今思えば、私は10代の頃から人間の構造というものに興味を持っていたように思います。特に、脳の構造やその知覚機能に関してはとても興味を持っていました。
テレビで、てんかんの発作を止めるために、右脳と左脳をつないでいる脳梁を手術で切断した人の知覚の変化の話しを大変興味深く聞いたことを覚えています。(脳梁を切断した脳を分離脳と呼びます)
記憶の曖昧な所もあったので、以下の分離脳の知覚変化の説明は、ネットで検索したものを参考にさせてもらいました。
『脳の機能に左右差があることは、1960年代に発見され、当時、アメリカでは重症のてんかん発作の治療として、大脳の左右半球の間を連絡している脳梁を切断するという乱暴な手術を行っていました。
脳梁を切断すると左右の脳が別個に働いてしまいます。右脳で行なったことが左脳ではわからない(またはその逆)ことが頻繁に起こるようです。
左目からの情報は右脳に、右目からの情報は左脳にそれぞれ送るので、たとえば、右目をふさぎ、左目だけでリンゴを見ると、その名前を言う事ができないのです。しかし、リンゴを取るように指示すると、ちゃんとリンゴを選ぶ事ができます。逆に右目だけで見ると、ちゃんと名前を言う事ができるのです。右脳は感覚を、左脳は論理を司っているからです。
あるいは、左目だけに「目の前のレモンを取ってください」という文を見せると、右脳だけがその情報を受け取り、患者は左手でレモンを手に取ります。右脳は左手を、左脳は右手を支配しているからです。』
おもしろいのは、その後、今度は右目に「なぜレモンを取ったのですか」という文を見せると、患者は答えられません。その情報を受け取った左脳には「先ほど指示が出されたから」という理由がわかりません。そこで左脳がどうするかというと、なんと、「香りをかぎたかったから」などと、適当につじつまが合う返答をするのです。つまり、左脳は自分ではわからないことでも、「自分がレモンを取った」という断片的な情報をもとに、適当な理由を繕って、もっともらしい結論を導くのです。
これらの実験で明らかになったのは、「左脳は、断片的な情報から、自分が安心できる、またはもっともらしい結論を出したがる」ということです。結論を導くのに必要な情報が十分にある場合はよいのですが、不十分で断片的な情報しかない場合、左脳は、なんとかつじつまが合う結論を導き出そうとします。しかも、その際、なるべく少ない情報で結論を出そうとします。左脳は、不安定な状態を極力排除しようと働くもののようです。
左脳は自分が傷つかないように、一生懸命防御するのです。そして、トラウマが強くなるほど、それに比例して防御はどんどんと強化されていきます。防御が強くなると、安定するため、安心するためだけを目的として生きるようになり、これが過剰になると、「今だけ・自分だけ・お金だけ」の我欲の呪縛にはまり込んでしまいます。
こうやって、改めて脳に思いをはせるきっかけになったのは、ある本を読んだからです。
「奇跡の脳」ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳 新潮文庫です。
本の紹介では、『脳科学者である「わたし」の脳が壊れてしまった―。ハーバード大学で脳神経科学の専門家として活躍していた彼女は37歳のある日、脳卒中に襲われる。幸い一命は取りとめたが脳の機能は著しく損傷、言語中枢や運動感覚にも大きな影響が…。以後8年に及ぶリハビリを経て復活を遂げた彼女は科学者として脳に何を発見し、どんな新たな気づきに到ったのか。驚異と感動のメモワール』とあります。
勉強した学問としての理論ではなく、紛れもない、自分自身で体験されたことですから、大変興味深く読ませてもらいました。自分の実体験、それこそが自分にとっての真実です。この本は、とても参考になりましたので、少し引用してみますね。
[転載開始]
脳卒中の最初の日を、ほろ苦さとともに憶えています。左の方向定位連合野が正常に働かないために、肉体の境界の知覚はもう、皮膚が空気に触れるところで終わらなくなっていました。魔法の壷から解放された、アラビアの精霊になったような感じ。人きな鯨が静かな幸福感で一杯の海を泳いでいくかのように、魂のエネルギーが流れているように思えたのです。
肉体の境界がなくなってしまったことで、肉体的な存在として経験できる最高の喜びよりなお快く、素晴らしい至福の時がおとずれました。意識は爽やかな静寂の流れにあり、もう決して、この巨大な魂をこの小さい細胞のかたまりのなかに戻すことなどできはしないのだと、わたしにはハッキリとわかっていました。
(中略)
わたしは左脳の死、そして、かつてわたしだった女性の死をとても悲しみはしましたが、同時に、大きく救われた気がしていました。
あのジル・ボルト・テイラーは、膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきました。彼女は、仕事と自己主張についてはあくまでも情熱的で、ダイナミックな人生を送ることにこだわり続ける女性です。
ですが、好ましく、そして賞賛にも値する個性であっても、今のわたしは彼女の心に根を張っていた敵対心を受け継いではいません。わたしは、兄と彼の病についても忘れ、両親と、両親の離婚についても忘れ、仕事と、ストレスの多い人生のすべてを忘れていました。そして、この記憶の喪失によって、安堵と歓びを感じたのです。わたしは、せっせと多くの物事を「やる」ことに打ち込みながら、三十七年の生涯を費やしてきました。でもこの特別な日に、単純にここに「いる」意味を学んだのです。
左脳とその言語中枢を失うとともに、瞬間を壊して、連続した短い時間につないでくれる脳内時計も失いました。瞬間、瞬間は泡のように消えるものではなくなり、端っこのないものになったのです。ですから、何事も、そんなに急いでする必要はないと感じるようになりました。波打ち際を散歩するように、あるいは、ただ美しい自然のなかをぶらついているように、左の脳の「やる」意識から右の脳の「いる」意識へと変わっていったのです。小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身しました。言葉で考えるのをやめ、この瞬間に起きていることを映像として写し撮るのです。過去や未来に想像を巡らすことはできません。なぜならば、それに必要な細胞は能力を失っていたから。わたしが知覚できる全てのものは、今、ここにあるもの。それは、とっても美しい。
「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ固体のような存在としては、自己を認識できません。ようするに、もっとも基本的なレベルで、自分が流体のように感じるのです。もちろん、わたしは流れている!わたしたちのまわりの、わたしたちの近くの、わたしたちのなかの、そしてわたしたちのあいだの全てのものは、空間のなかで振動する原子と分子からできているわけですから。言語中枢のなかにある自我の中枢は、自己を個々の、そして固体のようなものとして定義したがりますが、自分が何兆個もの細胞や何十キロもの水でできていることは、からだが知っているのです。つまるところ、わたしたちの全ては、常に流動している存在なのです。
左脳は自分自身を、他から分離された固体として認知するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無隈の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。
自分を流れとして、あるいは、そこにある全てのエネルギーの流れに結ばれた、字宙と同じ大きさの魂を持つものとして考えることは、わたしたちを不安にします。
しかしわたしの場合、自分は固まりだという左脳の判断力がないため、自分についての認知は、本来の姿である「流れ」に戻ったのです。わたしたちは確かに、静かに振動する何十兆個という粒子なのです。わたしたちは、全てのものが動き続けて存在する、流れの世界のなかの、流体でい一ぱいになった袋として存在しています。異なる存在は、異なる密度の分子で構成されている。しかし結局のところ、全ての粒は、優雅なダンスを踊る電子や陽子や中性子といったものからつくられている。あなたとわたしの全ての微塵を含み、そして、あいだの空間にあるように見える粒は、原子的な物体とエネルギーでできている。
(中略)
自分をひとつの固体として感じていた今朝までは、わたしは、死や傷害により肉体を失うことや、心痛による感情的な喪失を感じることができていました。しかし、変容してしまった認知力では、肉体的な喪失も感情的な喪失も、受け取められなくなってしまったのです。
周囲から分離していること、固体であることを体験する能力が失われてしまったせいで。神経が傷を負っているのに、忘れ得ぬ平穏の感覚が、わたしという存在のすみずみにまで浸透しています。そして、静けさを感じました。
存在する全てと結ばれている感覚は幸せなものでしたが、自分がもはや正常な人間でないということに、わたしは身震いしました。わたしたちはそれぞれ、まったく同じ全体の一部であり、わたしたちの内にある生命エネルギーは宇宙の力を含んでいる。そんな高まった認知力を持ちながら、いったいどうやって、人類のひとりとして存在できるでしょう?怖い物知らずにこの地球を歩くとき、どうして社会に適合できるでしょう?わたしは誰の基準においても、もはや正常ではありませんでした。この特殊な状態で、重い精神の病に罹っていたのです。そして、外界の知覚と外界との関係が神経回路の産物であることがわかったとき、それは自由を意味すると同時に挑戦でもあったのです。わたしの人生の長い歳月のあいだ、わたしというものが自分の想像の産物にすぎなかったなんて!
[転載終わり]
テイラーさんが体験されたことは、ほんとうに「みんなはひとつ」という感覚で、いわゆる「ワンネス」の体験だったのだと思います。強制的ではありましたが、左脳が停止し、右脳が働くようになると、ここまで強烈に「ワンネス」につながれるということは、私にとっては新たな発見でした。
私とクライアントさんのセッションからの経験で、ワンネス体験に近いものでいえば、まず(1)ハート(ハートチャクラ)が開いて、(2)頭に被われていた観念のフィルターが取れて松果体が活性化し、周りが明るく見えるようになり、(3)足がしっかり地に着いた感じになり、エネルギーが地面に降りていくという体感が起こり、(4)心からの安心感を感じて、自分にも周りにもとても優しい、自然にすべてを受け入れた気持ちになるという流れでした。
私はトラウマに焦点を当てている時には、あえて脳は一つのものとして扱っていますので、「脳」の観念のフィルターを外すという説明に留めていますが、厳密には左脳の観念のフィルターを外すということになります。(ただ、観念のフィルターを外しても、生存本能からの自分が傷つかないようにするための防御は必要なのでなくならなくて、トラウマが故のその過剰な防御の部分だけがなくなります)
そして、テイラーさんは、左脳の機能が戻ってくるに従い、「宇宙との一体感」がなくなっていき、自分がこころよく思わない過去の感情や人格の傾向が次第に戻ってきたといいます。
でも、そのことでテイラーさんは自分がこれから何をしたいのかがわかりました。
[転載開始]
この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵を私は授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の中に存在し、どんな瞬間でも、脳のその部分の回路に「つなぐ」ことができるはずなのです。
このことに気づいてから、わたしの回復により、他の人々の人生も大きく変わるにちがいないと考え、ワクワクしました。他の人々とは、脳障害からの回復途中の人々だけでなく、脳を持っている人なら誰でも!という意味です。幸福で平和な人々があふれる世界を想像しました。そして、回復するために受けるであろう、どんな苦難にも耐えてみせよう、という気持ちでいっぱいになりました。わたしが脳卒中によって得た「新たな発見」はこういえるでしょう。
「頭の中でほんの一歩を踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」
(中略)
脳卒中を経験する前のわたしは、左脳の細胞が右脳の細胞を支配していました。左脳が司る判断や分析といった特性が、わたしの人格を支配していたのです。脳内出血によって、自己を決めていた左脳の言語中枢の細胞が失われたとき、左脳は右脳の細胞を抑制できなくなりました。その結果、頭蓋の中に共存している二つの半球の独特な「キャラクター」のあいだに、はっきり線引きができるようになったのです。神経学的な面においては、二つの脳波全然違う方法で認知したり、考えたりすることはありません。しかしこの二つは、認知する情報の種類にもとづいて、非常に異なる価値判断を示し、その結果、かなり異なる人格を示すことになります。
脳卒中によってひらめいたこと。それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、歓び、そして同情をけなげに表現し続けているのです。
これまでは、右と左の脳の性質を判別することは、不可能ではなくとも難しかったと言えるでしょう。その理由は単に、わたしたちが自分自身を、ひとつの意識を持った一人の人間だと感じているからです。
あなたが、左右それぞれの「キャラクター」に合った大脳半球の住み処を見つけてやれば、左右の個性は尊重され、世界の中でどのように生きていきたいのか、もっと主張できるようになります。
わたしは、そのお手伝いがしたいだけ。
頭蓋の内側にいるのは「誰」なのかをハッキリと理解することによって、バランスの取れた脳が、人生の過ごし方の道しるべとなるのです。
[転載終わり]
私も今後、人間が特殊な状況からでなく通常の生活の中で、右脳が活性化されていった時に、どこまで強くワンネス体験ができるものなのか。ワンネス体験を経験することで、【ほんとうの意味で】観念および観念のフィルターがどのぐらい取れていくのか、【ほんとうの意味で】トラウマがどれぐらい解消されていくのか、それを見極めたい、それを深める研究をしていきたいと思いました。(左脳を休め、右脳を活性化する一般的な方法は「瞑想」だと思います。私は瞑想歴は長くて、とてもいいものだと感じています。しかし、トラウマということでいえば、瞑想はトラウマに焦点が当たらないようになるだけで(このことは大切なことですが)、トラウマの解消は出来ないことをはっきりと確認しています)
もしも、それができたら、人間が生まれ持った本来の姿を取り戻し、人間も世界も変容していくことがたやすくなります。
やはり、脳についての研究はおもしろい!(^o^)/
ちなみに、YouTubeではテイラーさんの講演が見られます。字幕付きです。
ジル・ボルト・テイラー「脳卒中体験を語る」1/2 http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM
ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
テレビで、てんかんの発作を止めるために、右脳と左脳をつないでいる脳梁を手術で切断した人の知覚の変化の話しを大変興味深く聞いたことを覚えています。(脳梁を切断した脳を分離脳と呼びます)
記憶の曖昧な所もあったので、以下の分離脳の知覚変化の説明は、ネットで検索したものを参考にさせてもらいました。
『脳の機能に左右差があることは、1960年代に発見され、当時、アメリカでは重症のてんかん発作の治療として、大脳の左右半球の間を連絡している脳梁を切断するという乱暴な手術を行っていました。
脳梁を切断すると左右の脳が別個に働いてしまいます。右脳で行なったことが左脳ではわからない(またはその逆)ことが頻繁に起こるようです。
左目からの情報は右脳に、右目からの情報は左脳にそれぞれ送るので、たとえば、右目をふさぎ、左目だけでリンゴを見ると、その名前を言う事ができないのです。しかし、リンゴを取るように指示すると、ちゃんとリンゴを選ぶ事ができます。逆に右目だけで見ると、ちゃんと名前を言う事ができるのです。右脳は感覚を、左脳は論理を司っているからです。
あるいは、左目だけに「目の前のレモンを取ってください」という文を見せると、右脳だけがその情報を受け取り、患者は左手でレモンを手に取ります。右脳は左手を、左脳は右手を支配しているからです。』
おもしろいのは、その後、今度は右目に「なぜレモンを取ったのですか」という文を見せると、患者は答えられません。その情報を受け取った左脳には「先ほど指示が出されたから」という理由がわかりません。そこで左脳がどうするかというと、なんと、「香りをかぎたかったから」などと、適当につじつまが合う返答をするのです。つまり、左脳は自分ではわからないことでも、「自分がレモンを取った」という断片的な情報をもとに、適当な理由を繕って、もっともらしい結論を導くのです。
これらの実験で明らかになったのは、「左脳は、断片的な情報から、自分が安心できる、またはもっともらしい結論を出したがる」ということです。結論を導くのに必要な情報が十分にある場合はよいのですが、不十分で断片的な情報しかない場合、左脳は、なんとかつじつまが合う結論を導き出そうとします。しかも、その際、なるべく少ない情報で結論を出そうとします。左脳は、不安定な状態を極力排除しようと働くもののようです。
左脳は自分が傷つかないように、一生懸命防御するのです。そして、トラウマが強くなるほど、それに比例して防御はどんどんと強化されていきます。防御が強くなると、安定するため、安心するためだけを目的として生きるようになり、これが過剰になると、「今だけ・自分だけ・お金だけ」の我欲の呪縛にはまり込んでしまいます。
こうやって、改めて脳に思いをはせるきっかけになったのは、ある本を読んだからです。
「奇跡の脳」ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳 新潮文庫です。
本の紹介では、『脳科学者である「わたし」の脳が壊れてしまった―。ハーバード大学で脳神経科学の専門家として活躍していた彼女は37歳のある日、脳卒中に襲われる。幸い一命は取りとめたが脳の機能は著しく損傷、言語中枢や運動感覚にも大きな影響が…。以後8年に及ぶリハビリを経て復活を遂げた彼女は科学者として脳に何を発見し、どんな新たな気づきに到ったのか。驚異と感動のメモワール』とあります。
勉強した学問としての理論ではなく、紛れもない、自分自身で体験されたことですから、大変興味深く読ませてもらいました。自分の実体験、それこそが自分にとっての真実です。この本は、とても参考になりましたので、少し引用してみますね。
[転載開始]
脳卒中の最初の日を、ほろ苦さとともに憶えています。左の方向定位連合野が正常に働かないために、肉体の境界の知覚はもう、皮膚が空気に触れるところで終わらなくなっていました。魔法の壷から解放された、アラビアの精霊になったような感じ。人きな鯨が静かな幸福感で一杯の海を泳いでいくかのように、魂のエネルギーが流れているように思えたのです。
肉体の境界がなくなってしまったことで、肉体的な存在として経験できる最高の喜びよりなお快く、素晴らしい至福の時がおとずれました。意識は爽やかな静寂の流れにあり、もう決して、この巨大な魂をこの小さい細胞のかたまりのなかに戻すことなどできはしないのだと、わたしにはハッキリとわかっていました。
(中略)
わたしは左脳の死、そして、かつてわたしだった女性の死をとても悲しみはしましたが、同時に、大きく救われた気がしていました。
あのジル・ボルト・テイラーは、膨大なエネルギーを要するたくさんの怒りと、一生涯にわたる感情的な重荷を背負いながら育ってきました。彼女は、仕事と自己主張についてはあくまでも情熱的で、ダイナミックな人生を送ることにこだわり続ける女性です。
ですが、好ましく、そして賞賛にも値する個性であっても、今のわたしは彼女の心に根を張っていた敵対心を受け継いではいません。わたしは、兄と彼の病についても忘れ、両親と、両親の離婚についても忘れ、仕事と、ストレスの多い人生のすべてを忘れていました。そして、この記憶の喪失によって、安堵と歓びを感じたのです。わたしは、せっせと多くの物事を「やる」ことに打ち込みながら、三十七年の生涯を費やしてきました。でもこの特別な日に、単純にここに「いる」意味を学んだのです。
左脳とその言語中枢を失うとともに、瞬間を壊して、連続した短い時間につないでくれる脳内時計も失いました。瞬間、瞬間は泡のように消えるものではなくなり、端っこのないものになったのです。ですから、何事も、そんなに急いでする必要はないと感じるようになりました。波打ち際を散歩するように、あるいは、ただ美しい自然のなかをぶらついているように、左の脳の「やる」意識から右の脳の「いる」意識へと変わっていったのです。小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身しました。言葉で考えるのをやめ、この瞬間に起きていることを映像として写し撮るのです。過去や未来に想像を巡らすことはできません。なぜならば、それに必要な細胞は能力を失っていたから。わたしが知覚できる全てのものは、今、ここにあるもの。それは、とっても美しい。
「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ固体のような存在としては、自己を認識できません。ようするに、もっとも基本的なレベルで、自分が流体のように感じるのです。もちろん、わたしは流れている!わたしたちのまわりの、わたしたちの近くの、わたしたちのなかの、そしてわたしたちのあいだの全てのものは、空間のなかで振動する原子と分子からできているわけですから。言語中枢のなかにある自我の中枢は、自己を個々の、そして固体のようなものとして定義したがりますが、自分が何兆個もの細胞や何十キロもの水でできていることは、からだが知っているのです。つまるところ、わたしたちの全ては、常に流動している存在なのです。
左脳は自分自身を、他から分離された固体として認知するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。もう孤独ではなく、淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無隈の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。
自分を流れとして、あるいは、そこにある全てのエネルギーの流れに結ばれた、字宙と同じ大きさの魂を持つものとして考えることは、わたしたちを不安にします。
しかしわたしの場合、自分は固まりだという左脳の判断力がないため、自分についての認知は、本来の姿である「流れ」に戻ったのです。わたしたちは確かに、静かに振動する何十兆個という粒子なのです。わたしたちは、全てのものが動き続けて存在する、流れの世界のなかの、流体でい一ぱいになった袋として存在しています。異なる存在は、異なる密度の分子で構成されている。しかし結局のところ、全ての粒は、優雅なダンスを踊る電子や陽子や中性子といったものからつくられている。あなたとわたしの全ての微塵を含み、そして、あいだの空間にあるように見える粒は、原子的な物体とエネルギーでできている。
(中略)
自分をひとつの固体として感じていた今朝までは、わたしは、死や傷害により肉体を失うことや、心痛による感情的な喪失を感じることができていました。しかし、変容してしまった認知力では、肉体的な喪失も感情的な喪失も、受け取められなくなってしまったのです。
周囲から分離していること、固体であることを体験する能力が失われてしまったせいで。神経が傷を負っているのに、忘れ得ぬ平穏の感覚が、わたしという存在のすみずみにまで浸透しています。そして、静けさを感じました。
存在する全てと結ばれている感覚は幸せなものでしたが、自分がもはや正常な人間でないということに、わたしは身震いしました。わたしたちはそれぞれ、まったく同じ全体の一部であり、わたしたちの内にある生命エネルギーは宇宙の力を含んでいる。そんな高まった認知力を持ちながら、いったいどうやって、人類のひとりとして存在できるでしょう?怖い物知らずにこの地球を歩くとき、どうして社会に適合できるでしょう?わたしは誰の基準においても、もはや正常ではありませんでした。この特殊な状態で、重い精神の病に罹っていたのです。そして、外界の知覚と外界との関係が神経回路の産物であることがわかったとき、それは自由を意味すると同時に挑戦でもあったのです。わたしの人生の長い歳月のあいだ、わたしというものが自分の想像の産物にすぎなかったなんて!
[転載終わり]
テイラーさんが体験されたことは、ほんとうに「みんなはひとつ」という感覚で、いわゆる「ワンネス」の体験だったのだと思います。強制的ではありましたが、左脳が停止し、右脳が働くようになると、ここまで強烈に「ワンネス」につながれるということは、私にとっては新たな発見でした。
私とクライアントさんのセッションからの経験で、ワンネス体験に近いものでいえば、まず(1)ハート(ハートチャクラ)が開いて、(2)頭に被われていた観念のフィルターが取れて松果体が活性化し、周りが明るく見えるようになり、(3)足がしっかり地に着いた感じになり、エネルギーが地面に降りていくという体感が起こり、(4)心からの安心感を感じて、自分にも周りにもとても優しい、自然にすべてを受け入れた気持ちになるという流れでした。
私はトラウマに焦点を当てている時には、あえて脳は一つのものとして扱っていますので、「脳」の観念のフィルターを外すという説明に留めていますが、厳密には左脳の観念のフィルターを外すということになります。(ただ、観念のフィルターを外しても、生存本能からの自分が傷つかないようにするための防御は必要なのでなくならなくて、トラウマが故のその過剰な防御の部分だけがなくなります)
そして、テイラーさんは、左脳の機能が戻ってくるに従い、「宇宙との一体感」がなくなっていき、自分がこころよく思わない過去の感情や人格の傾向が次第に戻ってきたといいます。
でも、そのことでテイラーさんは自分がこれから何をしたいのかがわかりました。
[転載開始]
この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵を私は授かりました。涅槃(ニルヴァーナ)の体験は右脳の中に存在し、どんな瞬間でも、脳のその部分の回路に「つなぐ」ことができるはずなのです。
このことに気づいてから、わたしの回復により、他の人々の人生も大きく変わるにちがいないと考え、ワクワクしました。他の人々とは、脳障害からの回復途中の人々だけでなく、脳を持っている人なら誰でも!という意味です。幸福で平和な人々があふれる世界を想像しました。そして、回復するために受けるであろう、どんな苦難にも耐えてみせよう、という気持ちでいっぱいになりました。わたしが脳卒中によって得た「新たな発見」はこういえるでしょう。
「頭の中でほんの一歩を踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」
(中略)
脳卒中を経験する前のわたしは、左脳の細胞が右脳の細胞を支配していました。左脳が司る判断や分析といった特性が、わたしの人格を支配していたのです。脳内出血によって、自己を決めていた左脳の言語中枢の細胞が失われたとき、左脳は右脳の細胞を抑制できなくなりました。その結果、頭蓋の中に共存している二つの半球の独特な「キャラクター」のあいだに、はっきり線引きができるようになったのです。神経学的な面においては、二つの脳波全然違う方法で認知したり、考えたりすることはありません。しかしこの二つは、認知する情報の種類にもとづいて、非常に異なる価値判断を示し、その結果、かなり異なる人格を示すことになります。
脳卒中によってひらめいたこと。それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、歓び、そして同情をけなげに表現し続けているのです。
これまでは、右と左の脳の性質を判別することは、不可能ではなくとも難しかったと言えるでしょう。その理由は単に、わたしたちが自分自身を、ひとつの意識を持った一人の人間だと感じているからです。
あなたが、左右それぞれの「キャラクター」に合った大脳半球の住み処を見つけてやれば、左右の個性は尊重され、世界の中でどのように生きていきたいのか、もっと主張できるようになります。
わたしは、そのお手伝いがしたいだけ。
頭蓋の内側にいるのは「誰」なのかをハッキリと理解することによって、バランスの取れた脳が、人生の過ごし方の道しるべとなるのです。
[転載終わり]
私も今後、人間が特殊な状況からでなく通常の生活の中で、右脳が活性化されていった時に、どこまで強くワンネス体験ができるものなのか。ワンネス体験を経験することで、【ほんとうの意味で】観念および観念のフィルターがどのぐらい取れていくのか、【ほんとうの意味で】トラウマがどれぐらい解消されていくのか、それを見極めたい、それを深める研究をしていきたいと思いました。(左脳を休め、右脳を活性化する一般的な方法は「瞑想」だと思います。私は瞑想歴は長くて、とてもいいものだと感じています。しかし、トラウマということでいえば、瞑想はトラウマに焦点が当たらないようになるだけで(このことは大切なことですが)、トラウマの解消は出来ないことをはっきりと確認しています)
もしも、それができたら、人間が生まれ持った本来の姿を取り戻し、人間も世界も変容していくことがたやすくなります。
やはり、脳についての研究はおもしろい!(^o^)/
ちなみに、YouTubeではテイラーさんの講演が見られます。字幕付きです。
ジル・ボルト・テイラー「脳卒中体験を語る」1/2 http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM
ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com