心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

旧暦の元旦

2014年01月31日 | 思うこと
あけましておめでとうございます。今日は、旧暦の元旦です。

この日は月の暦の新月に合わせています。

今年は、めずらしいことにグレゴリオ暦でも元旦は新月でした。

グレゴリオ暦の元旦も、旧暦の元旦も、どちらもなんだかとても心地のいいエネルギーに満ちていて、しあわせな気分でした。

私だけでなく、何か地球全体においても、よりよい新しい流れに変わっていっているのをひしひしと感じています。

よりよい時代にシフトアップしていくのだろうと感じます。時代が大きく変わっていくことでしょう。

時には、個人のレベルでも世界のレベルでも、色々と表面では大変と感じることが起きるかもしれませんが、すべてはよりよい方向へと進んでいく過程であるだけです。

「変化をする時には負荷がかかる(負荷かがかかるから変化をする)」のが自然の法則のようです。

負荷を楽しんで、よりよく成長していきたいと思います。

生けとし生けるもの、すべての存在が平安でしあわせでありますように。

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『ありがとう』、『ごめんなさい』を言えることの深い意味

2014年01月05日 | 思うこと
もう以前からずっと感じていることがあります。それは、『ありがとう』、『ごめんなさい』をきちんと言葉として表現していない人が多いことです。


言葉に出してはっきりと表現するということは、これがコミュニケーションの基本ですから、他人との関係性においては、とても重要なことだというのは誰もがわかっていることと思います。しかし、それが必要なタイミングでちゃんとした表現として伝えられていないことがとても多いと感じています。


心理学的にいいますと、ここには相手と自分という「相手との関係性」だけではなく、ほんとうは、自分と自分という「自分自身との関係性」が隠されています。


必要な時に必要なタイミングで適切に「ありがとう」、「ごめんなさい」を言えるということは、自分が感じている自分自身の思いをきちんと拾っている、自分でしっかりと理解しているということになります。また、「ありがとうという感謝」と「ごめんなさいという謝罪」を感じる感情や感覚を麻痺させていないということにもなります。


それからそれは、自分が置かれた状態や出来事にきちんと向き合っているということにもなります。


なぜこのようなことをいうのかといいますと、大変多くの人が子供の頃から親や周りの大人との関わりの中で、トラウマ(心の傷)を負っています。そのために、もう傷つくのがイヤで、心が傷つかないように、とにかく自分の身を守ることに精一杯になり、相手の思いをくむことが出来なくなったり、相手のせいにしてしまったりしやすくなります。


また、特にお伝えさせて頂きたいと思っていることは、トラウマが故に、子供の頃から自分の感情を感じることがつらくなっていて、感じると心が不安定になるので、その時から感じることをどこかで麻痺させたり、ありのままの状況や現実を認めることを嫌がって避けるようになってしまいます。(心理学では、これを「解離」と呼びます)


長年の心理療法の現場でのたくさんのクライアントさんと関わらせて頂いてきた経験からわかることは、現代では世の中の多くの人がトラウマを負い、多かれ少なかれこのように、感じるということを避けてしまい解離させて、大人になった今でも、心がトラウマを受けたままの状態で止まってしまっているという事実です。


さらに、テレビや携帯電話、スマートフォンやインターネットの普及も、意識を自分の心の内側に向けないようにしてしまい、自分の心や思いを感じるという機会を激減させてしまっています(そうさせるための手段に使ってしまっています)。


『ありがとう』を素直に言える時には、相手の思いや行為をしっかりと受け取ることが出来て、自分の中の感謝の思いをきちんと感じられている状態といえます。


『ごめんなさい』を素直に言える時には、周りの状況に照らし合わせて自分の落ち度をきちんと認められている状態といえます。

(※ただし、『ありがとう』というべき時に、『ごめんなさい』という人もおられます。これは相手への感謝でも謝罪でもなくて、ここには、トラウマの影響により、自分の存在価値を落としてしまうことで、『ごめんなさい』と表現してしまっている可能性が高いです。こういう場合には、言葉にすれば「自分の存在自体がごめんなさい」と思っていることになります。また、自分の親が「ありがとう」、「ごめんなさい」と表現することが少ない、あるいはなかった家庭環境におられた人は、その人もそういう表現をすることが少なくなったり、あるいはまったく表現しなくなったりしやすいです。私はこれを環境からの「刷り込み」と呼んでいます)


私は、こういった自分の状況や自分の思いを感じられるようになるということは、自分が自分自身とつながっていくことと同じことだと思っています。


人間は、心から自分自身とつながれないから、心を埋めるために、不安や恐れを感じないように、受け入れてくれる他の人や気を逸らすことが出来る物や事など、自分以外のものを求めていきます。そうすることで、とりあえず心の安心を感じようとし、不安から逃げようとします。


でも、いくらそうしても、自分が自分とつながり、自分自身を大切に出来ていないので、心の中にほんとうの安心感や自己肯定感がなくなってしまい、いつまでも不安感をぬぐえないままになります。だから、もしも、自分をちゃんとわかってくれる人が身近にいたとしても、相手へのわかってもらいたい思いや受け入れてもらいたいという欲求が逆に強くなるばかりになります。


その不安感は、自分が自分自身とつながり、自分が自分自身をただありのまま受け入れてあげることで、ほんとうに驚くように消えてなくなっていきます。


私が日々目の当たりにしている心理療法の現場では、トラウマがとても激しいクライアントさんでも、自分の過去の出来事を客観的に見て、そこで何が起こっていたのか、その全体像に気づき始めると、ちゃんと処理出来ないままその当時から持ち越してきたあれだけ恐かった思いや不安な思いや独りぼっちの孤独な思いなどが気にならなくなっていきます。


心とは、客観的に気づき、全体が見えるようになると、そこから何かが急速に変化し始めるものなのです。(そして、過去からの処理できなかった「ネガティブな感情」は、しっかりと処理ができていくとウソのように完全に消えてなくなってしまい、まるで生まれ変わったように生きることが楽になっていきます)


私が行っているトラウマ統合療法(現:象徴的イメージ統合療法)はそのためのお手伝をさせて頂くものですが、このブログの場で、皆様にお伝え出来る日常で行える自分が自分自身とつながるための一つの方法は、日々のその時々で、客観的に自分が何を思っているのかに、気づいていくことです。


そのためにも、まずは、『ありがとう』、『ごめんなさい』という人としての基本の言葉を意識することが大切なように思います。


誰かと相対している時に、自分が傷つくことだけを恐れていないか、(自分の身を守ることは大切なことですが、)自分を守ることだけに意識を向けすぎていないかをとりあえず感じてみて下さい。


そして、もしも傷つくことの怖れが強いことに気づいた時には、そのことを判断やジャッジ、責めたりせずに、ただただ自分の中にそのように感じていた思いがあったことに気づいているだけでいいですよ。ただ『傷つくことが怖かったんだ。そんな思いがあったんだ』と・・・。


それから、もしも少し余裕があるようでしたら、相手の人はどのように感じているだろうかと、少しだけでも相手の人の気持ちにも思いを馳せてみて下さい。(ただこれは、余裕がある時にしてみようと思われる時だけでいいですよ(^_^)自然にやってみようと思う時が、自分にとっても相手にとっても最善のタイミングです)


そうするとだんだん、はまり込んでいた過去からの身を守るためだけの状態から、自分の今現在の状況や心の状態、自分が置かれた現状に気づき、理解することが出来るようになります。そして、恐れから来る相手への被害妄想的な思いからではなく、ほんとうは相手がどう思っているのか、その思いにも意識を向けやすくなります。


今現在、今この瞬間の自分の状況、状態が客観的にわかるからこそ、自分が心から何を求めているのか、どのように生きていきたいのかがわかるようになります。そしてさらに、自分が求めるよりよい方向を自分で選び、自分らしい人生へと進んで行くことが出来ようになります。


心理療法においても重要なこの「現状の客観的な認識、理解」は、すべての物事に通じることだと思います。


あなたがあなたの現実に気づき、理解し、ありのままを受け入れて、そこからよりよい未来を選択し進んで行かれることをお祈りいたします。


ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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