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心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

変化すべき男性社会・資本主義について

2013年09月07日 | 世界の動き
前回の記事で書きました、私の中に気づかずにあった社会人になってからの男性社会(資本主義社会)での傷ついていた部分を癒しました。今回はそのあたりのことから感じていることをちょっと書きます。

ただし、私がいた会社が私に何かひどいことをした訳ではありません。ただ、私の所に来て下さるクライアントさんは、ほとんどが女性ですが、女性を診させて頂くことからも父親や兄弟や夫などの男性について、その役割や現代の男性の性質がよくわかるようになりました。トラウマが故に、男性社会での多くの男性たち自身の様々な対応が、心からの思いやりや優しさを含めなくなっていることがよく観えるようになりました。わかって観えてくることで、私の中でオブラートにかけていた(ある意味洗脳されていた)私自身の思いに気づきましたので、少し表現したいと思いました。

自分を癒すに当たって、まず、その頃の一番思いが残っていると感じる自分をイメージしてみようとしました。なんとなく22,23歳頃の会社にいる自分が出てきたので、その自分を客観的に見るイメージをしました。(客観視することがとても大切です)

その時の自分に近づいて手に触れてあげると、色んな出来事はありましたが、その自分からは会社への怒りなどはなく、とにかくここが重苦しくてしんどいと思っているのを感じました。仕事は給料をもらっているので、厳しさの中でも一生懸命に働くのは、まったく当たり前のことです。しかし、そこに心からの思いやりや心遣いなどの「愛」がないと、知らないうちに、心はどこかで必ず傷ついてしまいます。その時の自分からは、その中でも「何とか頑張ってやらなければならない」、「弱音を吐いてはいけない」という思いで、100%以上の力を出して一人で頑張っている思いが伝わってきました。ただただそれをわかってあげました。

そして、その若い頃の自分とまったく同じ経験をしてきたのは今の自分だけなので、「その思いがよくわかるよ。とにかくたった一人でよく頑張ってきたね」という感じで、その頃の自分の思いに共感して、言葉をかけてあげました。一番心に入ってくる(入っていく)言葉は、「たった一人でよく頑張ってきたね」というフレーズでした。

私の母が、とにかく頑張って一人で何とかしようとする人だと私は感じていたので、小さい頃からそんな感じの母を見てきていて、私の脳がモデルとしてインプットしたものは、「何かが起こっても、とにかく自分一人で、出来るだけ何とかしないといけない」という思い、観念でした。そういう自分でしたので、そのフレーズがピンポイントで心に響くものだったのです。

今まで、色んな小さい頃のチャイルドを癒していった中で、その時々に持った観念や抑圧してきた感情を解放して、生まれ直したように生きることが楽になりましたが、こんなところに、大人の自分が「一人で頑張らないといけない」という観念を持ったままでいたことに気づきました。(「一人で何とか頑張る」ことは大切なことですが、例えば、これをたくさん持っていると、周りの人にも無意識のうちに、過剰に「とにかく頑張ること」を要求してしまうようになってしまいます。人間に対する基本原則は、大人でも子供でも、まずはじめに、その人(その子)を受け入れるということなのです。まずそれがないと、「認められるための無理をした頑張り」になってしまいます)

そして、無理をして頑張っていたこの頃の自分を抱きしめて、元々一人の自分なので、今の自分がわかってあげることが出来てもう一人ではないから、今の私の胸のあたりに納めて一体にしてあげました。(これが統合です)

このチャイルド(大人の自分ですがこの自分もインナーチャイルドなのです)を癒すと気持ちよく、体がふ~っと楽になり、目を開けた時に、なんとなく新しい自分になったような感じもしました。

それから、今だからわかりますが、社長や上司たちも会社の人たちはみんな、利潤の追求が資本主義の目的ですから、とにかく業績を上げるために、認められるために、必死だったのだと思います。そして、この人たちも、例に漏れず幼少期からの親との関係で傷ついてきているのです(実は、傷ついていない人は一人もいません)。特に、男性は子供の頃から泣いてはいけないと感情を抑えることを教育されてきましたので、知らず知らずのうちに抑圧してきた感情は、女性と比べるとかなりのものがあると思います。

でも、子供の頃から、父親(男性)から「社会とはそんなものだ」ということもインプットされてきているので、てっきり「それが普通だ」と思い込んできました(これが洗脳です)。しんどいと感じてしまったら、前に進めなくなるので、社会の中では感じて、自分の思いに気づいてしまう(気づかれる)と困るのです。

ですから、今の男性主体の男性社会は、トラウマの上に乗った社会といえると思います。

しかし、本来の理想的な社会は、自分の思いがわかって自分が“心からほんとうに”したいことをしていく社会なのではないかと感じるのです。その中では、当然やらなければならないことも出てきますが、それはあくまで自分の心の深いところでしてもいいと許容できる範疇でのことです。

私は、人間が『心からほんとうにしたい』と思うその思いは、自分の魂の中に刻まれている「良心」に沿ったものだと感じています。

自分の心からの思いを感じて生きられないと、良心に触れられないので、資本主義の利潤追求の原則により社会は、「今だけ、自分だけ、お金だけ」の我欲でしかない世界にどんどんと向かって行ってしまいます。今の世の中は、かなりそのようになってしまっている部分がありますが、我々はここから、自然の一部として生かされている生き物として、人と自然と共生して生きていくというその役割を果たさなければなりません。また、それを果たさなければ、自然あるいは地球に淘汰されていくしかなくなるのだと強く感じます。

従来の男性社会・資本主義がもう形を変えなければならない時が来ているのだと感じます。

あなたが心からほんとうにしたいことがわかって、ほんとうの自分を生きられますことをお祈りいたします。


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未来のかたちを想う(2)

2011年05月10日 | 世界の動き
我が家のトイレは、排泄物を微生物で分解するコンポストトイレを使っています。いわゆる、生ゴミコンポストのトイレ版です。

排泄した固形物は堆肥、液体は液肥にと分かれますが、乾燥させた堆肥はもう臭いはまったくなくなってしまいます。

我が家は、家の前に畑がありますので、これらはそこで肥料として使っています。最初は、土が固かった場所もだんだんと柔らかくなり、土壌をよくしてくれる赤ミミズもたくさん増えてきて年々よい土へと変わってきています。

自分たちが出したものを肥料にして、出来た作物を収穫するという効率的な循環が出来ます。水も使わないので下水もいりませんから水を汚すことがありません。

コンポストトイレの原理はとても簡単ですので、トイレ自体を手作りで作ることも出来ます。分解促進のためにたまに入れる有用な微生物も買わなくても簡単に自宅で増やすことも出来ます。少し広い畑や土地があれば、堆肥と液肥が処理でき、年々その土地はよい畑となります。

今の住宅は、もしも何かがあって水道が使えなくなると、トイレも同時にすぐ使えなくなりますが、例えマンション暮らしでもコンポストトイレでしたら、畑、土地さえあれば処理にも困ることはなく、水を気にすることもなくなるのです。

まだ詳しく調べてはいませんが、江戸時代はこのような感じで排泄物をうまく循環させていたと聞きます。河や水路に汚物を流すことは決してなかったといいます。

それにならって、これから都市計画を進める場合には、例えば都市をしっかりと区画分けして、すべての区画内の家庭ではコンポストトイレを使用します。そして、その区画ごとにその世帯から出る堆肥と液肥を処理できる広さの畑を用意して、その区画から出たものを担当の畑に埋めます。すると、畑の土も肥えてきて、自分たちで世話をすればよりよい作物も収穫できるようになります。その収穫物は、各区画で仲良く分配して食べればいいのです。

いいことだらけです。排泄物の処理が必要なくなるし、下水もいらないので水を使わなくていいし、何より水自体が汚れなくなります。だから、今までのような大規模な浄水場はいらなくなるのです。そして、地産地消で自分が住んでいるところで出来たものを食べることで、住んでいる土地の地場と同じ野菜を食すのですから体にもいいのです。

ただそうすると、例えば下水処理場の仕事をされていた方は、そこでは規模もかなり小さくなり人があまりいらないようになります。自然の流れに戻していくと、このような感じでだんだんとなくなっていく仕事も出てくると思います。

でも、これは利潤追求の資本主義からいえば憂うことなのかもしれませんが、根本から見れば、「お金を儲けることを目的とした社会」ではなく、「生きることを目的とした社会」への転換だといえると思います。

生活のすべてが、自然と共に、純粋に生きるために行われると、人間も本来の心の純粋さを取り戻してゆくことだろうと思うのです。

人は自然の中から出来るものを食しています。我々は自然に生かされています。自然がなければ、我々は存在することが出来ません。だから、自然と共に生きるのが人間のよりよい生き方であると私は思っています。

未来のかたちが、自然とよりよく調和し共生したものになることを心から願います。

私は可能であれば、もっともっと自然の中に入って行き、自然の大きな懐の中で大自然と共に生きるという純粋な生きるための生活をしていきたいなあと思っています。


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未来のかたちを想う(1)

2011年05月04日 | 世界の動き
先日、NHKの番組で自動車中心の街を自転車中心の街に変えたオランダのグローニンゲンという街が紹介されていました。

1960年代にこの地方に天然ガス田が開発され、街の経済は急発展し、世界中の先進諸国の都市と同様に市の中心部は自動車が溢れて交通渋滞していました。

1973年に、当時26歳の青年(後に現グローニンゲン州知事)マックス・ファン・デン・ベルグさんが市の中心部から自動車を追放し、自転車の普及推進する運動を立ち上げました。

当初、お客さんが減るという理由で中心部の商店主たちからの猛烈な反対にあいましたが、戦いではなく、より心地のいい街にしたいという思いから「街の中心をリビングルームにしよう」という標語を掲げて思いの共有を進め、多くの市民からの賛同を得ることに成功しました。悪影響が懸念された商店街の売り上げも、結果的に約20%増大したのでした。

「街の中心をリビングルームにしよう」というこの標語は、なんといい標語だろうかと感心しました。

今我々も、原発問題という深刻な問題に直面していますが、理想をいうならば、「戦いではなく、より心地のいい暮らしやすい国にしたい」という純粋な思いの共有が出来ていったらほんとうにいいと思います。

しかし、ここにおいてはある意味グローニンゲンと同じように、原発でお金を儲けている人たち(商店主)が裏で儲けることばかりを考えて動いています。

原発でお金を儲ける中心の人たちは、世界で一番富を持っているロスチャイルド一族を中心としたユダヤ金融資本であるといわれています。このグループが銀行をはじめとした近代のお金の流れというシステムを作ったのだといっている人もいます。

もしも、そうであるのならば、このグループが「心地のいい暮らしやすい世界にしたい」と思えば、世界の流れは瞬時にして変わることだと思います。ただ、このグループの思想には白人至上の思いが根底に存在しているようです。

でも、お金に関して私は思うのです。今世界ではお金で物を買ってそれぞれが売り上げを上げて、そして生計を立てています。ということは、お金がなくなっても物や資源はあるのです。

今は、自分のお金で買うから、みんなが自分で買ったのでどのように使っても浪費しようが無駄をしようがかまわないと、「自分だけ」という思いで消費を続けています。

では、もしもお金がなくなって、「みんなのもの」という思いが出てきたら、無駄に使わないように必要な物だけを必要なだけ消費するようになるのではないかと思います。

ただ、ここで重要になるのは、人々が「共有」という思いをどれだけ持つことが出来るだろうか?・・・です。

私は『「共有」は、人の思いへの「共感」からはじまるもの』だと感じています。

未来のかたちが、「共感」して人々と心からつながり、「共有」して国々と友愛でつながるものになることを心から願っています。

まずは今私で出来ることは、もっともっと自分の「共感」する力を育んでゆくことだと思います。そのために、自分の心の奥にある深い部分の思いへの「共感」をもっと強めてゆこうと思います。


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近代がつくった枠

2011年01月12日 | 世界の動き
あるクライアントさんの高校生の子供さんが、お母さんがセッションを受けてからあまりにもよりよく変わって「違う人になった」といって、私に興味を持ち、自分の悩みを相談したいと手紙をくれました。

勉強に関するこの子の悩みの答えは出ますが、未成年の子によりよく伝えるには、どのようなアドバイスをしたらいいだろうかと考えていて、思いがついつい色々な方向に行き、ある物語が浮かんできました。

『その世界には支配するものと支配されるものの二つのタイプが存在しました。

権力を握った支配するものは、支配が行き届くようにすべてのことを管理しようとしました。

支配されるものは、その支配から逃れようとしても逃れられないことがわかると、その支配に夢も希望も失ってただただ従順に従うものや、その中で質素に生きながらもよろこびを見いだして生きるものや、あるいは支配する側のできるだけ近くに身をおいて、その傘下で安心と安全を得ようとするものもいました。

支配するものの傘下で安心と安全を得ようとするものは、そこに身をおくことによろこびを感じるのではなく、ただ心配と不安を解消するためにそこにいるのです。

そこで役に立つ人間だと認められたものは、支配するものの権力の枠の中に入れてもらえます。支配するものから認められなかったものは、出世ができなかった失意と共に支配の中で希望を失い生きてゆきました。

そして、支配するものの支配する歳月が長ければ長い程、支配されるものはその権力の枠に入ることがだんだんと彼らの生きる目的になってしまったのです。

ほんとうは、権力の枠の中には、どこにもほんとうのよろこびがないということがわからないままに・・・。』

・・・というような話が自然に出てきました。

これは現代社会においても、同じようなことがいえるのではないかと思います。

中学や高校生の子でいえば、すべてとはいわないですがどこかで、よい会社に就職したり、よい仕事に就くために、よい学校に行くという選択をする子が多いのではないでしょうか?

その選択をしても、ほんとうのよろこびがないということに気づかないままに・・・。

そこには何か、近代という時代やその中の支配するものがつくった枠に、支配されるものが安心を求めて入ってゆこうとする姿に似ているものを感じるのは私だけでしょうか。

子どもたちが、夢と希望を持って生活することができる世の中ができたらいいですよね。

そこで、近代がつくった枠ということに関連して一つのお話しを紹介します。「みんなを幸せにするおカネの話」という本です。

この本は、短い文章の中にユーモアを交えて、お金に関するお話しをしてくれています。私はこれを読んでとても心に響くものがありました。よりよい社会をみんなの手で創れたらどんなにしあわせなことだろうかと思いをはせました。

本は、トータルヘルスデザインという会社が自分のところで作っている小冊子で、私はこの小冊子を読みました。一時期、作者の同意の下に本の文章が無料でダウンロードをして読めるようにしてくれていたのですが、現在はダウンロードは一端終了してしまったみたいです。

そこで、ちょっと調べてみると、作者の一人の安部芳裕さんという方のお金についてのお話しがYouTubeにアップされていました。ご興味のある方は、試聴してみて下さいませ。

ただし、大事なことは、話されていることを鵜呑みにするのではなく、是非!ご自分の頭でも考えながら視聴してみて下さいませ。これは、すべて共通することだと私は思っています。

安部芳裕さんの「お金の話」 https://www.youtube.com/watch?v=eDspv2jK-j4&list=WL&index=41



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