心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

あなたの中に生まれながらある『無条件の愛』に気づいていますか?

2021年04月14日 | 自分の体験からの気づき



私は若い頃(20代後半)に、おそらく誰もやらない、やりたくないと思う自分を使った強烈な人体実験をしました。



このブログにも、何度か少し書きました(『過去のメルマガから⑭「私たちは〈体験〉するためにこの地上に降りてきた魂である(4)」』)が、それは『誰からも嫌われて、相手にされなくなろう』と思い、自分からそう扱われようとした体験でした。そういう立場になり『完全に嫌ってくる人をも愛することができれば、「無条件の愛」が完成される』という私の内側の深いところから出てくる想いでした。



結果はというと・・・、「意識が現実を創る」ので、そう思っているから今まで経験しかことがないような激しく嫌われるという体験をいっぱいしました。最初は自分からその立場になることを望んでいるのですから計画通りと思い、そんなに気にしていませんでした。しかし、それが何度も何度も度重なってくると、次第に心が傷ついていきました。



『嫌ってくる人さえも、自分は愛することはできるだろう』と思っていたはずなのに、心が傷ついていくとまったく余裕がなくなり、「悲しみ」を強く感じ始め、そしてそれがいっぱいになってくると次には、嫌ってくる相手への「怒り」が出始めました。



こういった「怒り」はそれまでの私には、ほとんどないものでした。というか、自分を癒すまで自己価値観が低かったので、気づいていなかっただけなのかもしれません(^_^;)



受け入れてもらえないと感じて「怒り」が溜まると、性格の強い人は相手への「攻撃」行動へとなります。おとなしい人(いい子)は自分でも気づかないうちに「怒り」を抑圧して溜め込んでいきます。自己価値観がかなり低い人は、自分が悪いから、ダメだからと「自分を責める」ようになります。



また、嫌われることへの「怖れ」が強くなり、心がフリーズしてしまう場合もあります。私もそういうことがありました。



渦中の時には、とても苦しかったですけれども、今では、このようなある意味究極の体験ができたことを心からよかったと思っています。この実体験で、自分のこととして色んなことがよくわかりました(*^_^*)



人はみんな自分が好きと感じる人や苦手、嫌いと感じる人が多かれ少なかれいると思います。



好きな人とは自然に心から接しやすいですが、苦手、嫌いな人にはどうしても緊張してしまったり、接したくなくなったりします。



人によっては、苦手な人をまったく無視して関わろうとしなかったり、毛嫌いして攻撃する人もいますが、そういう行動をとる人においても感じることがあります。



それは、嫌いな人を毛嫌いしたり、無視する人もほんとうは「相手の人とつながって、仲良くなりたい」という思いを持っているということを感じるのです。



仲良くなりたいと思う、どこか好きな人だからこそ、過剰にそういう反応をするのだと感じるのです。



人はほんとうは誰からも、「受け入れてもらいたい」、「愛されたい」という欲求を持っています。これが承認欲求ですが、これを持ってない人はいないです。



この承認欲求が満たされずに、心が傷ついて反転してしまうと、『受け入れて欲しいのに、愛して欲しいのに、なんでそうしてくれないんだ!』と、そうしてくれない相手に反応して、無視したり、嫌ったり、攻撃するようになるだけです。いわゆる、「かわいさ余って憎さ100倍」というやつです。



激しく無視する人においても、ほんとうはそうして欲しいのに、この人(このタイプの人)は『絶対にそうしてくれない人だ』と思い込み、決め込んで、『こんな人はもう知らない。自分とは関係のない人間だから、いらない!』と自分を守るために過剰に距離を置こうとしているだけです。これは自分からそうしていることに、本人はまったく気づいていません。



この思い込み、決め込みはほとんどの場合、幼少期に身近にいた親や家族から刷り込んだものです。



私はトラウマ心理学で「過剰に反応するところにはトラウマ(心の傷)がある」と表現しています。



何かに過剰に、極端に反応する場合には、そこには必ず過去の経験で何か傷ついた思いや感情が残っています。そこに触れられると人は、無意識にも防衛反応をとります。



先ほども言いましたが、嫌いな相手を無視、攻撃する人の内側には、ほんとうは相手のことが気になっていて、「仲良くしてもらいたい」、「受け入れてもらいたい」、「愛して欲しい」という思いが隠れています。



ということは、『嫌いな人=好きな人』ということになります。



「人はみんな誰もが、周りから受け入れられたい、仲良くされたい、愛されたい」存在ですから、それを反転すると、「人はみんな誰をも受け入れたい、仲良くしたい、愛したい」という心からの思いを持っている存在だといえます。



すべては表裏一体、コインの裏表ですから、承認欲求も「承認されたい」の裏(奥)にあるものは、「承認したい」という欲求なのです。実はこれが本体(コインの表)です。



誰かに傷つけられることをされて、『なんだあいつ!』と思った時にも、ほんとうは相手から「受け入れてもらいたかった」、「仲良くしてもらいたかった」、のです。そしてさらに、相手を「受け入れたかった」、「仲良くしたかった」、のです。



だって、「その人のことがほんとうは好き」だから・・・です。
(この「好き」という想いは、意識の深いところにある場合もありますが、自分のその深いところにアプローチして感じていくと見えてきます)



私たちは自分で気づいていませんでしたが、ほんとうはこうやって、周りの誰をも「受け入れて」いて、「愛している」調和と共生の存在だったのです。



みんな「無条件の愛」を生まれた時からもうすでに持っていました(^_^)そこに至ろうとしなくても、私も元々生まれた時からもうすでに持っていたのです。それに気づいていなかっただけなのでした。 



これが人間の本質だと私自身の実体験から、ハッキリと感じています。



〈うまく伝わっていますでしょうか?(^_^;)〉



私たちはみんな「無条件の愛」の存在です。私たちは初めから光の存在であり、素晴らしい存在です。



ただこれが処理しないまま、処理できないまま残っている心の傷に触れてしまうことで、まったく反対の反応をしてしまっていただけです。



飛躍した論理のように聞こえると思われる方は、ちょっと感じてみて下さいませ。



『あなたが大嫌いな人でも、もしその人があなたに、とっても優しくしてくれて、あなたを心から大事にしてくれたとしたらどう感じますか?』


・・・・・・・・・。



『最初は「うわ~気持ち悪い」と思うかもしれませんが(^_^;)、その人がそれをずっと続けてくれたならどう感じるでしょうか?』


・・・・・・・・・。



『あなたはほんとうはその人とどのような関係になりたかったのでしょうか?』


・・・・・・・・・。



『あなたを大事にしてくれるその人と心から繋がり、純粋に仲良くしていることをイメージするとどう感じるでしょうか?』


・・・・・・・・・。



人間関係で傷ついた(と感じた)時には、『ほんとうはあの人とも、どこかで仲良くしたかったんだなあ』という思いに気づき、そこに意識を向けて感じてみてください。そうすると、ご自分の内から観えてくるもの、気づいてくるものがあると思います。



私たちの本心(魂)は、誰とも争いたくない、戦いたくない、否定したくない、嫌いたくない。ただ純粋に無条件につながりたい、と望んでいることを・・・・・・。



でも、自分の内を感じてみても、相手のことがどうしても許せない、腹が立つという方もおられると思います。それは、そう感じているのですから、それでいいのですよ。そう感じざるを得ない背景があったのですね。腹が立ちましたよね。イヤだったですよね。



ただ、その「怒り」は出来るだけ相手に向けるのではなく、効果的に発散して頂ければと思います。例えば、自分の好きな歌、その時に歌いたい歌を歌ってみるというのも一つの方法です。そうすれば、呼吸も深くなりますし、横隔膜が動けば自律神経のバランスがとりやすくなっていきます(^_^)



そしてもう一つ、お伝えしないといけないことがあります。これが私がこのような極端なやり方をした根本原因です。また、人が誰かを嫌う根本原因もここにあります。



それは、私の場合は『無条件の愛に至れるようにならなければダメだ。完全にそれが出来なければならない』と思い、それをちゃんと出来ない自分を責めて、嫌っていたのです。



こうやって、自分が自分自身を嫌っていると、他の人の中に自分が嫌っている部分(要素)が見えた時には、その相手を自分を嫌うように嫌います。また、自分が持っていたい、獲得したい部分(要素)を相手が持っている時には、それを持っていない自分を嫌う思いがうらやましさや嫉妬になって、それを持っているその相手を嫌うようになります。



結局、すべては自分と自分との関係だったのです。



自分を嫌う思いが強ければ強いほど、それに比例して、自分が嫌う同じものを持っていると感じる人、自分が欲しいものを持っていると感じる人に、過剰に反応してしまっていただけなのです。ここがすべての始まりです。



無条件の愛は、まず始めに、自分にこそ与えることが必要です



人は他の人のことには気づいたり、わかったりしても、こと自分のことに関しては、なかなか気づきにくいものです。私自身もそうです。



私たちが私たちの内側に初めから内在していた、「誰とも仲良くしたい」、「誰をも受け入れたい、愛したい」という『無条件の愛』に気づけば、自然に周りの人への対応、心の向け方も変わっていくことと思います。そして同時に、自分が自分自身をありのまま、無条件に許し、愛することができるようになれば、世界は調和と共生の社会へと自然に変わっていくことでしょう。



そういう世界が実現することを心から祈ります。


ホリスティック・セラピー研究所 https://holistic-ti.com



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