今日、日本古来の古武道に伝わる氣のエネルギーの活用法を教えてくれるセミナーに参加しました。その中で、真剣の日本刀を持たせてもらいました。
実家にはなぜか、刃こぼれした小刀がかつてあって、子どもの頃に握って構えたことはあったのですが、大刀を持つ経験は初めてでした。
持ってみると、自分のエネルギーがびゅんと切っ先から出て行くのを感じました。
このようなものを侍たちは使っていたのだなと感慨深いものを感じました。
ただ、日本刀を持ってみて改めて深く感じたのは、「自分はかつては剣(ソード)を使って戦っていたなあ」という感覚でした。
私はかつては、(司祭や牧師、僧侶などの聖職者としての体験もかなりありますが)戦いも幾度も経験した魂だと感じています。
そこには、国を守るため、仲間を守るため、正義のため、悪を駆逐するため・・・、という想いがその根底にはいつも存在していたことも感じています。
これが戦いへの唯一の原動力、動機だったのです。
それを・・・、今の自分として感じてみると、「正義とは何だろうか」という思いが湧き上がって来ます。
自分の立場(主観)では、「正義」であっても、相手も相手の立場(主観)からの「正義」が必ずあります。
このどちらも、その人にとっては紛れもない正しいこと「正義」です。
しかし、正義と正義がぶつかり合って、人が死んでいく、人が悲しむ、さらに国が滅びていくことが、この地球上でどれほどたくさん繰り返されてきたことでしょうか。
ならば、やはり感じます。「正義」とはいったい何なのでしょう。
私たちにはもう「正義」だけに限らず、様々な固定概念、観念はいらない時が来ました。そして、さらにいえば、常識というものも、それが観念的なものならば、そこから外れていいのだと思います。
私を含めた世界の人々が、俯瞰して、太極を観、感じて、今までは身を守るために必要だったものを心の内に安心感を増やしていくことで、どんどんと優しく手放していけれたらいいなあと感じます。
なんだかこんな事も感じさせてくれた初体験でした。
ホリスティック・セラピー研究所 https://holistic-ti.com