ぱたぱた仙鳩ブログ

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和の伝統文化に思う

2020年01月03日 | 日記

1月3日(金)、正月三が日も今日で終わり。年末年始休みで家でTVを見る時間が多かったです。様々な番組を見ましたが、特に記憶に残ったのが、和の文化や海外の文化に関わる情報です。三つ紹介します。

一つは、日本の職人がポルトガルやスペインに行って、地域の人が困っている身近なものの修理を担当する企画でした。

16世紀に建てられた世界遺産の古い建物の修理では、レンガや石の建設に関わる職人は現地で多いのに、木の家具や木製の窓枠などを直す職人が少なくて壊れたままになっていたのを、日本の宮大工や建具職人があっという間に直してしまうことで、現地の皆さんが感激するというものでした。

特に面白いと思ったのは、16世紀のヨーロッパの教会建築で使われている木製品は、細かい接合部分にも釘でなく高度な「木組」技術が使われていることに、日本の職人自身も驚くという場面でした。日本の古い建築や木製品は昔からあまり釘を使っていないので、ノミで木の接合部を削って組み込んでくっつけます。自分も中学校の技術家庭科の授業で、これを習って椅子のようなものを作った記憶がありますが、これには様々な方法があります。16世紀と言えば日本の戦国時代に当たり、日本とポルトガル・スペインには多くの交流があった時代です。織田信長のように、城郭や茶室に西洋建築の要素を取り込む者も現れます。宣教師の中には教会建築に造詣の深い者もいて、南蛮寺や教会を建てる際に、日本の職人たちに技術指導をしたことは充分考えられます。木組技術自体は昔から世界中で使われていて、地域差もあったでしょうから、その際に双方向の技術移動があったはずです。その後は世界的に金属製の釘が普及して、細かい部分には使われることが少なくなり、西洋の職人技術が衰えてしまったのですが、日本は木が豊富でいまだに使われるので、優秀な技術者が多く残っているだけなのだと実感しました。

二つ目は、昔、鉛筆を削るのに使っていた「肥後守」という小ナイフが、今、世界中で大人気というものでした。いま、フランスではパンやステーキを切るのに、日本の肥後守を愛用している人が多いとのことです。

この製品を作っているのは、私も何度か行ったことがある兵庫県三木市の、刃物職人です。昔は50軒近くあった肥後守の製造所は、現在は一軒だけ、「永尾かね駒製作所」だけだそうです。https://www.higonokami.jp/

戦国時代に秀吉が三木城の別所氏を攻め滅ぼした際に、三木の城下町を再建することを別所氏と約束し、その後多くの職人を全国から集めたことで、この地に刃物業が根付き、国内では岐阜県関市と並ぶ刃物の町になっています。肥後守の原型は明治時代に鹿児島県で製造されていた、舶来品をモデルにした折り畳みナイフだそうで、そこには日本刀の製造技術も活かされています。ここにも東西文化の高度な融合があったことがわかるし、フランスの人々が改めてその素晴らしさに気付いて身近な生活に活用しているわけです。ちなみに、三木城から密かに逃れた別所氏の一部が徳島の松茂に移住して、故郷の「三木」を姓にして後に藍商になったのが、現在、阿波銀行や阿波製紙を経営する三木氏です。

三つ目は、エジプトのピラミッドの特集で、クフ王の大規模な墓がピラミッドのそばの空き地の地下に埋まっているらしいことが、電磁波調査で発見されて、吉村氏を代表とする日本の発掘隊がその発掘権を得たという番組でした。

その中で紹介されたのが、メキシコに多く残るピラミッドの地下には泉が隠されていて、その地下にも空間が作られて、秘密の太陽信仰の儀式が行われていたことです。ピラミッドは太陽が沈んだ後に地下を通って、ピラミッドの下を通過してまた空に昇ると考えられていて、それ自体は墓ではなく、太陽の再生装置ということでした。エジプトとメキシコの文化は、過去のどこかでつながっているはずです。中南米の古代史は発展途上ですので、今後が楽しみです。日本も本質的に太陽信仰の国で、新年に初日の出を拝み、アマテラスは太陽神で、「彦」「姫」は本来は「日子」「日女」です。私たち日本人は皆、太陽の分霊だと考えられているのです。

クフ王の地下墓の想像図もCGで映され、そこにはクフ王やオシリス神(冥界の王=古代シリアの王)を模した人形が机と椅子の場所で座っているだろう様子も出ました。それが、日本の「閻魔大王」と瓜二つなことに驚きました。

秦の始皇帝の大規模な地下宮殿の場所も特定されて、いずれ発掘が進むと聞いていますが、日本に伝わっている「地獄」のイメージのモデルは、意外にこれらの大王たちの地下墓なのではないかと思います。神社の前に鎮座している雌雄の狛犬も、大元はメソポタミア文明の王墓を守っていた、ライオンとユニコーン状動物(麒麟)の二種の神獣像がモデルです。スフィンクスもその原型の一つだと考えられています。

これらの情報を見て思うのは、日本の中に当たり前にある古い文化が、実は既にグローバル化した後のものだということです。日本のグローバル化はここ数年で盛んになってきたように感じていましたが、実は世界中の人々は昔から激しく動き回り、多くの文明が交流・混合しながら現在の高度な文明を作り上げてきたのです。今後、世界の古代史の発掘がさらに進んでいけば、そのことがもっと明らかになっていくでしょう。

これは書道文化に関しても言えることで、むしろそのことを意識しながら様々なことを創造していくことが大切なことを、改めて実感した時間でした。

今日は、東京オリンピックで世界中の人々が日本を訪れる、新たな2020年の初めに思ったことを書いてみました。

 




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