(ふわっと”92)25周年記念、酒と桜(3/3)
高知ファンクラブ、No.187,12(2017)
今回、高知龍馬空港で、そして羽田空港で便を待つのは久しぶりである。月に平均3回ほどは空港に来ていたが、神経変性疾患(パーキンソン症候群)を発症してからは多くの公的な仕事を辞退させて頂き、この3年間、ほとんど県外に出ることがなくなっていた。高知空港では必ずと言っても良いほど知り合いの方にお会いしていたが、今回は搭乗者の中に知り合いは一人も現れなかった。リタイアした人も多くなったのではと想像した。帰りの羽田空港では有り余るほどの時間を、マイレージクラブのラウンジで一枝と二人でゆっくりと過ごしていた。離発着する航空機をガラス越しにぼんやりと眺めていた。車椅子での大旅行が無事に終ろうとしていた。
ラウンジの入口近くのボックスに日和崎三郎さんを見付けて吃驚した。彼は日和崎ホールディングス株式会社の社長さんである。しかも座席が5Kで、私たちの5H、5Jの隣の窓側である。二度目の吃驚である。不思議な因縁を感じる出来事である。今回の宇宙旅にも似た旅を、一大決心の旅を、締めくくるに最も相応しい出会いであると感じながら、日和崎さんとの最初の出会いを思い出していたのである。
高知工科大学を退職し、高知県産業振興センターでプロジェクト・マネージャーとして地域振興に関わろうとしていたときである。「地方の中小企業でも、宇宙のこと、そして国際宇宙ステーション利用を考えても良いらしい。何か我々でできるものはないだろうか」と日和崎さんが「地域宇宙利用推進」の要綱を携えて、産業振興センターを訪ねてきたのが出会いの発端である。私の机の後ろの壁には毛利衛宇宙飛行士と並んでいる私達の写真が飾ってあったのである。(註6)
「直ぐに役に立つことを前提にしては、アイデアは出ないこと、遊びごころで、楽しみながら、夢を追うことでなければ」と私の持論を述べたのである。(註3) そして、2002年10月10月に高知県宇宙利用推進研究会(会長;鈴木朝夫、幹事;日和崎三郎)が発足し、ニックネームを「てんくろうの会(天喰郎の会)」としたのである。多岐にわたる活動に対応するために幾つかの分科会を設けた。
先行したのは「ノアの箱舟構想(微生物宇宙旅行計画)」であった。先ずは、高知の代表として土佐酒の酵母菌が主役に抜擢された。技術的な検討はそれとして、県内の18の蔵元の一体化、「土佐宇宙酒」の商標登録の先取り、ロシアとの交渉・契約、風評被害の予防・克服のような付随的な問題解決が急務であり、これらが「転苦労」の始まりである。(註6)
宇宙から帰還した酒造好適米の種籾は輸入と見なされ、植物検疫上から持ち込みが不可能であるとの指摘を受けたのである。助命の努力も空しく密封のガラス管を煮沸しなければならなかった。査読のクレームは「文章中に出て来る人名が多すぎる」であった。全6頁に記した人数は40名を越えていたのである。我々の回答は「この研究の重点は『ビジネスモデルの構築』であり、更に1名を追加したい」としたのである。酵母菌などを含む高知の方舟を搭載したソユーズは、2005年10月1日にバイコヌール基地から打ち上げられ、10月11日に地球に帰還した。2回目の実験は2006年3月に行われた。2006年4月、各蔵元から一斉に土佐宇宙酒が売り出された。(註6),(註7)
有人宇宙システムの長谷川洋一さんが、桜の話を持って高知に現れたのは2008年4月である。北海道から沖縄までの巨樹・古木の桜を探していた。高知からの候補は樹齢600年とされる仁淀川町桜地区のひょうたん桜であった。高知の桜ならば、植物学の牧野富太郎にゆかりの桜が欲しいと感じていた。それが佐川町尾川地区の稚木の桜である。花が咲くまでに実生から始まって普通は4~5年は掛かるところ、この桜は1年目から花を咲かせるとのことである。宇宙桜で一番先に開花することを売りとしたのである。打ち上げは、2008年11月15日であるが、若田光一さんを迎えに行くエンデバーの打ち上げが遅れに遅れ、帰還は2009年3月となり、桜の種の宇宙滞在期間は8ヶ月半にもなった。(註8),(註9)
牧野富太郎の俳句 ”櫻花 朝日に匂い 咲きにけり”(五七五)に、付け句 (七七)を加えて短歌にする企画に応募した。一例を披露する。(註10)
櫻花 朝日に匂い 咲きにけり/土佐の宇宙酒 ただよい香る 富太郎/朝夫、
ついでに、高知と宇宙に関わる名句を一つ。
好きなもの イチゴコーヒー 花美人 ふところ手して 宇宙見物 寺田寅彦
牧野富太郎も寺田寅彦もともに、理系・文系の区別なく、凡てに好奇心一杯である。(註10)
本当に不思議な二日間の旅である。25年前の「ふわっと”92」に始まり、12年前の土佐の宇宙酒や9年前の高知の宇宙桜を創り出した二日間の旅である。高知行の機内の入口付近の座席で、搭乗して来る人々をぼんやりと眺めていた。その中に、黒岩世履さんがいた。彼は物部川こども祭実行委員会事務局長であり、物部川流域のアンパンマン・ミュージアムの丘に高知からの2種類の宇宙桜の記念植樹に立ち会ってくれたのである。(註11)
宇宙桜の種を拾った小学生たちの顔写真とサインの縮小コピーが種と一緒に宇宙に行ったが、今では大学生の年齢である。100年後、300年後にこれらの桜がここにある物語を創り出すことを約束していたが、まだ出来ていない。(香山)リカちゃんと初音ミクちゃんが協力したと言ったようなお話はどうかと、一枝が押して呉れる車椅子の上で考えていた。
註6 ;{土佐宇宙酒と『てんくろう学』~ビジネスモデルの構築~}、上東治彦、竹村彰夫、広田豊一、松井隆、日和崎三郎、受田浩之、鈴木朝夫、日本航空宇宙学会誌、Vol.55,No.646,11(2007)、p296-301.
註7;{土佐の宇宙酒}、情報プラットフォーム、No.218、11(2005);{夢}、同、No.232、1(2007)
註8;{花伝説・宙へ!}、同、No.265,10(2009)
註9;{花伝説・宙へ!(宇宙を旅した桜たち)}、長谷川洋一著、ランダムハウス講談社、12(2009)、p48 、p100、p162
註10 ;{付け句に、宙(そら)、酒、桜}、情報プラットフォーム、No.334,7(2015)
註11;{森のこども祭、いつ、どこで}、同、No.331,4(2015);{森のこども祭、どのように}、同、No.332,5(2015)
{後から来るもの突き落せ}
この句の前に来るものは、「お山の大将おれ一人」である。西城八十作詞の童謡の出だしであるが、「お山の大将」は子供の遊びでもある。アメリカ合衆国の歴史はまさにこの歌詞のようであると言っても過言ではない。この様な「遊び?」は今も続いている。
15世紀末の1492年、コロンブスがアメリカ大陸にたどり着いたのである。今のドミニカ共和国と推定されている。地球を想定できても、アメリカ大陸を知らなければ、西回りで黄金の国ジパングに、あるいはインドに到着と考えても無理はない。アメリカ先住民をインディアンと名付けたのである。
16世紀に入ると、北米、中南米の探検の時代が始まる。そして、1565年にスペインがフロリダに植民地を建設した。
17世紀は植民地建設の世紀となる。例を挙げてみる。1607年にイギリスがヴァージニアに、1610年にスペインがサンタフェに植民地を建設した。1682年
アフリカ大陸から黒人が労働力として連れてこられたのは1619年であり、開拓の初期から黒人の身分は奴隷だったのである。
移住人、アジア系)、黒人(アフリカン) 白人至上主義
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)
鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年)