goo blog サービス終了のお知らせ 

ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

鍬塚碑(くわつかひ)

2012年07月01日 | インポート

Kuwazuka 7月1日(日)、早起きして高松に拓本を採りに出かけました。古高松にある「鍬塚」の石碑です。碑の題額にある「鍬」(くわ)の字は偏を旁の下に入れた異体字です。

この撰文は久保桑閑によるもので、書も桑閑だと思われます。

この碑の横にはかつてこの地域の名医で庄屋だった久保家がありましたが、現在は空き地になっています。

碑文はこの地域の民が昔、井戸を掘る時に使った鍬を井戸の傍らに埋め、「鍬塚」と代々言い伝えてきました。延享5年(1748)にこの田主だった久保桑閑が撰文をして碑を建てたのです。碑文の中には、智永の筆塚、韓愈の硯塚に倣って、鍬塚を作ると述べています。

久保桑閑は宝永7~天明2年(1710~82)の人。宝暦2年(1752)、高松藩士として初めて長崎に遊学し、この遊学で書生として預かっていた平賀源内を同行させて最先端の蘭医学を学ばせました。藩儒の後藤芝山や柴野栗山の父軌逵とも昵懇で、栗山を物心両面で支援しました。当時の高松藩が生んだ2人の天才、栗山と源内を世に出した重要人物です。

この家は代々医師として活躍し、現在この家の血を引く久保正彰先生は東京大学名誉教授で日本学士院院長で、つまりは日本の学者の最高峰の方でもあります。人は歴史によって作られることを地でいっているお宅です。一昨年には久保正彰先生の講演をお聞きし、昨年の秋には先生とお話する機会がありました。穏やかで素敵な雰囲気を持たれた方です。

碑の高さは1.27m、幅は50cm、厚さは20cmです。

9月中旬に、高松市歴史資料館で、久保桑閑に関する企画展が開かれるにあたって、久保家の石碑・墓碑の拓本を依頼されて、先月から何度かこの地に通っています。

今日は、曇り時々雨の不安定な天候でしたが、この碑の碑陽・碑陰、そして久保家の墓碑を2基の拓本を13時までには済ませて帰宅しました。途中、10時からは栗山記念館で、館長さんや小川先生、資料館の山本さんとも打ち合わせしました。

蒸し暑く、汗が滝のように流れ、墓地では恐ろしい数の藪蚊の襲撃を受けましたので、ホームセンターに行って、藪蚊に効く虫よけスプレーを買って、さらに蚊取り線香もたいて作業をしたらたいへん効果があり、以後は快適に作業ができました。

学生時代に卒論で拓本を採って以来、もう30年以上この作業を続けています。もう総採拓数は200基を超えているのでなないかと思います。

今日は、湿気が高く、直射日光も風もなかったので、比較的のんびり作業ができて、まあまあの出来でした。でも大量の汗をかいて、シャツはびしょびしょになり、ズボンも泥だらけです。帰宅後はシャワーを浴びて、一杯のビールでほっと一息つきました。

書道は、机の上だけのものではなく、このようなアウトドアーの部分も重要です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿