劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

『フィガロジャポン』7月号

2010-05-26 15:42:06 | 執筆
下記執筆しています。

■『フィガロジャポン』7月号(阪急コミュニケーションズ)

p.198 ドミニク・メルシー インタビュー

といっても基本はe+のウェブサイト(コチラ)の転載。紙面に合わせて少し短くなどしています。

 気分はすっかり夏!

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『モジョ ミキボー』『助六』

2010-05-26 13:28:11 | 観劇
最近、夜型が極端化してしまっていたので、朝型に戻そうとしている。
と、当たり前だが夜、眠くなる。
これまでは観劇後、その日のうちに感想を記すことも多かったのだが、
それができない身体になっており、では日中どうかというとこれがまた眠い。
そんなわけでブログの更新が滞りがち(まあ気候のせいもあるのだろうと思うけれども)。

しかしこのブログは備忘録と位置づけているので、
物忘れの激しい私としては、ある程度、書いておかなければならない。

前置きが長くなったが、以下、観劇の感想。

■『モジョ ミキボー』@下北沢OFF・OFFシアター



オーウェン・マカファーティー作、鵜山仁演出。
企画者でもある俳優、浅野雅博と石橋徹郎が合計17役を80分間熱演する2人芝居。
5月4日開幕で30日千秋楽というロングランも含めて大きなチャレンジだ。

1970年初頭の北アイルランド・ベルファスト。
浅野演じる少年モジョと石橋演じる少年ミキボーは親友となり、
『明日に向って撃て』のブッチとサンダンスを憧れ、いたずらや冒険を繰り返す。

カトリックとプロテスタントの対立が激化していた当時のアイルランド。
しかしここでは、その紛争について直接的なメッセージを大々的に喧伝しはしない。
あくまでも少年たちの視点から、紛争を含めた日常を描き出す。
私達は自身の少年の日への郷愁を重ね合わせながら、モジョとミキボーの世界に入り込んでいく。

30代の成人俳優が演じるとの指定があるというこの芝居。
だからこそ、スピーディーな展開や俳優の演じ分けを楽しみながら同時に、
人生の深い陰影やほろ苦さをも、観客は味わうことになる。

劇の終盤に、成人したモジョとミキボーが出会うシーンがある。
少年のころと同じように決め台詞を叫ぶ2人。魂の自由は誰にも奪えない。

■『助六由縁江戸桜』~五月花形歌舞伎@新橋演舞場



2000年、新之助時代に初役で勤めた『助六』からもう10年が経つのか。
この10年間、海老蔵に大きな期待をかけ続けた私は、
時に摩訶不思議な結果に戸惑いながらも惹きつけられて今に至る。
かつて取材した折、すでに「ほとんどの役はもうやっちゃった」と言っていたのに、
今回の『助六』では團十郎襲名まで取っておかずに22年ぶりの「水入り」までやってしまった。

で、その助六。近年の海老蔵の演技すべてに言えることだが、
姿の美しさといい大きさといい、彼にしかないものが詰まっていて
非常に魅力的な一方で、声の切り替えや抑揚が時折、奇妙。
「こりゃまたなんのこったい」の台詞の違和感は相変わらずだ。
演技が“駄々っ子”か“チンピラ”のどちらかに見えがちなのにも閉口する。
もっと引き出しを増やしてほしい。

・・・などと、ファンモードで愚痴ってはみたものの、
今回の『助六』には、海老蔵の大きな成長をも見ることができた。
堂々たる男ぶりももちろんだが、なにより印象的だったのは、そのまなざし。
現実を迷いなく見据えているように見える。
それは舞台にも端的に表れていた。
助六にキセルを渡す花魁たち1人1人の顔にきちんと目を向けていたし、
染五郎演じる白酒売とのやりとりでも、しっかり相手を見て話しているのが伝わってきた。
書けば当たり前の話だが、歌舞伎ではなかなか難しいことのようにも思う。

白酒売の染五郎も良かった。現代劇での染五郎を観る機会が多いこともあって、
彼の歌舞伎には「歌舞伎的身体を生かした現代劇」を感じてしまいがちなのだが、
今回はいい結果を生み、海老蔵と染五郎の応酬は生き生きとリアルなものになっていた。

そしてここはやはり、通人の猿弥にも触れておきたい。
やや丸めの身体をネタにし、股くぐりでは海老蔵の足の幅に「あっ、しめないで」、
染五郎の足には「もうちょっと広げて」。
ネタは日替わりだったようだが、私が観た日はダジャレづくし。
「あんないい男にナリタヤ」「ジュースとコーラではコーライヤ?」で笑いを誘っていた。

最後の「水入り」は、ぱあっと華やかだった『助六』の世界に影が差す。
物語としてはあったほうが一貫しているのかもしれないけれど、
上演される機会が少ないのは時間的・物理的都合だけではないのがわかった。

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