被害初期のマインドコントロール1【2024年版】No3
◆私の被害初期段階の一般的な論説◆
『被害初期のマインドコントロール1【2024年版】No2』では、No1に引き続き私の被害初日でのマインドコントロールを述べた。
たった一日で、加害組織が私に基本的マインドコントロールとその上に積み上げるマインドコントロールを達成できたのである。
それに気が付かないままそれ以降の数日間は、女の声が床に入ってから聞こえ始め、会話していた。
それから別の声が聞こえ始めた。声は、ストーブの固定位置から聞こえた。その声とも会話したが、その声は、自分を「小悪魔」と名乗ってきた。その点で最初に名乗りを上げたのがストーブから聞こえる声だった。
ストーブから聞こえる声は、女の声よりも自分の部屋にいるときだけずっと声を聞かせてきた。寝てしまうまでの間、声が聞こえ、会話もしていた。
ストーブの声までの加害の特徴は、声を聞かせて会話する点で同じだが、時限的だった。だから、ストーブのある部屋から出ると聞こえなくなった。
つまり、声を聞かせる時間を加害時間とすれば、声を聞かせていない時間は、「空き時間」となったことである。
その空き時間がなくなる時がやってきた。
ストーブの声が聞こえなくなってから別の声が登場したのである。
ストーブの声のときも私が受動的に取り込んだ基本妄想は、決して触ることなく声の相手の素性を私が亡霊として判断することで積み上げるマインドコントロールの渦中にあった。
だから、私も相手の声に対して敵意むき出しではなく、友好的でもなく、私が声の相手を探るようなものだったかもしれない。
私の姿のない声に対する恐怖心は、表向きほとんどなかったが、警戒的な意識が当然働いていたと思う。
なぜなら、声の相手が得体の知れないものだからだ。亡霊だと判断しても、そんなものは一時的な仮定のようなもので疑問符のついた判断に過ぎなかったからだ。
そのためか、良く被害者が言うような加害とか被害という言葉で状況を意識することはなかった。それにネットで自分の経験について検索をしていなかった。
ストーブから聞こえる声以降の別の声が登場するまでネット検索もしなかったし、加害被害の意識もなかった。
そんな状況でも加害組織は毎日加害を続けていた。その状況は、加害によるマインドコントロールがターゲットに浸透していたことを意味する。
マインドコントロールがターゲットに浸透していたことは、加害組織がターゲットの心の中の先入観を標的にしたターゲッティングでターゲットが自分の先入観にマインドコントロールによる基本妄想を受動的に組み入れ、同時に基本妄想の上に積み上げる妄想は、ターゲットが加害相手の素性の判断などの意識をしながらの形をとる。
そのため、積み上げられる妄想は、流動的になるのが特徴である。言い換えると、その流動性は、ターゲット(私)任せであることである。
ターゲット任せの面があるマインドコントロールの浸透は、私なら私に妄想の物的事実認識の決断権を与えられたようなもので、私に本当かどうかの判断が任されているようなものである。
そのため、加害組織が私に積み上げるマインドコントロールは、基本的なマインドコントロールが受動的に私に浸透し、私の先入観に組み込まれたが、積み上げるマインドコントロールの方は、加害組織のやり方そのものが最初から私が否定的にとらえるとわかっていながら(姿のない声が亡霊だと判断すること)、私に受け入れさせる一方で拒否することも誘導していたことになる。
つまり、加害組織の加害初期段階では、ターゲットの私が最終的に否定するだろう亡霊などの断定を最初に誘導させてそれを崩していくように加害を続けたことである。
実に妙な加害方法だと言える。
ところが、元の基本的なマインドコントロールで私の先入観に浸透した基本妄想は、私が特に意識することもなく受動的に受け入れたもののために、決して触ることのない領域となったのである。
つまり、加害組織は、ターゲットの私が声の相手の上っ面の素性を探ることに夢中にさせて肝心かなめの加害技術を使って声を聞かせる物的事実の認識から遠ざけたことでもある。
だから、加害組織にとっては、私が姿のない声を、枕もとに聞こえる声を、ストーブから聞こえる声を「相手がしゃべったものが聞こえる」という物的事実として認識したから、その基本妄想の上に積み上げる妄想は、早い話、何でもいいのである。
加害組織にとってかなめのマインドコントロール(基本)は、私の心の先入観に物的事実認識として固着していたから、その先入観の上に積み上げる別の先入観は、ターゲット任せで十分なのである。
だから、私が姿のない声が亡霊なのを否定しても肯定してもどちらでも加害組織にとってはいいのである。
ちなみに、どちらでもいいことは、加害組織がターゲットにしゃべりかける言葉や一方的に聞かせる言葉がターゲットの心の中で肯定しても否定してもどちらでも構わないことでもある。ここを間違えると、加害相手のしゃべの声(言葉の内容)を嘘か本当かの区別・断定などは、その区別や判断の意識を誘導されているのであって、あたかも真相を知ったことだと思うなら、それは、マインドコントロールが自分の先入観に浸透しているだけである。
加害技術としてのマインドコントロールは、ターゲッティングをターゲットの心の中にある先入観に実施する。そんなマインドコントロールが洗脳と異なる点は、基本マインドコントロールが妄想の物的事実として心の中の先入観に受動的に組み込まれる点であり、その上に積み上げるマインドコントロールは、ターゲットの能動的な意識に任される点である。
というわけで、加害初期段階でのマインドコントロールは、ターゲットに速やかに妄想の物的事実認識を受動的に受け入れさせ、その上に積み上げるマインドコントロールが段階的に積み上げられる過程でターゲット任せでも十分適用できるように加害を実施するのである。
それで私の被害初期段階に一致した加害組織のマインドコントロールは、私が姿のない声に対する意識を加害技術の物的な事実の代替的な意識として表現するのであり、加害組織は、その単純な繰り返しの中で実際には、姿のない声の登場人物をいくつも出演させてきたのである。
私が亡霊を疑い始めれば、加害組織もそれに順応するかのように自分たちの素性を名乗り出てきた。時には、説明風に説明もしてきた。
そのような加害方法は、マインドコントロールとして考えれば、「加害相手=姿のない声の相手」が複数現れることとなったのである。
枕もとの女の声のときは、別の声も聴かされた(その声とは会話がなかった)。その加害方法は、ストーブの声以降の加害方法のもっとも単純な形をとっていた。
つまり、女の声との会話の中に別の声が聞こえて女の声が別の声の素性を私に説明するものであるが、それが意味するものとは、「姿のない声がしゃべって自分に聞こえる」という物的事実認識にはかかわらず、もっぱら、姿のない声が「しゃべった内容」に私の意識を振り向けさせたことである。
違いは小さく見えるが質的にはかなり巨大である。
喋った内容に自分の意識が振り向くのは、当然と言えば当然の成り行きである。だが、当然の成り行きこそが加害組織の利用する人間精神の仕組みである。
それで加害組織は、ストーブの声以降に空き時間が全くなくなった状態にしたときから声の登場相手が複数になったのである。と言っても、姿のない声どうしの会話というのは一度もなかった。
話を戻せば、姿のない声が「しゃべった内容」に自分の意識を向けたことは、姿がないのにどうして聞こえるかの物的事実を含んでいるため、疑問になりえるが、女の声などの時に姿のないのに聞こえる点を、自分の先入観を根拠に亡霊だから自分に聞こえるという解釈だった。
だから、姿のない声が亡霊ではないと思い始めれば、何なのかの疑問の答えを求める意識が働くようになる。ーーーむろん、その時点で亡霊を否定しても答えなど出ない。
答えが出ない状態でも唯一「姿のない声がしゃべって自分に聞こえる」という認識は、すでに妄想の物的事実を自分の先入観に組み込ませた後のことであるから、姿のない声が「しゃべった内容」に自分の意識を向けても、加害の物的事実を含んでいても、先入観を根拠に「しゃべった内容」に自分の意識を向けるしかないのである。
そこの部分、特に重要な点である。それが実際のほかの被害者にも共通しているのは、すでに取り込んでしまった先入観を根拠にあれこれと意識するしか道がないことである。
もし、都合よく、相手がしゃべって自分に聞こえていることを疑問視するなら、何が出てくるだろうか?
それは、声を聴いている自分に謎を解き明かすヒントがあることを見極めなくては何も進まないことである。
例えば謎の一つは、自分だけに加害相手に思い込んだ相手の仕業としての声や音が聞こえる状況である。
その謎に何かわかるものがあるとすれば、自分だけに聞こえた点をもっと深く掘り下げて考えるしかないが、加害技術がわかっていない状態でいくらでも考えても、出てくる答えは、ネットで検索して見つけよう、ぐらいしかないだろう。
運よく、ネットでそれらしいものを見つけて飛びつく程度しかできない。何よりも諸科学の基礎知識もないところにネットで出ている情報を学んでも、それは、すでにマインドコントロールされたほかの被害者が出していたものであって、マインドコントロールで先入観に組み込まれた基本妄想が生きている情報に過ぎないのである。
とはいえ、ここでの考察対象が最も基本的マインドコントロールを見極めるためには、自分に足りないものを補う必要がある。
しかし、そんな疑問の答えを見出すなら、加害相手がしゃべったものが自分に聞こえる点を疑ってしまえば、その解決方法は、自分の聴覚に関係する細胞レベルの加害技術による聴覚であることを見極めなくてはならないことになる。
その探求では、自分が先入観で思い込んでいた根拠が大地震を起こすことになる。
そのための考察は、自分の先入観を見極め、その先入観をバッサリと切り捨てるだけでなく、加害の物的事実の本当のことを見極める必要がある。
そのための根拠が必要になることである。その根拠を加害相手の振る舞いから得たとしても、抽象力がなければ、科学的な考察にならない。
例えば、何か言葉を聞かせてきたとき、その言葉ではなく、聞こえ方に何か妙な点がないのかとか、そういうことではなく、自分に聞かせているのがわかっている加害相手を考えたり、聞かせる目的などを考えたり、あるいは、それを聞いて自分がどのような意識を働かせたのかを考えることがそれである。
言葉が聞こえた時言葉にとらわれては抽象力がない。
同様に電磁波攻撃された時にその感覚にとらわれては、抽象力がない。
ヒントは、自分が加害された時の自分に生まれる意識にある。
そうやって考えれば、加害技術が不明でも、少なくとも加害相手の直近の目的が見え隠れするはずである。
それを感情的になって自分がこうなってしまったことを加害のせいにしても、何も抽象力がない単なるターゲットの一般的な反応に終始するだけである。まさに子宮で物を考えるような意識しか働かないようなものである。
ずいぶん話が飛んでしまったところで話を戻せば、私の被害初期での加害組織のやり方を考えれば、私が「相手がしゃべってそれで自分に聞こえる」という物的事実を妄想するだけでその妄想の上に積み上げるマインドコントロールが私の任意の肯定でも否定でもどちらでもいいことは、多種多様な姿のない声の登場とか、時には恐怖するような電磁波攻撃は、「相手がしゃべってそれで自分に聞こえる」という物的事実を妄想する私の先入観に組み込まれた基本妄想をより一層強固なものにしたことである。
それゆえ、6年以上も経過してようやく加害技術の本当のものを探り出し、自分が取り込んだ基本妄想を見極め、そのマインドコントロール過程を加害初日まで辿れたのである。
考えてみれば、なぜ基本妄想を見抜けなかったかと思うが、そのマインドコントロールを分析すると、次の言葉でいうしかない。
仕方のないこと。
ついでに言っておけば、基本妄想に気が付いてそれを除去したのではなく、加害技術の物的事実を確定できた時に基本妄想がまるで受動的に崩壊したようなものである。
気が付いたのは、2021年当時前の私が考え出した加害技術論の細かな部分がそれを考えた当時に疑問符をつけていたことを思い出した時である。
「やっぱり無理があった」と思ったのも当然だった。
加害技術を見極められた時に無理があった点が「相手がしゃべって自分に聞こえる」という物的事実を妄想していたためであるが、「相手がしゃべって自分に聞こえる」という物的事実を妄想しているとは考えていなかった。
それにその領域は、考えたこともなく、疑問視したこともなかった。
逆に、他の被害者の様子を見て、他の被害者が「相手がしゃべって自分に聞こえる」という私の先入観の物的事実の妄想上で間違っている点には気が付いていたのである。その表現は、「加害相手はマイクを使ってしゃべっているわけではない」であるが。
いわくつきの難点となるのが最も基本的なマインドコントロールで先入観に組み込まれる基本妄想の物的事実である。
だから、加害相手が何者か、という断定は、早い話分からなくても決めつけても、どうでもいい問題である。
加害技術論では、過去の私のように、加害相手がしゃべって何らかの技術(物理)で自分に聞こえる、という加害の物的事実を妄想するものなら加害組織にとっては、どれでもいいのである。
そのため、被害者によっては、V2kと言ったり、マイクロ波聴覚効果と言ったり、他の生体通信妄想やインプラント妄想でもどれでも同じ妄想の物的事実を主張する根拠でしかない。
その根拠をひっくり返せば、私のような結論に至るはずである。
+++++++++++++++++++++
小難しい部分があるだろうが、一般の私の読者にとってかかわりのある人は、集ストタイプの加害方法を受けた被害者の身近なところにいる人であろう。その被害者の近隣とか同じ職場内などである。
ここで述べている加害と被害は、基本的なマインドコントロール部分が集ストタイプでもテクノロジータイプでも共通していると断言しておく。
基本的マインドコントロールは、ターゲットにされれば、自分の先入観にマインドコントロールしようとする意識対象が誘導されて受動的に組み込むことになる。
洗脳とは異なり、単純な取り違えにも映る精神誘導であるが、加害組織のターゲッティングでは、ターゲットの先入観を構成するものがなんであるかによって集ストタイプとテクノロジータイプを分類するところがある。
例えば集ストタイプの被害者がターゲッティングされる先入観は、主として仕事と生活の経験に基づく特定の相手に対する観念であるから、早い話、その相手を快く思っていない状態でターゲッティングされるから、加害でその相手を犯人に決めつけ、犯罪的な行動をとる性格が出やすい。
従って、集ストタイプを加害する場合、その被害者は、特定の相手に対する犯罪性が出やすくなりやすいのが特徴である。なぜなら、先入観にある特定の相手に対する意識は、感情的だからである。
その感情的な意識で加害された時に加害相手をその相手に決めつけるように意識誘導されるから、被害者の行動は、犯罪性を帯びた行動をとりやすくなる。
つまり、もともとお門違いな加害相手を決めつけたから、その相手に被害や加害を主張する時に直に相手にかかわるためにそうなるしかないのである。
直に相手にかかわらなくても、間接的に相手に行動を仕掛ける性格の被害者もいるはずである。
例えば、やられたものを返してやろうとする意識で警察などを使って相手に振り向けるような犯罪性である。
結果的にうまくいかないはずだが、いずれは、ばれてしまうと自分が窮地に陥ることになる。
テクノロジータイプの私の場合は、特定の相手に対する意識を働かせないから、行動では、例えば救急車を呼んだりするような行動を起こす。
集ストとテクノロジーのタイプ別の違いは、基本的なマインドコントロールの上に積み上げるマインドコントロールが異なることと標的の先入観の内容が異なることである。
ただ、積み上げるマインドコントロールもターゲット任せでターゲットが自ら根拠とする先入観に頼らざるを得ないように加害を仕組まれる点で共通性がある。
だから私の被害初日でも自分の先入観を根拠に姿のない声が何者かを断定したのである。逆に言うと、加害の事実を先入観以外で根拠にするものと言えば、自分の感覚だけだから、その感覚も加害の事実なのだから、結果的に自分の先入観を根拠に相手などを断定するしかないのである。
その先入観だが、マンツーマンの加害状況以外でもネットに出ている被害者が発信した情報によっても先入観に組み込まれるものとなることである。その部分は、私が集団的マインドコントロールと名付けているものである。
何はともあれ、ターゲットにされたらよろしく!
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パケベックのハンドルネームで以下のブログをやっている。
コメントは、あちこちで対応するのが面倒になって、https://ameblo.jp/push-gci/のブログだけで対応することにした。メインブログ以外ではコメントは受け付けていない。2019年10月10日。
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