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君が代 不起立で処分される教師=湯谷茂樹

2008年03月26日 | スクラップ

 卒業式で「君が代」が斉唱される約1分間の不起立を理由に今春、一人の東京都立校教師が学校から追われようとしている。卒業・入学式で国旗掲揚・国歌斉唱を実施するようにとの指導が強まり、反対してきた教師が次々に起立・斉唱に転ずるなか、この教師は、自らの良心に従って不起立を貫いてきた。その姿は、周囲をうかがい迎合するのではなく、勇気を持って行動することの大切さを教えているようにも見える。この静かな不服従に東京都教育委員会が免職や停職処分で臨むことは、はたして適切な教育行政なのだろうか。

 教師の名は根津公子さん(57)。都内の公立中で家庭科を教え、平和教育にも取り組んできた。昨春から都立南大沢学園養護学校で勤務している。

 根津さんは不起立の理由を「『自分の頭で考えて、おかしいと思ったら、やらない。正しいと思うことだったら、一人でも行動すべきだ』と生徒たちに語ってきた自分の教育に反してしまうから」と説明する。

 根津さんの不起立に対する都教委の処分は、05年3月の卒業式で減給10分の1.6カ月▽同年4月の入学式で停職1カ月▽06年3月の卒業式で停職3カ月▽07年3月の卒業式で停職6カ月--と加重されてきた。停職6カ月より重い処分は免職しかないため、24日の卒業式でも起立しなかった根津さんへの免職処分が懸念されているのだ。

 卒業・入学式での日の丸掲揚や君が代斉唱は、99年の「国旗・国歌法」成立以降、文部科学省の強い指導もあって、全国的に実施されるようになった。それでも反対はあり、文科省によると06年度に不起立やピアノ伴奏の拒否など国旗・国歌を巡り処分された教職員は全国で98人にのぼる。しかし、教育現場からの排除を意味する停職処分を出しているのは東京都だけだ。国旗・国歌法成立時の官房長官だった野中広務・元自民党幹事長も「東京の処分は間違い。私は答弁で、人の内心まで入ってはいけないと言った」と批判する。

 不起立は、根津さん個人の思いに基づく行動だ。

 日本教職員組合(日教組)は94年まで「君が代は、歴史的役割、歌詞が国民主権の憲法に違反しているので反対。日の丸は、国の標識としてあることは事実だが、学習指導要領によって学校に強制することには反対」との運動方針を掲げてきた。しかし、村山政権発足を機に、95年に文部省(当時)との関係を協調路線に転換、反対方針をおろしている。根津さんの加盟する日教組傘下の東京教組は、反対方針は変えていないものの、反対行動の提起はしておらず、処分に伴う経済的損失までは「支援できない」という姿勢だ。

 こうした中、都教委は03年10月23日付で「教職員は、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことや対面式の会場を認めないなど、卒業・入学式の国旗掲揚や国歌斉唱方法などを細かく定め、その実施を命じる校長の職務命令に従わない場合、服務上の責任に問われることを明記した「10・23通達」を出した。対象は都立校だが、都内の市・区教委などへの影響は少なくない。それまで反対していた教員も起立・斉唱することが多くなった。不起立を貫く教員は目立ち、さらに締め付けは強まった。不服従のシンボル的存在になった根津さんは今年2月、日の丸・君が代強制に反対する意味の文言が書かれたトレーナー着用を巡り、脱ぐようにとの職務命令に違反したとして都教委から事情聴取された。命令を出した養護学校長に、他の教師が着ていたら同様の命令を出すのかと聞くと、返事は「答えられない」だった。

 君が代不起立は、授業をしないとか、生徒を傷つける言動を繰り返すといった事案とは異なる。処分を巡る司法判断は分かれるが、「10・23通達」を違憲とした06年9月の東京地裁判決が「皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と君が代について指摘したように重い歴史のある問題だ。

 大阪府内のある学校の卒業式で、「強制反対」と声を上げた教師が威力業務妨害で告発される「事件」を取材したことがある。立件されることはなかったものの、異様な力を感じた。

 私たちは、多くの命が奪われたアジア・太平洋戦争から、「お国」も間違うことを学んだ。国旗・国歌はそれぞれ歴史を持つ「お国」の象徴だ。国民それぞれに思いがあるのは自然だ。

 「良心に基づく不服従」への処分は、東京都だけの問題ではない。日本社会のありようが問われている。(大阪編集局)




毎日新聞 2008年3月26日 0時05分

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21 コメント

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まだこんなこと書いてんの (ひがしだ)
2008-03-31 08:39:26
今朝のサンケイ新聞で曽野綾子さんがこの記者のこと名指しで書いてるよ。
またこんなブログも、、、。毎日新聞はいつまでこんな記者に書かせてるのかなあ。

○記者の目:君が代 不起立で処分される教師=湯谷茂樹
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080326k0000m070139000c.html

一瞬、処分されそうな教師が湯谷さんというひとなのかと勘違いしてしまいました(笑)。

根津公子さんなら、この話題では有名人ですよね。それほど深く調べたことはないけど、この根津さんというおばちゃんに関する記事を読んだ印象では、生徒に自分の考えを強制したりはしていないようだったので、信念に基づいてやってること自体はしょうがないかなあと思ってます。

ただ、なぜに卒業式で国家斉唱に反対しているのかは理解できません。スポーツの国際試合などの場合はいいのでしょうか?──といっても、根津さんは「自分は起立しないし歌わない」という信念を貫いているだけのようだから、スポーツでの君が代は別問題なのかもしれませんね。

ただ、毎日新聞記者の湯谷茂樹氏の文章は気持ち悪い。自分の思い入れと、客観的な認識を分離できていない。新聞記者としては失格の記事だと、ピンちゃんは思います。

だって、根津教諭の行動は明らかに教師失格です。戦前・戦中の旧大日本帝国がどうであっても、公式の席での国旗掲揚や国家斉唱はお約束事です。世界中の国が習慣としてやっていることで、何も日本だけが特別なのではありません。

しかも、戦後60年以上戦争や紛争とは無関係に過ごしてきた日本は、世界的に見ても優等生です。他の先進国の国歌のほうがよほど血塗られているといってもいいくらいです。それでも、根津教諭みたいなひとの例を外国で聞いたことはありません。この点で、日本の左翼(サヨク)は常識外れだといっていいと思います。

卒業式で国歌を斉唱することは、国というものを無意識のうちにも再認識させる効果はあると思うけれど、戦前の日本に回帰させたいというような企てがあるはずがない(笑)。根津教諭みたいなひとの勘違いは、もはや笑うしかないレベルではあるけれど、それを毎日新聞のような全国紙の記者が、思い入れたっぷりに気持ちの悪い文章を書くとはなんたることか。

更にその文章が、いくつかあるであろうチェックをすり抜けて記事になるなんて。毎日新聞の記事は振幅が大きすぎて、面白いと思う事もあるけれど、新聞の顔が見えないという恨みもある。湯谷さんって、何歳くらいの記者なのかなあ。

根津教諭は、同じような考えを持っているひとが経営している私立の教育機関を探すしかないのではないかなあ。根津教諭が無事定年退職を迎えたとして、その記念パーティかなんかで、個人の信念として「根津教諭の不起立」を批判するスピーチをするひとがいれば、それはやはり失礼ということになるでしょう。

そういう場合でも、その信念の持ち主を「自らの良心に従って批判的スピーチを云々」なんて文章を書くひとがいるかしらん。湯谷茂樹氏は、その程度のことも想像できないトンチンカン野郎だと、ピンちゃんはここに認定いたします(笑)。
ひがしださんへ (ルナ)
2008-04-01 23:33:15
こんばんは。コメントを入れてくださってありがとうございます。

> 毎日新聞記者の湯谷茂樹氏の文章は気持ち悪い。自分の思い入れと、客観的な認識を分離できていない。新聞記者としては失格の記事だと、ピンちゃんは思います。

この記事はコラムです。「記者の目」というコラム名からうかがえるように、ある記者個人の視点を前面に打ち出した文章なので、自分の思い入れが書かれていても不思議はないと思います。

> この根津さんというおばちゃんに関する記事を読んだ印象では、生徒に自分の考えを強制したりはしていないようだったので、信念に基づいてやってること自体はしょうがないかなあと思ってます。

わたしもそう思います。この根津先生が自分の信条を生徒に強要しているのであれば、それは行き過ぎた行為です。根津さんがもしほんとうにそんなことをしているのであれば、わたしは抗議します。でも根津さんに関する限り、ご自分の心情を個人的に表明しているようですので、この場合はわたしは根津さんの個人的良心の表明を罰によって強制して変えさせようとする東京と教育委員会のほうに行きすぎがあると認定します。したがってわたしは東京と教育委員会のやり方に断固反対します。

> だって、根津教諭の行動は明らかに教師失格です。…(中略)… 根津教諭みたいなひとの勘違いは、もはや笑うしかないレベルではあるけれど

このようにお考えになるのは、個人的な意見の表明である限り、ひがしださんの自由です。ひがしださんはそのお考えを強制的に変えさせられてはならないのです。もしどこかの行政機関などひがしださんにご自分の態度を変えさせようとして、強制的に圧力を加えたとしたら、わたしは断固としてひがしださんのために抗議の声をあげるでしょう。個人は個人としての思想と信条を国家に強制されずに持ち、また表明する権利が日本国憲法によって保証されていますし、また保証されるべき権利だと思います。ほかの人たちに理解されようとされまいと、人は個人として自分の信条を持つことができますし、ある場合はその信条によって自分の生死さえ決定する自由すら保障されているのです。

たとえば、エホバの証人というカルト宗教は、輸血という医療を拒否するという異常な教義を持っており、それに従って実際に輸血を拒否して命を落とす信者も多いのです。一般人から見れば明らかに異常なのですが、裁判によると個人の宗教的新年によって個人の生き方を決定する自由は保証されるべきだ、ということになっています。

どんなに理解しがたい信条でも、それを持ち、表明し、その信条に従って自分の人生を導いていく権利は認められるべきものです。

したがって、根津さんの個人的な信条、思想の表明は尊重されるべきです。それはひがしださんの個人的な意見や感想が尊重されなければならないのと同じです。

東京都教育委員会のやり方はあきらかにその一線を超えています。天皇陛下でさえ、2005年の秋の園遊会で、当時東京都教委委員だった米長さんに、国家斉唱を強制しないようにと明言されました。また99年に国旗国歌法が制定されたときも、野中さんはその法によって個人の内面にまで立ち入ることはない、と断言されました。それなのに東京都教委は拡大解釈して、明らかに個人の内面にまで立ち入って根津さんの意志に反する行動を強要しているのです。たとえ、根津さんの個人的な信条がひがしださんにとっては滑稽なものであったとしても、ひがしださんは根津さんを擁護するべきです。それはご自分の思想・信条の自由を擁護することでもあるからです。
ひがしださんへ2 (ルナ)
2008-04-01 23:36:19
いくらか変換の間違いがあって、読みづらいですね。お詫びします。
公僕へ (日本人で国際人)
2008-11-28 12:50:09
どんな信念信条を持つのは自由で勝手だが、卒業式や入学式等のオオヤケの場で根津の様な失態はダメだろう。学生にとっては一生に一度しかない式を、イザコザ無く、いい思い出にしたかっただろう。しかも日本の国旗国歌を好きな学生や職員もいただろうが、その者が根津の様な態度を見ただけで非常に腹立たしかったに違いない。
自分独自の考え信念信条を抱くのは良いことで、無くてはならない権利だが、学生のいない場所で自由にいくらでも自己主張すればいい。私が学生なら、式をぶち壊されて悔しいだろう。
普通の会社員が会社の公式の場で会社に従わなかったら、会社員やっていられるか?しかも給料貰ってる会社にも迷惑が掛かる。よく考えたほうがいい。
「日本人で国際人」さんへ (ルナ)
2008-12-12 06:10:29
式典のような公の場では個人が尊重されない、というような社会のあり方が「全体主義」です。

あなたは規律正しく右あるいは左にならえという生き方をよしとされるのでしょう。それはあなたの自由です。

でもあなたの機嫌をよくするために他の人たちが自分の意見や態度を表明できないようになる、というのは筋が通りません。

あなたが、「なくてはならない権利」と呼ぶものは、つまりは他人の意向に左右されず、自分の主義主張を公然と表明できる権利のことであり、式典では自分の主義主張を表明してはならないのであれば「なくてはならない権利」が否定されていることになるのです。

あなたは式典を軍隊の秩序と同列に解釈しておられます。それはまちがっています。式典は神聖不可侵なものではありません。個人の権利の方が式典より上位にあるのです。

それに学生時代の想い出は式典にあるのではなく、日常の学生時代にあります。東京都の公立学校の生徒は、卒業式を壊したのはマスコミ報道であり、東京都の強圧的な方針であって、教諭の不起立ではなかった、とコメントしています。このコメントは公共の出版物に収録されています。お望みならば引用して差し上げます。

「式典は神聖不可侵で個人を主張する場面ではない」という、あなた個人の偏った考え方を私たちに押し付けるために、生徒たちをあなたのペットであるように利用するやり方の方を「よく考え直した方がいい」です。生徒たちはみながみなあなたと同様の考え方をするのではありません。あなたが考える以上に生徒たちはずっと大人です。おそらくあなた以上に、ね。

あなたは、ご自分の主張を貫きたいのであれば、「生徒たちは自分と同様に感じているに違いない」と思い込んで、彼らにかこつけるのではなく、堂々と自分の責任で主張されてはいかがですか。すなわち、「俺は式典で個々人が自分の主義主張を言い張るのが気に入らない」と。それとも自分ひとりでは何も言えないんでしょうか。根津先生は偏狭な人びとに揶揄され続けても、自分ひとりで「なくてはならない権利」を堂々と主張され続けています。

あなたはひょっとして、そんな根津先生の勇気の前に自分の卑小さを思い知らされて恥じているのではないでしょうか。自分は声の大きい人には逆らえない人間であるし、これまで長いものに巻かれて生きてきて、じつはそんな自分に自己嫌悪を抱いている、でもそれを自覚して認めるのは、自分の人生を否定することになると考え、勇気ある人たちのほうを攻撃することで自分の正当性を確立させようとしているんじゃないでしょうか。

もちろん、これこそわたしの一方的な解釈の押しつけですが、あなたご自身はそうではなくとも、こういう人って案外多いものです。

式典は全体主義的に神聖不可侵なものではありません。式典は個人の思想信条の自由より低い地位にあります。したがって式典は個人の主義信条を強制的に抑えこむことはできません。それを理解できず、理解しようとしない無教養な人びとたちの偏狭な攻撃にもめげず、自分の主張を貫く先生方こそ、民主主義を教育する教師の資格を見事に証明し続ける、勇気ある方々です。
ルナさんへ (学生よりお子様な国際人より)
2008-12-15 22:09:07
無教養で悪いねW
それにしても、スゴイ想像力だな。
次から次へといろんな考えと言うか、妄想が浮かんでくるな。WW
今気付いたけど、あなたは日教組の組員だと良く分かった。こういう人は、しっかりマインドコントロールされていて、どんなに当然の事を論じても無理矢理こじつけて、我が主義に持って行く。つまり、何を言っても無駄だろう。

俺は、国旗国歌なんて在っても無くてもどうでもいい。国旗国歌の正当性なんか論じるつもりもない。それは、日教組と天皇崇拝派が終り無き論戦をすればよい。
俺が言いたいのは、自分の主義を主張するために、大勢の人数とは限らなくても、たった一人にでも迷惑をかけなければいけないのか、ということだ。主義主張の勇気は、式典よりも上であるというのを認めるならば、式典をおごそかに気持ち良く済々と進めたいというのは、無言の主張である。自分の主張さえ言えれば良いとせず、それら他の主張も認めなければならない。それができなければ、反社会的組織アルカイダみたいな人間である。W

因みに、子供の頃に親から良く教えられた「何をしてもいいけど、他人に迷惑だけはかけるな」と。WW
Unknown (トム)
2008-12-19 18:16:32
>式典のような公の場では個人が尊重されない、というような社会のあり方が「全体主義」です。

上記の言葉はまったく違いますよ。


式典 君が代の前での不起立を罰しても
個人が尊重されていないことにはなりませんよ。

まず根津さんは自分の意思で公務員と言う職業を選択した。

公務員の行動は 選挙で付託された法律、および
行政によって規制される。

当たり前のことです。

田母神論文の問題点がここにあるのと同じです。

彼女が公務員で無いのないのなら
国家権力によって 君が代のまえに起立を命令する
ことは(不道徳で非常識ではあるが)
罰することはできません。

しかし彼女は税金で)我々の血税で生きているのです。

行動は法律に則ったものであることが当然です。
Unknown (ルナ)
2008-12-22 00:35:37
■国際人さんへ

> 俺が言いたいのは、自分の主義を主張するために、大勢の人数とは限らなくても、たった一人にでも迷惑をかけなければいけないのか、ということだ。

まずあなたの最大の勘違いは、ある教師個人の不起立を騒ぎにしたのは各地の教育委員会であって、不起立を表明した教師ではないという点を理解しようとしないことです。教育委員会が処罰によって、思想・良心の自由を制限しなければ騒ぎになうことはなかったのです。教育委員会が寛容であったなら、教師個々人が不起立を表明しても、式典は「おごそかに」行われたでしょう。

次に、ある人は不起立に迷惑を感じ、別の人は起立を強要されることに迷惑を感じるとしたら、この両者の感情をどう両立させることができるでしょうか。ある人の方針に別の人を従わせるとしたら、どちらかが良心の自由を侵害されます。そこで、民主主義の手法では「話し合い」が行われるよう取り決めます。

両者が自分の主張をまず提示して、相手の主張も聞きます。次に両者が納得のいくような第三の方法を探り出します。第三の方法を見つけるために、念入りに話し合います。このときに重要なのは、相手の感じ方を否定したりせず、自分の感じ方を一方的に押しつけないことです。このことがあなたにはできないんですよね。

第三の方法として考えられるのは、起立するかしないかは各個人の裁量に委ねることで、両者が合意するということです。合意するというのは、自分の主張も尊重してもらうと同時に、相手の主張も立ててあげる、ということです。民主主義的手法では、色々な考え方の人が各自尊重されるように取り計らうものですが、それはそれぞれができる範囲の譲歩をすることで達成されます。教育委員会がこういう民主主義的な手法を取っていたなら、大きな騒ぎになることはなかったのです。騒ぎにならなければ、あなたも「おごそかに」式典を行うことができて、満足できるでしょ?


■トムさんへ

> 式典 君が代の前での不起立を罰しても
個人が尊重されていないことにはなりませんよ。
まず根津さんは自分の意思で公務員と言う職業を選択した。
公務員の行動は 選挙で付託された法律、および
行政によって規制される。

公務員の個人的な思想信条は表明できないということですか? だいじょうぶですか? 憲法はあらゆる法律の上位にあるものです。憲法に反するような行政処置は規制されるのです。

公立学校の教師は個人的な信条や宗教を生徒たちに強要してはなりませんが、教師個人は自分の主義・信条を尊重されます。それを公にも表明していいのです。

ルナ先生様 (偏狭な国際人)
2008-12-23 20:02:46
憲法で護られてるのにとか、強制は気に入らないとか、長いものに巻かれた人生にしたくないとか、教育委員会とマスコミが悪くて教諭は悪くないとか、全部子供か反抗期の若僧みたいに屁理屈や駄々をこねてる様にしか聞こえない。頭の中は、まっ赤っ赤だな。いや、まっ共っ共かな?

世間は仕事もない住居もない、明日をも知れない生活を送ってる者がうようよ居るし、いま仕事がある者は今の仕事に文句も言わず、なんとかしがみつきたい。まさに生きるだけで精一杯だ。
それに引き替え、やれ強制するなとか、やれ長いものに巻かれず一人で頑張ったから英雄だとかを、先ほどの者と比べたら「甘えてんじゃねぇよ、職があるだけましじゃねぇか」である。

いくら民主主義に反しても、強制や処分が違憲でも、個人の信条に反する命令でも、公務員が命令違反したら教育委員会やマスコミが騒ぐに決まっているではないか。いい加減気付いたらどうか。いや、本当は最初から予想していて、わざと反抗しているのかも知れないな。

話し合い?
教諭と生徒が話し合って決めても、頭の硬い教育委員会が認める訳ないだろう。現実味がない。理想論ならいくらでも言える。

冷静に考えて、信条を主張したいのなら、式典で主張すると単に反抗期の若僧が職員席に居る様にしかとれないから、教育委員会に何回も出向いて信条を伝えないと意味がない。もうしてるかも知れないけど、無駄だろう。
ルナ先生様 (偏狭な国際人)
2008-12-23 20:06:00
同様なコメントが重複してしまった。お詫び申し上げる。

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