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三十五歳になるシングルマザーのさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった。表題作「九年前の祈り」他、四作を収録。
出版社:講談社
表題作の『九年前の祈り』は、個人的にあまり合わない作品だった。
それは結局、主人公であるさなえの感情に寄り添えなかったのが大きいのかもしれない。
しかし人間の描写は丁寧で、技巧的な側面が光る作品だった。
さなえは外国人の夫と結婚して、希敏という子を授かる。
しかし希敏は自閉症(アスペルガー?)気味なところがあり、ちょっとの環境の変化に動揺し、錯乱すると、激しく泣きわめくような子どもだ。
さなえはその状態を「引きちぎられたミミズ」と形容しているが、表現としてはおもしろい。
さなえ自身、天使のような容貌の希敏をかわいいと認めているが、現実の希敏は手のかかる子供で、彼の心さえ読むことができず、いらだちを感じている。
それでなくとも、さなえの家族は鬱陶しいのである。
やたらに口を出したがる母に、空気の読めない父など、近くにいたら、イラってしそうな人たちばかり。
そういう環境にあって、コミュニケーションのとれない息子に不愉快になり、距離を置きたいと思い、虐待気味な行動になって現れる。
そんなさなえに、共感はできないし、賛同もしない。
しかし気持ちが、まったくもって理解できないわけでもない。
もちろんさなえも希敏に対し、どこか罪悪感めいた気持を持っているようにも見える。
しかしだからと言って、さなえが寛容さをもてるわけでもない。
そんな中で、癒しとなっているのは、みっちゃん姉の言葉だろう。
「子供っちゅうもんは泣くもんじゃ」という、むかし言われた記憶が少しだけさなえを解放してくれている。
そしてその言葉を背負い、さなえも希敏と接するしかないのだ。
そう彼女も母親。母である以上、そこから逃れるわけにもいかない。
息子の手を放してはいけないし、手を放すわけにもいかないのである。
とは言えこの物語に、明確な救いがあるわけではない。
しかし少なくとも、さなえは希敏との関係を少し見つめなおすことができたのではないか、と思う。その予感だけが、幾ばくかの明るさを感じさせるのである。
そのほかの作品は、お互いにゆるやかなつながりを見いだせておもしろい。
個人的には『お見舞い』が好きだ。
昔は輝いていた兄貴代わりの男の転落や、暴力で抑えつけようとする兄など、田舎特有の閉鎖的な環境ゆえとも思える暗い要素が目を引いた。
そして落ちてしまった男を、突き離せない主人公の心情がリアルで、何かと心に残った。
評価:★★(満点は★★★★★)
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