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死招いた母の「しつけ」=岡山支局・五十嵐朋子

2011年07月19日 | スクラップ




 


■児相も未熟、救えず

 16歳の少女は生前、教師に「お母さんに殴られた」と訴え、学校も「虐待」と児童相談所に通告していた。顔へのあざが見つかったこともあった。しかし、度重なるSOSは生かされず、短い生涯を閉じた。なぜ彼女を救えなかったのか--。母親が逮捕、起訴された逮捕監禁致死事件を、岡山から報告する。

 


■「生きがいだった」


 起訴内容によると、岡山市北区の無職、清原陽子被告(38)は2月28日午後8時ごろから約5時間、長女で高等支援学校1年の麗さん(16)を、自宅アパートの浴室で全裸にして手足を縛ったまま立たせ、低体温症で死亡させたとされる。清原被告は「しつけで縛った」と話したという。


 亡くなる直前の身長は137センチ、体重は27キロ。事件の一報に「何とひどい母親か」と、私は憤った。しかし、取材を進めるうち、“冷酷非道な母”という印象は大きく変わった。


 捜査関係者によると、清原被告は長女を死なせたことにショックを受け、直後はまともに取り調べに応じられなかった。弁護士に、「娘は生きがいだった」と打ち明けた被告は、知的障害のある麗さんの育児日記を10年以上つけ、そろばん塾への送り迎えも続けてきた。麗さんはそろばん1級を取得、塾関係者は「しっかりした服を着せ、手作りの袋も持たせていた」と話す。


 しかし、麗さんを厳しくしつける清原被告は、養育方針をめぐって夫と対立。数年前に別居し、母一人子一人の生活が始まった。学校で同級生の食事に手をつけるなどの問題行動を知ると、一層厳しくしつけようとしたという。


 母親の願いは「障害を乗り越えられる子」であり、長女の将来をいつも心配していた。二つの母親像は簡単には重ならないが、未熟な親が育児に悩み、孤立して虐待に走ることは少なくないと、専門家も指摘する。

 



■SOS見過ごす


 児童虐待防止法は早期発見など自治体や児童相談所の役割を定めているが、今回、肝心の児相の動きは鈍かった。


 麗さんは「お母さんにグー(げんこつ)で殴られた」と教師に打ち明け、学校は2月に3回も「虐待を受けている」と岡山市こども総合相談所(児相)に連絡した。


 しかし児相は「虐待通告」と扱わず、職員の学校訪問は3回目の連絡から1週間たった22日。24日に同校の校医を兼ねる職員(児童精神科医)が学校で麗さんと面談した。同市の田中直子こども・子育て担当局長は「毎日登校しており、緊急性がないと受け止めた」と釈明したが、虐待問題に詳しい立命館大の野田正人教授(司法福祉論)は「児童虐待防止法が児相に求める役割を分かっておらず、子どもの安全に鈍感すぎる」と批判。「学校が『虐待』と通告したのに深刻でないと判断したのなら、無責任だ」と厳しく指摘した。


 事件当日、“最後のSOS”があった。清原被告が28日午後6時ごろ、児相に電話。校医が不在と聞くと、「明日にします」と切った。児相の山本忠司所長代理は「母親が『明日でいい』と言ったので今回は終わった」と説明するが、「前の担当者の対応が悪かった」と児相の関与を拒んでいた清原被告自ら掛けた電話は、逃してはならないサインだった。




 

■見えぬ危機感


 岡山市こども総合相談所は09年、同市の政令市移行に伴い、県から移管された。児相職員でさえ「できあがった組織とは違う」と経験不足を認める。職員約60人の大半は、新規採用か他部署からの異動だ。虐待対応を専門とする「こども救援係」があるが、今回、出動要請はなかった。


 その対応に、実は今回に限らず同市内の児童福祉関係者の不信が強い。「虐待通告の情報源を漏らした」「子どもの気持ちを受け止めようとしない」「施設訪問が少なく、施設と信頼関係を築けていない」……。複数が証言する。


 「大事にされていると分かれば子どもは変わる」。虐待を受けた子に向き合う児童福祉施設の施設長の言葉だ。そんな情熱を持つ児相職員が担当だったら最悪の事態を回避できたと思えてならない。同市社会福祉審議会児童処遇部会は先月、数カ月がかりで検証を始めた。児相は「是非は検証に委ねる」と説明するだけで、反省も危機感も見えない。


 麗さんの小学校の卒業文集には、京都・清水寺の「音羽の滝」を訪れた思い出がつづられていた。願い事がかなうという滝の水を飲みたかったのに、時間がなくてあきらめた麗さん。「いつか自分でいって飲んでやりたいな」と丁寧に書かれた文字を見るたび、親の愛情をいっぱいに受けて成長してほしかったという思いが募る。私は高校卒業まで親元で暮らし、親の存在の大きさが身に染みている。清原被告の愛情は、どこで方向を誤ったのだろう。裁判員裁判の法廷で清原被告が何を語り、岡山市社会福祉審議会が事件をどう総括するのか。最後まで見届けるつもりだ。

 

 



■逮捕監禁致死事件をめぐる経過
 

<99年>
 麗さんの保育園入園時、清原被告が「発達の遅れがある」と岡山県中央児童相談所(児相)に相談

<08年>
 中学校が児相に「麗さんにあざがある」と2回連絡

<09年>
 4月
 「岡山市こども総合相談所」(児相)発足。清原被告は「以前の担当者に不信感がある。関わらないでほしい」と児相を拒否
12月
 麗さんの高等支援学校入学を清原被告が児相に報告

<11年>
2月 4月
 学校が児相に「虐待を受けている」と連絡
   9日 学校から児相に2回目の連絡
  15日 学校から児相に3回目の連絡
  22日 児相職員が学校訪問
  24日 校医兼児相職員が学校で麗さんと面談
  28日 午後6時ごろ 清原被告が児相に電話
      午後8時ごろ 清原被告が麗さんを縛り浴室に立たせる

3月 1日 午前3時ごろ 病院で麗さん死亡

5月23日 県警が清原被告を逮捕

 

 



毎日新聞 2011年7月13日 大阪朝刊

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