劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

亀治郎の狐忠信~第八回「亀治郎の会」より~

2010-08-25 13:23:27 | 観劇
今月は東京の二カ所で、猿之助四十八撰、つまり猿之助の型による
『義経千本桜』道行初音旅(吉野山)と川連法眼館の場(四ノ切)が上演される、異例の月だった。

一つは海老蔵のロンドン・ローマ公演凱旋としての「八月花形歌舞伎」@新橋演舞場、
もう一つは亀治郎の自主公演である「亀治郎の会」@国立劇場である。

海老蔵は4年前、団十郎家にとって弟子筋にあたる猿之助から『義経千本桜』を習って話題を呼んだ。
そんな選択ができるのは彼だからだし、英断と呼んでも差し支えないだろう(その彼の演技については別の機会に書く)。
かつて海老蔵にインタビューした際、『義経千本桜』を猿之助型で演じる理由として、
「いいものはいいから」ということ、そしてさらに「澤瀉屋の芸を継承しなければ」と述べていた。
猿之助の甥・亀治郎や、既に『義経千本桜』を演っている猿之助の弟子・右近の心境を思うと複雑だったが、
奇しくも亀治郎は昨年末の拙インタビューで猿之助については「"芸を継ぐ”のではなく、“家の伝統”」だから
似ていて当たり前だと述べ、ある意味、海老蔵の発言との符合を見せたのだった。
それもまた、並々ならぬ自負の表れであるわけだけれども。



さて、前置きが長くなったが、「亀治郎の会」である。

今年の1月から猿之助の指導をあおぎ、『悪太郎』『金幣猿島郡』『加賀見山再岩藤』『浮世風呂』
『敵討天下茶屋聚』『蜘蛛絲梓弦』と、澤瀉屋の芸を毎月演じた彼の集大成としての『義経千本桜』だ。
歌舞伎座改装中という事情も無関係ではないのかもしれないが、
静御前に芝雀、源九郎判官義経に染五郎と、自主公演とは思えぬほどの豪華な布陣にも、
8回目を迎えたこの会の充実ぶりを感じ取ることができる。

結論から言えば、亀治郎が、芸の継承ではなく家の伝統として挑んだ『義経千本桜』は、
近年の若手による上演の中では、出色の出来だった。
まず、動きの輪郭がはっきりしている。
何のために動いているのか/止まっているのか、その意味が伝わるということだ。
吉野山の「軍物語」のくだりなどなんとも鮮やかで、情景がまさに目に浮かぶようだった。

四ノ切も良かった。
狐ではない本物の佐藤忠信のリアクションなどはいささか現代劇風の演技。
狐忠信は、親を慕う子狐の姿が何とも愛らしく、心をつかまれるよう。
独特の狐言葉も、女方と立役の両方をこなす亀治郎らしく、きれいにこなしていた。
これでもかとアクロバティックな動きをしても、すべてが役と一体化しているため、違和感がない。
鞠のように弾むところなど、狐忠信の弾む心が見えるようで見事だった。

続いて上演された『上州土産百両首』(川村花菱原作、石川耕士補綴・演出)はO.ヘンリーの『二十年後』の翻案。
正太郎と牙次郎、二人の男の友情と哀しい運命の物語だ。
正太郎を亀治郎、牙次郎を福士誠治が演じたのだが、ともに情感たっぷりに魅せた。
石川の手腕もあってか、歌舞伎と現代劇がきれいに折衷されていたのも好ましい。
金的の与一の渡辺哲の味のある演技も印象的だった。

この会は上演時間約5時間。亀治郎はほぼ出ずっぱりで、まさに大車輪の活躍を見せた。
15分×2回の休憩も、着替えるのがやっとだったはずだが、
澤瀉屋の面目躍如と呼ぶべき、パワフルでチャレンジングな舞台だった。
この先の第9回公演、そしてファイナルの第10回公演からも目が離せない。

最後に。
亀治郎は歌舞伎俳優としてはいち早く、サービス精神旺盛なホームページやブログを提供してきた。
ブレーンと一緒に、大いに楽しみながら真剣にこれらに取り組んでいる様子がうかがえた。
近年、そうしたコンテンツはなりをひそめ、あるいは限定的なものになってしまったが、
この会の予告編として作成された動画がそれらを彷彿とさせる雰囲気なので、本番とは別物ながら載せておく。


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