早いもので今年も終わりが近づきました。
ここでは、恥を忍んである体の異変から気づいたことを書いていこうと思います。
十数年前に、知人から誘われてネパールに旅行に行きました。一週間ちょっと滞在をした記憶があります。
カトマンズからポカラというネパール随一といわれる保養地に行き、その滞在中に一人で行ったレストランで食べた食べ物にあたったようで、夜にものすごい腹痛が起きました。
痛くてしょうがなく、トイレに何度も行って、出る物がなくなっても腹痛が止まらずに、一晩中5分に一回ぐらいの間隔でトイレに行くようになり、出てくるものは血液ばかりになりました。
大丈夫かなと思いながらも心は冷静でしたが、あまりにも痛みが強く、夜中でどうすることも出来ないので、ちょっと実験をしてみようと思い立ちました。(今までこうやって、自分の身や心に何かが起こると、そこからどうすると抜けられるか人体実験をしてきました。これにより色んなことがわかりました)
痛みを消せなくても軽くするにはどうしたらいいのかの実験です。
結果はというと、痛みから逃げようとするから、余計に痛みが増すような気がしたので、「じゃあ、逃げることをやめて、痛みを積極的にしっかりと感じてやれ」と思い、とことん感じようとしてみたのです。
すると、不思議なことに、あれだけ痛かった痛みが消えることはありませんが、なんだかだんだんと気にならなくなってきて、「これも一つの体験だ」という感じて気楽に味わえるようになってきたのです。
それからも、トイレには行ったので、たぶん計40回近くになったと思いますが、なんだかこの体験を楽しんでいるような不思議な感覚になっていたことを思い出します。
その後は、朝にはだいぶ痛みは治まってきたので、病院に行き薬をもらって飲み翌日には大丈夫になりました。赤痢とかコレラとか重大な病気でなくて安心したのを覚えています。
この人体実験の経験から、「痛みも物事の出来事も、逃げるからより大変になる(大変に感じる)ので、出来るだけ逃げずに、そのことに向き合って受け入れてしまおうとすると、自然に楽にやり過ごすことが出来るようになる」ことがはっきりとわかりました。
そして、ちょっと意味合いが違いますが、今年もそのような感覚を味わった出来事がありました。
2月1日の夜中に、何かよくない感じがするもの(感覚)がすぐそばに近づいてくる感じが強烈にして、こんな感覚を味わったことがないのでかなり動揺すると共に悪寒を感じました。この感覚が何かはわかりませんでしたが、逃れられない感じがしたので、この時にも、じゃあ、恐がらずに近づいてくるその感覚の中に積極的に入っていって、「来るなら来い」と受けとめる思いを持つと、す~っと楽になりました。
ここからは、さらに話しの流れが変わってしまいますが、この感覚は、2月15日の夜中にも起こりました。この時には、自分の背後に漆黒の闇の入口があるような感じがして、背中が冷たくなる感覚がありました。
これらは、日記を見返していて気づいたのですが、今年は他にも変化があり、1月1日から急に毎日悪夢を見るようになり、それは1月14日まで続いていました。
また、3月10日と11日の夜中は普段全くないのに、頭が痛かったのです。そして、その日昼間に東日本大震災が起こりました。
とにかく日記には、2月に入ってからは震災後一ヶ月ぐらいまで、「しんどい、疲れた」のオンパレードで書いていました。
今考えると、どうも何か震災の予兆を感じていたようです。
東日本の方々にとられましては、今年はほんとうに大変な年だったと思います。震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様の復興をお祈りいたします。
来年はよりよい年であることを心から願っております。
私は今のところは、特別な悪い感覚は感じていません。
ただ、大自然は日々刻々と変化をしています。そして、大自然の一部である我々の人生もそれと同じように変化をしてゆくものです。
「変化こそ、人生そのもの」といえると思うのです。
何が起こるか起こらないかは、大自然にまかして、日々生起することを恐がらずに出来るだけ受け入れて、今のこの瞬間、今ここに生きてゆきたいと思っています。
起こることはすべて必然なことで、大きな視野で見ると、すべてがよりよくなるための軌道修正として起こっているだけだと感じていますから。
でも、「変化」は出来るだけ緩やかに、穏やかに進んでいってくれることを心から願い祈ります。
皆様のおしあわせをお祈りいたします。
ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com
ここでは、恥を忍んである体の異変から気づいたことを書いていこうと思います。
十数年前に、知人から誘われてネパールに旅行に行きました。一週間ちょっと滞在をした記憶があります。
カトマンズからポカラというネパール随一といわれる保養地に行き、その滞在中に一人で行ったレストランで食べた食べ物にあたったようで、夜にものすごい腹痛が起きました。
痛くてしょうがなく、トイレに何度も行って、出る物がなくなっても腹痛が止まらずに、一晩中5分に一回ぐらいの間隔でトイレに行くようになり、出てくるものは血液ばかりになりました。
大丈夫かなと思いながらも心は冷静でしたが、あまりにも痛みが強く、夜中でどうすることも出来ないので、ちょっと実験をしてみようと思い立ちました。(今までこうやって、自分の身や心に何かが起こると、そこからどうすると抜けられるか人体実験をしてきました。これにより色んなことがわかりました)
痛みを消せなくても軽くするにはどうしたらいいのかの実験です。
結果はというと、痛みから逃げようとするから、余計に痛みが増すような気がしたので、「じゃあ、逃げることをやめて、痛みを積極的にしっかりと感じてやれ」と思い、とことん感じようとしてみたのです。
すると、不思議なことに、あれだけ痛かった痛みが消えることはありませんが、なんだかだんだんと気にならなくなってきて、「これも一つの体験だ」という感じて気楽に味わえるようになってきたのです。
それからも、トイレには行ったので、たぶん計40回近くになったと思いますが、なんだかこの体験を楽しんでいるような不思議な感覚になっていたことを思い出します。
その後は、朝にはだいぶ痛みは治まってきたので、病院に行き薬をもらって飲み翌日には大丈夫になりました。赤痢とかコレラとか重大な病気でなくて安心したのを覚えています。
この人体実験の経験から、「痛みも物事の出来事も、逃げるからより大変になる(大変に感じる)ので、出来るだけ逃げずに、そのことに向き合って受け入れてしまおうとすると、自然に楽にやり過ごすことが出来るようになる」ことがはっきりとわかりました。
そして、ちょっと意味合いが違いますが、今年もそのような感覚を味わった出来事がありました。
2月1日の夜中に、何かよくない感じがするもの(感覚)がすぐそばに近づいてくる感じが強烈にして、こんな感覚を味わったことがないのでかなり動揺すると共に悪寒を感じました。この感覚が何かはわかりませんでしたが、逃れられない感じがしたので、この時にも、じゃあ、恐がらずに近づいてくるその感覚の中に積極的に入っていって、「来るなら来い」と受けとめる思いを持つと、す~っと楽になりました。
ここからは、さらに話しの流れが変わってしまいますが、この感覚は、2月15日の夜中にも起こりました。この時には、自分の背後に漆黒の闇の入口があるような感じがして、背中が冷たくなる感覚がありました。
これらは、日記を見返していて気づいたのですが、今年は他にも変化があり、1月1日から急に毎日悪夢を見るようになり、それは1月14日まで続いていました。
また、3月10日と11日の夜中は普段全くないのに、頭が痛かったのです。そして、その日昼間に東日本大震災が起こりました。
とにかく日記には、2月に入ってからは震災後一ヶ月ぐらいまで、「しんどい、疲れた」のオンパレードで書いていました。
今考えると、どうも何か震災の予兆を感じていたようです。
東日本の方々にとられましては、今年はほんとうに大変な年だったと思います。震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様の復興をお祈りいたします。
来年はよりよい年であることを心から願っております。
私は今のところは、特別な悪い感覚は感じていません。
ただ、大自然は日々刻々と変化をしています。そして、大自然の一部である我々の人生もそれと同じように変化をしてゆくものです。
「変化こそ、人生そのもの」といえると思うのです。
何が起こるか起こらないかは、大自然にまかして、日々生起することを恐がらずに出来るだけ受け入れて、今のこの瞬間、今ここに生きてゆきたいと思っています。
起こることはすべて必然なことで、大きな視野で見ると、すべてがよりよくなるための軌道修正として起こっているだけだと感じていますから。
でも、「変化」は出来るだけ緩やかに、穏やかに進んでいってくれることを心から願い祈ります。
皆様のおしあわせをお祈りいたします。
ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com