深夜のバー。小学校のクラス会三次会。男女五人が、大雪で列車が遅れてクラス会に間に合わなかった同級生「田村」を待つ。各人の脳裏に浮かぶのは、過去に触れ合った印象深き人物たちのこと。それにつけても田村はまだか。来いよ、田村。そしてラストには怒涛の感動が待ち受ける。
出版社:光文社(光文社文庫)
『田村はまだか』はある意味では大人のための小説と言えるのかもしれない。
世間にもまれて、いろいろとあくせくし、ウダウダと立ち止まっている大人たちが、子どものときの記憶を思い出しつつ、なかなか来ない旧友を待つ物語。そう見えるからだ。
個人的には、読み手がカタルシスを得る話ではなく、登場人物たちがカタルシスを希求するお話とも感じられた。
小学生のころの友人たちが、久々のクラス会の三次会で、なかなかやって来ない旧友の田村を待つというのが主筋である。
最初に田村のエピソードが語られた後、次の章からは、待っている側の友人たちの個々のエピソードが描かれる。
かつて小学生だった彼らもそれなりに大人になって、世間にもまれている。
たとえば第二話に出てくる上司の石田や、第三話に出てくる元彼の柴崎はどう見てもイヤなやつだ。しかし大人である以上、そういった人物ともつきあわねばならないのがつらいところだろう。
それを抜きにしても、多くの人物は大人になり問題を抱えているのは確かだ。
池内は最初は威勢が良かったのに、徐々に仕事に手を抜くようになっている。
千夏は歳の離れた生徒に恋心のようなものを抱いてそれをいつまでも引きずっている。
坪田は性的に変なゆがみ方をした(ように見える)男で、隣の女にも関心を寄せているが、あえて踏み込もうとはしていない。
そのほかにも妻や夫と離婚した者もいるし、不倫関係にある者もいる。
特殊なケースもあるが、それなりに希望もあれば、生きづらさもあるらしい。
そんな彼らにとって、田村は、美しい過去の象徴でもあるのだ。
田村は少年時代の恋を貫き、まっすぐに生きている。
だからこそ「田村のことを思うとき、おれたちの心は混じりけのないものになる」なんて言葉が坪田の口から出てくるのだろう。
個人的には幾分つくりすぎの部分があり、入り込めなかったが、そういった何かを希求する場面は悪くない。またウダウダと悩んだりするところも好きだ。
そういった揺らぎのようなものこそ、小市民的な世界であり、小市民的な感覚を描いた作品とも言える。
個人的には合わなかったが、達者な作品と感じた次第だ。
評価:★★(満点は★★★★★)
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