心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

意識についての考察(3)

2008年11月20日 | 本などからの気づき
(1)、(2)は数年前にHPに載せていたものでしたが、今回はリアルタイムに書いています。

バクスター博士は、植物を使った同様の実験で有名です。また機会があればその内容を紹介していきたいと思います。

私も人の意識に関しては、間接的な体験をいくつかしています。それは心理療法のセッションの中での出来事でした。

ある人は子供の頃からずっと愛情をかけてくれなかった母親に持っていた感情をたくさん解放していくと、自然にあれだけ憎いと思っていた母親のことがほんとうは好きだったことがわかり、心から許すことが出来て帰ってゆかれました。

数日してから、その人から驚いた感じで電話があり、『こんなことがあるのでしょうか。家に来ることなどほとんどない母親が急に家に来て、突然に「今までずっと大事にしてあげられなくてすまなかった」と頭を下げてくれたのです』とお伝え下さいました。

またある人は、セッションの中で、まったく愛情をくれなかった母親を同じような感じで許すことが出来てから数日後、『もう何年も話していなかった母親から突然電話がかかってきて「お前今まですまなかった。これから一生かけて償うから」といわれたんです』ととても興奮して知らせてくれました。

ちょっと違った感じでは、嫁姑の仲がかなり悪いお嫁さんが、セッションの中で姑との関係が出てきてその姑さんへのため込んできた思いを解放していくと、自然にこの人も大変でかわいそうな人だったんだと思うことが出来て帰られてから、『なんとあれだけ仲の悪かった姑がこれをあげるよと、100万円くれたんですよ』とだいぶたってから教えてくれました。

実は、このような例が他にもいくつかあるのです。

それらの中には、相手の人を許せたのでその人と話している話し方が自然にやさしくなって、その雰囲気が伝わって相手の対応が変わったという人もいるとも思いますが、そんなに話していないのに突然にそういわれたという人もおられます。

このことも、ユングの集合意識という概念からも説明がつくと思います。ある人が他の人に強く持った思いは、距離は関係なくまったく接触していなくても集合意識から伝わってその人に届くとユングは主張しています。

これについて私の直接的な実体験では、これは多くの人が経験していると思いますが、しばらく来られていないクライアントさんや気づいてみるとかなり長く来られていないクライアントさんがふと気になる時があります。あの人はどうしているのだろうか、お元気にされているのだろうかと思っていると、かなりの確率でその人からメールが来たり、電話がかかってきたりします。

ある時などは、突然クライアントのある人のイメージが頻繁に浮かんできて、何でこの人が急に浮かんでくるのだろうかと思っていると、数日中に必ずその人から連絡が来ます。

このようなことをユングは共時性(シンクロニシティ)と表現していますが、意識が伝搬して相手の人に伝わっていっているのです。

とても変わった体験では、初めて大勢の前で講演会をした日の夜に、とりあえず無事に終わり、今日はよかったなあと寝る前にほってしていると、周りに何人もの人がいて私の方に意識を向けている感じが、その日の余韻としてではなくとてもリアルに感じられてびっくりしました。

初めてのことなので、なんだこの感じは、この人たちは誰だろうと、探ってみると、今日講演会を聞いてくれた人たちのような感じがしました。

コンサートで大勢の人の前に立つことの多い妻に、こんな感じがするんだと伝えてみると、「それってよくあるわ。今日の話はよかったなあと思い出してくれている人の思いが来ているのよ」といいました。

「ああ、やっぱりそうか」と、とても不思議だけど、こんな風なこともあるのだなあと実感した出来事でした。

スピリチュアル的な表現をすれば、これが生き霊なのでしょう。私が好きな表現では、人の意識。意識のエネルギーです。

セッションではいつもお話しますが、「感情は見えないですがそこにちゃんと存在する物質的なものなのです。見えないから半物質といえますね」といいます。だから、解放しなければいつまでもそこに残り続けるし、解放すると完全に消えてなくなるのです。

人の意識や思いはエネルギーです。見えないですが、そこにはっきりと存在しているのです。そしてそれは、時間や空間にも関係なく、あらゆる方向へと広げてゆくことが出来るものなのです。

つづく


ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。




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意識についての考察(2)

2008年11月01日 | 本などからの気づき
過去にHPに載せていたものです。

いよいよ、心の変化が体の外に取り出した白血球にどう影響を与えるかのオレアリー博士の実体験が始まりました。

博士から採取した白血球に電極を取り付け、本人は数メートル離れた椅子に座り、バクスター博士からプライバシーに関する不愉快になるような質問を受けました。すると、質問に対してオレアリー博士が不愉快な思いをすると、必ず記録紙には反応が出るのです。また、逆にごまかそうとして、不愉快な思いを感じているふりをしてみても、記録紙には何の反応も現れませんでした。ここにきてほんとうに、博士はこの実験は間違いなく本物だと確信するに至ったのです。

そこで次は距離の問題です。白血球からもっと離れてみることにしました。実験時間は、白血球が元気なうちの8時間が限度です。博士は、飛行機に乗って実験室から350マイル(約560km、約東京~大阪間)離れた自宅に戻り、その間中も、心の中に不安や不快な思いを感じたら、その出来事とその時間をすべて克明にメモしました。

曲がり角をまちがえて高速道路に乗れなかったこと、込んだ駐車場にレンタカーをもどしたこと、飛行機の切符を買う長蛇の列で立ちっぱなしだったこと、あやうく飛行機に乗りおくれそうになったこと(その夜の最終便だった)、離陸、着陸、空港に出迎えにきているはずの息子がいなかったこと、トイレに入ったこと、そして帰宅し、就寝するまでのことなどでした。

翌日、オレアリー博士は実験室に戻り、メモと記録紙を比べてみたのです。博士はいいます。『わたしが不快や不安を感じた瞬間のほとんどすべてに、非常に強い相関関係を示す振幅があり、そのほかにもいくつか振幅が加わっていた。わたしの就寝後は、記録紙はまったく落ち着いたものだった。この結果には強い感銘を受けた。もしこの結果が有効であれば、白血球の提供者が自分の血球と感情的に交信し、しかも、その信号は何百マイルもの距離をおいてあきらかに減衰すらしなかった、という仮説を受け入れなくてはならなくなるのだ。まさに、驚天動地である。明らかにわれわれの意識は底辺の部分で、なんらかの形で結びついており、他の生き物と交信ができ、しかもその信号は、遠距離でも衰えることがないのである。』

さらに、オレアリー博士の探求心は衰えません。今度は博士の友人に被験者になってもらいました。もっと結果を確認したい博士は友人と数マイルはなれたホテルに戻りながら、信号を無視したり、ホテルのドアをバタンと閉めたり、友人が心の痛みを感じるような事柄を持ちだすなどといった、実験的いたずらまでしました。そして、友人が不快に感じそうな他に起こった出来事もすべて正確にメモしておきました。

その結果は、またもや感情的反応と記録計の動きは気味が悪くなるほどぴったりと合っていたのです。また、睡眠中には、記録計は何の反応もなく静まりかえったままでした。

バクスター博士はこのような実験をすでにさまざまな人を被験者として何度も行っていて、すべて同様の結果を得ています。

以上、参考文献「内宇宙・外宇宙への旅」ブライアン・オレアリー著 廣済堂

このことから、オレアリー博士もいうように、人の白血球や細胞などの体の小さな一部分にも意識が存在するという可能性が見えてきました。そして、それは本人の体から遠く離れていても距離に関係なく伝わります。ならば、もしかして、すべてのものについても、このことは例外なく当てはまるのかもしれません。人間でいうと、個人だけでなく、家族単位、民族単位、人種単位、そして人類という大きな種においても・・・。

物理的には、一見バラバラに見えるものでも、深いところでは実はつながっていて、気づかない内に大きく影響し合っているのかもしれません。我々は、心の中のほんの小さな活動でさえ、周りになにかしらの影響を与えているのでしょうか。また、この実験は、心理学者ユングの「集合意識」という考え方を、実証したものであるといえるのかもしれません。

つづく


ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
心理や人間存在についての専門的な内容は、HPの「こころのこと」に載せていきます。



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