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イラク開戦3年目に親米・右派文化人に問う

2008年06月06日 | スクラップ
JANJANニュース  2006/04/14


 イラク戦争勃発から3年経過したが、この間明確になった最も重要な事実は、言うまでもなく米英両首脳によってたびたび繰り返された旧フセイン政権の「大量破壊兵器」や「テロリストとのつながり」といった武力行使の名目が、すべてウソであったことだろう。

 この事実自体、結局両国政府とも認めざるをえない結果になったが、昨年5月と6月の2回にわたリ英『サンデー・タイムズ』紙に暴露された有名な「ダウニング・ストリート・メモ」と呼ばれる開戦前の英国首相官邸における秘密会議(2002年7月23日)記録では、「テロと大量破壊兵器に関する情報と事実は、(フセインの)追放という方針に合わせて仕組まれつつある」と明記されている。最初から口実や国連安保理などおかまいなしに、戦争を仕掛けるつもりであったことが良くわかる。(The Secret Downing Street Memo)

 さらにこの3月27日に米『ニューヨーク・タイムズ』紙が掲載したD・マニング英首相主席外交顧問のメモ(2003年1月31日)でも、開戦前の国連安保理において米国が実現しようとし失敗した武力容認決議はもとより、当時進められていたイラク国内における大量破壊兵器の査察とまったく「無関係に」、「ブッシュ大統領がブレア英首相に対しイラクに侵攻する意志を決定したと明らかにしていた」事実が示されている。(Bush Was Set on Path to War, Memo by British Adviser Says)

 両首脳のこうした戦争犯罪については別途論じられねばならないが、現在問われねばならないのは、最初からウソだったこうした口実を根拠として開戦前にこの無法な侵略戦争を正当化し、「日本も協力すべきだ」などと盛んに煽っていた右派文化人の奇妙な沈黙である。すでにおびただしいイラク国民の血が流されている現状に対し、彼らはどのように責任を取るつもりなのか。

 「当時はウソだとわからなかった」などとは言わせない。1991年から98年までUNSCOM(国連大量破壊兵器査察特別委員会)主任査察官としてイラクで活動した経験のあるスコット・リッター氏は、開戦前に来日して現在振り返ってもほぼ100%の確立でブッシュ政権の「大量破壊兵器」に関する主張がウソであることを言い当てていた。何よりもこの問題について当時査察にあたり、最も情報を有していたUNMOVIC(国連大量破壊兵器監視検証査察委員会)やIAEA(国際原子力機関)とも、米英の主張を裏付けるいかなる情報も提示していなかったはずだ。要は日頃「国益」だの「民族」だのを口にしたがる彼らは、結局盲目的にブッシュ政権の口真似をしていたに過ぎなかったのだ。

 その典型が、橋爪大三郎・東京工業大学教授だろう。『諸君!』03年5月の「アメリカの『敏』、日本の『鈍』」なる記事によると、「アメリカが大量破壊兵器で攻撃される前に、『ならず者国家』を先制攻撃することは、自衛戦争であり、正当である」と主張する。ありもしない「兵器」でどうやって「攻撃」するのか知りたいが、「アメリカがイラク戦争を正当化すれば、それが新しい国際法になる」とまで口走ると仰天してしまう。西部劇の保安官よろしく、「俺が法律だ」式の世界になっていいとこの人は本気で思っているのか。

 同じ親米派ながらここまで愚かではないものの、北岡伸一・東京大学教授(当時)は、『産経』と並んで戦争支持に徹した『読売』の03年2月12日付「論壇思潮」で、「(イラクは化学兵器を)保有しているのは確実だし、核兵器の開発も断念していない可能性が高い」という前提で、「アメリカがイラク攻撃に踏み切った場合、日本には支持または理解以外に方法はない」と説く。この程度まで言わないと後に国連次席大使に栄転できなかったのかも知れないが、「学者」なら少しは自分の言説に責任を持とうという意識はないのか。

 この『読売』は、戦争反対のデモすら報道せず従来以上に日米支配層の「広報紙」に徹したが、3月22日付夕刊に掲載された坂元一哉・大阪大学教授の「イラク戦争『支持』は妥当」という論文は同紙の論調と符合するものだったに違いない。何しろ「この戦争は同盟国アメリカの安全保障にかかわる戦争である」というのだから。

 今となっては当のアメリカ人すら信じない話だが、「反米主義の独裁者が、大量破壊兵器を保持し続けて、新たな『過激主義と技術の結合』の脅威を生み出す」という認識はいかがなものだろう。「国際政治学」者なら、80年代にイランと戦争したイラクの「独裁者」に対し、ありとあらゆる「大量破壊兵器」やその製造技術を供与したのが当のアメリカであったという事実ぐらいは知っているはずだが、それなら「脅威」などと騒ぎ立てる筋合いではあるまい。

 田中明彦・東大教授も同様。03年3月9日の同紙「インタビュー イラク危機」で、「大量破壊兵器がわずかでもテロ組織に流れたら、もはや抑止力は効かない」から、「イラクの完全な武装解除を果たせずに米国が手を引く事態になれば、国際秩序に与える影響は計り知れない」のだそうだ。

そんなに「大量破壊兵器」が心配なら、イラク国民が米軍によって浴びせられた劣化ウラン弾や、核に次ぐ破壊力がある気化爆弾、クラスター爆弾といった数々の「大量破壊兵器」はどうなるのか。実際の戦争被害者に対する意図的な無視は、親米派の特徴のようだ。

 『読売』ほどひどくはなかったのが『毎日』だが、その03年3月17日付に掲載された猪口孝・東京大学教授(当時)の「米国支持を堅持せよ」という「提言」にはあきれる。「なぜ武力行使が認められるか。人類に奉ずる規範や価値を尊重する動きを世界的なものにしなければならない」と主張しているのだ。

 あえて「イラクは国連決議を無視し、大量破壊兵器を保有する重大な違反を12年間続けている」といった基本的な事実認識の間違いは別にして、ウソの名目で、しかも考える限りの残虐な方法で無辜の人々を殺戮する行為が、なぜ「人類に奉ずる規範や価値を尊重する動き」とつながるのだろう。

 事実認識という点で触れておかなければならないのは、前述した『諸君!』と同じ号に登場する中西寛・京都大学教授の「アメリカの力と道徳的信念」という論文についてだ。「フセイン政権が……大量破壊兵器を開発、保有している疑いは濃厚である」という点については繰り返さないとしても、「イラク問題についても、半年の時間をかけて国際社会の説得に当たったことは、アメリカの意思と能力から考えれば、驚くほどの粘りを示した」とは何のことか。

 開戦1ヶ月前にパウエル米国務長官(当時)がパネルなどを持ち出して国連安保理で演じた、「大量破壊兵器の証拠展示」もそうした「説得」の一環なのだろうか。これについては本人自身が、安保理登場前に演説原稿を渡されて「これはイカサマだ」と怒鳴ったエピソードが伝えられているが、「イカサマ」を本物らしく見せかけようといくら努力しようが、他人が「驚くほどの粘り」などと褒めそやす筋合いではないだろう。

 それでも以上の人々は、「学者」らしい節度をまだ感じられるのは確かだ。だがそうしたスタイルとは一線を画すまでのアジテーターとして、今や親米派というよりは極右の代表格になっている中西輝政・京都大学教授の言説にも耳を傾けてみよう。『Voice』03年2月号には、「自衛隊は米軍とともに闘え」という論文が掲載されている。

 自分がイラクに行くわけでもないのにやたらと勇ましい題名の割には、「国連がアメリカのイラク攻撃を容認することは、イラクに対する査察決議を見れば明らかである」などと、02年11月に採択された安保理決議1441の内容もろくに知ってはなさそうだ。

 しかも『諸君!』03年3月号での西尾幹二・電気通信大学名誉教授の対談「戦機熟す秋」では、イラクで「アメリカの提供した軍事情報に基づいて化学兵器用の空弾頭が見つかっています」などというガセネタを披露しているのもいただけない。この「学者」によれば「日本人はみな、国益というものにかつてよりも無関心になっている」(『Voice』の同論文)そうだが、他国の言うことばかり聞いてそこからの「情報」も疑うことをしないのは、決して「国益」にはならないはずだ。

 同じ類のアジテーターとしては、中西教授よりもはるかに年季を積んでいるのが渡部昇一・上智大学名誉教授だが、さらに首を傾げてしまう。『Voice』03年5月号の「アメリカ幕府が始まった」でも、例のごとく「(イラクに)本来あってはならない大量破壊兵器が出てきたわけで、これだけで十分な攻撃理由になる」などと、見当はずれの言説を堂々と披露する。もし「出てきた」ならば、今頃ブッシュ政権の支持率はもう少しアップしていただろうが、おかしいのは事実認識だけではない。

 「国連安保理の採択を得ないまま今回の攻撃に踏み切った」その「事情」というのが、ふるっている。「イラク周辺にはすでに、10万人以上の米軍を中心とした部隊が配備されていた」ので、「これだけの大軍を何もしないまま、何カ月も駐留させておくことはできない」からなのだそうだ。「配備」は米英が勝手にやったことなのに、なぜそれが国連を無視して攻撃できる「事情」になるのだろう。

 「学者」ではないが、中西・渡部両氏以上にいくら親米派でも簡単には納得できないような珍論・暴論を当時吐いていた人々にも触れる必要がある。まず、キッシンジャーとの「仲」が売り物らしい日高義樹元NHKワシントン支局長。『Voice』03年5月号の「『反米平和』が日本を滅ぼす」によれば、「そもそも対イラク戦争でアメリカのブッシュ政権が求めたのは、たんなる石油ではなく、アメリカが好きなことをやってのけるための正当性なのである」と、あたかもそれが当然であるかのように解説する。

 「好きなことをやってのけ」たいのなら国連も国際法もいらないし、事実米国はそのようにふるまったが、ネオコンあたりならともかく、なぜ日本人がこんな発言をしたがるのか。ブッシュの「目標」が「中東のテロリストの親玉を押さえ込んでアメリカの力を示すこと」だの「中東の石油地帯をアメリカのものとする」(同誌2月号)などと得意気に注釈に及んでいるのを見ると、かの国では内心歓迎されていない黄色人種なのに、同じ事を口にすることで無意識的に米国人になりたがろうとする典型的な親米派の悲しい姿が浮かんでくる。

 「元」は付かず現職のマスコミ人だが、『産経』の古森義久記者からもそんな姿がにじみ出る。開戦が「(イラクが)大量破壊兵器の材料やミサイルを隠し」たからだとか、「アメリカがついに国際連合という手段をあきらめ」たなどと書いたり、ブッシュの「イラクの脅威に関する問題に国連とともに対処しようと努めてきた。平和理に解決したいと願ったからだ」などというウソを延々と紹介したのが『Voice』03年5月号の「さらば、国際連合」だが、今どうのように弁明するつもりなのだろう。

 同誌3月号での石原慎太郎との対談「イラク攻撃は日本の好機だ」でも、ブッシュは「嘘をつかない」という「基本的な考え方と信念の強さ」があるなど、当の米国人が聞いたら笑うような発言を大真面目にしているが、そこでの肩書きが「国際ジャーナリスト」となっているのは何かの間違いではないのか。権力と距離を取るのがそのように名乗のれる前提条件だが、間違いだらけの事実認識も逆に米国の権力者を疑わない姿勢から生まれているのに違いない。

 再度繰り返す。イラク開戦から3年経った今日、上記の人々に問われているのは自分の言説に対する責任意識の有無である。それが寡聞にして沈黙と頬被りしか見あたらない現状では、日本で大量殺戮の旗振り役を演じた人々の「学問」や「知識」ではなく、人間性自体を疑わざるを得ないではないだろうか。



(成澤宗男)
出典はこちら


イラク開戦3年目に親米・右派文化人に問う(2) 2006/04/29 2006/04/29


 前回、3年前のイラク開戦と前後した日本の親米・右派文化人の論議について検討を試みたが、取り上げるべき論者が抜けていたり、あるいは当然批判されてしかるべき言説を欠いていたことを認めなければならない。そこで、引き続き彼らの批判を継続したい。

 特に今回、筆頭に論じられるべきは岡崎久彦・元駐タイ大使だろう。この人物は今や自分の名を冠した「研究所」を持ち、『読売』を筆頭とする保守論壇主流派において外交分野に関する論者の中では大御所的な存在と見なされている。

 そのため少し細かな検討を加えたいが、イラク戦争に関するそのブッシュ擁護論は、結果として他国に思考を預けてしまった親米派の欠陥が浮き出る好例になっている。

 その例が、『諸君!』03年4月号の田久保忠衛・杏林大学教授との「棍棒と警棒を取り違える勿れ!」と題した対談だ。そこでは、この種の論者の傾向である不確かな現状認識が浮き出ている。冒頭、前回取り上げた1441のことだろうが、「安保理決議」は(核施設や関連文書の公開等の)「武装解除」を求めているのだから、「査察で証拠が見つかる見つからないの話ではありません」と発言している。

 当時の状況に即すると、国連は1441によってそうした「武装解除」が遂行されたか否かを確定するためにこそUNMOVICとIAEAに査察を行わせたのであって、「見つかる見つからないの話」こそが根本問題だった。だからこそ安保理の場でフランスのドミニック・ガルゾー・ド・ヴィルパン外務大臣(当時)が「査察は安保理決議1441の基盤そのものである」と協調し、査察の継続を訴えたのではなかったか。

 最初から「米国の鵜呑み」に徹しているため、こんな基本的な事実認識すらできてないのだろうが、この点では田久保教授も同様だ。これを受けての発言がふるっている。「1441は、虚偽の報告や深刻漏れがあれば『重大な違反』に当たると規定し、その場合は『深刻な事態に直面する』と警告していたんですから、パウエル国務長官の報告からも明らかなように決議違反は明白です」

 この時点で開戦には至っていないが、あたかもすでに国連が武力侵攻にお墨付きを与んばかりのようだ。「決議違反」を確定するのはあくまでUNMOVICとIAEAであり、もし「重大な違反」があったら「直ちに安保理に報告する」ことが1441に明記されているが、この査察を継続した二つの機関から開戦までそうした「報告」はなかったはずだ。だからこそ、米英は武力行使を正当化する「新決議」採択に失敗したのではなかったのか。

 第一、当の本人が「イカサマ」だと認めた「パウエル国務長官の報告」なるものは、最初から安保理が決定を下す正規のプロセスには組み込まれていない。ちなみに田久保教授は、『正論』2003年4月号の「緊急座談会 アメリカのイラク攻撃、北朝鮮の核恫喝……」で、「今の日本には……『大和魂』がすっかり薄れてしまっている」と発言している。米国の言い分を鵜呑みにしかできない自立した思考の欠落者が、一方で「大和魂」などとやたらにナショナリストぶるのは昨今の親米派の特徴らしい。

 さらにこの後発言した岡崎元大使は、「その違反を突かずに、単純な反戦運動をあんなにやってみせたら、サダム・フセインが選択を間違えますよ」と口をすべらせている。「違反」か否かを決定するのは「査察」の結果によってのみなのに、「査察で証拠が見つかる見つからないの話ではありません」というのでは矛盾の極みだ。細かいようだが、こうした発言は端的に両者の問題の無理解を雄弁に証明している。

 元大使の発言は、ここでは何やらすでに国連の場でも武力行使を正当化する名目が立っているかのようなニアンスが濃厚だ。ところが、結局、米軍が安保理を無視して開戦した後の『産経』3月25日付の「イラク戦争 小泉総理の米国支持は近年にない快挙だ」になると、国連の二文字が消えている。

 代わって登場するのは、「日本が唯一指針とすべき事は、評論家的な善悪是非の論ではなく、日本の国家と国民の安全と繁栄である」というような言わば居直りの理屈だ。どう前述の対談を読んでも「評論家的」に米国の「善」と「是」を強調しているように思えてならないのだが、ならば最初からイラクの「違反」を云々したのは何のためだったのか。

 『産経』で言っていることは単純明快で、要するに「国連安保理」や「サダム・フセイン」といった「話ではありません」。なぜなら「日本が国民の安全と繁栄を守るためには、七つの海を支配しているアングロ・アメリカン世界と協調する他ない」のであって、「日本が直面する政治、軍事、経済の危機の全てにおいて日米同盟信頼関係が不可欠なのである」という事に尽きる。

 何のことはない。米国のやらかすことの「善悪是非」はお構いなしに、イラク戦争のようにそれに無条件に追随しろ――ということのようだ。

 この人物は事あるごとに「日米同盟」を持ち出す癖があるが、そもそもこの両国が「同盟」と呼ぶに値する関係かどうかぐらいの問題意識は持った方がいい。その点で関岡英之氏の労作『拒否できない日本』(文春新書)は参考になるだろうが、そこで描かれているように日本が国家の存立に関わる行政の中心的な課題をほぼ米国の言うがままに支配されている現状は、「同盟」どころかそれ以前に植民地と宗主国の関係に近い。そのため、持論である「同盟強化」とはいったい何のことかと空恐ろしくなる。

 そもそもイラク戦争のみならず、世界人権宣言や国連憲章、国際法、そして国連を始めとした国際諸機関が存在するのは、それらを「善悪是非」の基準とする法の支配を地球上に確立するためにある。そこにおいてのみ自国の「国民の安全と繁栄」ははじめて追求されるべきであって、逆が許されるならナチスの論理そのものではないか。

 このような人物が、巨大新聞を寄り所にして言説を振りまいている時代のいびつさ、恐ろしさを感じざるを得ないが、同じ外務省出身で、肩書きでは「外交評論家」となっている岡本行夫氏は、内閣官房参与や沖縄担当首相補佐官、首相の私的懇談会「対外関与タスクフォース」座長を歴任している。それだけ要注意だが、『朝日』の藤原帰一・東京大学教授、山内昌之・東京大学教授との座談会を読むと、やはり親米派の欠陥がよく理解できる。

 「米国は戦争が終わった後に大量破壊兵器を見つけることに強い自信を持っている」だの、「私はイラクが大量破壊兵器を持っていることはほぼ間違いないと思います」といった認識のお粗末さはここでも見受けられるが、3年後の今になっていったいどう弁解するつもりなのだろう。

 そして「(武力行使を支持した)小泉首相の毅然とした姿勢に感銘を受けました。大量破壊兵器の排除のために日本のとるべき道を『米国支持』という形で反対論を恐れずに示し、軸足を動かさなかったからです」という開口一番の発言は、さすが「首相補佐官」経験者らしいが、「外交評論家」としてはあまりに無惨過ぎはしないか。米国は「大量破壊兵器の排除」など最初から考えておらず、査察が継続されればウソがばれるため、その途中で無理矢理「実効性がない」などと難癖をつけて武力行使に踏み切った――という程度の「外交」的読みは、歴史の後知恵ではなく当時でも可能だったはずだ。

 岡崎元大使や岡本氏のように、「善悪是非」より権力を握った者や強い者に媚び、なびくのを優先する人間はいつの世にもいるが、ならば最初から賢者風に「善悪是非」を口にしないことだ。

 「公的」な色彩をまとった論者を紹介したついでに、もう一人取り上げよう。山崎正和・東亜大学学長は福田元官房長官の私的諮問機関「追悼・平和のための記念碑等の在り方を考える懇談会」の座長代理や、実質的には改憲の先払いに等しい「海外派兵拡大」を提言した首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」のメンバーをつとめた。
 しかし、『読売』03年3月7日付の「米の軍事行動に正当性」なる「インタビュー」を読むと、かくも重要なテーマを扱う「メンバー」にしてはあまりに程度が低すぎるという印象が否めない。

 たとえば1441について「大事なポイント」が「大量破壊兵器の廃絶を自分で立証せよと、イラクに『挙証責任』を課したことだ」とし、「これが不履行なのは明白だ」という。

 確かに1441はイラクに対し「正確かつ全面的で、完全な申告を提出する」ことを明記しているが、これが「大事なポイント」だとは、岡崎元大使同様おそらく全文を読んでいないのだろう。繰り返すように1441の「基盤」は外部による査察にあり、だからこそ1441はUNMOVICとIAEAの活動について全文の3分の2以上を費やし極めて仔細に定めていたはずだ。

 こんな初歩的な知識すらないから「本来はイラク側が国連の査察官を(大量破壊兵器の)廃棄場に連れて行くべきで、査察官が車で走り回る話ではない」などと奇怪極まることを口走ることになる。評価は別にして国連の査察では「車で走り回る」のみならず、偵察機を飛ばしたり関係者の聞き取り調査までやる。それを明記したのが1441なのに、なぜ「車で走り回る話ではない」などと言えるのだろう。しかも、UNMOVICとIAEAが、いつ「不履行なのは明白だ」と安保理で断定したのか。

 さらに山崎学長は1441について、「(違反した際)『重大な結果を招く』という項目を含み、武装解除を目的とする米軍の軍事行動には正当性がある」と言う。実際、開戦になってもこんな滅茶苦茶な理屈は岡本氏ですら口にしてはいないが、繰り返すように1441はイラクの「軍備解除義務の順守」に「不履行」があった場合、UNMOVICとIAEAが安保理に「報告」するよう求めているだけで、「不履行」即「軍事行動」では決してないのだ。

 しかもこの両機関の「報告」がないのに、査察中であるにも関わらず勝手に戦争を起こしたのが米英であって、これがどうして「正当性がある」のか。

 考えてみれば、「諮問機関」や「懇談会」の類によく登場する人々は「学識」だの「見識」だのとは無関係に、要はいかに時の権力にとって好都合な話をするかだけが問われるという話は随分前からあった。山崎学長などはその好例なのだろうが、米国の「正当性」を論ずるのであれば、これではあまりに役不足ではないのか。

 イラク開戦後に明白になったことは、この日本で「主流」あるいは「体制側」とされる立場にあり、影響力があるメディアに登場機会がよく与えられている論者、あるいは文化人と呼ばれる人々の、米国追従の果てに陥った無惨なまでの破綻ぶりに他ならない。

 従来から「保守派」に属する論者で、あくまで事実に迫ろうとした例は2、3を除いて希であり、大多数は正確な認識を欠きながら戦争という大量殺戮の旗振り役を演じて恥じなかった。のみならず、それが何事もなかったかのように今日まで平静を装っている光景は、改めて親米・右派と呼ばれる人々の本質を物語っているのではないだろうか。

(成澤宗男)
出典はこちら
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