劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

シェイクスピアが続く~『Shakespeare THE SONNETS』『アントニーとクレオパトラ』~

2011-10-03 11:28:09 | 観劇
初夏~夏にはバレエ『ロミオとジュリエット』の上演が相次いだが、
初秋のこの時期はさまざまなシェイクスピア作品の上演が続いている。
まあ、それ自体、珍しいこととは言えないが、
9月だけでも、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』、りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ『ペリクリーズ』、
柿食う客『悩殺ハムレット』、前回のブログで書いたデラシネラβ『ロミオとジュリエット』、
中村恩恵×首藤康之『Shakespeare THE SONNETS』…。
そして10月に入り、彩の国シェイクスピアシリーズ『アントニーとクレオパトラ』が開幕した。

ここでは最近の『Shakespeare THE SONNETS』『アントニーとクレオパトラ』についてメモしておきたい。


■コンテンポラリー・ダンス『Shakespeare THE SONNETS』@新国立劇場中劇場



これは中村恩恵と首藤康之によるデュエット作品だ。
タイトルにもなっているシェイクスピアのソネットが幾つか朗読で挟まれており、
作品世界の基本をなしているのだとわかるが、そこから『ロミオとジュリエット』『オセロー』
『夏の夜の夢』『ベニスの商人』などの情景の一部も描かれていた。
中村と首藤はそれらの役柄もこなしながら、双子のように「美青年」になりあったりもする。
首藤は劇作家自身の姿をも担っていたようだ。

幾度か、中村と首藤が化粧台のような鏡に向かう仕草が繰り返される。
やがて鏡は象徴的な仕草で(まるで本のように)閉じられ、相前後して本の小道具も閉じられる。
この鏡のモチーフもまたソネットに依ったものなのだが、
見ているこちらはシェイクスピアの影法師の言葉を連想したりも。

「昔の人は黒を美しいと思わなかった」のソネット朗読に象徴されるように、
ヨウジヤマモトの衣裳の存在感が大きかったのも書き添えておかねばならない。
「黒の衝撃」以来、黒を主調とする創作世界を展開してきたこのデザイナーの衣裳は、
洗練された美しさを持ち、闇の中にあってもシルエットが際立っているように見えた。
その衣裳と足立恒の照明、D.P.ハウブリッヒの音楽を得て、
中村と首藤の身体が、しなやかでありながらどこか硬質な輝きを放っていて見事だった。

              *  *  * 

■蜷川幸雄演出の演劇『アントニーとクレオパトラ』@彩の国さいたま芸術劇場



よく知られる、ローマのアントニー(マルクス・アントニウス)とエジプトのクレオパトラの物語。
となればストーリー上、悲劇という枠組みになるし、事実、怒り嘆く俳優達の大熱演が見られるわけだが、
全体に荒唐無稽だったり、登場人物の発する台詞や行動が突飛だったり感情的だったりと喜劇的でもあるのだ。
今回の演出は、そうした側面も肯定的・積極的に押し出していたと思う。
コミカルな演技にも長けた俳優陣が、これを可能にしたとも言えそうだ。

にしても改めて思うのだが、吉田鋼太郎演じるアントニーを筆頭に、
みな深謀遠慮からはかけ離れた、熱く直情的な人物たちで、
愛するにせよ戦うにせよ、まるで子供のまま大きくなったよう。

アントニーにしてもクレオパトラにしても、無邪気に当然のように幸せを貪り、
失って初めてその価値に気づいて唖然とする。幼稚なほど愚かしいのだ。
そんな姿に観る側も「あれまあ」と呆れながら、同時に不思議な愛着をおぼえてしまうのは、
戯曲や演出はもちろんだが、鋼太郎や安蘭けい、橋本じゅんらの魅力のなせるわざでもあるだろう。

また、楽しそうに勝利を謳歌するような戦場での男達のダンス(無論、軍隊はホモソーシャルの世界だ)や、
アントニーを男達が担架で高く担ぎ上げた状態で狭い客席の通路をぐるりと巡ってしまうなど、
異様に(?)がんばる身体を見せるというその行為に、演出における生身の身体へのこだわりも感じ、
観る側も笑いながら、これまた、生の舞台への愛情を再認識させられた。

白を基調とする装置の中で、衣裳が鮮やかに映えていた。
クレオパトラのドレスもさることながら、ローマ人たちの衣裳のドレープにうっとりした。
池内博之の美しさにも磨きがかかっているように見えたのは私だけではあるまい。

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