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「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」1968年、河野裕子。そして、「一日が過ぎれば一日減つてゆくきみとの時間 もうすぐ夏至だ」2009年、永田和宏。――大学でのふたりの出会いから、河野の乳がんによる死まで、四十年にわたる歌人夫婦が交してきた歌の数々、感動の記録。
出版社:文藝春秋(文春文庫)
短歌を通して知り合い、後に二人ともその世界で大成した歌人夫婦の相聞歌を中心に編纂された本である。
二人の出会いから妻である河野裕子の死までを短歌を中心に追っていて、心に響いた。
こういう形の愛情表現があるのだということを知らされる良質の作品だ。
二人の出会いは二十歳のころだ。
若い二人という感じで、初々しさも感じられる作品が多い。
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
タイトルの元にもなった河野裕子の歌は、二人の男の間で心が揺れていた頃の心情と情熱が見えて、胸にぐっとくるものがある。
夫の永田和宏の側にも、若い恋を感じる作品が見える。
あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年
とかが笑えておもしろい。
ともあれそうして二人は夫婦となる。
危ぶみて触れし裸身をかなしめり父と呼ぶにはあまりに若きそう表現されるような若い夫婦だ。
それでも子供にも恵まれ、苦労を抱えながらも、家族を形成していこうとする。
諍いの部屋を抜け来し昼ふかく鳥は目蓋を横に閉ざせり
といったように、生活上のすれ違いから夫婦げんかもあるようだが、
たつたこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる
そう思えるような家族の形ができてくる。
そして夫婦も互いを思いやる睦まじい関係ができてくる。
おおほきな月浮かび出でたり六畳に睡りて君ゐるそれのみで足る
という河野の歌や
たった一度のこの世の家族寄りあいて雨の廂に雨を見ており
という永田の歌などはそれを象徴していよう。
そうして日々を過ごしていた夫婦だが、妻の河野に乳がんが見つかる。
河野の乳がん発覚前までの歌はまったく日常の歌そのものである。それだけに乳がん発覚は衝撃だったろう。
そこから夫婦に微妙なすれ違いが起こる。
河野は病気の不安から精神が不安定になる。永田は日常を送ることが大切だと考え、それがかえって妻をいらだたせるという悪循環に陥る。
この辺りの人間関係は難しいものだな、と思う。
今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇つて欲しかつた医学書閉ぢて
という河野の歌と、
平然と振る舞うほかはあらざるをその平然をひとは悲しむ
の永田の歌などはその思いが強くにじみ出ていて苦い。
そうして乳がんの不安な時期を乗り越えるが、残念ながら癌が再発してしまう。
そこからは余命を否応なく考えて、夫婦は向き合わなければならない。その姿がかけがえのない分、非常に悲しい。
一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため
という河野の歌と、
一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
という永田の歌は、それぞれの切実な思いが伝わって来て苦しい。
そして河野裕子に最期のときが訪れる。河野裕子の絶筆は深く心を打ってならない。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
残り僅かな命の中で、これだけの歌を残したことはすばらしいと思う。
そして最期の歌の中にも、夫婦の情愛が眠っているようで、やはり心震えてならない。
短歌はわずか三十一文字。その中で互いの心を伝えあった夫婦の姿が、深く胸に沁みる。
一読に足る良質な夫婦の記録であろう。
評価:★★★★★(満点は★★★★★)
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