心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

行いを意識して味わう

2014年12月03日 | 本などからの気づき
前回の記事の続きになります。

前回は、短い文章でしたが、日常のそれぞれの「行いを意識して味わう」ということが、「しあわせ」を感じることにつながり、「今を生きる」ことにもつながると書きました。今回は、それを体感するための一つの方法である「瞑想」をご紹介します。

私は瞑想に関しては、32年前に超越瞑想(TM)という瞑想の方法が日本に入ってきた頃に習いましたので、瞑想はよいものだと実感しています。精神科医の先生の中には、積極的に瞑想を進めている方もおられます。

瞑想には色々なやり方がありますが、「行いを意識して味わう」ことが簡単に体感していける瞑想には、『ヴィパッサナー瞑想』というものがあります。もうずいぶん前に、この瞑想法をあるアイドルグループ(確かTOKIOだったと思います)が体験しているテレビ番組を見て興味を持ったことを思い出します。

私は、『「自分を変える気づきの瞑想法【増補改訂版】」アルボムッレ・スマナサーラ著、サンガ発行』という本でその方法を詳しく知りました。

少し、要約して簡単にご紹介しましょう。

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ヴィパッサナー瞑想とは、物事をありのままに観る瞑想という意味で、2500年以上前にゴーダマ・ブッダによって再発見されたインドで最も古い瞑想法の一つです。物事をありのままに、明確に観ることで、観察する能力を育てます。「観察」こそが「知恵」の入口です。

人は大部分の時間を過去や未来のことを考えることに費やしています。つまり「思考」で頭をいっぱいにしながら生きています。そこには、事実ではない、事実かどうかわからない「妄想」なども含まれます。実は、私たちが苦しむのは、大部分がそういった「思考」のエスカレートによるものなのです。

ところが、現在の瞬間に気づく心を訓練していくと、その「思考」が止まるのです。この現在の瞬間の事実に気づくことをサティといいます。気づき(サティ)を声にしてではなく内語で実況中継しながら確認していきます。ヴィパッサナー瞑想は、現在の事実に気づいて実況中継することによって「思考」をストップさせ、事象をあるがままに観察し確認していく訓練です。立つ、歩く、座る、それぞれの状態の瞑想があります。

座る瞑想で簡単にその方法を説明しましょう。

「座る瞑想」
座り方のポイントは、背筋をまっすぐ伸ばし、お尻を後ろに引き、下腹を心持前に出し、顎を引きます。リラックスして普通の呼吸をします。息を吐けばお腹がへこみ、息を吸えばお腹が盛り上がります。この腹部感覚が、座る瞑想の中心対象です。お腹に意識を集中して、お腹のあたりの感覚を感じてみてください。すると、お腹がふくらむ、縮む、という感覚が感じられるようになってきます。お腹のふくらみを感じたら「ふくらみ」、お腹の縮みを感じたら「縮み」・・・「ふくらみ」、「縮み」・・・と、心の中で実況中継をします。大事なポイントは、お腹の感覚を受け止めることに重きをおくことで、実況中継は感覚に気づいた証しとして行うものということです。とはいっても、なかなか簡単にはいきません。雑念が割り込みます。思考しないことに挑戦する瞑想ですので、思考したら「雑念」、あるいは「考えた」、「妄想」などと、実況中継していきます。

この瞑想の一番のポイントは「事実に気づくこと」です。事実に気づくことによって、心の中から無駄な思考が排除されていくと、物事がありのままに正しく観えてくるでしょう。その事実に正しい反応を起こしていけば、人生の流れを変えていくことができます。
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ヴィパッサナーで観察をする時には、自分で分析しようとしないこと。それと、瞑想で何か発見できるだろうと期待しないことが大切だといっています。要するに無心で自然に任せて行うということです。「分析」とか「強引に何かをひきだそう」とすると、隠れている「私」がでてきて「思考」の燃料になるといいます。

そして、この「思考」こそが、トラウマの影響から出てきたものです。人間はトラウマを負うと、「思考」を使って起こった出来事やその時に感じた感情や思いのその事実から何とか逃れよう、隠そうとします。受け入れられない出来事を拒絶して不快な体験を認めない様に「否認」したり、その時に感じた感情を感じないように「抑圧」したり、出来事自体を忘れてしまって「解離」したり、対象の人や物事などを実際以上により良いものだと思い込んで「理想化」をしたり、様々な自分の身を守るために「思考」を使って防御をします。また、過去ばかりに囚われて、過去の出来事を何度も何度も思い起こして「反芻(はんすう)」したり、心に根付いてしまった不安から、まだ起こらない未来を心配、不安に思ってそればかりを考える場合もあります。

身を守ることだけから駆使されている「思考」が休まれば、今現在を生きることができやすくなります。今生きていることを感じられれば、生きることへの感謝やよろこびを感じやすくなります。

今、とりあえず、呼吸ができていること・・・。

今、とりあえず、手足を動かすことができること・・・。

今、とりあえず、見ることができること・・・。

今、とりあえず、しゃべることができること・・・。

今、とりあえず、食べるものがあること・・・。

今、とりあえず、雨風をしのげていること・・・。

・・・・・・などなど。

我が日本では、日常のごく自然で当たり前だと感じていることの多くは、ほんとうはとてもよろこばしい感謝の対象となるものに満ちあふれています。

もしも、よろしければ、一度このような瞑想法を行ってみて、「今この瞬間」を意識して味わってみてはいかがでしょうか。


ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
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