Luna's “Tomorrow is another day”

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君が代 不起立で処分される教師=湯谷茂樹

2008年03月26日 | スクラップ

 卒業式で「君が代」が斉唱される約1分間の不起立を理由に今春、一人の東京都立校教師が学校から追われようとしている。卒業・入学式で国旗掲揚・国歌斉唱を実施するようにとの指導が強まり、反対してきた教師が次々に起立・斉唱に転ずるなか、この教師は、自らの良心に従って不起立を貫いてきた。その姿は、周囲をうかがい迎合するのではなく、勇気を持って行動することの大切さを教えているようにも見える。この静かな不服従に東京都教育委員会が免職や停職処分で臨むことは、はたして適切な教育行政なのだろうか。

 教師の名は根津公子さん(57)。都内の公立中で家庭科を教え、平和教育にも取り組んできた。昨春から都立南大沢学園養護学校で勤務している。

 根津さんは不起立の理由を「『自分の頭で考えて、おかしいと思ったら、やらない。正しいと思うことだったら、一人でも行動すべきだ』と生徒たちに語ってきた自分の教育に反してしまうから」と説明する。

 根津さんの不起立に対する都教委の処分は、05年3月の卒業式で減給10分の1.6カ月▽同年4月の入学式で停職1カ月▽06年3月の卒業式で停職3カ月▽07年3月の卒業式で停職6カ月--と加重されてきた。停職6カ月より重い処分は免職しかないため、24日の卒業式でも起立しなかった根津さんへの免職処分が懸念されているのだ。

 卒業・入学式での日の丸掲揚や君が代斉唱は、99年の「国旗・国歌法」成立以降、文部科学省の強い指導もあって、全国的に実施されるようになった。それでも反対はあり、文科省によると06年度に不起立やピアノ伴奏の拒否など国旗・国歌を巡り処分された教職員は全国で98人にのぼる。しかし、教育現場からの排除を意味する停職処分を出しているのは東京都だけだ。国旗・国歌法成立時の官房長官だった野中広務・元自民党幹事長も「東京の処分は間違い。私は答弁で、人の内心まで入ってはいけないと言った」と批判する。

 不起立は、根津さん個人の思いに基づく行動だ。

 日本教職員組合(日教組)は94年まで「君が代は、歴史的役割、歌詞が国民主権の憲法に違反しているので反対。日の丸は、国の標識としてあることは事実だが、学習指導要領によって学校に強制することには反対」との運動方針を掲げてきた。しかし、村山政権発足を機に、95年に文部省(当時)との関係を協調路線に転換、反対方針をおろしている。根津さんの加盟する日教組傘下の東京教組は、反対方針は変えていないものの、反対行動の提起はしておらず、処分に伴う経済的損失までは「支援できない」という姿勢だ。

 こうした中、都教委は03年10月23日付で「教職員は、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことや対面式の会場を認めないなど、卒業・入学式の国旗掲揚や国歌斉唱方法などを細かく定め、その実施を命じる校長の職務命令に従わない場合、服務上の責任に問われることを明記した「10・23通達」を出した。対象は都立校だが、都内の市・区教委などへの影響は少なくない。それまで反対していた教員も起立・斉唱することが多くなった。不起立を貫く教員は目立ち、さらに締め付けは強まった。不服従のシンボル的存在になった根津さんは今年2月、日の丸・君が代強制に反対する意味の文言が書かれたトレーナー着用を巡り、脱ぐようにとの職務命令に違反したとして都教委から事情聴取された。命令を出した養護学校長に、他の教師が着ていたら同様の命令を出すのかと聞くと、返事は「答えられない」だった。

 君が代不起立は、授業をしないとか、生徒を傷つける言動を繰り返すといった事案とは異なる。処分を巡る司法判断は分かれるが、「10・23通達」を違憲とした06年9月の東京地裁判決が「皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と君が代について指摘したように重い歴史のある問題だ。

 大阪府内のある学校の卒業式で、「強制反対」と声を上げた教師が威力業務妨害で告発される「事件」を取材したことがある。立件されることはなかったものの、異様な力を感じた。

 私たちは、多くの命が奪われたアジア・太平洋戦争から、「お国」も間違うことを学んだ。国旗・国歌はそれぞれ歴史を持つ「お国」の象徴だ。国民それぞれに思いがあるのは自然だ。

 「良心に基づく不服従」への処分は、東京都だけの問題ではない。日本社会のありようが問われている。(大阪編集局)




毎日新聞 2008年3月26日 0時05分

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21 コメント

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おまけ (ルナ)
2010-03-01 23:59:05
あとひとつ、前々からあなたのようなひとに言いたかったことがあります。

つまり、あなたたちこそ北朝鮮の国民として生まれるべきだった、ということです。

北朝鮮なら、個々人の勝手な思想など決して認めませんし、国旗に敬礼せず、国歌斉唱に加わらなければ堂々と処罰される国です。

あの国ならあなたは安心して生きてゆけるでしょうに。

どうして個人の権利を尊重しようという憲法を持つこの国で、他人の良心を踏みにじる運動を起こさなければならないのですか。

思想の統一がしたければ、あなたこそどうぞ北朝鮮へ行ってください。あそここそあなたにはふさわしい場所です。
返信する
Unknown (ルナ)
2010-03-01 02:14:50
「内心の自由」とは、ひと個人が、その心のなかで思うこと、感じること、考えることの一切について、国家および公権力によって介入されない、ということです。

日本国憲法にこのような条文が盛り込まれたのはひとえに、旧憲法下において行われてきた思想弾圧が二度と生じないようにしよう、という意図の表れです。

明治憲法にも言論、著作、印行(=印刷出版)、集会と結社の自由と信教の自由は認められていましたが、それは「基本的人権]としてではなく、「臣民の権利」としてでした。「臣民」というのはつまり、天皇の家来ということです。臣民は天皇の家来としての「義務」に反しない範囲でしか上記の権利を享受できなかったのです。

事実明治憲法では、上記の諸権利は「法律の範囲内において」、また「安寧秩序を妨げずおよび臣民たるの義務に背かざる限り」という制限が明記されていました。

ですから明治憲法下では、天皇の写真を拝さず、国旗に敬礼せず、国歌斉唱に参加しないなどという行為は、「安寧秩序を妨げる」とみなされて厳しく取り締まられました。そういう思想犯を取り締まるための法律もありました。悪名高い治安維持法です。

戦前は、日本人はみな天皇の家来であり、天皇家の繁栄のためにのみ生きることが要求されていました。教育がそのような目的に従ったものだったのです。戦後日本は天皇思想を廃し、憲法上は国民ひとりひとりが主権者となったのですが、それは戦後60年以上たった今でも浸透していません。国民の統合は、国民の自由意志に基づくものとなれず、いまだに天皇が担がれているのです。アメリカ人が合衆国への忠誠を言い表すのに、国旗に敬礼するのと、あなたたちが日の丸・君が代への敬礼を強制するのとでは、その内容に重要な相違があるのです。

アメリカ人の場合には個人主義が保障されたうえで、個人の自由を尊重する合衆国の精神への忠誠を誓うのですが、あなたたちは天皇制の残滓による国民の統合という「秩序」を維持するためには個人の精神的自由は制限され、抑えられなければならない、と言うのです。しかもそれが教育委員会という公権力による強制として行われているのです。これは結局戦前と同じやり方なのです。日本国憲法で思想・良心の自由が条文に書き込まれたのは、こういうことが二度と生じないようにという意図があるにもかかわらず、です。

義務教育で、日本ではこういうことを教えません。あなたも学ばなかったはずです。でなければ、思想においてさえ秩序を要求するというような考え方をするはずがありません。自分はほかの人とは違う感じ方をします、と言明すれば「左翼」というレッテルを貼られて、攻撃されるのです。特高警察の手口とまったく同じです。

非国民扱いを受け続ける教師たちは誰も、あたたたちに、あなたたちの感じ方を強制的に変えさせようとはしませんでした。あなたたちが日の丸・君が代によって国民意識を高揚させたいのであればそれはあなたたちの「良心の自由」だからです。ところがあなたは、わたしたちが「左翼」であり、秩序の霍乱を図っていると中傷し、あらゆる攻撃を加えるのです。

でもどうぞあなたは喜んでください。あなたのようなひとたちが、政界にも官僚にも、法曹にも勢力を伸ばしてきているようです。鳩山さんも憲法改正には意欲的です。まもなくあなたの天下になる気配が強いです。これも、日本国憲法の成立の過程や理由についての教育が行われてこなかったことに起因するのです。今日、アップした性同一性障害の特集記事の「6」の最後にこんな言葉がありました。

「無関心はとてつもない恥になり、ついには罪になる」。知らないことはいけないことで、知ろうとしないのは最もいけないことです」。

他人の気持ちに配慮できず、尊重もできないあなたのような人間がこれからはもっと増えてゆくのでしょう。ですが、人間の愛情や尊敬といったものは力で得られるものではありません。戦前の社会が疲弊し、暴挙に及んで日本を崩壊させたように、あなたはふたたび日本を壊滅に導くでしょう。すでに日本人は10年以上にわたって年間3万人以上が自殺し続け、うつ病などによる自殺予備軍は減ることがありません。これであなたは満足なのでしょう。そしてあなたは自信を得てあなたの思うとおりに日本を導いてゆきますが、予言して言います。あなたの思うような理想郷は決して見いだされないのです。それは戦前の日本が証明したのです。
返信する
左翼? (まん)
2010-02-23 15:47:56
1年前の話にコメントを付けて申し訳ありません。

本日、逆転敗訴の記事を見て、そもそも「君が代不起立問題」とはなんだろう?と思って検索して、ここに行き着きました。

私は右翼でも左翼でもネット右翼でもないと思っていましたが、ルナさん以外の書き込みに関しては全くの同意見でした。
となると、私はいわゆる右翼、ネトウヨと呼ばれる人物なのでしょう。

ネトウヨの私が思うに、大部分の日本人の考えはルナさん以外のコメントの通りだと思います。

決められたルール、規律、校則を守ることこそが秩序を守ることであるし、守れないのであれば遵守するように指導するし、従わないものには罰を与える。

なんら不思議なことはありません。

ルナさんの回答を見るたびに「内心の自由」というものが全てであり、絶対であり、守らなければならないモノであるという話しぶりなので、ルナさんの思う「内心の自由」とは何なのだろうかと不思議に思います。

ルールや規律を破ってでも、憲法に違反してなければ、他人に迷惑をかけていなければ問題ない自由なのでしょうか?

今回の件で言えば、自分が君が代を頻繁に歌う職業に就いていることが原因であり、君が代を年間数回歌うことは自分で知っていたはずです。
なぜその職業を選んだのか?自分が歌わないことで何も問題ないと思ったのか?事前に上司に相談しなかったのか?相談した上でも歌わなくて問題ないと思ったのか?

もし私が同じ立場で、同じく内心の自由を尊重する考えであるのなら、私は国家、君が代を歌うような場には出席しないと思います。

公務員は内心の自由がないのかと言われますが、内心の自由って何ですか?

ルナさんのコメントを見て、左翼思想とはこういうものなんだなと初めて思いました。

不快なコメント、申し訳ありません。
返信する
最後のコメント (一知半解)
2009-02-19 23:38:08
ルナさん、今晩は。
レスをするかどうかでちょっと悩みましたが、このコメントを最後に二度と投稿しませんのでご容赦ください。

まず、私のコメントが、ルナさんにとって、これほどまでに心の古傷に触れるもので、不快感・拒否反応を引き起こすものだとは、全く想像していませんでした。
配慮に欠けた点については、鈍感な私に免じてご容赦ください。

私も、心に傷を負った人と議論して、傷つけるつもりなどは毛頭ありません。その点はご理解いただければ幸いです。

ただ、ひとつだけ釈明させていただきます。
私の主張が「エホバの証人」そっくりとの非難は、あくまでもルナさんの「主観」に過ぎません。

私は「エホバの証人」なる教義をよく存じていないのですが、カルト宗教と評判ですから、おそらく教徒の全人格まで支配するような形を取っているかと推測します。

元教徒のルナさんはそうした支配に苦しまれたのではないか…ということは、今回のレスで鈍感な私にも推察できました。

ただ、都教委の行為は、「エホバの証人」のそれと全く違います。

そもそも教師を拘束するのは式典時”だけ”である点が全く違います。
その点だけを針小棒大に解釈して、エホバの証人同様であるとのルナさんの主張は、残念ながら間違っています。

もちろん、ルナさんがどんな見方や受け止め方をしようとご自由です。

ただ、その見方や受け止め方が、必ずしも「事実とイコールである」とは限りません。

この問題に関して言えば、事実から程遠いのではないか…ということを改めて指摘するに留めさせていただき、退散いたします。
返信する
一知半解さん (ルナ)
2009-02-19 02:49:08
> 私が思うに、ルナさんのお考えは、余りにも内心の自由の行使を拡大解釈していると思います。

いいえ、逆です。一知半解さんのほうが内心の自由を誤解しておられて、それで過少解釈し、内心の自由に勝手に制限をかけておられます。


> 個人の自由の範囲を無制限に拡大していけば、他人の自由を侵害してしまうのは必至ですから、どこかで一線を引いて制限しなければならない。そうでなければ、社会の秩序が崩壊してしまうでしょう。根津先生が、世間から相手にされないのも、社会の秩序を乱す行為を取る輩だと思われているためでしょう。

個人の自由ではなく、内心の自由です。「個人の自由 ∋ 内心の自由」です。ここら辺で厳密さを放棄するとおかしな話になります。良心・思想などの内心の自由は、プライバシーを尊重し、お互い侵害しないようにしていれば「社会の秩序」も人間関係も崩壊することなどありません。内心の自由に他人が踏み込んで、蹂躙しようとするところに人間関係の崩壊が起こり、それが大規模になると社会の崩壊につながってゆきます。



> 他人に迷惑を掛けることを非常に嫌う日本人が、根津先生の「内心の自由を振り回す」行為を見て、果たして「内心の自由」が大切だと思うようになるでしょうか?

内心の自由への侵害に対して抗議することは迷惑をかけることにはなりません。主張すべきことを主張しようとするのを「迷惑をかけている」などという人たちは一人一人の個性を尊重しようとはせず、むしろ出る杭を打とうとしています。わたしはそういうひとには生理的な嫌悪を覚えます。一知半解さんが主張して周囲に同調しようとしない個人に対して生理的な嫌悪を覚えるのであれば、わたしはその逆バージョンです。

それに他の無知な日本人が内心の自由について理解しようとしないのは根津先生の責任ではなく、無理解な「日本人」のほうです。問題の所在は根津先生のほうではなく「日本人」のほうです。責任をすり替えないでください。卑怯ですよ。


> 逆に「内心の自由」とはそんな程度の代物なのか!ワガママ者が振り回す都合の良いツールに過ぎないじゃないか!と受け止められるだけなのが関の山ではないでしょうか。

そう思うのは勝手です。それも内心の自由といえば内心の自由です。全部の日本人が根津先生に敵対し、攻撃するとしても、日本国憲法がある限り、根津先生は自分の感受性を尊重してもらうよう訴えることができます。

> 本当に「内心の自由」を大切にするならば、その行使に当たってもう少し周りに配慮する必要があると思います。その配慮が、根津先生には全く見られないからこそ、世間の同情を得られないわけで、これはもう自業自得と言ってもいいでしょう。

これも逆です。東京都教育委員会を筆頭に、周囲の人間たちこそ、配慮を払うべきです。またそうするよう根津先生は訴えておられるのです。その配慮がまったく見られないからこそ、こんなに大きな問題になりました。一知半解さんほかネトウヨ系の人たちが誤解している点は(いえ、わざとすり替えているのかもしれませんね)、根津先生が問題を起こしている、という認識です。これ、大うそです。誤魔化しです。卑劣なネガティブ宣伝です。他人が自分の思い通りの思想を持たなければ腹を立てる心の未熟な人たちのいつもながらの手段です。

「問題を引き起こし、大きくしたのは、東京都教育委員会のほうである」、これが実相です。それでもあくまで根津先生に問題があって「自業自得だ」と言い抜けるのであれば、どこかほかのネトウヨ系の妄想ブログのほうでクダを巻いていてください。わたしのブログではそのようなすり替えはこれ以上許しません。大嫌いです、こういう卑劣な手段は。

ひとりだけ違う意見を言うのが気に入らない、あるいは日本の国旗に文句をつけることが気に入らないなら、その通り、「俺は気に入らないぞ」と率直に言えばいいのです。そう思うのは自由であり、そう主張するのも自由です。しかし、「俺と違う考え方をするのは、こtp国旗国歌に関しては犯罪とみなす」と国家公権力が圧力を加えるのをやめさせる目的で現行憲法がつくられたのです。

それなのに違う考え方を続けるなら解職するなどという強制措置をもって他者の行動を支配しようとする、こういうやり方のほうこそ憲法違反です。あなたが国旗国歌を尊重し、敬愛する自由があるのと同じように、あるいはあなたに同調しようとしない根津先生を批判する自由があるのと同じように、根津先生にも自分の感受性を尊重される権利があり、その権利を保証してもらうよう訴える権利があります。根津先生は根津先生の感じ方をする自由があるからです。あなたのような脳みその硬直した人間に理解しろとは言いませんが、あなたも自分の考えや感じ方を強制的に変えさせられたくないのなら、ほかの人にも同じように接するべきです。

> 私はそもそも、この日の丸・君が代問題は、「思想・信条の自由」問題ですらないと思います。これは、単に「躾け」「礼儀」の問題なんですよ。

いいえ、これこそ思想信条の自由の問題です。自分の感受性が公権力によって否定され、自分の感じ方を表明したために、解職されようとしているのです。「あることについてどう感じるか」ということは個々人が人間として生まれればだれでも持っているセンスです。しかもそれは個々人の人生を通じて培われ、個人独特の個性の一部をなすものです。基本的な権利に備わっているこういう性質を人権の普遍性と言います。人格、個性を形成する重要な要素である内心の自由を詭弁を弄して否定しようとするのは、その人間に、おまえ自身は生きてはならないというメッセージを送っているのと同じです。おまえ自身がお前の個性を放棄し、俺と同じようになるなら生きてもよい、というメッセージを送っているのと同じです。あなたの文章は、エホバの証人というカルト宗教の言い分そっくりです。以前その宗教の信者だったので、あなたの言い分には気分が悪くなります。ヘドが出ます。カルトの本質はファシズムです。時と場合によっては内心の自由は放棄しなければならないというのはファシズムです。わたしは思うのですが、あなたたちは、東京都教育委員会の連中ともども、エホバの証人なりオウム真理教なりに入団してしまえばいいんです。そこでは思想も行動も感情も統制されており、信者の内心は軍隊の行進のように整然としているのです。それがあなたの望むものなんでしょ? どうぞエホバの証人に入信してください。きっとあなたは出世できるでしょう。保証します。


> 余談になりますが、強制を反対する教師たちは、表向きの理由に「思想・信条の自由」を謳ってますが、それは「ニセの説明」で、本音では、単に「日の丸・君が代を認めたくないだけ」というのが、実状でしょう。

これも逆です。根津先生は生徒や他の教師が国旗に表敬したいならそれを阻止するつもりなど毛頭ないと何度も主張してこられたのに、「彼らは日の丸を認めない思想を広めようとしており、それは悪だ」と言い換えて宣伝します。あなたの説明こそ「ニセ」です。他人が自分同様日の丸に敬意を表しないことがあなた個人的に気に入らないという理由で、わたしたちを犯罪者扱いするのです。わたしたちはほかの人が日の丸を崇敬しようが星条旗を崇敬しようがまったく関知しようとはしませんでした。根津先生もそうです。わたしたちはあなたたちの内心の自由を認めてきているのにあなたはそうではありません。なず自分の感じ方のために仕事を辞めなければならないのですか。なぜあなたの感受性に従わなければならないのですか。憲法で保証されている権利になぜわたしたちだけが与れないんですか。あなたに他人の感じ方を統制するどんな権利があるんですか。自分は自分の生きかたができないんですか。

そうでしょう。あなたはおそらく自分は自分で生きることができないんじゃないかとわたしは想像しています。エホバの証人に熱中する人たちがそうでした。みんなおなじでなければ不安なんです。自己評価の低い人間が大きな暴力組織に自分を同化させます。それで自分が大きく成長したような錯覚を起こすのです。でもそれはあくまで錯覚でしかありません。

長々書いてきたし、最後には感情的にもドライヴしましたが、これは一知半解さんの言い分があまりにもエホバの証人そっくりで、心の古傷に触ったからです。こういう話はどうかよそのネトウヨ系のブログでやってください。ちなみにわたしはネトウヨと右翼と振り分けて考えています。ネトウヨは右翼思想家じゃない。ネトウヨは神経症の症状だとわたしは思っています。わたしは、です。これもわたしの内心の自由です。あなたに押しつけはしませんのでご安心を。もう二度とこないでください。エホバの証人のためにわたしは人生を狂わされました。あの宗教のことはもうたくさんです。あなたはあの宗教を思い起こさせます。もう来てほしくありません。
返信する
「思想・信条の自由」看板に偽りあり (一知半解)
2009-02-17 21:38:02
ルナさん、こんばんは。初めまして。

村野瀬さんの「国旗、国歌、国家意識(「愛国心」)を考えるリンク集」から飛んで参りました。

ルナさんの記事及びコメントのやりとりを拝見して、ルナさんの主張は大体把握させていただきました。私がコメント入れても、ルナさんのお考えが変ることは無いでしょうが、それでも一応コメントさせていただきます。

私が思うに、ルナさんのお考えは、余りにも内心の自由の行使を拡大解釈していると思います。

個人の自由の範囲を無制限に拡大していけば、他人の自由を侵害してしまうのは必至ですから、どこかで一線を引いて制限しなければならない。そうでなければ、社会の秩序が崩壊してしまうでしょう。根津先生が、世間から相手にされないのも、社会の秩序を乱す行為を取る輩だと思われているためでしょう。

そもそも、私には根津先生が本当に「内心の自由」を大切に思っているのか、非常に疑わしく思います。

他人に迷惑を掛けることを非常に嫌う日本人が、根津先生の「内心の自由を振り回す」行為を見て、果たして「内心の自由」が大切だと思うようになるでしょうか?

逆に「内心の自由」とはそんな程度の代物なのか!ワガママ者が振り回す都合の良いツールに過ぎないじゃないか!と受け止められるだけなのが関の山ではないでしょうか。

本当に「内心の自由」を大切にするならば、その行使に当たってもう少し周りに配慮する必要があると思います。

その配慮が、根津先生には全く見られないからこそ、世間の同情を得られないわけで、これはもう自業自得と言ってもいいでしょう。

私はそもそも、この日の丸・君が代問題は、「思想・信条の自由」問題ですらないと思います。これは、単に「躾け」「礼儀」の問題なんですよ。

このことについては、拙ブログの記事↓で説明してありますので、良かったらご覧ください(TBもさせてください)。よろしくお願いします。

・日の丸・君が代強制問題は、決して「思想・信条の自由」の問題ではない。
http://yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-180.html

余談になりますが、強制を反対する教師たちは、表向きの理由に「思想・信条の自由」を謳ってますが、それは「ニセの説明」で、本音では、単に「日の丸・君が代を認めたくないだけ」というのが、実状でしょう。

根津先生も、そんなに嫌いなら「公立」教師をおやめになるべきでしょう。国のすねを齧りながら、反対運動を続ける者に説得力があろうはずがないのです。

彼女にはそうした覚悟すら見受けられません。それどころか、職にしがみつく有様。

本当に自分の主張を訴えたいなら、それくらいの犠牲は払うものですし、「内心の自由」を本当に大切に思っているなら、そんなの犠牲にすら思わないはずではないでしょうか?
返信する
こちらも (国際人)
2009-01-15 22:11:54
言いたい事を言い過ぎ、それで不機嫌にさせてしまった。
お詫び申し上げたい。

あなたは本当は、掲示板参加者との調和を大切にするのだと思う。それを乱してしまい、重ねて申し訳無く思う。

大変な景気の厳しい中、体に気をつけて、風邪などひかないよう、お仕事に頑張って頂きたい。

返信する
訂正 (ルナ)
2009-01-14 22:12:01
(↑)これはちょっと言いすぎでした。撤回します。

真面目に働いている公務員の方のほうが多いですものね。失礼な言い方でした。お詫びします。
返信する
下劣な人… (ルナ)
2009-01-13 23:52:58
やっぱり公務員ですか。
口汚さは市役所の連中とおんなじ。そういう調子で生活保護の申請に来た人たちを侮辱したあげくに追い返すんでしょうね。自分は長いものに巻かれて税金で飲み食いしているくせに、態度は大きいんですね。生きる価値のない連中です。

それからわたしは教師ではありません。某製鉄会社の総務課のOLです。あんたらとはちがってそれこそ馬車馬のように働かなきゃ食っていけない人種でしてね。

信念のために生きる崇高な人と較べて自分の低劣さが恥ずかしいんでしょうが、口汚くののしっている時間があるんなら、手を動かして働きなさいよ、税金ドロさん。
返信する
聖職者気取り様 (弱虫でモテない国際人)
2009-01-09 20:58:48
は~。やっぱり日教組みたいなカルトに完璧マインドコントロールされてるね~。
教師とかいう人種には困ったもんだ。自分は聖職者だと思い込んで、他の労働者や公務員とは違う特別な存在だというつもりでいる。
職業柄なまじ教養があるのも素直さの妨げになっているようだ。
言い忘れてたが、俺も公務員だ。
「公務員にも人権がある。」「軍人ではない」当たり前だ。人権が無くてたまるか。そんな誰もが知っている当然の事を理由に、わざわざ不起立でお騒がせしているのか。単なるバカか。
戦争は正当化出来ないが、ヤレ戦争だ、ヤレ軍隊だと過剰反応せずに、過去にとらわれず前向きに温故知新で仕事したらどうか。
ちなみに、雇用情勢を良くする為に必死に活動している元派遣労働者を、不起立で停職貰って本来の仕事を怠けている者と一緒にしないで貰いたい。不起立は勇気ではない。校則を守らないことがカッコイイと意気がっている不良と同じである。

「もっとちゃんと仕事しなさい、センセッ!」
返信する
弱虫さんへ (ルナ)
2009-01-08 00:49:52
国際人さんへ

今回のコメントには正直、失望しました。なげやりな考えが前面に出ていたからです。返信する値打ちもないと思っていたのですが、やっぱりひとこと、述べさせていただきます。

> いくら民主主義に反しても、強制や処分が違憲でも、個人の信条に反する命令でも、公務員が命令違反したら教育委員会やマスコミが騒ぐに決まっているではないか。いい加減気付いたらどうか。いや、本当は最初から予想していて、わざと反抗しているのかも知れないな。

なんというか、公務員は軍人じゃないんですね。公務員にも人権はあります。憲法に違反した命令に服従しなければならないなんてことはありません。もっとも公務員の人権と公務への義務のバランスをどうとるかということは議論されています。主に裁判所の決定に委ねられるわけですが。でも最近の裁判官は国民の権利を縮小しようとする傾向が強くなっています。元裁判官の井上薫さんがたくさんの本を書いて、糾弾されているようです。

> 話し合い?
> 教諭と生徒が話し合って決めても、頭の硬い教育委員会が認める訳ないだろう。現実味がない。理想論ならいくらでも言える。

そう思うんなら、そうなさって下さい。あなたは多分女性にはもてない人でしょう。「どうせふられるに決まってる」と思い込んで、好きな女性にアタックできない情けないひ弱な男性が最近は増えているようです。そういう人はあなたとおんなじように考える人です。強い人には卑屈になって、利用されるだけ利用されて、彼らに不必要になったら捨てられるんです。そうして、それが自分の運命さ、とあきらめて、それでカッコイイつもりなんですね。女はそういう男がいちばん嫌いです。自分の信念を粘り強く実現させようとして、何度失敗しても挑戦し続ける人が、男らしい人です。

最近、派遣労働者たちのうち、一部の人々は経団連の強硬派たちを相手に運動を展開しています。経済的には不利な立場にいる人たちですが、自分の生存権を自分で勝ち取ろうとする、男らしい勇気ある行動だと思います。彼らが少しずつ、経団連の理解と譲歩を勝ち取ろうとするとき、もちろんあなたのような意気地なしには何の分け前もないのです。卑怯者と意気地なしは淘汰されてゆきます。ダメ男は自滅してゆきますが、勇気ある人は生き残ってゆくのです。

薬害C型肝炎患者の救済に立ち上がった女性たちは、「頭の固い」厚労省の役人たちを譲歩に導きました。勇気を出して行動したからこそああいう小さな勝利を重ねてゆけるのです。彼らは現実の歪みを、理想に沿って正そうとしたのです。でも卑怯者と意気地なしは、自分の弱さを正当化するために、現実のゆがみにあわせて理想の方も歪めます。その結果は、自分たちで刈り取ることになります。現実の歪みを作るのは、権力を濫用する人たちであり、彼らはいつも国民を食い物にしようとするのです。彼らに卑屈になる人たちは犠牲の羊よろしく、黙って食い物にされて消滅してゆくのです。わたしはそういう人たちに一切同情しません。劣等種は消え去るのみ、当然だと思うからです。

> 冷静に考えて、信条を主張したいのなら、式典で主張すると単に反抗期の若僧が職員席に居る様にしかとれないから、教育委員会に何回も出向いて信条を伝えないと意味がない。もうしてるかも知れないけど、無駄だろう。

何にもしない人にとっては無駄ですが、行動する人にとっては何度挫けてもそれは無駄ではありません。

返信する
ルナ先生様 (偏狭な国際人)
2008-12-23 20:06:00
同様なコメントが重複してしまった。お詫び申し上げる。
返信する
ルナ先生様 (偏狭な国際人)
2008-12-23 20:02:46
憲法で護られてるのにとか、強制は気に入らないとか、長いものに巻かれた人生にしたくないとか、教育委員会とマスコミが悪くて教諭は悪くないとか、全部子供か反抗期の若僧みたいに屁理屈や駄々をこねてる様にしか聞こえない。頭の中は、まっ赤っ赤だな。いや、まっ共っ共かな?

世間は仕事もない住居もない、明日をも知れない生活を送ってる者がうようよ居るし、いま仕事がある者は今の仕事に文句も言わず、なんとかしがみつきたい。まさに生きるだけで精一杯だ。
それに引き替え、やれ強制するなとか、やれ長いものに巻かれず一人で頑張ったから英雄だとかを、先ほどの者と比べたら「甘えてんじゃねぇよ、職があるだけましじゃねぇか」である。

いくら民主主義に反しても、強制や処分が違憲でも、個人の信条に反する命令でも、公務員が命令違反したら教育委員会やマスコミが騒ぐに決まっているではないか。いい加減気付いたらどうか。いや、本当は最初から予想していて、わざと反抗しているのかも知れないな。

話し合い?
教諭と生徒が話し合って決めても、頭の硬い教育委員会が認める訳ないだろう。現実味がない。理想論ならいくらでも言える。

冷静に考えて、信条を主張したいのなら、式典で主張すると単に反抗期の若僧が職員席に居る様にしかとれないから、教育委員会に何回も出向いて信条を伝えないと意味がない。もうしてるかも知れないけど、無駄だろう。
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Unknown (ルナ)
2008-12-22 00:35:37
■国際人さんへ

> 俺が言いたいのは、自分の主義を主張するために、大勢の人数とは限らなくても、たった一人にでも迷惑をかけなければいけないのか、ということだ。

まずあなたの最大の勘違いは、ある教師個人の不起立を騒ぎにしたのは各地の教育委員会であって、不起立を表明した教師ではないという点を理解しようとしないことです。教育委員会が処罰によって、思想・良心の自由を制限しなければ騒ぎになうことはなかったのです。教育委員会が寛容であったなら、教師個々人が不起立を表明しても、式典は「おごそかに」行われたでしょう。

次に、ある人は不起立に迷惑を感じ、別の人は起立を強要されることに迷惑を感じるとしたら、この両者の感情をどう両立させることができるでしょうか。ある人の方針に別の人を従わせるとしたら、どちらかが良心の自由を侵害されます。そこで、民主主義の手法では「話し合い」が行われるよう取り決めます。

両者が自分の主張をまず提示して、相手の主張も聞きます。次に両者が納得のいくような第三の方法を探り出します。第三の方法を見つけるために、念入りに話し合います。このときに重要なのは、相手の感じ方を否定したりせず、自分の感じ方を一方的に押しつけないことです。このことがあなたにはできないんですよね。

第三の方法として考えられるのは、起立するかしないかは各個人の裁量に委ねることで、両者が合意するということです。合意するというのは、自分の主張も尊重してもらうと同時に、相手の主張も立ててあげる、ということです。民主主義的手法では、色々な考え方の人が各自尊重されるように取り計らうものですが、それはそれぞれができる範囲の譲歩をすることで達成されます。教育委員会がこういう民主主義的な手法を取っていたなら、大きな騒ぎになることはなかったのです。騒ぎにならなければ、あなたも「おごそかに」式典を行うことができて、満足できるでしょ?


■トムさんへ

> 式典 君が代の前での不起立を罰しても
個人が尊重されていないことにはなりませんよ。
まず根津さんは自分の意思で公務員と言う職業を選択した。
公務員の行動は 選挙で付託された法律、および
行政によって規制される。

公務員の個人的な思想信条は表明できないということですか? だいじょうぶですか? 憲法はあらゆる法律の上位にあるものです。憲法に反するような行政処置は規制されるのです。

公立学校の教師は個人的な信条や宗教を生徒たちに強要してはなりませんが、教師個人は自分の主義・信条を尊重されます。それを公にも表明していいのです。

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Unknown (トム)
2008-12-19 18:16:32
>式典のような公の場では個人が尊重されない、というような社会のあり方が「全体主義」です。

上記の言葉はまったく違いますよ。


式典 君が代の前での不起立を罰しても
個人が尊重されていないことにはなりませんよ。

まず根津さんは自分の意思で公務員と言う職業を選択した。

公務員の行動は 選挙で付託された法律、および
行政によって規制される。

当たり前のことです。

田母神論文の問題点がここにあるのと同じです。

彼女が公務員で無いのないのなら
国家権力によって 君が代のまえに起立を命令する
ことは(不道徳で非常識ではあるが)
罰することはできません。

しかし彼女は税金で)我々の血税で生きているのです。

行動は法律に則ったものであることが当然です。
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ルナさんへ (学生よりお子様な国際人より)
2008-12-15 22:09:07
無教養で悪いねW
それにしても、スゴイ想像力だな。
次から次へといろんな考えと言うか、妄想が浮かんでくるな。WW
今気付いたけど、あなたは日教組の組員だと良く分かった。こういう人は、しっかりマインドコントロールされていて、どんなに当然の事を論じても無理矢理こじつけて、我が主義に持って行く。つまり、何を言っても無駄だろう。

俺は、国旗国歌なんて在っても無くてもどうでもいい。国旗国歌の正当性なんか論じるつもりもない。それは、日教組と天皇崇拝派が終り無き論戦をすればよい。
俺が言いたいのは、自分の主義を主張するために、大勢の人数とは限らなくても、たった一人にでも迷惑をかけなければいけないのか、ということだ。主義主張の勇気は、式典よりも上であるというのを認めるならば、式典をおごそかに気持ち良く済々と進めたいというのは、無言の主張である。自分の主張さえ言えれば良いとせず、それら他の主張も認めなければならない。それができなければ、反社会的組織アルカイダみたいな人間である。W

因みに、子供の頃に親から良く教えられた「何をしてもいいけど、他人に迷惑だけはかけるな」と。WW
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「日本人で国際人」さんへ (ルナ)
2008-12-12 06:10:29
式典のような公の場では個人が尊重されない、というような社会のあり方が「全体主義」です。

あなたは規律正しく右あるいは左にならえという生き方をよしとされるのでしょう。それはあなたの自由です。

でもあなたの機嫌をよくするために他の人たちが自分の意見や態度を表明できないようになる、というのは筋が通りません。

あなたが、「なくてはならない権利」と呼ぶものは、つまりは他人の意向に左右されず、自分の主義主張を公然と表明できる権利のことであり、式典では自分の主義主張を表明してはならないのであれば「なくてはならない権利」が否定されていることになるのです。

あなたは式典を軍隊の秩序と同列に解釈しておられます。それはまちがっています。式典は神聖不可侵なものではありません。個人の権利の方が式典より上位にあるのです。

それに学生時代の想い出は式典にあるのではなく、日常の学生時代にあります。東京都の公立学校の生徒は、卒業式を壊したのはマスコミ報道であり、東京都の強圧的な方針であって、教諭の不起立ではなかった、とコメントしています。このコメントは公共の出版物に収録されています。お望みならば引用して差し上げます。

「式典は神聖不可侵で個人を主張する場面ではない」という、あなた個人の偏った考え方を私たちに押し付けるために、生徒たちをあなたのペットであるように利用するやり方の方を「よく考え直した方がいい」です。生徒たちはみながみなあなたと同様の考え方をするのではありません。あなたが考える以上に生徒たちはずっと大人です。おそらくあなた以上に、ね。

あなたは、ご自分の主張を貫きたいのであれば、「生徒たちは自分と同様に感じているに違いない」と思い込んで、彼らにかこつけるのではなく、堂々と自分の責任で主張されてはいかがですか。すなわち、「俺は式典で個々人が自分の主義主張を言い張るのが気に入らない」と。それとも自分ひとりでは何も言えないんでしょうか。根津先生は偏狭な人びとに揶揄され続けても、自分ひとりで「なくてはならない権利」を堂々と主張され続けています。

あなたはひょっとして、そんな根津先生の勇気の前に自分の卑小さを思い知らされて恥じているのではないでしょうか。自分は声の大きい人には逆らえない人間であるし、これまで長いものに巻かれて生きてきて、じつはそんな自分に自己嫌悪を抱いている、でもそれを自覚して認めるのは、自分の人生を否定することになると考え、勇気ある人たちのほうを攻撃することで自分の正当性を確立させようとしているんじゃないでしょうか。

もちろん、これこそわたしの一方的な解釈の押しつけですが、あなたご自身はそうではなくとも、こういう人って案外多いものです。

式典は全体主義的に神聖不可侵なものではありません。式典は個人の思想信条の自由より低い地位にあります。したがって式典は個人の主義信条を強制的に抑えこむことはできません。それを理解できず、理解しようとしない無教養な人びとたちの偏狭な攻撃にもめげず、自分の主張を貫く先生方こそ、民主主義を教育する教師の資格を見事に証明し続ける、勇気ある方々です。
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公僕へ (日本人で国際人)
2008-11-28 12:50:09
どんな信念信条を持つのは自由で勝手だが、卒業式や入学式等のオオヤケの場で根津の様な失態はダメだろう。学生にとっては一生に一度しかない式を、イザコザ無く、いい思い出にしたかっただろう。しかも日本の国旗国歌を好きな学生や職員もいただろうが、その者が根津の様な態度を見ただけで非常に腹立たしかったに違いない。
自分独自の考え信念信条を抱くのは良いことで、無くてはならない権利だが、学生のいない場所で自由にいくらでも自己主張すればいい。私が学生なら、式をぶち壊されて悔しいだろう。
普通の会社員が会社の公式の場で会社に従わなかったら、会社員やっていられるか?しかも給料貰ってる会社にも迷惑が掛かる。よく考えたほうがいい。
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ひがしださんへ2 (ルナ)
2008-04-01 23:36:19
いくらか変換の間違いがあって、読みづらいですね。お詫びします。
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ひがしださんへ (ルナ)
2008-04-01 23:33:15
こんばんは。コメントを入れてくださってありがとうございます。

> 毎日新聞記者の湯谷茂樹氏の文章は気持ち悪い。自分の思い入れと、客観的な認識を分離できていない。新聞記者としては失格の記事だと、ピンちゃんは思います。

この記事はコラムです。「記者の目」というコラム名からうかがえるように、ある記者個人の視点を前面に打ち出した文章なので、自分の思い入れが書かれていても不思議はないと思います。

> この根津さんというおばちゃんに関する記事を読んだ印象では、生徒に自分の考えを強制したりはしていないようだったので、信念に基づいてやってること自体はしょうがないかなあと思ってます。

わたしもそう思います。この根津先生が自分の信条を生徒に強要しているのであれば、それは行き過ぎた行為です。根津さんがもしほんとうにそんなことをしているのであれば、わたしは抗議します。でも根津さんに関する限り、ご自分の心情を個人的に表明しているようですので、この場合はわたしは根津さんの個人的良心の表明を罰によって強制して変えさせようとする東京と教育委員会のほうに行きすぎがあると認定します。したがってわたしは東京と教育委員会のやり方に断固反対します。

> だって、根津教諭の行動は明らかに教師失格です。…(中略)… 根津教諭みたいなひとの勘違いは、もはや笑うしかないレベルではあるけれど

このようにお考えになるのは、個人的な意見の表明である限り、ひがしださんの自由です。ひがしださんはそのお考えを強制的に変えさせられてはならないのです。もしどこかの行政機関などひがしださんにご自分の態度を変えさせようとして、強制的に圧力を加えたとしたら、わたしは断固としてひがしださんのために抗議の声をあげるでしょう。個人は個人としての思想と信条を国家に強制されずに持ち、また表明する権利が日本国憲法によって保証されていますし、また保証されるべき権利だと思います。ほかの人たちに理解されようとされまいと、人は個人として自分の信条を持つことができますし、ある場合はその信条によって自分の生死さえ決定する自由すら保障されているのです。

たとえば、エホバの証人というカルト宗教は、輸血という医療を拒否するという異常な教義を持っており、それに従って実際に輸血を拒否して命を落とす信者も多いのです。一般人から見れば明らかに異常なのですが、裁判によると個人の宗教的新年によって個人の生き方を決定する自由は保証されるべきだ、ということになっています。

どんなに理解しがたい信条でも、それを持ち、表明し、その信条に従って自分の人生を導いていく権利は認められるべきものです。

したがって、根津さんの個人的な信条、思想の表明は尊重されるべきです。それはひがしださんの個人的な意見や感想が尊重されなければならないのと同じです。

東京都教育委員会のやり方はあきらかにその一線を超えています。天皇陛下でさえ、2005年の秋の園遊会で、当時東京都教委委員だった米長さんに、国家斉唱を強制しないようにと明言されました。また99年に国旗国歌法が制定されたときも、野中さんはその法によって個人の内面にまで立ち入ることはない、と断言されました。それなのに東京都教委は拡大解釈して、明らかに個人の内面にまで立ち入って根津さんの意志に反する行動を強要しているのです。たとえ、根津さんの個人的な信条がひがしださんにとっては滑稽なものであったとしても、ひがしださんは根津さんを擁護するべきです。それはご自分の思想・信条の自由を擁護することでもあるからです。
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まだこんなこと書いてんの (ひがしだ)
2008-03-31 08:39:26
今朝のサンケイ新聞で曽野綾子さんがこの記者のこと名指しで書いてるよ。
またこんなブログも、、、。毎日新聞はいつまでこんな記者に書かせてるのかなあ。

○記者の目:君が代 不起立で処分される教師=湯谷茂樹
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080326k0000m070139000c.html

一瞬、処分されそうな教師が湯谷さんというひとなのかと勘違いしてしまいました(笑)。

根津公子さんなら、この話題では有名人ですよね。それほど深く調べたことはないけど、この根津さんというおばちゃんに関する記事を読んだ印象では、生徒に自分の考えを強制したりはしていないようだったので、信念に基づいてやってること自体はしょうがないかなあと思ってます。

ただ、なぜに卒業式で国家斉唱に反対しているのかは理解できません。スポーツの国際試合などの場合はいいのでしょうか?──といっても、根津さんは「自分は起立しないし歌わない」という信念を貫いているだけのようだから、スポーツでの君が代は別問題なのかもしれませんね。

ただ、毎日新聞記者の湯谷茂樹氏の文章は気持ち悪い。自分の思い入れと、客観的な認識を分離できていない。新聞記者としては失格の記事だと、ピンちゃんは思います。

だって、根津教諭の行動は明らかに教師失格です。戦前・戦中の旧大日本帝国がどうであっても、公式の席での国旗掲揚や国家斉唱はお約束事です。世界中の国が習慣としてやっていることで、何も日本だけが特別なのではありません。

しかも、戦後60年以上戦争や紛争とは無関係に過ごしてきた日本は、世界的に見ても優等生です。他の先進国の国歌のほうがよほど血塗られているといってもいいくらいです。それでも、根津教諭みたいなひとの例を外国で聞いたことはありません。この点で、日本の左翼(サヨク)は常識外れだといっていいと思います。

卒業式で国歌を斉唱することは、国というものを無意識のうちにも再認識させる効果はあると思うけれど、戦前の日本に回帰させたいというような企てがあるはずがない(笑)。根津教諭みたいなひとの勘違いは、もはや笑うしかないレベルではあるけれど、それを毎日新聞のような全国紙の記者が、思い入れたっぷりに気持ちの悪い文章を書くとはなんたることか。

更にその文章が、いくつかあるであろうチェックをすり抜けて記事になるなんて。毎日新聞の記事は振幅が大きすぎて、面白いと思う事もあるけれど、新聞の顔が見えないという恨みもある。湯谷さんって、何歳くらいの記者なのかなあ。

根津教諭は、同じような考えを持っているひとが経営している私立の教育機関を探すしかないのではないかなあ。根津教諭が無事定年退職を迎えたとして、その記念パーティかなんかで、個人の信念として「根津教諭の不起立」を批判するスピーチをするひとがいれば、それはやはり失礼ということになるでしょう。

そういう場合でも、その信念の持ち主を「自らの良心に従って批判的スピーチを云々」なんて文章を書くひとがいるかしらん。湯谷茂樹氏は、その程度のことも想像できないトンチンカン野郎だと、ピンちゃんはここに認定いたします(笑)。
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