3月23日(土)、24日(日)に、香川県に2回勉強にいきました。
23日には、高松市歴史資料館で、讃岐村塾。山口大学医学部の中澤淳先生の講演です。西讃地方で近世から近代にかけて医師として活躍した尾池家についてのお話でした。中澤先生は尾池家の末裔で、現在は山口県宇部市に住まれていますが、時々香川県のご実家にも戻られ、一族の歴史を研究されています。 日柳燕石の研究を通じて数年前に知りあった先生です。燕石は尾池松湾から儒学を学びました。
24日には、坂出グランドホテルの一室で、讃岐龍馬会の研究会に参加しました。瀬戸内海の塩飽諸島の水主たちの末裔の皆さんを中心とする歴史研究会の皆さんです。先祖は幕末に咸臨丸・開陽丸などの操船をされた人たちです。東京農業大学客員教授の榎本隆充先生の講演「榎本武揚のシベリア横断旅行」をお聞きしました。
明治7年に初代ロシア公使としてペテルブルグに赴任した榎本武揚が、樺太・千島交換条約締結後、明治11年7~9月にかけてシベリアを横断した苦労についてお聞きしました。まだシベリア鉄道は1000㎞ほどしか開通していない時代だったので、行程の半分以上を馬車に揺られていったことをお聞きして驚きました。その間は揺れがひどくてほとんど眠れなかったそうです。この旅行に関しては武揚が日記をつけていて、それが講談社文庫でも出版されているとのことでした。『シベリア日記』です。
榎本武揚は、私が今研究している神内家の姻戚に当たります。この講演会には神内國榮さんも参加されていました。榎本隆充先生は武揚の曽孫にあたります。現在、私が執筆中の研究書『神内喬木文集』の序文も書いていただいています。
先生は、東京農業大学でも長く教鞭とられていましたので、講演にも慣れていて、たいへんわかりやすかったです。
御話の終わったあとは龍馬会や榎本先生たちと食事会を楽しみ、帰る途中で近くの東山魁夷美術館を見学に行きました。瀬戸大橋のふもとにあります。
東山魁夷の祖父は瀬戸内海の島の出身で、榎本武揚と昵懇で肖像画の賛を書いてもらっていましたが、その肖像画幅がこの美術館に寄贈されています。この日は、榎本先生が来られるとのことで、特別にそれを一緒に見学させていただきました。美術館の前には、瀬戸内海が美しく広がっていました。
見学修了後に榎本先生と息子さん、そして神内國榮さんを、自家用車で三木町の神内家まで送り届けて帰宅しました。
この2日間は多忙でしたが、自分の研究にとって重要な情報の集まった時間でした。