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ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

無雅翁上村氏遺墨墳

2011年08月01日 | インポート

Mugaou先ほどの臨書の元の石碑をごらんください。けっこう小さな碑です。高さ74cm、幅27cm。天保10年(1839) 上村明輔は、「無雅」と号しました。生まれは徳島県阿南市富岡です。

兄がいて、兄弟共に名医として有名でしたが、無雅は晩年、医療技術をひけらかして仕事をするのが嫌になり引退して、茶道研究家になります。この頃の大滝山は、持明院という大きな寺院があって、徳島最大の市民散策の場所でした。祭礼には人が大勢集まり、徳島市民でここに来ない人はないと言われた場所でした。だからこそ、無雅もここに石碑を建ててほしいと遺言を残したのです。散策の人々がこの石碑を読んで、生前の無雅を偲んでくれれば、死後も生きているような気がすると言っています。

また、近くの二軒屋には「芭蕉堂」という俳諧の勉強場所があって、月一回の例会には大滝山で吟行と句会を開いていたそうです。そんな関係で大滝山には句碑や歌碑もあります。この吟行と句会は現在も続いているようで、休日などに大滝山で俳句や和歌を作っている人たちの姿をよく見ます。次回は句碑の紹介をしますね。


無雅翁上村氏遺墨墳銘 臨書

2011年08月01日 | インポート

Mugaouhirinnsho教員展で今回出品した臨書作品(手本を見て書いた作品)の一つに、標記の碑銘の全臨があります。これは、大滝山の「滝の焼餅屋、和田の屋」さんの店舗横の階段を10mぐらい上ったところにある小さな石碑です。江戸末期に徳島で有名だった上村明輔という医師は、医師をやめた後に茶道研究家となります。ときどき、京都の裏千家で学びました。その当時、茶道では高価な茶碗や布切れに千金を払って、珍品を自慢するような風潮があり、茶道本来のわびさびの精神への回帰を提唱します。明輔が80歳で亡くなる前に、遺言で徳島の人々が散歩するような場所に碑を建ててほしいと遺言を残して亡くなります。同じ社中の人々がその遺言を守り、翁の遺墨を埋めて大滝山に小さな碑を建てたのです。撰文は当時の徳島藩儒の増田衡亭。揮毫は足立秋成という人物ですが、現在のところ不詳です。しかし、それは、蘇軾や柴野栗山の書風を継承する、極めて美しい行書風楷書です。遺墨碑という珍しい形式の上、内容の深さ、撰文者、高度な書風といい、素晴らしい文化財だと思います。


教員展

2011年08月01日 | インポート

昨日まで徳島駅前の交流プラザ3Fで、四国大学書道文化学科の教員6名(賛助5名)の書道作品展が昨日まで開かれました。本日からは、その作品の半分程度を、作品を四国大学書道文化館1階ギャラリーに移して展示します。知り合いの老羊さんが、見に行ってくださって、詳細にブログに紹介してくださってますので、次のサイトをご覧ください。

http://64892196.at.webry.info/201107/article_16.html