心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

立花大敬さんのお話~心を軽くする、宇宙の中心軸と自分の肉体の中心軸を合わせる

2020年06月25日 | この人の言葉


前回から使用させて頂いています上の絵は、敬愛する立花大敬先生が描かれたものです。お目にかかると、ほんとうに心地のいい、そばにいるだけで、イヤ遠くにいても同じ部屋にいるだけでも、先生の心地のいい波動が伝わって来て心身が緩んでいきました。


先生は、「自分のダメさ、弱さ」を究極に受け入れて、本質と一体になることでご自分を昇華させた方だと私は感じています。

(Youtubeでも先生の動画を見られますが、動画ではこの感覚が伝わりにくいのが残念です。最近のものでは、音声だけですが「立花大敬 音声講義Vol.1 『コロナと太陽と日本人』」があります。物理の先生ですが、機械は苦手なようでご自分で録音される時に、最初オロオロされていますが、それも隠さずにお話されているところがいいです。強くなくてもいい、弱くてもいい。出来ても出来なくてもいい。それをありのまますべて受け入れて、自然のまま、そのままでいいのです(*^_^*) )


ご著書には、『2万人の人生を変えた23通の手紙 ~夢をかなえる「いちばん簡単な考え方」』、『あなたの夢を実現する 人生飛行術』、『古事記開運法 ~日本最古の書からの真のメッセージを知れば、神様はあなたを助けられる!』など多数あります。


大敬先生のプロフィールです。1948年、大阪府生まれ。大阪大学で生物工学を専攻。在学中の19歳から禅の世界に入門し、曹洞宗の内山興正師や臨済宗の角倉蘿窓師などに指導を受ける。42歳の時に伊勢神宮で奇跡体験を経て洞察眼を得る。以後、神道の研究も深め、神社神職にも支持者が多い。1993年には久留米大学附設高校の物理の教師となり、その後、同校の教頭職もつとめた。20年にわたり、『元気アップ禅の会』で実践指導に携わる。(この高校は全国トップクラスの難関国公立・私立大学へ毎年多くの合格者を輩出していて、卒業生にはホリエモンこと堀江貴文さんやソフトバンクの孫正義さんがいます。先生は禅の宗派に入門されていましたが、今はどこにも属していなくて、宗教も宗派も包み込んで、それをも超えたところで真理を体現しておられます)


先生のご著書の中ではよく「想いの実現」の話が出て来ますが、『元気アップ禅の会』でも以下のようなお話をされています。


わかりにくい部分もあると思いますので、最初に少し要約をしますね。


人間の運命や想いの実現においても、ニュートンの運動の法則が当てはまります。①[力]=②[質量]✕③[加速度]です。①[力]=意志の強さ ②[質量]=心の重さ ③[加速度]=想いの実現のスピード、運命転換の度合いという感じになります。これを踏まえて先生のお話は進みます。


転載開始 -------------------------------------------------------------------------
『(これを)人間の運命に適用すると[加速度]が大きいほど運命の方向転換が大きくなります。だから、「運命をこう変えたい!」と思ったら変わります。


[加速度]の大きさは何で変わるかというと、[質量]です。同じ[力]でも[質量]が大きいと[加速度]は小さくなります。


だから、[質量]が小さくなるほど[加速度]は逆に大きくなって、人間の運命でいうと、[加速度]が大きくなれば想いを実現するスピードは速くなり、運命も大きく方向転換できるようになります


では、心の世界では[質量]は何に相当するかというと、心の重さです。


重たい心だと[質量]は大きくなり、軽い心だと[質量]は小さくなります。


では、[力]というのは、心の世界では何に相当するかというと、これは意志の力です。「こうしたい」という意思の力が強いほど、[力]は大きくなります。


そしたら、運命転換と実現のスピード[加速度]も大きくなるんですけど、どれだけ意志の力[力]を大きくしても、心の重さ[質量]が大きいと、「運命は全く動かない、全く方向変えることができない」ということが起こります。だから、心の重さ[質量]を小さくしたらいいんですね


日常生活では「[質量]が大きくて、なんぼ力を加えても、意思を強く持とうとしても、方向を変えられない」ということがあるでしょう。(それと同じです)』

転載終わり -------------------------------------------------------------------------


ちょっとわかりにくいかもしれませんが、要は心が重たくなっていると運命が変わらない、変えることができないということです。ですから、心を軽くしましょう。そうすると、こうしたいという意志の力が強くなり、運命を変えることができますよということで、そのために大敬先生は坐禅を勧めておられます。


転載開始 -------------------------------------------------------------------------
『坐禅の世界に行くと重荷が降ろされるので、地上の重荷のない世界で方向転換を達成して、地上に戻ってくることができます。そうすると、地上世界に戻ってきてまた重荷を背負っても、運命の方向転換は達成されているので良い方向へと向かっていきます。それに坐禅をしていると心がほどけて軽い心になっていって、日常での[質量]もどんどん小さくなっていくのです』(そして、)『重たい心は冷たく暗く頑なな心で、軽い心は暖かく明るく柔らかい心です』(とおっしゃっています。)
転載終わり -------------------------------------------------------------------------


大敬先生の坐禅の会は、東京、京都、福岡で開催されています。(現在は新型コロナの影響で休止中)


私も坐禅を行ってみたいのですが、近くでの開催がないためなかなか行けません。「では近くの禅寺でいいのでは?」と思われるかもしれませんが、警策(きょうさく)という棒でバチンと肩を叩くやり方のものは私個人としてはイヤなのです。大敬先生の禅のやり方は、緩みながら思うように自由に座るというやり方ですから警策はありません。先生はこれを大敬式禅と呼ばれています。(禅宗では「公案」という問題を解いていくことで既成概念を壊していくという方法をとります)


要は、自分の内側の深いところにつながっていけばいいのですから、個人的には禅も「瞑想」であると思っています。


瞑想で一般の方ができる方法でいいますと、以前にこのブログでもご紹介しました「マインドフルネス瞑想」が気軽にできるものだと思います。また、私が38年前に習った「超越瞑想(TM)」もとても有効な瞑想法ですので、お勧めです。(超越瞑想につきましてはネットで検索してみて下さいませ)


超越瞑想(TM)は一度、「TMを教えるための教師になりませんか?」とその先生からインド占星術を観ていただいた時にお誘いを受けました。占星術でもそのための資質がハッキリと出ていたようです。光栄なお誘いだったのですが、今の仕事も行っていましたので実現には至りませんでした。教師になっていれば、また違った人生が広がっていたかもしれません(*^_^*))


話を元に戻しますと、大敬先生は坐禅(瞑想)で至る境地を以下のような表現でされています。


これは、著書「大敬先生《しあわせ通信》第五集 楽々 いのち」の巻末に載っていた久留米大学附設高校での生徒からのインタビュー記事です。『宗教をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』というテーマで色んな先生にインタビューした中の大敬先生の回ですが、これがとても深いです(^_^) 大阪弁すごいけど・・・(^_^;)


転載開始 -------------------------------------------------------------------------
『(イ=インタビュアー)

(前略)

イ:さっきからいまいち掴めてないんですが、禅をやってる人にとっての神っていうのは何なんですか。大自然の流れのようなものであって、拝んだりする対象はないということですか。


大敬:そうよね。坐禅するやろ、そしたら、変ないい方やけど、宇宙の回転軸がわかるわけよ。どこを中心に回転しているかいうのが何となく感覚的に掴めてきて、その回転軸と自分の肉体の中心軸がピタッと一致した時に、すごい、何ていうの、いい感じ(笑)。いい感じになるわけよ。だから、宇宙の回転軸(中心軸)、それが神やで。その神と僕が一体化するっていう神人合一。それはキリスト教でもイスラム教でも言うし、全然変わらない話だと思う。だから方法論としてスーフィー(イスラム神秘主義の一派)みたいに体を回転させることによって宇宙の回転軸を発見するというやり方もあるやろ。坐禅は座ることによって回転軸を発見していく。キリスト教なんかの祈りの場合は、急に宇宙の回転軸とか言われてもわからんから、基本的にまず外におくわけよ。神として人格化して。そして自分がここにおって、その神と対話して祈ることによって、命を一つにしていって、最終的にはピタッと軸を一緒にする。まず外に人格化するっていうのが心理学的におもしろいやり方だと思う。自分の中にある要素っていうのをまず外に見てみて、それと対話をすることによって一つになっていくっていう。まず一回外に置いて自分と切り離したほうが、本質がよく見える。例えば、仏教で観音様とかいうけど、そんなん最終的には自分のことやねんけど、一応外に置いといて、自分のようなエゴの多い人間と切り離したすごく聖なるものを一回作っといて、それと話ができるようにしといたら、向こうはどう言う、こっちはこう言うっていうように対話することによって、段々ひとつになっていく。内にあるものを外在化する、そういうやり方。キリスト教もそういうやり方の一つやと思うけどね。


イ:はあー。宗教というのは自分を見ていくための方法ということですか。


大敬 そうやね。最後は〈自分が自分である〉っていうところに落ち着くんやと思う。そのためにいろんな神話が必要になるわけや。禅には禅の神話があるし、キリスト教にはイエスの神話があるし、イスラム教にもあるし。今はほんと、まやかしみたいな宗教がいっぱいあるから、不安がられてるけど、やっぱり人類の一つの文化やんか、宗教って。だからこれを無視はできんよね。

(中略)

イ:(禅は)初めが自己否定ということからして、自分も全体の流れの中の一点という意識が強いんですかねえ。個としての人間と社会の中での人間という、人間の二面性のうちの後者を重視しているってことなんでしょうか。


大敬:うんっと。社会っていうのはもう人間の中の認識で作ってる世界だと思うんよね。


イ:ああ、確かに。


大敬:僕の言ってる流れというのはもっとでっかくて。社会っていうのも一つの約束事で、それを取り外したところでもっと大きな流れがあって、その大きな流れの中心というのがある。それが実は自分であるっていう…。最初は別々かもしれんけど、最終的には「個」っていうちっちゃなちっちゃな、宇宙の中のほんとどうしようもない、こんなおってもおらんでもいっしょのような感じだけど、坐禅してるとわかってくるのは、実は大きな大きな流れの中の中心が自分やったんやと、そうなってくる。でも、大きな流れの中心が自分だといっても、その自分も本当は無いんだと。何でって、渦巻きがあったとして、真ん中は中心になる軸や核のようなものは何もないやろ。ただ渦巻きがあって、真ん中に虚空があるというかね。

転載終わり-------------------------------------------------------------------------


大敬先生のお話はおもしろいです。私は好きです!


その通りだと思います。行き着く先は、『自分』しかいないのです。


「私」がありのままの「私」であること。

そうであることだけで、

たったそれだけで、

私(あなた)は世界に貢献しているのです。


あなたがあなた自身になられることをお祈りいたします。


ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com



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心身の周波数(波動)を上げる方法① ~「与えられたものへの感謝」と「見返りを求めずただ与える」~

2020年06月02日 | 生き方


今回から「心身の波動を上げる」ということについて、私なりの感じていることを書いていきます。


こういう機会があると、自分の頭や心にあったものをハッキリと言語化できるので、私自身の整理が進みますのでうれしいです。わかっていることもわかってないこともハッキリしますから、今現在の自分に気づくことにもなります。私の心身を感じながら書いていきたいと思います。ちょっと汗(^_^;)


このシリーズは長くなるかもしれませんが、しばしお付き合い下さいませ。


上の絵は、私が本物の方だと敬愛させて頂いている立花大敬先生が描かれたものです。いい絵と言葉だなあと感じて、許可を頂いて載せております。皆さん、何があったとしても、浮くように出来ていますから、大丈夫ですよ(*^_^*)


「心身の波動を上げる」ということについては、今も昔からも多くの方が言及されてきたと思います。そして、その方法も様々です。人にはそれぞれにあったやり方がありますので、これから書いていこうと思っているいくつかの方法をしなければならないということは当然ありません。ご自分がやりたいなと思われた方法をお取り頂ければと思います。


あるいは、波動を上げるということ自体もしなくていいのかもしれません。意図せず、ありのままの自然な状態で、自分の心に意識を向け、体験したいと感じることを体験していくことがベストなのではないかとも思います。


いずれにしても、私は「自分で体験したことをお伝えする」ということをモットーにしていますので、今回もそれを忘れないように出来るだけ、体験したこと、自分の内側の反応を感じながら試したこと、完全に体験できていないが自分の内側が「そうそう。これが大切だよ」と伝えてくるものを私の言葉でお伝えしていきたいと思います。


「波動」でいえば、私たちは元々生まれた時には心身の波動は今よりも遙かに高かったのだと思います。それは、赤ちゃんや小さな子どもたちを見ているとすぐにわかりますよね。


では、どうして下がっていってしまったのでしょうか?


私の実体験理論では「トラウマ」を負ったということがその中心なのですが、別な表現をすると、「バランスを崩してしまった」、「本来の自然な状態から離れてしまった」というのが根本原因だといえると思います。


ということは、「バランスをとること」、「自然な状態になること」が大切であるということになります。


それは自分の内側(心)のことも、外側(身体、環境)のことも、その両方においてが理想です。


前回のブログからのテーマの一つである「経済」についても、お金というものが「自然な状態ではない」というところから起因しているように思います。


このことは前にもこのブログ(メルマガからの転載記事)で書きましたが、『お金はある意味自然の法則に反しているものだといえます。本来の自然から発生しているものはすべて、置いておくと劣化していくのが自然な状態ですが、お金は銀行に入れて貯めておいても劣化もせずなくなりもしません。逆に少しずつでも増えていきます。だから、過剰に蓄えるという自然界の中では起こりようのないやり方が普通になっています。』ということです。


話を戻します。では、自然な状態(自然な状態になると発露するもの)とはどのようなことをいうのでしょうか?


人間の営みでいいますと、「与えられたものに感謝する」ということだと思っています。そして、「見返りを求めずにただ与える」ということもそうだと感じています。


バランスがとれてくる(安心し、安定してくる)と、自然にそうするのだと感じます。これが人間の本来の姿ではないでしょうか。


バランスのとれた本来の人間の姿が現れた時、それに立ち返れた時には、その人がやることは周りと調和しているので、それがうまく流れて行きます。


自慢話になるようで大変恐縮なのですが、そういった私の体験をお話します。


「与えられたものに感謝する」については、私は『ありがとう』という言葉を日常生活でかなりたくさん使います。一日何十回、時には百回以上普通に言葉にしています。それは、言葉だけでなく、心も伴っていると自分では思っています。(妻に聞いてみると、「心が伝わってくるよ」と言ってくれるのでよかったです( ^o^)ノ )


この習慣は思い返せば、子どもの頃に身につけていきました。特に、言葉にし出したのは大人になってからです。


やはりおもしろいことに、「ありがとう」をたくさん言葉にしていますと、物事がうまくいくようになりました。


今わかるのは、「ありがとう」の与えられたものへの感謝により、私の波動が上がったのだということだと思います。


「ありがとう」の効果については、他の方も本に書かれたり、話されていると思いますが、私はそういうものがブームになる前から行っていて効果が出ていましたので、我が意を得たりという感じでした。この方法は大変有効なものです。


有効と表現すると、恩恵を受けるため、運がよくなるためにするという感じになってしまうかもしれませんが、初めはそれでもいいと思います。そして、次第に心を込められるところは意識して込めていけば、自然にそれが習慣づいていくようになると思います。人間の脳はまったくの機械的なもので融通が利かないという特性がありますから、習慣というのはとても大切です。


私は今の心理療法の仕事は34歳から始めましたが、「ありがとう」の感謝をよくしているお陰で、仕事も宣伝もしないのに(ホームページだけは作りました)、なぜかお客さんがたくさん来られるようになりました。それは、今もそうですが、いつも私が望んでいる通りの人数の方が来られるのです。


また、10年ほど前から始めた、お話会や講演会も「やりたい」と誰かに言った訳ではなく、私の中で『講演会を始めよう。させて下さい』と天に向かって宣言した(この方法も立花大敬先生から学びました)1週間後に、お会いしたことがない人から電話がかかってきて何百人も集まる会の講演を依頼されました。驚きでした。


それからも、ずっと宣伝をしないのに依頼を頂いていましたが1年半ほどした頃、私の中で『もう少し伝え切れないものを感じるので、一旦止めよう』と思った時には、2つのほとんど決まりかけていた保育園でのお話会が急になくなりました。


もうこれは、明らかに「ありがとう」の感謝の効果としか思えない流れでした。(そこには、天に向かって行った感謝しながら「決断して宣言する」ということの効果もありました)


それから、数年たったある年の1月頃に、『今年の半ば頃から今年いっぱい、また講演会をしよう!』と思っていると、また誰にも言っていないのに(あっ、ブログを見返してみるとこの年の元旦の記事には書いていました)、急に6月から12月までの思っていた通りの期間でいくつもの講演依頼を頂きました。


もうここまで来ると、疑いの余地はありませんでした。


そしてそこには、「見返りを求めずに、ただ与える」ということの効果もあったと思います。お話会、講演会をさせて頂くことで、お金をたくさんもらえるかどうかなどは意識していなくて(まったくないかと言われるとそうではありませんが f(^_^;) )、とにかく『ただただ今まで長年やってきて本当にわかったことがたくさんあるので、それを皆さんにお伝えしたい!!』というお腹の底から湧きあがる強い思いがありました。


この「見返りを求めずに、ただ与える」ということについての強烈な実体験は他にもあります。


これは大変に恥ずかしい話ですが、人に何かを伝える時には、まず自分をさらけ出すことが必要と感じていますので、以前にも書いたことですが少し詳しく書きます。


私は大学を卒業して入社した会社で、入社早々就労中交通事故を起こしました。それも自損で、車は廃車にしてしまい、私自身も歯が折れ口の中も二十数針縫う大けがをし、数日入院しました。


会社に迷惑をかけた申し訳なさと恥ずかしさや自分を責める思いで、会社に復帰しても私の心の中はもう本当に大変でした。特に、自分のことで誰かに迷惑をかけることが私にとって一番イヤなことでした。(これが母子家庭という環境に育ったゆえに強く抱いた「母に迷惑をかけてはいけない」という私の思い込み・観念およびトラウマに関係していました)


そのつらさがかなり長い間続いたある日、思いました。


『こんな思いで日々を過ごしていても何もならない。もう自分がつらいとか何とかと思う自分にかかずらわる思いはもう止めて、自分を忘れて完全に人のために生きよう!!』と決意しました。


それから、まったく見返りも何もなく、自分のことは忘れて、完全にただただ人(社内にも社外にも)のために生きるようになりました。


そうすると、次第に周りから(社内からも社外からも)ものすごく大切にされるようになり、絶大な信頼を得るようになりました。さらにはプライベートで立ち寄ったお店などでも特別扱いされるようになりました。明らかに周りの人との扱いと違いました。ほんとうに行く先々で、特別な扱いなのです。


その時に感じました。「見返りを求めず、ただただ与える」ということを完全にやっていると、「自分の体の周り(オーラ)が輝き出して、運がすごくよくなる」ということを。


これが極度に波動が上がった状態だったと思います。


そして、原因結果の法則で、「与えている」ので、自然に「与えられる」ということも起こります。


このような「ただ与える」という方法で、波動が上がった状態になりたいという方がされるといいのは、不特定多数の人に会いその人たちみんなに、自分の行動や気持ちや思いやエネルギーのすべてを自分のことを一旦忘れて、目の前にいる相手の人を慈しんで、その人のためにただただ自分が出来ることを全力で行うという感じの行為です。


私は、健康診断を行う会社にいましたので、特定検診などで地域のセンターに出向いた時には、50~100人ぐらいの人たちにお会いします。短時間でも会ったその人たちが例えイライラしたり、怒っていたとしても、どのような状態であったとしても、目の前に来られたその人のすべてを愛し、慈しんで自分をすべて与える感じで接していました。(これもいい体験をさせて頂けました)


ですから、例えばお仕事で不特定多数の人に会われる方は、やり方次第でご自分の波動をすごく上げる絶好のチャンスになります(^_-)-☆


そして、ここで大切なことは、「見返りを求めず」に行うには、自分がそうしたいから、そうすることが心地よいから、楽しいからただそうするということだと思います。どんな人に対してもジャッジせずに、無条件に自分の思いやエネルギーを出し続けていると、とにかく自分が一番に驚くほど清々しくなります。


ただ、私の場合にはかなり普通の人とは違う人生を歩み、色んな体験をすることを目的に生まれてきたと感じていますので、そのような清々しさの体験を数年味わった後、その真逆なものも体験しようと今度は自分をおとしめていく作業も行いました。


それは、『愛される状態で人を愛することはとても簡単だ。だから、まったく愛されない状態になった時に、自分を嫌う人を愛することができるようになった時こそ、無条件の愛が完成する』という魂の奥底からの思いが出て来ました。そうやって『無条件の愛を体現する』という決意でした。


そのために、『誰からも相手にされなくなり、誰からも嫌われよう』と思い、望んでその通りの体験をしました。


今思えば、何と極端な体験をして来たんだろうと(他にもいろいろあります)、自分でも可笑しくなります。これにより大変苦しみましたが、滅多に出来ない「光」と「闇」の両極の体験が出来て、本心からおもしろかったなあと今は感じています。


私は実は、今のような心理療法の仕事をしようとは思ったことはありませんでした。これは不思議な流れでまったく自然にこのような仕事をすることになりました。クライアントさんと向き合う上で、この両極の実体験はものすごく強力な力となってくれています。人間という存在自体のことや人間が内在しているものの意味が明らかとなって見えてきます。


やはり、自分の心が向くことをするということと自然な流れに身を任せるということも大切なことなのだと感じます。


恥ずかしながら色んなことを書きましたが、そろそろこの記事も終わりにしようと思います。では最後に、「与えられたものに感謝する」ことについて、もう少しだけ深めていきたいと思います。


私たちが与えられているもの・・・。そこへの感謝・・・。



『太陽があり、その光が降りそそぐこと』

まず、これがないと植物も育たないので空気も作られません。気温もまったく上がらないので、生き物すべて凍えて死んでしまいます。昔の人は「お天道様が見ているから正しく生きよう」と言っていました。私も祖母からそう教えられました。波動ということでいうと、特に、日の出の太陽の光には当たるといいようです。

太古から、太陽信仰が盛んにありましたが、そこに感謝するという行為はとても自然なことだったんだなと思います。何かに悩んだ時、不安や怖れを感じる時には、太陽に手を合わせて「ありがとうございます」と感謝するのもいいと思います。これは「与えられたものに感謝する」の典型で、とても大切なことと今改めて感じます。


『大地があること』

母なる大地が私たちを受けとめてくれています。地球が私たちの家です。そこに土があることで、自然な状態で生育する食物を頂けます。そこには、ものすごい数の微生物が生きていて、見えないところでも生態系のバランスをとってくれています。これからの時代、この微生物(体内でいえば腸内細菌)が健康へのすべてのカギになるでしょう。

天(上)はよく見えても、地(足下)は見落とすこともありますから、「地球さん、ありがとうございます」という感謝も、大切なものではないでしょうか。


『空気があること』、『息が出来ること』

今すぐのことでいいますと、空気がないと誰をも数分で死んでしまいます。私は中1の時にぜんそくになったことがありました。発作が出た時には息もたくさん吐けないし、特には、吸うのがほとんど吸えませんでした。横にいた祖母が「この子は朝までもたない」と思ったぐらいでした。夜中中、とりあえず一息一息、全力で息を一つつくことだけに集中するしかありませんでした。私にとって、これはすごく苦しいことでしたが、「息が普通に出来ることのありがたさ」を感じられ、これも貴重な経験が出来たと思っています。


『動植物がいること』

特に、植物(樹木)がいてくれることで、二酸化炭素を吸収し、酸素を生成してくれます(植物については、また書きます)。動植物がいてくれることで、私たちが食べて体を保っていくこと以外にも、動植物により生態系のバランスがとられています。ミクロの視点で見ると、自然界は一見、弱肉強食の怖ろしい世界にしか見えませんが、マクロの視点で見ると、一種類だけの生き物が増えすぎず、減りすぎないようにして、全体が循環するように生態系バランスをとっているのです。ミクロの視点だけに陥ってしまうと、明らかにそこにあるのに、その真実が見えなくなってしまいます。


『雨が降ること』

晴れの日は気持ちがいいので、誰もが晴天は好きだと思います。その分、雨が好きでないという人も多いですよね。でも、雨が降るから作物も出来るし、生きていくのに大事な飲み水も得ることが出来ます。


『心臓が動くこと』、『体が動くこと』、『五感など感覚を感じられること』

五体満足あるいは動かせる、感じられる部分があるだけでも、うれしいことだと思います。そして、生まれた時から心臓を自分で止めることが出来ないという事実は、何か大きな自然の意志というか、サムシング・グレートというべき人間を超えた大いなるものが存在していることの証になるのではないでしょうか。我々は生かされているのだと感じます。


『食べられること』

食べられることって、うれしいですよね。おいしいものを味わえるのは貴重な経験だと思っています。誰もが気軽に味わうことが出来る、喜びだと思います。


『産んでもらえたこと』

私はこのブログでもよく書いていますように、私たちが親と生まれる日時と生育環境を選んで生まれてくると確信しています。そうやって、体験項目を決めて生まれてくるのですが、母親の母体から栄養をもらい、子宮の中で守られながら育ち、そして産んでもらえなければ、今の私たちは存在できません。


私たちは、ほんとうは例外なく(認めることがイヤな人もおられるかもしれませんが)、この母親を『深く愛している』のです。私は以前は、「ほんとうは、誰もがお母さんを大好きなのです」という表現を使っていましたが、自分の内側を感じてみても、他の人の内側を観させて頂いてきても、出てくるピッタリの表現は、「ほんとうは、誰もがお母さんを深く愛している」がしっくり来ることに気づきました。

そして、お父さんもいます。おじいちゃん。おばあちゃん。そのまたお父さん。お母さん。そのまた・・・。会ったことがない、顔もまったく知らない人がほとんどですが、私たちの体には、みんなの血が流れているんですね。


『家族がいること』、『一人ではないこと』

私たちは、一人ではありません。家族との関係性は人によっては、よりよいものとはいえない場合もあります。でも、私は家族は同じ環境を選んできて、似た体験をする縁の深い魂には違いないと思っています。そう思っても、自分は一人だと感じられる方は、もしもサムシング・グレートに生かされているのだったら、自分にはサムシング・グレートがいるので一人ではないと感じてみるのもいいかもしれませんね。

心を寄せる人と一緒におられる方、あるいはそう思える人がおられる方は、自分が自分の足でまっすぐ立ちながら、その人もまっすぐ立っているところをイメージして(依存、共依存にならないように)、ただただそういう人がそばにいる心地よさを味わうのもいいと思います。


『雨風をしのげる家があること』

とにかく、先のことを考えずに、今のこの瞬間に意識を向けると、雨風をしのげて、とりあえず心地よく居られる屋根のある家があるだけでも、もう十分ですね。


『安全であること』、『戦争がないこと』

安全を脅かされないことは、人間の心、生存本能にとっては、大変にうれしい、ありがたい、安心することです。


『「害虫」がいること』

えっ、何でこれ?と思われるかもしれません。以前にもこのブログで書きました奇跡のリンゴを作られている木村秋則さんが本に書かれていました。

『山へ行くと、農家の方たちが、畑や田んぼとして利用している周辺だけに、虫が多いことに気づくはずです。「無農薬をやったら、虫が来て大変だよ」とよくいわれますが、これも大きな間違いです。土が虫を呼んでいるのです。人が食べちゃいけないものを、代わりに食べてくれているのが、虫なのです。
腐敗実験をするとよくわかります。害虫が来る野菜は、腐りやすい。しかし、農薬を散布していないのに、虫がつかない野菜は腐らないのです。』


「悪」に見えるものも本当は「悪」なのではありません。マクロの視点を持って見ると、世の中には「悪」は存在しないのだと感じています。私たちは、よく観察せずに、自分の頭で考えずに、教えられたままのもの(この場合には「害虫は悪いことしかしない」)を真実だと思い込んできたのだと思います。

自分で観察すること、自分で感じること、自分の頭で考えることは、特に、これからの時代ものすごく大切になると思います。

害虫は人間が勝手に「害虫」と決めただけで、その虫にも役割があるから、必要があるから、存在しているのです。



以上拙い表現ですが、思いつくままに、「与えられているもの」について書いてみました。よろしければ、ないもの足りないものに意識を向けるのではなく、今あるものへの感謝をしてみませんか。


私たち人間は今まで、お金があるから、自分が稼いで買ったものだからと、好き勝手をしてきました。例えば、(これからの時代、農業がとても大切なものになりますのでちょっと書きますが、)畑や田んぼも自分や先祖がお金で買った自分の土地だから、より収穫量を増やしてお金を儲けるために、体に悪いとわかっている農薬や化学肥料を過度に使ってきたりもしていたと思います。


ここには社会制度により、生きていくためには仕方がない理由がありますが、そうやって、自分の土地だからと言って、実った植物たちは単なる売れる物として扱い、害虫と思う虫や土中の小さな生き物や見えない微生物たちも殺してきたのです。


そして、これは何も、農家の方だけに限りません。ほとんどの人が自分がお金を出して買ったものだからと、食べ物でいえば残して捨てようと、どれだけたくさん食べようと自分の勝手だと思っていました。しかし、そこには人間のために命を犠牲にした生き物たちがいるのです。


かく言う私にも、そんな思いがありました。お金を払って買ったものだから、自分のものだからと・・・。


あるネイティブ・アメリカンが言い伝えられてきた教えを伝えてくれています。


『それがなにであれ、あなたが自分のものだと思っているものはすべて、ほんとうはあなたのものではない』

『だからあなたは自分が手にしたものを、みんなと分けあわなければならない』



太陽と地球から頂いたものをただただすべての命と分けあっていく・・・。そういう世の中を実現していきたいと心から思います。


私たち人間は今まで、自分のことばかり、自分の我欲や不満、不安や怖れを満たすことばかり、もらうこと、奪うことばかりを考えて生きてきました。本当は多くのものに生かせて頂いてきているのに・・・。


さあ、世界が変化しようとしていく時、これから私たちが呪縛、洗脳から外れて、人間のほんとうの生き方を取り戻していくことが出来る時が来ました。


今あるものへの「感謝」を忘れず、周りからもらうこと、自分を満たすことばかりではなく、「与える」ことにも意識を向けて、ありのままの本来の自分として生きていきませんか。私もそのように意識して生きていこうと思っています。


これから、本来の生き方に変えていく絶好のチャンスが来ます。


力を抜いて、頭と心、感覚をクリアにしていれば、何も心配はいりません(*^_^*)


心配いらん 浮くように できている


ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com



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