企業や軍部および武器製造会社、それに関わる産業の集団である軍産複合体、そして、世界中の多くの人を顧客に持つ今や誰もが知っている会社のトップたちのことです。

(ここでは詳しく書きませんが、除草剤のラウンドアップ[素はベトナム戦争で使われた枯れ葉剤]や遺伝子組み換え作物を造っているモンサントもこの中に含まれ、世界の食物のコントロールをしようとしています。日本の種子法撤廃はここからの圧力のようです)


実は、世界から戦争が完全になくならないのはここに原因があります。戦争で大金を手にしようとするこういったグループが存在しているのです。


元々は古くから存在するこの超々富裕層が、他の99.99%の大衆を洗脳し、支配コントロールしてきたのが今までの時代です。


そしてこれは、産業に関わることだけではなく、学問、教育、医療など我々の一般生活にも深く関わっている分野にも及びます。


洗脳のための一つの手法は、医療でいえば内科、外科、循環器科、脳神経科、心療内科などと人体をバラバラにして扱うことで、生体としての全体性を観ないようにさせるというやり方です。全体を観て本当のことに気づけば、洗脳から外れられてしまうからです。


バラバラにすればつながりが観えなくなるので、根本的な治療も出来なくなるのは極々当たり前のことで、少し考えればすぐにわかることですが、現代医療はそのようになってしまっています。


それはまた、心理の世界においても同様です。発達心理学、社会心理学、行動心理学、認知心理学など心を統合した一つのものとしてではなく、それぞれの特質に特化して分けてしまっています。これが一番大切なところが観えなくなる、わからなくなる、全体性を見失ってしまう根本原因です。


人間の体も心も、「定点観察」(ある事柄を時間軸にそってずっと見続けること)で時間をかけて全体をじ~っと見てしっかりと観察さえしていれば、何がどのように影響して根本原因が何か、どのようにすれば本来の状態に戻るのかが必ずわかります。時間はかかりますが、実はそれは何も難しいことではないのです。
(超々富裕層グループは人間の体についても心についても、何が本当のことかをもうとっくの昔ににすべてを把握しているはずです)


私は心理療法の現場の中で、定点観察を22年間徹底的にすることで、心のこと、トラウマのことについて、その根源的なことがすべてわかりました。


それから、超々富裕層は情報(インテリジェンス)の扱い方にも長けています。その傘下にあるテレビ、新聞、マスコミなどはコントロールされた情報(インフォメーション)しか与えなくなっているのを感じます。


テレビ(地上波)のコメンテーターとして呼ばれたことがある人がいっていました。『テレビの情報番組では台本があって、プロダクションに所属して台本通りのコメントをすれば、出演料にゼロが二つプラスされる』のだそうです。


例えば大学教授という肩書きの人もそれぞれプロダクションに所属していて、局側が作った台本通りの発言しかしていないそうです。そうすれば、数千円~数万円の出演料が数十万円~数百万円になるということです。


このような情報操作、洗脳に関するプログラムは存在し、様々な分野にも及んで今も世界中で行われているようです。


それは、人類が当たり前のものとして認識しているが、実は洗脳されているというものもあります。その一つに「お金」があります。


世界中で使えるお金は大変便利で有効なものですが、人類は過剰にお金に依存していて、お金をたくさん所有することだけが幸せなことだと洗脳されてしまっています。


また、お金という「経済」も株価とか為替とかの刻々と変動するお金の流れによって大きく左右されるものとなっていて、一つ流れが大きく崩れると、世界全体が破綻してしまう危うさを伴う不安定なものに世界は依存しています。


そして、世界中の国々にある「中央銀行」は、驚くことにその国の政府が所有している政府機関ではなく、一つの会社、法人なのです。


日本銀行は「日本銀行券」としてのお札を発行したり、国の預金を受け入れ政府の資金を管理していますが、政府の100%の持ち物ではありません。資本金の45%は政府以外の人が出資しています。


その人たちには株式に相当する出資証券が発行されジャスダックに上場され株式に準じて取引されています。そして、国に関わるものなのに誰がたくさん所有しているかは公表されていません。


建前としては、時の政府による運営への影響を受けないようにするために、わざわざ政府から独立した存在にしているということになっていますが、色々と調べてみると、銀行や中央銀行には不可思議な仕組みがたくさんあることがわかりました。


アメリカの中央銀行制度の最高意思決定機関であるFRB(連邦準備理事会)にいたっては、合衆国政府は連邦準備銀行の株式をまったく所有していません。


この銀行というシステムの権利を手にし、中央銀行制度を広めたのがロスチャイルドだといわれています。


また、お金というもの自体に目を向けてみると、お金はある意味自然の法則に反しているものだといえます。


本来の自然から発生しているものはすべて、置いておくと劣化していくのが自然な状態ですが、お金は銀行に入れて貯めておいても劣化もせずなくなりもしません。逆に少しずつでも増えていきます。


だから、過剰に蓄えるという自然界の中では起こりようのないやり方が普通になっています。【このことからも劣化する、価値が下がるという自然な流れを採用した地域通貨という概念、システムが発生しました。そして、現行のお金については、その価値や流れが一端よくなったと感じたその後、今までに無いほどに激変していく時期が来そうです。お金に限らず、戦後に構築された世界が壊れる(壊される)時だと思います】


自然は循環して常に流れていくことでバランスをとっているので、このような特性のお金に人の「我欲」が結びつくと、自然な状態からかけ離れてしまうということが起きてしまいます。


何事においても理想的なモデルは、根本的に自然界の流れ、自然の法則に沿っているものがベストだと思います。


短絡的な発想になりますが、今世界でお金によって様々なものが流通しているのであれば、お金がなくても流通するということになります。お金が絡まなくても、流通する物とシステムは今の時点で現に存在しているからです。


我欲の根底には、『トラウマ』から来る「不安と恐怖」、過剰な「安心感のなさ」が存在します。そのために、心の奥底を満たそうとして際限のない所有へと人々を駆り立てているのだと感じています。


人間の我欲、所有欲や不安、恐れがなくなり、一人一人の心の中に深い安心感と喜びが満たされたならば、誰か一人だけがたくさんの物を手にしようとすることはなくなると思います。


そうすれば、すべてをできるだけ均等に分け合って持ってる人は溜め込まず、必要な分量だけ持ち、必要にしている人に回して、周り(全体)を意識して過剰な貯蓄や消費をするということもなくなるでしょう。


それにしても、超々富裕層の人たちのように、使えきれないほどの充分すぎるお金や物、権力を手にしていても、さらにもっともっとと欲しがるというのは一体どうしてなのでしょうか?


私は、やはり超々富裕層の人たちにおいても『心の深いところが本当の意味で満たされていない』からそのようになってしまうのだと感じます。


超々富裕層の人の心が安定していて、幸せに満たされていれば、すべてを支配してもっともっとと所有し、溜め込むことなどする気が起こるはずがないと感じます。


このことは人間の心は、お金や物など物質的なものでも、誰もがすべていうことを聞く絶対権力を持った立場でも埋めることは出来ないという証明になるでしょう。


人間にとって大切なことは、どういう経歴、肩書きを持っているか、何を所有しているか、どれだけお金を持っているかではなく、まずはじめに、心が幸せで安定しているかどうかなのです。


本当に安定して、幸せな人は余裕があるから、例えそうしようと思っていなくても、まったく自然に周りに優しくなるのが本来の姿だと感じます。


我々一人一人においても、とっても気分がよく心地のいい時には、自然に笑顔になり、周りに優しくなるのですから・・・。


私は『根源的なトラウマを癒す』ということが、世界を真の平和へと向かわせる一つの大きな原動力になると確信しています。


人間の根源的なトラウマが癒されて、心の奥底に深い安心感が芽生えて(本来あったものが表に出て)くれば、周りをありのまま観て、その奥にあるものも認識することが出来るようになります。


そうすると、巧妙に仕組まれている洗脳にも自然に気づくようになり、望めばそのコントロールから外れることも出来るようになります。


さらに大切なことは、深い安心感が心の奥にいつもあるので、気分は穏やかで何があってもなくてもそれに影響されず、依存もしない満たされた状態で、周りとの調和、共生も自然に出来るようになることです。


世間では、一見安心から派生したような理想的なやり方に見えるプロジェクトもたくさんありますが、よく観察してみると、その根底には「不安と恐れ」が隠れていることが多いです。大変残念ながら、それを主導している人たちはそのことに気づいていません。


その辺りにみんなが気づき、自分の不安と恐れを否定、抑圧するのではなく、それをありのまま受け入れると(信じられない人もおられるかもしれませんが)不思議なことに逆に安心感が出てくるのです。


そして、周りとの調和、共生に意識を向けて少しずつでも行動が出来るようになると、その次には、人類が生きていくことにおいて一番重要な地球と地球の生態系と調和、共生しようとする想いが出てくることでしょう。


我々人類は、まずホームグラウンドである地球と地球環境が整っていなければ、より良く生きていくことは出来きません。この部分が一番大切にしなければならない土台なのです。


超々富裕層は現に存在します(日本においては、近隣諸国の影響も強いです)が、そこを悪者にして戦いを挑んでも、際限のない争いを生み出すだけですからそうするのではなく、まず、我々一人一人が「不安と恐れ」を解消してハートを開き、「深い安心感」とともに身も心も緩ませ、周りの人や自然との調和、共生に意識を向けていくことがとても重要なことなのだと強く感じるのです。


そのために、私もさらに自分自身の内側に向き合っていこうと思っています。


私はこの文章を「不安と恐れ」で書いている訳ではありません(^_^) なぜなら、人間は自分の意志で自分が体験したい人生を選択して、その通りの体験をすることが出来る存在であることがわかっているからです!


あなたがあなたの本当の望みに気づき、あなたの人生を自分から選択して、望む通りの体験をしていかれますことをお祈りいたします。


◆編集後記
近年、以前と比べると、強く「自然」に惹かれる自分がいます。別に、アウトドアが好きということもないのですが、特に植物、樹木に意識が向きます。意識が向くからか、植物たちからのエネルギーも依然よりも強く感じます。


樹木は二酸化炭素を吸収して、酸素を生成してくれます。人間は呼吸が出来ないとすぐに死に至りますから、人間が生きていけられるのは、植物が酸素を生成してくれているからに他ありません。その植物も天候や他の動植物が存在することで生きていけられています。すべては、循環してバランスを取りながら、調和・共生をしています。


我々人類全体の使命という表現でいいますと、人類は地球と地球生態系システムを守り、保全する使命があるといえるでしょう。私も生ある限り少しでもその使命を果たせていけたらなあと思っています(*^_^*)
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ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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過去のメルマガから⑭『私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(4)』

2019年08月23日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)


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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(4)2018年4月

私は今までの人生の中で、様々な自分を対象にした人体実験による実体験をしてきました。我ながらかなり特殊な体験をしてきている人生だと思っています。


これらのことは本に詳しく書こうと思っていますが、私の最大の人体実験は24、25歳頃に行った『すべての人から嫌われる』という立場を積極的に体験しようとしたことでした。


こんなことは普通は誰もしないことですから、「そんなことをするなんてどうかしているんじゃないか!」と思う方が多いと思います。ただこの根底には、そうなろうと思ったある強い思いがありました。


その頃はサラリーマンをしていて、仕事においては順調で会社の部署で一緒に働いている人たちからも、得意先の方たちからも、有り難いことにみんなから慕われてとてもとても大切にして頂いていました。


しかし、私の内側ではそのことで満たされることはなく、その中に身を置いている内に、心の奥から思いが湧き上がりまじめたのです。


『自分を愛してくれる相手を愛することは、大変にたやすくて簡単だ。だから、自分を嫌う相手を愛することができた時にこそ、相手がどのような人であれ、誰をも愛する無条件の愛が私の中で完成される』と、精神的・霊的にさらに成長しようというある意味宗教的ともいえる思いが出てきたのでした。


今度は逆のそういう立場に身を置いた時の自分を見たい、体験したいと、実験的に一端自分を嫌われるという立場に身を落とすことを決めたのです。


だけど、いつもいいますように、何かに過剰に反応するときには必ずトラウマの影響がありますので、やはりここにも私のトラウマが関係していました。


幼少期からのトラウマがあると心の中心に深い安心感がないので、自分以外の外側から受け入れてもらって、どんなに心地いいと感じるやり方で扱われ、それをどれだけたくさんもらっても、心の表面上はその時は埋まったように感じますが、心の内側ははまったく満たされないということも、この時の実体験からハッキリとわかりました。


人生は心から強く望んだものは必ず実現しますので、誰からも嫌われるということもしっかりと実現しました。しかし、その体験は自分が予想していたよりも大変長い期間になり、とても苦しみました。


いざその状況になると、あれほど自分が望んだことだったはずなのに、大変に傷ついて自分を嫌う人を受け入れて愛するどころか、その人たちに怒りが湧き上がるようになってしまいました。


これは社会人になるまでの人生でも、とりあえずは大きな問題は無く周りから受け入れてもらえるという立場を体験してきて、その辺りの怒りを感じた経験がほとんどなかった自分からは考えられないことでしたので、そのことでも悩みました。


結局ここには、「誰をも無条件で愛せるようにならなければならない」という思い込み、観念が存在していて、その根底には「深い精神性に至らないといけない」という思いや「それがちゃんとできない自分はダメだ。価値がない」という自分への罪悪感や自己否定感が存在していたのです。


その当時にはまったく気づいていませんでしたが、私の直感的主観では、ここには幼少期からのトラウマだけでなく、キリスト教的な自分に難を与えるという「受難」に関係した過去世からのトラウマの影響もあり、この人体実験をする前に、もうこういう思いで自分を責めていたということもわかりました。


最初から自分が自分自身を否定して愛していなくて、自分のありのままを受け入れず味方にならずに、自分が自分を責めて嫌っているのに、その上に人から
嫌われるという状況が重なってくると、次第に周りを敵にしてしまい怒りの思いが出てきていたことに気づきました。


私は自分自身(インナーチャイルド)に対して「もっと、しっかりと成長しろ!!」と、どこかで突き放して、見捨てていたのでした。


大変苦しみましたが、この体験をしたことで、『ありのままの自分を受け入れ愛し、まず自分が自分の味方になる』ことの重要性というか、その重大性が心の底からわかりました。


自分を愛していなければ、本当の意味で周りの人を愛することは出来ません。無条件の愛を与えるべきは、まず自分自身だったのです。自分が自分自身とつながらないと、自分らしい自分の人生をつくり上げることも出来るはずがありません。


本当の理想は、人間の人生でベストなのは、幼少期に親から無条件の愛をもらえることです。まずそれがあれば、子供の心は安定し、培われた深い安心感は一生心の底に定着します。


それがなければ、人間の心は安定せず「ネガティブな感情」の影響をモロに受けてしまい、生存本能が過剰に活動してしまい、戦うか、逃げるか、フリーズするかになります。


また、そのために不安を感じながら自分の身を守ることが主体となって、安定した精神状態で人生を送ることが出来なくなってしまうことがわかりました。


これが幼少期からであれば、どれだけその子は心を痛め、「怒り」と「恐怖」と「悲しみ」の人生を生きていくしかなくなるだろうかとその苦しみがしっかりと理解できるようになりました。


人間にはこういう性質があるため、その部分を処理していくことが出来るインナーチャイルド療法(や前世療法)という手法は大変に重要なもので、これがインナーチャイルドを癒すことの必要性であり、この療法の存在意義でもあります。


私はこの人体実験からの人から嫌われることでの「怒り」と、その奥にある傷ついてきた「深い悲しみ」をインナーチャイルド療法で癒しました。


そうすると、やはり嫌ってくる相手が自然に気にならなくなりました。同時に怒りを感じることも次第に減っていきました。


すると、面白いことに嫌ってくる人もどんどんと減っていきました。自分が自分を受け入れて愛していくことで、それと同じように周りが受け入れてくれるようになります。


『自分を扱うように周りから扱われる』というのが法則であるということも、この人体実験で改めてよくわかりました。


すべては自分への向き合い方が、外側に反映しているだけです。外側に存在するように見えたのは、ほんとうは自分自身だったのです。


人間はトラウマを負うことで、自然にネガティブな感情や思いを感じるようになりますが、その闇ともいえるネガティブな感情を隠すことなく、嫌うことなく、闇としてありのまま受け止め受け入れると、その闇は自然に光へと変わっていきます。(そう!ここも自分の中の闇への無条件の愛です)


そうすれば、この光は自分の内側から出てきて輝き出しているものですから、外側から光を当て続けなくてももう消えることはなく、たった一人でいても心の底からの安心感がいつもどんな時もそこに存在するようになります。


この三次元世界は二極でできていますので、光ばかりになれば闇と感じるものは悪となり敵とみなすようになります。また、闇ばかりになっても光と感じるものを嫌い敵にしてしまいます。


この安心感は光と闇、その二極の中で、その二つをありのまま全部ひっくるめ包括したその真ん中のゼロ地点(中庸・中道、±0)に静かにバランスよく安定しながらたたずんでいるという感覚だと表現できます。


大変だった闇も処理しているので、闇からのよりよい経験だけが残っていて、その闇と光の間(±0、ゼロ地場)に存在しているという感じです。


今、私の中にもそのような感覚があります。これはとても心地のいいものです。何があってもなくても、もうこの感覚は消えることはないということを静かに感じています。


人体実験中は予想外のことが起きて大変だったですが、その体験があったおかげで様々な心の反応パターンやその奥にある感情に気づき、それを受け入れ癒して、このゼロ地点の感覚を心から味わうことができるようになりました。


目覚めた人を意味するブッダと呼ばれた、ゴータマ・シッダルタさんは、どのようにしても「この世は苦でいっぱいである」ので、そのことを認めなさいといわれました。これが彼が悟った哲学の一つです。


今も昔も、この苦である「病気があること」、「老いること」、「死ぬこと」、「悩みがあること」は、人間から消えることなく続いていきます。ということは、はじめは違っていたと思いますが、人類史のある時期から、「苦」こそが魂が人間存在を体験するときの一つの大きな体験項目となっていったのだと感じるのです。
(なぜなら、前にも書きましたが、我々魂が天と一体であった時には苦というものなどはまったく存在しなかったのですから)


シッダルタさんは、人間が生きるということはそういうものだから、「こだわらなければよい。受け入れなさい!」と悟られたのだと思います。


その後に生まれた救い主の称号の「受膏者」を意味するキリストと呼ばれた、ナザレのイエスさんは、人生とはそういうものだから「そのまますべてを愛したらよい。愛しなさい!」と悟られたのだと思います。


いずれにしろ、『苦をそのまま見て受け止めよう!』というのがお二人の悟りのその根底に流れている哲学であると感じるのです。


苦(闇)は抑圧したり抵抗すると余計に暴れだします。それをありのまま受け入れ受け止める(愛する)ことではじめて、苦は苦でなくなっていきます。


しかし、今まで人類はその苦と戦って、そこから様々なネガティブな感情が発生していき、人生が生存本能からの身を守るための行為となって、死後そこから後悔や罪悪感が鮮明になり、体験しきれなかったという未練、後悔やもっとしっかりと体験したいという欲求などの思いが出てきていたのだと感じます。


それをカルマ(業)として、また肉体に生まれてくる動機にしていくというサイクルに、感情を処理しないことで人類はどんどんとはまっていったのだと感じています。


人間は感情を持ち、強くその影響受けるという特質があるがゆえに、その処理をしないことで解離(感じないように、わからないように)して味わい切ることが出来なくなり、魂の当初の計画よりも転生する(生まれ変わってくる)回数がどんどんと増えてしまったのではないかとも感じています。


私は様々な自分の人体実験経験からも、数多くの心理療法での臨床経験からも、ネガティブな感情(闇)に向き合うことでありのままの自分を愛すること(光)ができるようになることをもうゆるぎなく完全に確認しました。


そうすることで、人間の心は安定し、元々あった共感する能力が発露し、我欲から離れ、自己防衛から外れ大局を見ることができるようになります。さらには、人類主導の地球生態系システムとの共存、共栄が可能になると確信しています。


そして、人間本来の精神性や霊性を発露する鍵も「過去から持ち越している感情を解放する」ということにあります。ただし、そこで重要なのは、ただ解放するのではなく根本・根源からの解放なのです。

悟りとは、解離せずにありのままの事実に正面から向き合い、認識して、受け入れることではないかと思います。それはイコールすべてをありのまま見る「目覚めた人」になることでもあると感じるのです。


実は、ほとんどの人が必要な生存本能としての反応なのですが、子供の頃に「対処のしようがない心地よくないと感じること」から、身を守るためにそれを感じないように自然に解離をしています。


しかし、大人になってもそれを処理しないままでいるとその状態がそのまま続いていて、言葉が悪いですが意識の一部が「眠ったままの状態」にあるといえます。


ここには、子供の頃からはまり込んでしまっているので、自分ではそのことに気づくことは難しい(気づかないようにしている)のですが、本当はそこから人生の根幹に関わる大変大きな影響を受けているのです。


私の活動が、多くの人へのそのような部分を解放し、処理するサポートになれることを心から願っています。そのための心のことやトラウマに関してのことはすべてわかったので、まずはそれを「トラウマ心理学」としてそのすべてを記した本を書いて、世に示していこうと今思っています(*^_^*)


◆編集後記
人の心の深いところがわかってくると、お目にかかったり、声を聞いただけでもかなりの部分がわかるようになりました。それがいいことなのかどうか…という思いは正直あります。わかればわかるほど、生存本能からの「解離」というものの奥深さというか、その影響の大きさに驚くばかりです。


ほとんどというか人間みんなが実は解離をしています。それは私自身もです。ただ、私の場合には様々な経験をさせて頂いたことで、かなりの部分解離から外れていますが、何か心にふっと反応するネガティブと感じる出来事があった時には、自然に解離しようとする思考の働きに気づきます。それぐらい解離というものは自然に働くものです。


簡単にいいますと、トラウマ=感情の抑圧=解離 です。


我々を守るための機能がいつまでも働かせ続けてしまうと、逆に我々を中心から縛るものへと変わってしまいます。


解離に関しては、これだけで一冊の本がかけるぐらい深いです。解離があると、人は洗脳を簡単に受けやすくなります。この部分を利用して、洗脳しようとする勢力がたくさん存在していることも感じます。


解離が外れると、〈自分にとって〉何が本当のことか、何が違うことかが、心からハッキリとわかるようになります。自分にとっての真実がはっきりと見えるように、感じることが出来るようになります。そうすると、人生のすべてにおいて、我欲からではなく真我から、自分にとってのよりよい選択が出来るようになります(^_^)


人類が解離の影響から外れられたら、世界は短期間でよりよいものへと変容していくことでしょう(^o^)/
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過去のメルマガから⑬『私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(3)』

2019年08月19日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)


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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
『私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(3)』2018年3月

前回最後に、『我々魂が(自分から体験項目を選んで)この地上に降りてきた当初は、こんなにも強いトラウマ的体験や重苦しい体験をしようと望んでいなかったのではないかと感じるのです。ここに、人間という存在のある特殊性が深く関係していることがわかりました。』と書きました。


人間の特殊性って何だと思いますか?


肉体というものから離れた外の世界から人間という存在を見ていると想像してみると・・・、何が見えてくるでしょうか?


見えてくるもの・・・・・・、


食欲や性欲などの欲といわれるものがあること。


生存本能というものがあって、身に危険がおよんだり、およぶかもしれないと感じると、逃避したり、攻撃したり、固まったり(フリーズ)などして、生存本能として自己防衛行動を自然にとること。


空気が必要で呼吸ができないと生きていけないこと。


食べ物が必要で食べないと生きていけないこと。


そのために空気を生成する植物や食料となる動植物などなど、地球という生態系システムの中で生かされていること。


「お金」という経済システムを作り出し、その中でほとんどの人間が生きていること。


その活動の中で大量の生産と消費を繰り返して、地球生態系システムを自らで破壊していっていること。


・・・・・・・・・。


人間は大自然の生態系システムの中で生かされているのに、経済活動を優先してその大自然を自分からどんどんと破壊していくというまったく矛盾する自殺的行為を平然と行っている世にも珍しい生き物であるといえます。


この部分においても元々魂はこのようなものへの囚われを持とうとは思っていなかったのではないかと思います。


そして、この囚われの大本となるものが「感情」というものの存在にあると私は思っています。


簡単にいいますと、人間の、肉体をより安定した状態に保ちたいという欲求の根本には、生存本能からも派生する「恐れ」や「不安」が存在します。


そして、その「恐れや不安」が強くなる時には、「怒り」や「さみしさ」、「悲しみ」などの感情がその根底にもれなく付随しています。


私が重要視する人間の特殊性とは、人間は「感情」を持った生き物であるということです。


こうやって人間は生存本能を「ネガティブな感情」によって起動させられて、それが過剰になった時には、いかに安心、安全に生きるかを最優先して、大局を見ることができなくなり、無意識のうちに自己防衛のためだけの生き方をするようになってしまいます。


魂が最初、どのようにして肉体というものに入ってきたのかは想像の域を超えられませんが、たぶん肉体というものの特殊な感覚を楽しむために出入りを繰り返すうちに、次第に物質的な肉体特有の低い振動数に共鳴してそこに絡め取られ、もつれ込んで(エンタングルメント)抜けられなくなっていったのではないかと思っています。


適切な例えではないかもしれませんが、それは以下のようなことに近いかもしれません。


甘いものやお酒やタバコなど嗜好品といわれるものを過剰に欲する人が、それを摂りすぎた時には「もう明日からやめよう!!」と思っていたはずなのに、また欲しくなって摂ってしまうというサイクルを繰り返す場合が多いですが、ある意味肉体というものを味わうために体に入った魂もこのような感じで、肉体に囚われ次第に輪廻というサイクルにはまり込んでしまったのではないかと感じます。


前回にも少し書きましたが、輪廻においてもこの「感情」というものの影響があります。


様々な出来事から自然に感じてしまう「ネガティブな感情」を脳が生存本能で不安定にならないように隠して解離させることで、普段の意識である顕在意識では、はっきりと認識しないようになります。


しかし解離しているだけで「感情」自体は消え去らないので、死んだ後には潜在意識が主体になり、解離状態がなくなりクリアになるために、生前の様々な出来事から本当はどれだけたくさん色んな思いや「感情」を感じていたか、というその全貌に死後になってはっきりと強烈に気づきます。


こうやって、肉体を有する生前に、その思い(思い込み・観念)や「感情」(罪悪感、後悔の念を含む)を心の底に隠してしまい未処理にしてしまったために、それが動機(カルマ)となり、肉体を有するからこその感情体験に、また自分の意思で戻ってくるようになるのだと感じます。


それぐらい人間存在にとって「感情」というものの影響は大変に強く、その処理は大変に重要なものなのです。


ですから、地球という生態系システムの中でしか生きられない私たち人間が、その中で自然と共存しながら、安心安全によりよく自己実現して生きていくためには、この人間の特殊性である「感情」(根本的には「不安と怖れ」、「深い悲しみ」)をどう扱うのかということがとてもとても重要になります。


「感情」を安定させるための方法としては、世の中にはもう様々なやり方が存在しています。


その方法を大きく二つに分けると、ネガティブな感情をポジティブな感情に変えていく方法と、ネガティブな感情を抱きとめて包み込んでいく方法の二つになると思います。


別な言い方をすると、闇に強い光を当てて光に変えていく方法と、闇を闇として受け入れて癒し光に変容させていく方法の二つがあるということもできます。


これはどちらも素晴らしい方法です。


このどちらを選ぶかはその人の性格や特質もありますし、人によって生まれ持ってきた体験するテーマややりたいと感じる方法は違いますので、自分が取りたい方法を取ればいいのだと思っています。


私は世の中には「これしかない!!」というものは、存在しないと思っています。


人により合う合わないは確かにあるので、自分に合った方法をただ選択すればいいのだと思います。


「これしかない!!」、「これこそ正しい!!」にはまってしまうと、それ以外のものは異質なもの、間違ったものとしか認識しなくなってしまいます。


これが世界に争いや戦争が存在する根本的な理由なのだと思います。


話を元に戻しますね(^_^;)


私自身においては、この世に生まれてきたテーマの一つに「何事も自分の感覚で実体験する」というものがあることを感じています。


だから私は、この実体験主義というものをとても大切にしています。


もっと極端な言い方をすると、私は人間という存在を根源から理解し認識して、研究するために自分を被験者とした人体実験をすることを一つの目的にしてこの世に生まれてきた魂なのだろうなと思っています。


今まで55年(2018年時点)の人生の中でも様々な自分を対象にした人体実験、実体験がありました。


その中の一つに、大人になってからの普通は誰もが絶対にしないであろう実験もありました。


そこからの苦しみの経験でも、『「感情」を処理すること』と『自分を癒し、自分とつながること』の大切さがほんとうに・・・骨身に染みてわかったのです。
〈続く〉


◆編集後記
人間にとって、感情体験というものがとても大きな影響を与えるということを示すセッション事例があります。


あるクライアントさんが肉体に宿る前の魂の存在で、魂の計画として「こういう経験をしよう」とはっきりと決めて、お母さんのお腹に入りました。


しかし、お腹の中の胎児という自分の肉体に入ってみると、急にお母さんの考えてる思いや心の声がダイレクトに自分の心の中に入ってきて、そのお母さんの苦しい思いや感情が手に取るように伝わってきて、まるで自分の事のように強烈に感じた人がたくさんおられました。


魂の時には、そういう感情を感じることも計画したことなので冷静に分かっていましたが、いざ肉体というものに入った時の肉体の感情を感じる時の感覚は想像もできないほどの特有のものだということがわかったそうです。


また、自分には強いトラウマはないとか、色んな出来事はあったけどまったく平気だったとか、ごくごく波風のない普通の人生だったと言われる方たちが、個人セッションでご自分の心の内を見ていくと、そこには深い感情が抑圧して隠されていたことに気づき、衝撃を受ける方が大変に多いです。


これぐらい、人間にとっての感情体験というものは特殊で特別なものだということが、その方たちの経験からも私自身の経験からもよくわかりました。


人間は「感情」を有する生き物であり、私たち魂は感情体験をするために地上に降りてきたのではないでしょうか。地球はこの珍しくて特殊な感情体験をするための星であるといえると思います。
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過去のメルマガから⑫『私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(2)』

2019年08月16日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)


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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(2)2018年2月

前回、「地球は体験のためのテーマパークであり、人間(地球人)に与えられた(体験したい)アトラクションで、それには限定があって、振動数の遅い肉体というものを持ち、男・女や右脳・左脳などの二極に分断された設定の中で生きる」とお伝えしました。


ここに、もう一つお伝えし忘れていたことがあります。それは、無限の根源的エネルギーの世界には存在しない、肉体は有限で「死」というものがあることも設定されているということです。これは時間という概念を越えた無限の世界からすれば、とても独創的でユニークな体験になることだと思います。


そして、私が、我々人間が「体験する」ため今ここに存在していると思い始めたのは、心理療法の現場でのたくさんの経験から以下のような流れに気づいていったからです。


子供は、幼少期の家庭環境で“自分が満足するやり方での愛情”をもらえないことが度重なるとトラウマ(心的外傷)を負い、その時に感じた感覚や感情を感じるとその家で生きていくことがさらにつらくなるので、感じないように意識をそらせるためにぼ~っとした状態を作り出し「解離」をします。


この解離は、生存本能として脳が司ってその感情に焦点が当たらないようにしっかりと隠すための、子供の頃のその渦中においては絶対に必要な機能です。


「子供は愛情を自分が満足するやり方でもらえないとトラウマを負う」という理論からいうと、トラウマを負っていない人はほとんどいません。ですから、人間はみんな多かれ少なかれ解離をしている存在だといえます。


現に、セッションや講演会などでも、あるイメージワークを使って心の内を見てもらうと、ほとんどの人がその人独自の解離のパターンを持っていることに気づいて驚かれます。


それから、セッションでクライアントさんが自分を癒していく時に、置かれていた幼少期の環境がかなり大変だった人は、なかなかそのトラウマを手放そうとしませんでした。


それはその方がダメだということなどではまったくなくて、そこには幼少期からずっとその状態が普通だったので、そのようなものが処理できるとは到底感じていないし、『トラウマを負ったその時の感覚と感情に触れていくのが怖い』という思いも強く形成されているからです。


それでも、次第にセッションを安全に安心感を感じながら進めていき、インナーチャイルド(トラウマを負った子供の頃の自分の感覚と感情の部分)を癒すと、そのようなクライアントさんも見違えるように楽になっていかれます。


しかしながら、この仕事を始めた初期の頃には、そんな怖れを持った自分でも癒されていくということが実体験でわかられだしても、過去のトラウマに固執して完全に手放そうとしない人が多かったのです。


ではどうしたら、こういったとても強いトラウマを負っているクライアントさんの癒しをより進めることが出来るかと考えているうちに、そういったクライアントさんの心の内には『自分が悪い(親から愛されないのは自分が悪いから)』という自分に対しての「罪悪感」があるということに気づきました。


特に、幼少期の環境が大変だったクライアントさんの心の内には、それが大変強く巣食っていました。


子供(人間)は多かれ少なかれみんな、こういう罪悪感を心の奥に持っています。この罪悪感が強い場合には、楽になったり、しあわせになることを自分に許さないようになってしまいます。


このような強固な罪悪感は、インナーチャイルド療法だけではなかなか取れにくいもので、こういうものを解放していくのに有効なのが(前世というがあるかないかは別にして)前世療法だということに気づきました。


前世での出来事からも、多くの人が自分が悪いという思いを今世に持ち越していることがわかりました。(これも実際の前世からのものかどうかは関係なく、このような手法できちんと焦点を当てると罪悪感が消えてしまうという事実があるのです)


前世療法でこの罪悪感が解放されると、自分に許しが出て心の内を止めるものがなくなり、その後インナーチャイルド療法によりアプローチすると、心の奥深くの幼少期から抑圧してきた感覚と感情を素直に心の底から感じることができはじめます。


この部分が解放されると、その人はまるで別人のように生き方がよりよく変わっていきます。

(ただし、ここで重要なのは最終的な癒しを行うことが出来るのはインナーチャイルド療法においてだということです。なぜなら、今現在の心と体に直接的に強く影響を与えているのは、幼少期からの出来事によってだからです)


そして、さらにわかったのは、この前世からの罪悪感が次に生まれ変わる動機になるということです。ですから、罪悪感=カルマ(業)といえます。


ただこれは、地上で人間として生きている間に自分で持った罪悪感ですから、天からの罰などではなく(そのようなものは存在しません)、自分からそれに見合った体験をしようとまた人間として生まれてくることを選ぶということなのです。


ですから、罪悪感並びに感情をきちんと処理しないでおくと、それがカルマとなって(自分からして)しまう可能性が高くなります。


『自分が悪い』という罪悪感は一つの基本的なものですが、私は長年心理療法の現場で、多くのクライアントさんが前世の出来事から持ったそれぞれのその動機に気づいていくところに同席をさせて頂いてきました。これらの流れは、そこからの実体験でわかったことです。


少しわかりにくいと思いますので、恥ずかしいですが私のことを例に出して、このことを具体的に説明してみますねf(^_^;)


私は両親と3歳離れた兄がいる家庭に生まれました。父は社会人野球の選手で県下でも大変名が知られている有名人でした(高校野球の地区予選のラジオ解説などもしていたそうです)。兄は今でもそうですが、子供ながら周りの子らの目を引く何か独特の強い存在感を放っている目立つ子でした。


残念ながら、この父は私が4歳の時に亡くなりましたので、私には父に関する思い出がほとんどありません。


私がこういった療法の勉強の時の実習で、3歳のチャイルドが出てきて、その子から伝わってきたのは、『パパ大好き!』→『パパはお兄ちゃんをかわいがって、ボクのことは嫌いなんだ』→『嫌われるのは自分がかわいくなくて、悪いからだ』→『この家にはお兄ちゃんがいればいいんだ。ボクはいてもいなくてもいいんだ』→『自分はいる必要のない子。いてもいなくてもいい子』→『そんな自分は嫌いだ!』という思いでした。(これが私の自己イメージになり、思い込み・観念になっていました)


まさかまさか、3歳の記憶はなかったですし、3歳の時点でこのような流れでこんな思いや決定事項を持ったことなんてまったく気づいていませんでした。本当に本当に驚きました。

(これが、私がいう「頭の言い分」と「心の言い分」は違うということです。また、「顕在意識」と「潜在意識」の思いは違うということでもあります。さらには、こうやって私も3歳の時からしっかりと「解離」をしていたのです。これは、こういう療法を行わない限り、一生気づけなかったことだと思います。今も我ながらラッキーだったと思っています)


そして、この子からさらに伝わってきたのは、大好きな父から「愛されない深い悲しみ」でした。これが中心の(原初的な)感情です。


それがまったく自然にリアルに伝わってくると、もうこの子がかわいそうでいとおしくて、この頃から自分が嫌いな私でしたが、チャイルドの心の奥の感情が伝わってくることで、まったく自然に嫌いだったはずの自分を抱きしめて大号泣しながら、伝わってくるそのままの思いを受け止めることが出来ました。


受け止めていると、大人の私の中に得も言われぬ安心感、幸福感が猛烈にわき上がってきて、心の底から癒されました。


こうやってチャイルドを癒すとその瞬間から、私の中に3歳からその年齢までずっと持っていた『自分が悪い』、『いてもいなくてもいい自分』、『目立たない力のないダメな自分』などという思いがまったく無くなってしまったのです。


ここから、私の中ではもう別人になったように心地よく自分に自信も出て、人生が劇的によりよく変わり始めました。


それからも、自分の中で気になる思いや感情が出てきた時には心の内を覗いて処理していましたが、ある時、何か自分の中のさらに深いところに、重たいものがあることに気づきだしました。


このタイミングではわかっていませんでしたが、さらに中心にあるものが消えるために浮いてきたのです。これが浮き上がってきて、身体反応も出てきたので腰を据えて、自分のセッションのやり方でその部分にアプローチしようと思いました。


感じていくと、これは前世からのものだとわかりました。


出てきたのは、前世である国の国王か元首をしていて、よりよい国を造ろうと思う思いが強過ぎて、理想の国を造るのにそぐわない愚かな民と感じる人々を粛清して、弾圧したり殺してしまったことに気づいたのです。


このために前世の私は、その人生を終えた後に強烈な罪悪感にとらわれました。(これも、前世があるかないかは別にして、私の中からこのような想像もしていなかったその思いや感覚が自然にはっきりと出てきました)


前世においても、ネガティブな感情を処理しない限り、脳の機能としてそれを隠すために解離をしてしまうので、こういうものは死んだ後になって初めて強烈に感じ始めるものだということもわかりました。

(たぶん、これが死ぬと閻魔大王に閻魔帳で生前の罪状を言い渡されるという表現になったのではないかと感じます。また、走馬燈のように今までの人生が思い出され、その時の思いや感情を強烈に感じるというのもこういうことなのだと思います)


伝わってきたのは、『たくさんの人たちを自分の行き過ぎた理想で抑圧したり、殺してしまった』→『自分は悪い存在。そんな自分が人々の中心に立つのはダメだ』→『目立ってはいけない!権力(力)を持ってはいけない!』→『自分も上から抑えられることでそのつらさを味わおう』という思いを強く持ったことがわかりました。(これが過去世から持ち越した思い込み・観念です)


さらにわかったのは、前世で持ったこの罪悪感が私のカルマとなって、今世の環境を選んで生まれてきたということです。


だから、特別な男性性を強く持っている父と兄(役割としても、父親は社会に出て行く存在で、長男は社会に生まれたことを知らしめてもらえる跡取りとして大事な存在)から愛されず、認めてもらえない、『ダメな自分』、『無力な自分』、『目立つ立場にはなれない』などという本来の自分の力を発揮しないようにするための思い込み・観念を持たざるを得ないというか持つための環境と立場をピンポイントで選んで生まれてきたのです。

(「罪悪感の強さ」と「選ぶ環境の大変さ」は比例しているのだと感じます。ただし、環境を選ぶ根底には、「それを体験したい」という純粋な欲求も存在しています。ですから、しあわせな心地の良い人生体験を選ぶ人もいます)


何度もいいますが、これは罰では無くて、自分の思いで自分から進んで選んだものであるだけです。自分で選んできたものですから、『もうこの体験は味わったので手放そう。もう手放していい』と感じて、心の底から選択を変えようと思えば(思えると)人生は思うように変容していきます。


私はこのような流れに気づき、心(魂)から理解してこの部分を癒してからは、『よし!世のため人のため、この国をよくするため世界をよくするために、自分がわかったことをお伝えさせて頂こう!!』と自然に心の底から強烈な思いが湧き上がってきました。これが、かつて国王、国家元首だった時からの純粋な思い、心からの願いだったのだと今感じます。


そう思っていると、会ったことが無い人から電話がかかってきて、数百人の人が集まる大きな講演会の依頼を受けたのです。そこから不思議なことに、自分が望んだ時期と回数通りにそういったご依頼を頂けるようになりました。


ただし、本当にびっくりするほど、自分が思った通りの流れになるようになりましたが、思い方、思考に気をつけないと良いものだけでなく悪いものもすぐに実現するようになります(-_-;)


私の体験のみではなく、たくさんの方々が目の前で見せて下さった経験で、人間(魂)は自分が望む体験をするために、自分から選んでこの地上に降りてきたということがわかりました。


しかしながら、我々魂がこの地上に降りてきた当初は、こんなにも強いトラウマ的体験や重苦しい体験をしようと望んでいなかったのではないかと感じるのです。


では、一体ここには何が影響しているのでしょうか?・・・・・・


ここに、人間という存在のある特殊性が深く関係していることがわかりました。


〈続く〉

※前世についての理論には、本当はもう少し複雑というか少し違う捉え方があるのですが、長くなってしまうのと本筋は違わないのでここでは省略しています。

◆編集後記

インナーチャイルド療法と前世療法はセットで行っていくべきものだと感じています。(ただし、アカデミックな公的な分野に入っていく時には、この前世療法がネックになるのも事実です)私の場合には、一回のセッションの中でその二つを流れの中で組み合わせながら進めさせて頂くこともよくあります。そうすると、劇的にネガティブな自己イメージや思い込み・観念が外れ、原初的な感情の解放が出来るようになります。


長年の経験から見えてきたのは、人間の心の内には本当に様々な『思い込みや観念』が作り上げられていること、過去から持ち越している『感覚』や『感情』もたくさんたくさんあることです。しかしながら、お伝えしたようにこれも『解離』によってずっと抑圧され隠され続けています。実はほとんどの人が、この解離によってフリーズしたままの状態だといえるのです。


それぐらい、育ちの環境というものは人間にとって、最重要に大切なものだということがわかりました。今世においても前世においても、根本はその生での育ちの環境の中からトラウマを負い、ネガティブな思い込み、観念を持って、心の奥に「不安と怖れ」が棲みつくことで、無意識の内にも、とにかく自分の身を守ることを中心にして生きるようになり、そのための行動でまたトラウマを負い、それらをさらに強化して行ってしまったのです。


大きな視点で見ると、体験するためにではあるのですが、そこにはまりすぎてしまうとそのこともわからなくなって、その人生にただただ翻弄されてしまいます。人間存在とそのアトラクションテーマはその特殊性ゆえに、変な言い方ですが、「宇宙の中でも大変珍しく貴重なものなのだろうなぁ」と感じています(*^_^*;)
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過去のメルマガから⑪『私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(1)』

2019年08月15日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)


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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
私たちは「体験する」ためにこの地上に降りてきた魂である(1)2018年1月

いつも、この拙いメルマガをお読み頂きまして、ありがとうございます。


前回、「私たちの魂は天と一体であった」とお伝えしました。このことは、臨死体験をした方の多くがその体験を語る時に、このような感覚を味わったと証言しています。


そして、「天と一体である」ということは、「私たち個々も元々は一体である」ということであります。


ずいぶん前に、ブログの方でも詳しく紹介していますが、ジル・ボルト・テイラー博士という脳科学者が、自身の左脳に出血が起きて4時間で左脳の機能が失われていき、右脳の活動のみが主体となりました。


脳科学者として、その経過を一部始終観察をしたそうです。その時に、博士が体験したことを講演の中でこう話しています。(著書では『「奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき」新潮文庫』があります)


『私たちの右半球は、すべて現在のこの瞬間にかかわっています。まさに今ここです。私たちの右半球は、画像で考え、 体の動きを通じて身体で学びます。情報は、エネルギーの形をとって、われわれのすべての感覚器官を通って、同時に流れ込んできます。(中略)私は、右半球の意識を通じて、私を取り巻くすべてのエネルギーと繋がったエネルギー的存在です。私たちは、一つの人間家族のように、右半球の意識を通じて互いに繋がったエネルギー的存在です。そしてまさに、今ここで、私たちすべてはこの惑星上で兄弟姉妹であり、世界をより良い処にするためにここにいます。この瞬間、私たちは完全です。私たちは全体です。そして私たちは美しい。・・・』


そう。我々は元々一つのエネルギー存在だったのです。


では、「なぜ人間には、物事を論理的・分析的にしか捉えなくて、意識を過去や未来へと分断してしまう左脳があるのだろうか?」という疑問が浮かび上がってきます。右脳が中心に働いていれば、いつも幸福感だけを感じられて、争いなどなくなり、人生はよろこびでしかなくなるのに・・・。


この疑問に対して、私の今までの経験や自分の直感的感覚から導いてきた仮説は次のようなものです。おとぎ話として聞いて下さっても結構です(^_^)


我々は大いなるエネルギー(天)と一体で、その根源的エネルギー自体でした。


根源的エネルギーには、まったくゆらぎがなく、人間世界での表現でいえば、絶対的安心の中で、平安であたたかく、静寂で、心地よく、心配や不安や孤独などという感覚など微塵もない、たおやかな世界でした。


この次元世界では、時間というものがないので、この心地よさは無限に続くのです。人間世界での表現でいえば、気温の安定した、暖かな湿度の低いさわやかな気候の国で、お金も充分あり、きれいな居心地のいい住居で、何の心配も不自由もなく、いつもいつもしあわせを感じながら生きている、そんな状態といえるでしょう。


感じてみて下さい。この状態が未来永劫永遠に続いていくのです。


いくら心地のいい状態でも、それがず~~~~っとず~~~~っと続いて、そうでない他の感覚を味わうことがないのです。もしも、寿命が1000年あって、ハワイなどの心地のいい土地で何不自由なくずっと暮らしていたら、たまにはちょっと、他の土地や環境も体験してみたいと思うのではないでしょうか?それが根源的エネルギーにおいては、1000年どころではなく、永遠に・・・という感じです。


そのような感じで、根源的エネルギーはもう少し違う感覚も味わうことに決めました。そして、別な体験もすることでさらに自分を進化させ成長しようと思いました。


そのために、自分の意識を分裂させ分身をつくり、一度に色んな体験が出来るようにしました。


その個々の意識は、元々制限のないところにいるので、自分の自由意志で好きな体験をするために自分が味わいたい環境、状況を作り出して、そこでそれを味わいました。


分身たちが自分が体験したくて体験した経験や感じたことは、つながっている根源的エネルギーに自動的に伝わり、根源的エネルギーの体験値、経験値はどんどんと上がってさらなる進化、成長が行われます。


こうして根源的エネルギーの目的は、自身の更なる進化、成長になり、そのために、分身をさらに増やしていきました。


その中で、大変に好奇心旺盛な魂たちが、地球で人間として生まれてくることを選びました。それが、私たち地球人です。この私たちの星、銀河系太陽系第三惑星の地球は、他にはない体験が出来る特別な星です。


それは、地球の人間という存在は、肉体という振動数の遅い物質を持ち、それにより根源的エネルギーや他の分身たちからも隔離されて、分離して、また、男・女、右脳・左脳、善・悪、N極・S極、+・-などの二極性でも元々一つのものが二つに分断された環境の中で生きるのです。


そして特に、摩訶不思議と思える、感情というものも持っています。


これが地球というテーマパークのシステム、形態であり、地球人に与えられた(体験しようと思った)アトラクションではないかと感じています。


私たちは、この滅多にない特殊性を味わい、体験するために、この地上に降りてきた希有な存在なのではないでしょうか。


何の根拠を持って、このような荒唐無稽な仮説を説くのかは、そこに長年心理療法の現場での経験からわかった、こうとしか思えない理由があったからでした。

〈続く〉
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過去のメルマガから⑩『天のエネルギーとつながる』

2019年08月14日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、ずいぶん前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
天のエネルギーとつながる2017年10月

今回のメルマガは、もしかして宗教的に捉えられてしまうかもしれない内容ですので、最初にお伝えしておきたいことがあります。私はどの宗教にも宗教的な組織にも関係しておりません。ここに書いている内容は(今までも同じですが)、あくまで私が個人的に自分の直感と感覚で感じたことを率直に書いているだけです。


今まで、何人もの本を出版されている方や講演会やセミナーを数多くされているある程度名が通っている方にお会いさせて頂いてきました。その私自身の経験でいいますと、本を読んでよかったと感じた人ほど、なぜかお目にかかって、その人柄やエネルギーを感じてみると本の印象とは違う人が多かったです。


ある人は、生き方に関する本がベストセラーで、現職の肩書きも大変立派で、名前も通っていてたくさん著書を出されている方でした。お目にかかると人柄は誠実で一生懸命な好感の持てる方で、後ろにおられる守護霊さん(突然の流れでゴメンナサイf(^_^;))からも「みんなをよりよくしよう!!」という感じの思いが強く伝わってきました。


しかし、それがちょっと強制的な感じで「これこそが善だから、従いなさい!」という感じのエネルギーでしたので、思わず、「人間には自分で体験を選択する自由意志があるので、強制するのはやめてほしい!」と心の中で思いました。この時に私に見えたイメージは、その人の守護霊さんから天女の白い羽衣のようなやわらかい布がふわふわと幾重にもなって、会場の一番後ろまでいってその場にいる全員を包んでいるものでした。よりよいと感じるものであり、やわらかく心地のよいと感じるものでも、人の自由意志を阻害するものは押しつけでしかないということを学びました。


またある人は、自分が人体実験者になって超常的な現象を論理的に研究している人で、著書からはよい研究者だなあと感じていましたが、お目にかかると、この人の奥からはものすごくにごった危ないものを感じました。


こんな感覚はこの時にしか感じたことがないのですが、その人のエネルギーを感じるとエネルギー自体がずっと離れた他の空間、次元へとつながっていて、その次元にいる存在たちは魑魅魍魎という表現がピッタリな感じのとてもおどろおどろしい存在で、私が気づいたことを察知して「見たな~!!」という感じで私の方へ来ようとしました。ビックリしてすぐに感じている感覚を遮断すると、こちらには来なくて安堵したことを覚えています。


世界は目に見えるものだけでなく、見えないほんとうに様々な存在や次元へとつながっていることに気づかされた出来事でした。このように、その人に直接お目にかかかることで感じた経験は色々ありました。


その中で逆に、この人は本物だなと強く感じた人は今までに二人おられます。


【他の記事でもご紹介していますが】お二人とも私が心理の仕事を始める前、25年ほど前の同じ頃に存じ上げた方でした。なぜか面白いことに、お二人ともに今年はじめてお目にかかりました。


お一人は、姫乃宮亜美(ひめのみやあみ)さんといわれる方です。


セミナーに参加させて頂いて伝わってきたエネルギーは、ものすごくやわらかく、同時に強く、「愛」のエネルギーが届きました。まったく強制的な感じはなく、人々をありのまま誠実に愛する無条件の愛のエネルギーでした。姫乃宮さんは「聖母意識」と表現されていますが、天、高次のエネルギーと自分をちゃんと持ちながら、しっかりとつながられているとても素晴らしい方でした。


【ネットでは2019年6月29日より、『聖母意識メッセンジャー・姫乃宮亜美のLiving With Grace』というサイトを開かれています。毎日更新されているエッセイが無料で読めます。エネルギーが乗った毎回素晴らしい内容です。ご興味がある方はご覧下さいませ。過去の記事から順番に読まれることをお勧めします。】


もうお一人は、立花大敬(たちばなだいけい)さんという方です。


この方は、最初講演テープを知人からもらい聞いていると、何と力の抜けた我欲のまったくない人だろうと驚きました。著書も何冊も買って読みましたが、本からはやわらかい、やさしいエネルギーが伝わって来ました。講演会に参加させて頂いて直接伝わってきたエネルギーは、男性ですがやはりやわらかい、やさしいエネルギーでした。


立花さんは、有名進学校の教員をされていましたが、教員になる前は定職に就かず禅の修行をされていて、42才の時に行き詰まり、伊勢神宮で「私はこれから自分のために生きることをやめます。何か、どんなに小さなことでも構いませんから、神様のためになるような役割をお与え下さい。もし、"お前には神のための役割など果たせないよ"とおっしゃるなら、わたしはもう生きている意味がないので、すぐにでも命を取り去って下さい」とお祈りした途端、天と地を結ぶエネルギーが出現して、自分がその中にいるという不思議な体験をされてから生きづらさが一気に消えて、大変難解な禅の本もスラスラと内容がわかるようになったそうです。


今年、この立花さんが『開運!まいにち神様』という本を出されました。古くから伝えられている祝詞(のりと)の大祓詞(おおはらえのことば)についての本でした。すぐに読んでみて、私は祝詞も神道(しんとう)にも余り興味がありませんでしたが、あの立花さんが勧められているので声に出して唱えてみました。すると、なんだか心地のいい感じがしました。私の場合、数日唱えていると、なんだかわかりませんが確かにエネルギーが上がって来ていい感覚です。この感じは、自分の心がよろこんでいる時の感覚でもあります。


古くから伝わる祝詞はいくつも存在するようですが、毎日神社で唱えられている祝詞は大祓詞だけで、天皇が儀式の時にあげるのもこの祝詞だそうです。


これは人間の罪、穢れ(けがれ)を払うための祝詞ですが、私はトラウマも罪、穢れだと感じています。トラウマ的捉え方では、罪は「自分が悪い」という自分で持った罪悪感ですし、穢れ(=氣枯れ)はそのため「自分を愛せない」ことからの生命力、エネルギーの低下だと感じています。


実は私たちの魂は、この罪、穢れさえも味わって体験しようとこの地上に降りてきたのですが、そこにはまり込んでしまって抜け出しにくくなってしまったのだと感じています。


このメルマガや私のブログにもよく書いていますが、今地球の波動がより軽やかなものへと急激に変わろうとしています。ですから、人間が早く罪、穢れやトラウマや囚われから抜けて、自分から軽やかになることを望む人は(自由意志で望まない方もおられますが)、どんどんと軽くなっていった方がいい時が来ました。


ただ、人それぞれに思想、感覚、感性または地球での体験項目が違いますので、それぞれの人に対応するために、軽やかになるための様々な方法が世に存在しています。しかし、それでも軽やかになっていくスピードが遅いので、どうも天(大いなるエネルギー、大自然のエネルギー、宇宙エネルギー)がいよいよ動き出して、人々がより早く軽やかさを取り戻すためのサポートをはじめたように祝詞を唱えていている時に感じました。


元々我々は天と一体(天の一部)でありましたが、様々な体験をするためにそこから分離してきたと感じています。これは立花さんも同じことをおっしゃっています。


ですので、天は我々の魂の親だといえます。今、この魂の親が「いつもどんな時もすべてを愛しているよ」と、我々にさらに強く、無条件の愛を送ってくれています。しかし、この世には自由意志がありますので、天は強制的につながらせようとはしないのです。


よりつながりたい人は、まずは、ただつながりたいという思いを持つといいと思います。そして、行動したいと感じるなら、大祓詞を唱えてもいいですし、神社に参るのもいいですし、ただ心の中で天に向かって「よろしくお願いします」と伝えるだけでもいいと思います。


大切なことは、やってみたいと感じる方法、あるいはやってみるとうれしい、心地いいと感じた方法をとればいいのです。もう時代が変わったので、例え、苦しみから逃れるためにはじめたことだとしても、それが心から楽しくよろこびを感じられることなら、それを行うことで人生はよりよい方向に向かうようになりました(^_^)


とにかく、よろこんだもん勝ち、みたいな流れになってきた感じがします。でもそれは、「心の奥から純粋に感じるよろこび」という限定が付いていますが・・・。


土に足を着けて、アーシングして大地、地球とつながり、やりたいやり方で天とつながり、そして天と地の間で、自分が心から楽しくよろこびを感じられることを自分のために行っていると、どんどんとよりよい流れに乗っていけます。


自分のためにと自分を心地よくすることに意識が向かない、それを自分に許せない、あるいはその方法がまったくわからないという方は、自分が受けたいと思うセラピーで、まず自分を癒して下さい。


どうも、時代は少し急いでいるように感じます。あせらず、一人一人がしたいと思うやり方でどんどんと軽やかになっていきましょう!!


あなたのおしあわせをお祈りいたします。


◆編集後記

天とつながろうとした時、あるいは神社に行った時などに大切なことは、「すがる」のではなく「つながる」を意識することだと思います。「心地よい、楽しい、よろこぶ」という感覚は、「すがる」からは出て来にくくて、「つながる」からは出てくる感じがしますよね。


「すがる」は不安、怖れ、愛されたい(満たされたい)から出るものだと思います。多くの人は、本物と感じる人や物を見つけた時には「すがる」という傾向が強いと思いますが、「すがる」のではなく、その奥にあるものを感じてそれに「つながる」といいと思います。本物の人でいうと、ただその人のそばに行って安心するために「すがる」のではなく、その人が言われていることに「つながり」それを実行するということだと思います。
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過去のメルマガから⑨『浄化の時』

2019年08月13日 | ひとりごと
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、ずいぶん前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
浄化の時2017年3月


私は自分の直感的な感覚で、昨年は何か時代の流れが分岐点を完全に超えたという感覚がしていました。


言葉にすれば、時代がより軽やかなものへとシフトチェンジしはじめたという感じだと思います。


そして今年は、どんどん軽やかになるために整理をして、身軽になっていかなければならない時のように感じています。


そのためには、断捨離などの物理的な整理だけでなく、心身の「浄化」がとても大切になってきます。


体でいえば、食べ過ぎると重く鈍くなってきます。


心でいえば、過去からのものも、日々感じる色んな思いも整理しないままでいると、エネルギー的にとどこおり心が重苦しくなってきます。


体が過剰にとどこおると、体調不良として現れて、シフトチェンジが必要なことを教えてくれます。


それでも気づかずにあるいは無視していると、病気として発症して強力に転換を促します。


心が過剰にとどこおると、体と同じように体調不良としても現れますが、よくあるのは痛みや違和感として出て教えてくれます。


それでも意識を向けないと、病気とか大きな怪我あるいは人間関係での問題などとして出てきて強力に転換を促します。


また、心の場合には、ネガティブな感情が浮き上がってきているけど、無意識に抑圧してしまっている時には、それを教えるために不整脈として出てくる場合もとても多いです。


病気として診断されない場合の不整脈は、解放する必要のある深い感情が出ている時の反応です。


出来れば、早い段階で気づいて対処していけると、病気や怪我、問題などが起こらなくてすみます。


それから、よくいわれることですが食べ過ぎるという場合にも心が関与しています。


心がスッキリとしなかったり、ストレスが溜まると、食べる量が増えてしまいます。


ほんとうは、体を満たしたいのではなく、心を満たしたいのです。


甘いものがすごく欲しくなる時は、心がゆるみたいといっている時です。


甘いものは、陰性の性質なので食べると体や心をゆるませてくれます。私は甘いものを食べると、急にゆるんで眠くなってしまいます(^_^;)


ピリ辛のものがすごく欲しくなる時には、人生が面白くないと感じていて刺激が欲しい時だったりします。


ピリ辛のものが過剰に欲しくなる時には、ちょっとご自分の心の内を感じて確認してみて下さい。


心身を浄化する時のコツは、「今自分がどのような感じで、何をしたいと思っているか?」などのように、自分の心の内の思いをしっかりと感じることです。


心の内から出てきたものが、自分自身にとってのピッタリの答えです。


人間は元々、自分が何を感じているのかがはっきりとわかる存在ですが、子供の頃に負ったトラウマ(心の傷)を癒してないまま心の奥に残していると、感じないようにする習慣がついて感じることが苦手になります。


また、感じていると思っていることが、ほんとうは思考から来ている思い(頭の言い分)であって、違っているということもよ~くあります。


ハートを意識しながら、「自分の心の内には、どんな思いがあるのだろうか?」と感じようとしてみて下さい。


不調や痛み、違和感、あるいは不整脈がある時には、恐がらずに不調の部位に意識を向けながら、「この不調、痛み、違和感の奥にはどんなメッセージがあるのだろうか?」と感じてみようとしてみて下さい。


うまくわからない時には、遊びだと思って、きら~く(気楽)に行うだけでいいですよ。


さらには、ノートを一冊用意して、何となく浮かんできたことをとにかく文字にして書き出して行ってみて下さい。


思いついたままをたくさん書いていて、ピッタリの言葉が出てきた時には、「この表現がピッタリだ!」とはっきりとわかります。


ピッタリの表現が出て来るだけでも、おもしろいことに心や体が急にふ~っと楽になり、清々しくもなりますよ。


奥深い思いが言葉に出来るほど、一時的ではなく何かが変わりはじめます(*^_^*)


自分の思いは、自分にしかわかりません。


自分がしあわせになるための自分にピッタリの道は、自分自身にしかわからないのです。


ポジティブなことはもちろんのこと、ネガティブなものの奥にあるものも、ハートが教えてくれる「心の言い分」をしっかりと聞いて、それに従い、対処することがしあわせへの近道です。


どなたにおかれてましても、今年はとても大切な年のように感じています・・・。


人間は感情を持った生き物であるがために、この地上世界、人間社会の中では、知らない間に色んなものがとどこおったり、溜まっていきます。


日々、瞬間瞬間・・・


「今、自分はどのような状態なのだろう?」


「今、自分は何を感じているのだろう?」


「今、自分は一番に何をしたいと思っているのだろう?」


・・・などと、ご自分の「心の言い分」に耳を傾けて、心の内側を感じていってみて下さいませ。


それが今後、色んな面であなたの身を守ることにもつながっていくと思います。


本来のあなたとして輝きながら、あなたらしいしあわせな人生を歩んで行かれますことをお祈りいたします。
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ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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過去のメルマガから⑧『人間は霊的な存在である(2)』

2019年08月09日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、ずいぶん前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
人間は霊的な存在である(2)2016年2月

前回に続いて、あまり話してこなかったことを書いていきますね(^_^;)


心理療法の仕事を始めた頃に、高野山に行ったことがあります。奥の院という弘法大師のご遺体が安置されているところへと続く参道には、有名な戦国の武将たちや高名なお坊さんたち等々何千という色んな方々のお墓がありました。


奥の院に向かって歩いている時に、急に右手に見えない何かがひっついてきて、振り払おうとしてもしがみついている感じで取れませんでした。


とりあえずさらに歩いていると左手にもひっついてきました。さらに進んでいると体にもどんどんとひっついて来るのです。


そして、体中に山のようにひっついてきて、歩くこともままならないような状態になったことがありました。ひっついてきたものはすべて亡くなった人の霊でした。


またある時、付き添いで総合病院に行った時のことです。外来の待合にいてトイレに行きたいと思って場所を案内表示で確認すると、入院病棟へつながる通路の端っこにあることがわかりました。


行こうと思ってそっちに意識を向けるとすぐに、入院病棟の方には何人もの亡くなった人がいることがはっきりとわかりました。


ちょっと躊躇しましたが、しょうがなくトイレに行くと、入院病棟の方からトイレにいる私の方へと亡くなった人たちがどんどんと来ました。用を足して、逃げるように外来の待合に戻る時にも追いかけて来るのです。


病院でも高野山でも感じたのは、亡くなった方々が私に対して、「あの人間は自分たちの存在をわかっている」と感じ、私の仕事柄も相まって「なんとかしてくれ!」と集まって来たということでした。


亡くなった方々は、死んでしまったのに色んなネガティブな感情や思いをどうすることも出来ずに、成仏できないままこの地上に残られていたのです。中には、自分が死んだかどうかもわからないままの状態の人もいるように感じました。


前回もチラッと書きましたが、ネガティブな思いや感情は、振動数が遅いので重たくて、それを持ったままではあの世といわれる振動数が早く軽い周波数帯域には上がって行けません。あるいは、自分から上がって行きません。


このことは少しニュアンスが違いますが、生きている人間にも同じことがいえます。


私は心理療法の一つとして前世療法も行っています。それはインナーチャイルド療法で解放し切らない、例えば「自分が悪い」、「しあわせになってはいけない」などの強い思いや感情(思い込み・観念)がこの手法で消えていくことが多いからです。ですので、私のセラピーではクライアントさんのご状態に合わせて、適宜この二つの手法を使っています。


(生まれ変わりの真偽については、様々な意見があると思いますが、最近では学術的権威者がその存在を肯定することも増えています。私の場合にも、疑いようのない過去世の出来事の経験があります。私の「実体験」からの前世の存在の確信については、またどこかに書いていこうと思っています)


現場での前世療法からの経験では、一つあるいはいくつかの前世・過去世での出来事から持ってしまった強いネガティブな思いや感情、その時の感覚は、その当時に解放していないと魂の深い部分に染みつくように残って、あの世(専門的には中間世といいます)に上がっても、それがそのまま今生の自分のところへと持ち越してきてしまうということがわかりました。


例えば、過去世で人から裏切られてつらい思いをしてきた人は、「人は裏切るもの」という強い観念を持ってしまいます。また、そこには誰も信じられなくて、誰ともつながれなくて「独りぼっちでさみしい、悲しい」という感情も出てきます。


これを処理し切れずに持ち越した場合には、生まれ変わっても、もうすでに生まれてすぐの赤ちゃんの時から「独りぼっち」とか「さみしい」、「悲しい」という思いや感情を持っています。このために、この子は他の子供たちよりも、かなり傷つきやすい心の状態、資質を持っています。


(母親が子供の気持ちを受けとめてあげてスキンシップもしっかりとしているのに、よく泣く子、夜泣きが止まらない子などは、このあたりの過去世からのことが影響している可能性があります)


またそのために、大きくなるにつれて人との関係で、人からほんの少しでも自分に良い対応をしてもらえないと「コイツは裏切る」という思いが出てきて、「やっぱり、人は裏切るもの」、「人を信じてはいけない」という観念をさらに強化してしまいます。


そうして、この子(この人)は自分から人との距離を置くようになります。それでも、一人はやはりイヤだと思うと、自分と同じようなさみしさや悲しみを持っている人たちと関係を持つようになります。

それは、その方が明るく心が安定して元気な人たちといるよりも、同じ思いを持っている者同士なのである意味安心するのです。これが、周波数の共鳴、「類は友を呼ぶ」ということになります。


こうやって人は、ネガティブな思いや感情を解放、処理しないままでいることで、重たく暗い波動(周波数)を身にまとってしまい、軽くて明るい波動の流れ、人生へと進んでいけなくなったり、自ら進んでいかなくなりやすくなります。


このように、前世からのことも今生に密接につながり、多くの影響を与えています。


そして・・・、さらに大きな視野でこれらの現象を見つめてみると、過去世からのことも今生のこともすべて、魂が「体験する」ために自ら計画してきたことだということが長年の「実体験」からわかりました。


「魂の計画」というものがあります。占星術ではそれが垣間見られると感じていますし、実際によく当たります。占星術では、生まれた時の星の配列によって、基本的にどのような性格や特質を帯びるのかその傾向がわかります。


計画により、魂は自分が体験したいことをしっかり体験できるように、生年月日を選んで生まれてきます。


そして、この表現はイヤだと感じる人もおられるかもしれませんが、その体験に沿う親と家庭環境も選んで生まれてくることも「実体験」の中からはっきりと確信しました。 


◆編集後記

こうやって文章にすると〈書くことで私の中にも整理と気づきが起こってきますf(^_^;)〉私が行っていることは、スピリチュアル色の強い特殊なもののように感じられるかもしれませんが、私の中ではたくさんのクライアントさんから見せて頂いたものと私自身が体験したもの、それらの「実体験」をただただ感じて整理し検証していくと、自然にこのような結論に至りました。


それから、私の方へ助けを求めて寄ってくる亡くなられている方々についてですが、私側のことでいえば、かつての自分の中にあった過剰な「人を助けなければならない」という思いがこういった方々を極端に引き寄せていたということでもあります。


私たちみんなが、ありのままの本来の自分を取り戻し、その人々がつながり、この世界が平和で心地よく、バランスのとれたものに変容していけますように・・・。
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ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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過去のメルマガから⑦『人間は霊的な存在である』

2019年08月02日 | 自分の体験からの気づき
閲覧が出来なくなっている過去のメルマガの記事の主要なものを抜粋して載せていっています。今まで一部の人にしか話していない、伝えることを躊躇していたものもいくつかありますが、このブログでも公開しようと思い立ちました。


ただし、数年前に書いた文章ですので、今の私の表現とはもうすでに違っているところもありますし、補足、追加したいところもありますから、その部分については加筆していきます。


よろしければ、お読み下さいませ(^_^)

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メルマガ しあわせに生きるための「トラウマ心理学」
人間は霊的な存在である2016年1月

今回は、今までごく一部の人にしかお話ししていなかったことを書いてみますね(^_^;)


私は、心理学者のユングさんは、彼自身が霊能者のような強い直感力、霊的な力を持っていたのだと感じています。


だから、人類が共有する集合的無意識の存在を見つけられたり、無意識に関するあの偉大な業績を積み上げて行くことが出来たのだと感じています。


そして、ユングさんには遠く及ばないのは当然のことですが、私も他の方よりも少しだけ強く、直感力や霊的な感覚を持っています。


それ故に、子供の頃より、霊的な不思議な経験をすることも多かったです。


死んだはずの人の姿を見たり、誰もいないところで足音を聞いたり明らかに気配を感じたり、不思議な光る存在を見たり・・・、とにかく色んなことがありました。


実は、私の母も兄も直感が割りと強く、兄も色々と見たり感じたりする人ですが、伯母(母の姉妹)の中にも霊能者のように人の運命がわかった人がいたりして、どうも家系的にそういう力が少し強いたちのようです。


私はこの霊感、直感のお蔭もあって、心理療法において他の方々よりも少しだけ、心の奥にあるものに色々と感じて気づいていくことが上手だったように思います。


セラピー現場の中でも、「憑依」という霊的な現象に出くわすことが時にあります。


例えば、その人の先祖に恨みを持っている霊が子孫であるクライアントさんに憑依していて、ある場合には、ざんばら髪の落ち武者がその人の後ろにいて、『こいつを楽にするな!!』と、ものすごい怒りのエネルギーでセラピストである私にも攻撃を仕掛けてくることなどもありました。最近はもうこのようなことはありませんが、こういった存在には何度か遭いました。


あるいは、あるお母さんと娘さんが同じ日にセラピーに来られて、はじめにお母さんを、その後に娘さんを見させて頂いた時のことです。娘さんと話しをしていると、急に霊的存在としておじいさん(母の父)が来て『あんた、この子を楽にしてやってくれ、頼むよ!!』といって、後ろからすがってこられました。


この時には、お母さんとの話しの内容からてっきりおじいさんはご健在だと思っていましたので、一瞬訳がわからなかったのですが、あまりにもはっきりと感じるので失礼のないようにお聞きしてみると、おじいさんはお亡くなりになっていて、病院で亡くなる直前までそのお孫さん(娘さん)の手を握っていたぐらい、その人のことを特別にかわいがっていたことがわかりました。


おじいさんは、彼女が色んなことで悩んでいて、長い間心の状態が不安定になっていたので、それがとても気になってずっとそばにいたようでした。


またある時には、クライアントさんと私の間に、何かもやっとしたような光のような玉(エネルギー)が浮かんでいるということが何度もありました。このパターンの場合には、かなりの確率で、その人に堕胎した子か流産した子がおられたのです。


この子たちは、お母さんとただただつながりたかっただけなのでした。しかし、お母さんがその子の存在に気づいていなくて、そういう自分の存在がわかる私に、自分がいることをお母さんに伝えて欲しいと出てきていたのです。


このお母さん方は、産んであげられなかったことをず~っと後悔している人と、お寺さんなどで供養したけれどもその子に対しての思いがあまりない人という二つのタイプの方でした。


私自身は、子供の頃から水子を見たりしていたので、そういう存在がいることには気づいていましたが、水子がその母親に対してこんなにも『自分の存在をわかってほしい』とか『そんなに悲しまないで。自分を責めないで』などという思いを持っていることなど、こういう経験をするまではまったくわかっていませんでした。


このような霊的な様々な体験からも、こんなにも人間の解放できなかった感情というものは強く、亡くなって霊的な存在となっても、その感情が原動力となって色んな行動をとるものだということを実体験を持って知ることが出来ました。

(こういう体験は、もっと色んなことがありましたが、それはまたの機会にゆずることにしましょう)


やはり、人間は感情を有する生き物なので、感情を処理し、解放するということがとてもとても大切で、本質的、根源的なことであるということを改めて理解させて頂いた出来事の数々でした。


この実体験から確信を持っていえるもう一つのことは、今回のテーマの通りやはり、「人間は霊的な存在である」ということです。いにしえの時代から言われてきていることですが、人間は「心」と「体」と「魂(霊)」という要素から構成されている存在であるのです。


そして、人間が本来のよりよい状態でいるためには、この3つの要素がバランスよく統合されている必要があります。


心理療法のような分野においても、統合的、エネルギー的、多次元的に人間存在及び心を捉えていくことがとても大切なことなのです。そうしないと、『真実』は見えてきません。


ただし、今はやりの「スピリチュアル」もおもしろい部分はあるのですが、大切なのは「スピリチュアリティ」だと感じています。


スピリチュアル(大衆的・商業的):超能力、呪術、占い、前世、守護霊、チャネリング、リーディング、宗教、古代文明、パワースポットなど


スピリチュアリティ(アカデミズム・対人ケア):純粋な宗教性、自己超越性、よりよい生き方や死に方、全体性、実存、美徳・崇高さ、スピリチュアル・ケアなど


このメルマガでは、このあたりのことも少しずつお伝えして行ければと思っております。


あなたの心が解放され、あなた本来の精神性、霊性が発露されることをお祈りいたします。


◆編集後記

このようなかなり特殊な個人的体験を文章として書くのは初めてのことですので、どこまで書いたらいいのか正直迷いがありました(^_^;)


霊的な存在は恐いものではなく、肉体を伴わないだけで生きている人間とまったく変わりません。ただ、ネガティブな感情を解放していなくて過度に持っているので、天国とかあの世といわれている安息の場所(周波数帯域)に上がって行けない、上がって行かないだけなのです。


感情、思いを残している多くの魂たちが、本来帰るべき安らかなる場所に戻りますように・・・。
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ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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