ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

チャレンジとくしま芸術祭2020展示部門搬入

2020年01月13日 | 日記

1月13日(月祝)、標記のために、午後、学生と一緒に徳島市の「文化の森」に行きました。

学生は2名、3年生のゼミ学生、伊熊麗奈さん、木原和奏さんです。

位置を確認しながら少しずつ進めます。

4時間かけてようやく完成しました。漢字と平仮名、ハングル、タイ文字、インド文字の作品を展示し、中国・タイ・インドはそれぞれの国の特産の布を背景に置いています。この作品を通じてアジア文化の楽しさを感じてもらいたいとのことです。また、今回は2人は「spice and」という名前で、展示図の「め」の位置に出展しています。

他の方の展示も、一通り見ましたが、素敵な作品が多かったです。

終了後に、近代美術館前で記念写真を撮りました。展示は1月15日(水)~26日(日)まで。12日間です。ぜひお出かけください。詳しくは下記サイトをご確認ください。

https://art.tokushima-ec.ed.jp/challenge/2020/

帰りに、徳島駅前の森珈琲店に立ち寄って、ハーブティーとチーズケーキをいただき、笠井さんの個展を拝見しました。

新たな作品が入っていました。焼き物の作品もあります。

こちらの個展は1月いっぱいです。

 

 

 


うだつをいける2020オープニングセレモニー

2020年01月12日 | 日記

1月12日(日)、標記が12時半からあって、美馬市脇町まで行ってきました。メイン会場は、うだつの町並みの中心ほどにある「吉田家住宅」です。詳しくは、下記のサイトをご覧ください。

https://www.awanavi.jp/spot/31105.html

阿波市在住の3年生、後藤真里奈さんに現地集合で来てもらいました。彼女が看板の揮毫者です。

横に立っている晴れ着の女の子二人は、「あんみつ姫」だそうです。彼女たちの和服のデザインも假屋崎さんがされたということで、一般的な「かわいらしい」子供用の服のデザインとは違い、大人の和服の布を用いて小さく作っているので、大人をそのまま小型にしたようなシックな雰囲気でした。假屋崎さんのファッションのセンスは子供といえども「本物志向」で、これは新しい流れなのだと感じました。

オープニングイベントで、揮毫者紹介の際に後藤さんのご挨拶の時間もありました。

県知事、美馬市長の間に假屋崎省吾氏がはさまって、テープカットです。

看板と揮毫者の後藤さん。約40日間の公開期間中、約2万人の観光客がここに訪れ、この看板を見てこの前で記念撮影をすることになります。

脇町のゆるキャラの「うだつ丸」と記念撮影。

生け花作品をはさんで、假屋崎さんと記念撮影。

住宅内にお花が生けられています。

庭にもオブジェがありました。

近くのオデオン座にもお花が展示されています。第2会場です。

うだつの町並みから、車で5分ほどの「河野メリクロン」の「あんみつ館」が第3会場です。

ここは、蘭を育てて販売している企業で、全国的に有名です。この企業と假屋崎さんが知り合いだったために、「うだつをいける」のイベントが13年前に始まったのです。https://www.kawano-mericlone.com/

このイベントが始まったのが、私が長野県から徳島に移住した年からです。不思議な御縁だと思います。今後も、冬季の徳島観光の目玉企画として続いていってほしいと思います。

公開は2月24日(月曜日)まで。

時間:9時00分~17時00分(最終入館16時30分)
入場料:1,200円(各会場共通券)
場所:第1会場  藍商佐直 吉田家住宅(750円※期間中)
   第2会場  脇町劇場オデオン座(550円※期間中)
   第3会場  あんみつ館(入場無料)

※うだつをいける期間中の土・日曜日、祝日は無料ジャンボタクシーが、「あんみつ館⇔ミライズ前」間を運行します。

 

 


コジカル 藍美の書道パフォーマンス

2020年01月07日 | 日記

1月7日(火)、夕方に藍美が四国放送のゴジカルに出演しました。録画しておいたのを夜に再生して見ましたので、一部を撮影しました。

2枚のパネルを立てた状態のところに書き始めます。

最初は、パネルに大字で2字、「迎春」と書きました。この後に、門が開くように左右に移動すると、後ろに大作品が待っています。

次は、後ろに用意してあった大きな紙に書きます。

強い照明は、初日の出のイメージです。

出来ました。作品を後ろで支えているのは、3年生の笠井美幸さんと1年生の久保昂己くんです。

作品を書き上げた後に、インタビューを受けました。

「令和」の年号の由来となった、万葉集の大伴旅人の「梅花の宴」の和歌の序文の一部です。文学部ですので、日本文学科の先生に万葉集も学びます。背景に墨彩画で開花した梅の枝を描いているのは、大学の集中講義で黒木知之先生に水墨画を学んだ成果だと思います。

この後に、練習風景のビデオが映されました。年末の12月23日にディレクターさんが来て撮影していったものが編集されていました。

また次の企画では、那賀高校3年生女子のシンガーソングライターWAKA(庄野若葉)さんの演奏がありました。現在SNSを中心に全国的に注目されている人で、卒業後は東京でミュージシャンになるということでしたが、プロダクションには属さずに、ライブを中心に独自の活動をしていくそうです。詳しくは公式サイトをご覧ください。http://waka.pih.jp/

番組の最後に、もう一度作品と一緒に映りました。

みんな楽しそうでした。

今年もよい年になりそうです。

 


町の書 2020

2020年01月04日 | 日記

1月4日(土)です。2日に町に出た時に撮ってきた町の他の書を紹介します。

徳島駅ビルの1Fにあった、大字1字作品「創」。吉野川市の書家、吉野美苑さんの作品。

力強い書です。吉野さんとは、数年前に徳島県障害者福祉プラザで、視覚障害の方の書道作品指導の際にお会いしました。地域にあって、書道美を普及するために活動されている書家の一人です。詳しくは下記サイトをご覧ください。

http://hikkoutsukushi.sakura.ne.jp/

もう一つは、徳島市幸町にある創作料理の店「八寸」の看板。ご主人の奥田英次さんは、ご主人は私の陶芸の先生でもあります。

http://mag-n.jp/detail.php?id=4012155

https://www.facebook.com/pages/八寸/1422419834568352

先生は猫好きでも有名で「ペー太」という名の猫を飼っています。子年ですが、猫の置物を載せてみました。

実は、大学の全学共通科目のオムニバス授業「地域未来探求」を担当していますが、いろいろな学部の学生に、冬休みの宿題で、町の中の書を使った看板や表示を撮影して写真データを送る課題を出しています。今は毎日のように看板写真が届いていて、その表現を楽しんでいるところです。ほとんどの学生は書道にはそれほど興味は高くないので、その表現に目を向けてほしいと考えて実施している課題です。

書道作品は展覧会ばかりでなく、町の風景の中でたくさん見ることができます。これも書道作品の重要な鑑賞の機会で、これを楽しむことも、日本の文化の重要な要素だと考えています。日本に来た外国人の皆さんに、日本の文化の一つとして楽しんでいただく大切なアイテムですし、日本の書道初心者にとっても、書道鑑賞の窓口になっています。

 

 

 

 


和の伝統文化に思う

2020年01月03日 | 日記

1月3日(金)、正月三が日も今日で終わり。年末年始休みで家でTVを見る時間が多かったです。様々な番組を見ましたが、特に記憶に残ったのが、和の文化や海外の文化に関わる情報です。三つ紹介します。

一つは、日本の職人がポルトガルやスペインに行って、地域の人が困っている身近なものの修理を担当する企画でした。

16世紀に建てられた世界遺産の古い建物の修理では、レンガや石の建設に関わる職人は現地で多いのに、木の家具や木製の窓枠などを直す職人が少なくて壊れたままになっていたのを、日本の宮大工や建具職人があっという間に直してしまうことで、現地の皆さんが感激するというものでした。

特に面白いと思ったのは、16世紀のヨーロッパの教会建築で使われている木製品は、細かい接合部分にも釘でなく高度な「木組」技術が使われていることに、日本の職人自身も驚くという場面でした。日本の古い建築や木製品は昔からあまり釘を使っていないので、ノミで木の接合部を削って組み込んでくっつけます。自分も中学校の技術家庭科の授業で、これを習って椅子のようなものを作った記憶がありますが、これには様々な方法があります。16世紀と言えば日本の戦国時代に当たり、日本とポルトガル・スペインには多くの交流があった時代です。織田信長のように、城郭や茶室に西洋建築の要素を取り込む者も現れます。宣教師の中には教会建築に造詣の深い者もいて、南蛮寺や教会を建てる際に、日本の職人たちに技術指導をしたことは充分考えられます。木組技術自体は昔から世界中で使われていて、地域差もあったでしょうから、その際に双方向の技術移動があったはずです。その後は世界的に金属製の釘が普及して、細かい部分には使われることが少なくなり、西洋の職人技術が衰えてしまったのですが、日本は木が豊富でいまだに使われるので、優秀な技術者が多く残っているだけなのだと実感しました。

二つ目は、昔、鉛筆を削るのに使っていた「肥後守」という小ナイフが、今、世界中で大人気というものでした。いま、フランスではパンやステーキを切るのに、日本の肥後守を愛用している人が多いとのことです。

この製品を作っているのは、私も何度か行ったことがある兵庫県三木市の、刃物職人です。昔は50軒近くあった肥後守の製造所は、現在は一軒だけ、「永尾かね駒製作所」だけだそうです。https://www.higonokami.jp/

戦国時代に秀吉が三木城の別所氏を攻め滅ぼした際に、三木の城下町を再建することを別所氏と約束し、その後多くの職人を全国から集めたことで、この地に刃物業が根付き、国内では岐阜県関市と並ぶ刃物の町になっています。肥後守の原型は明治時代に鹿児島県で製造されていた、舶来品をモデルにした折り畳みナイフだそうで、そこには日本刀の製造技術も活かされています。ここにも東西文化の高度な融合があったことがわかるし、フランスの人々が改めてその素晴らしさに気付いて身近な生活に活用しているわけです。ちなみに、三木城から密かに逃れた別所氏の一部が徳島の松茂に移住して、故郷の「三木」を姓にして後に藍商になったのが、現在、阿波銀行や阿波製紙を経営する三木氏です。

三つ目は、エジプトのピラミッドの特集で、クフ王の大規模な墓がピラミッドのそばの空き地の地下に埋まっているらしいことが、電磁波調査で発見されて、吉村氏を代表とする日本の発掘隊がその発掘権を得たという番組でした。

その中で紹介されたのが、メキシコに多く残るピラミッドの地下には泉が隠されていて、その地下にも空間が作られて、秘密の太陽信仰の儀式が行われていたことです。ピラミッドは太陽が沈んだ後に地下を通って、ピラミッドの下を通過してまた空に昇ると考えられていて、それ自体は墓ではなく、太陽の再生装置ということでした。エジプトとメキシコの文化は、過去のどこかでつながっているはずです。中南米の古代史は発展途上ですので、今後が楽しみです。日本も本質的に太陽信仰の国で、新年に初日の出を拝み、アマテラスは太陽神で、「彦」「姫」は本来は「日子」「日女」です。私たち日本人は皆、太陽の分霊だと考えられているのです。

クフ王の地下墓の想像図もCGで映され、そこにはクフ王やオシリス神(冥界の王=古代シリアの王)を模した人形が机と椅子の場所で座っているだろう様子も出ました。それが、日本の「閻魔大王」と瓜二つなことに驚きました。

秦の始皇帝の大規模な地下宮殿の場所も特定されて、いずれ発掘が進むと聞いていますが、日本に伝わっている「地獄」のイメージのモデルは、意外にこれらの大王たちの地下墓なのではないかと思います。神社の前に鎮座している雌雄の狛犬も、大元はメソポタミア文明の王墓を守っていた、ライオンとユニコーン状動物(麒麟)の二種の神獣像がモデルです。スフィンクスもその原型の一つだと考えられています。

これらの情報を見て思うのは、日本の中に当たり前にある古い文化が、実は既にグローバル化した後のものだということです。日本のグローバル化はここ数年で盛んになってきたように感じていましたが、実は世界中の人々は昔から激しく動き回り、多くの文明が交流・混合しながら現在の高度な文明を作り上げてきたのです。今後、世界の古代史の発掘がさらに進んでいけば、そのことがもっと明らかになっていくでしょう。

これは書道文化に関しても言えることで、むしろそのことを意識しながら様々なことを創造していくことが大切なことを、改めて実感した時間でした。

今日は、東京オリンピックで世界中の人々が日本を訪れる、新たな2020年の初めに思ったことを書いてみました。