プリメイラ Honolulu

袰岩奈々のホノルル・カフェぶらぶら日記。
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3月10日、パロロ本願寺で「命灯会」です

2019-02-21 07:47:53 | おしらせ
ハワイに移住したのが2011年の3月の末だった。
娘の中学2年の学年末に合わせて
ハワイ行きのチケットを買ってあった。

地震が起きたとき、薬師寺にいた。
日本を堪能してから出発しようという趣向だった。
東塔が改築中だったかで、より、
そう思ったのだが、ユラっと揺れたとき、
「地震も台風もあったろうに、
よく、持ちこたえたよなぁ」と
呑気なことを考えていた。

どこが震源地だろう、と薬師寺の
門を出たところでtwitterをチェックして、
震災を知った。
その日の移動は出来なかったので、
予定通り、お水取りを見に行き、
予約してあった食事を食べには出かけたが、
お店のどこかが水色だったのか、
水色のイメージだけ出てくる。
遠い東北の出来事とあってか、
「なんでも、大変なことが起きたみたいですね」と、
ホテルや駅周りの雰囲気はゆったりしていた。

次の日、水も電池も溢れるほどある
奈良の駅前のコンビニで電池と水を買い込み、
京都から新幹線に乗った。
ゴーッという音の中で、車両全体が
なんとも重苦しい雰囲気だった。

そのあとの2週間、日本を出る準備どころではない気分で、
それでも、予定変更したところで何ができるわけでなく、
後ろ髪引かれつつ、娘と二人、ハワイに出発。
常夏の島、パラダイスハワイにいても、
それをエンジョイするという感じはほとんどなく、
転校の手続きや新しい部屋になれることなど、
バタバタしながらネットから流れる情報に
ハワイにいるという非現実感とあいまって、
より非現実的なふわふわしたような、
フリーズしたような日々を過ごしたのだった。
去年あたりにふと我にかえり、
こんな状態だったんだなぁと気づいたのだが。

私は仙台で高校時代を過ごし、
父は青春時代を仙台で過ごし、
夫の両親が盛岡の出身だったこともあって、
東北には少なからず縁がある。
ハワイで東北支援を始めたという
NPOナデシコクラブの発足に混ぜてもらった。
友だちが全くいないに等しかったが、そこで
爆発的に多くの友人ができた。
その中の一人がちえみさんだ。
彼女は震災直後からマッサージプロジェクトを続けていて、
現在進行形。毎月10日にマッサージを行い、
マッサージ料を全て東北支援に当てる。
しかも、お金を寄付するのではなく、
ハワイの布を買って送り、東北の女性に
それをマッサージシーツなどに仕立ててもらい、
商品として販売するという、
仕事を創り出す元手として提供しているのだ。

数年前、藤田一照さんからご紹介いただいて、
佐藤良規さんとつながり、
彼をちえみさんに紹介したところ、
パロロ本願寺での「命灯会」が始まった。
芋煮汁のお振る舞い付きだ。

今年は2月に「命灯会」の発起人の一人である
杉浦恵一さんも来てくれた。彼の手作りの献灯台もある。
3月10日にはパロロ本願寺でお彼岸法要があり、
チャリティマッサージ、多加良市オハナカフェ
カーウォッシュなどのファンドレイズイベントを行い、
日本時間の3月11日、2時46分(ハワイでは7時46分)
に合わせて「命灯会」が行われる。

午後6時ごろからは芋煮汁のお振る舞いもあるので、
3月10日、パロロ本願寺に
ぜひ、遊びにいらして下さいませ。

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