詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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今、大阪はすごいことになっています!/現職校長の提言が大きなうねりに

2021年05月23日 | 歴史

 今、大阪はすごいことになっています! 現職校長があまりに酷い維新松井大阪市政に対して提言を出されたことで、大きなうねりが起こっています。『朝日新聞』も5月21日、大きく報道しました。大阪の木川南小学校校長が松井市長に宛てた「提言」はもうお読みいただけたでしょうか。もし、まだの方がおられれば、ぜひお読みください(下段に全文)。そして、現在、その提言に共鳴した大阪の中学校の校長が、みなさんに広く呼びかけています。ぜひ、私たちの「声」を松井市長に届けましょう!(志水博子)

 

●名田正廣さんからの呼びかけ
久保校長の提言読んだ方へ。意見を松井市長にとどけます。
omsknjhs@yahoo.co.jpまで。メッセンジャー、LINE何でも可 できるだけ早く。できるだけ多く。匿名希望の方はその旨お書きを。
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*『朝日新聞』5月21日号
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大阪市長 松井一郎 様
大阪市教育行政への提言

豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために

 子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。

 

 学校は、グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される「競争」に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある。

 今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないかとの思いが胸をよぎる。持続可能な学校にするために、本当に大切なことだけを行う必要がある。特別な事業は要らない。学校の規模や状況に応じて均等に予算と人を分配すればよい。特別なことをやめれば、評価のための評価や、効果検証のための報告書やアンケートも必要なくなるはずだ。全国学力・学習状況調査も学力経年調査もその結果を分析した膨大な資料も要らない。それぞれの子どもたちが自ら「学び」に向かうためにどのような支援をすればいいかは、毎日、一緒に学習していればわかる話である。

 現在の「運営に関する計画」も、学校協議会も手続き的なことに時間と労力がかかるばかりで、学校教育をよりよくしていくために、大きな効果をもたらすものではない。地域や保護者と共に教育を進めていくもっとよりよい形があるはずだ。目標管理シートによる人事評価制度も、教職員のやる気を喚起し、教育を活性化するものとしては機能していない。

 また、コロナ禍により前倒しになったGIGAスクール構想に伴う一人一台端末の配備についても、通信環境の整備等十分に練られることないまま場当たり的な計画で進められており、学校現場では今後の進展に危惧していた。3回目の緊急事態宣言発出に伴って、大阪市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈したわけだが、その結果、学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも保障されない状況をつくり出していることに、胸をかきむしられる思いである。

 つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し「最善の利益」を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛(づら)くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが「がんばった人間」として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。世界の人々が連帯して、この地球規模の危機を乗り越えるために必要な力は、学力経年調査の平均点を1点あげることとは無関係である。全市共通目標が、いかに虚(むな)しく、わたしたちの教育への情熱を萎(な)えさせるものか、想像していただきたい。

 子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。1点・2点を追い求めるのではなく、子どもたちの5年先、10年先を見据えて、今という時間を共に過ごしたいのだ。テストの点数というエビデンスはそれほど正しいものなのか。

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。

 間違いなく、教職員、学校は疲弊しているし、教育の質は低下している。誰もそんなことを望んではいないはずだ。誰もが一生懸命働き、人の役に立って、幸せな人生を送りたいと願っている。その当たり前の願いを育み、自己実現できるよう支援していくのが学校でなければならない。

 「競争」ではなく「協働」の社会でなければ、持続可能な社会にはならない。

 コロナ禍の今、本当に子どもたちの安心・安全と学びをどのように保障していくかは、難しい問題である。オンライン学習などICT機器を使った学習も教育の手段としては有効なものであるだろう。しかし、それが子どもの「いのち」(人権)に光が当たっていなければ、結局は子どもたちをさらに追い詰め、苦しめることになるのではないだろうか。今回のオンライン授業に関する現場の混乱は、大人の都合による勝手な判断によるものである。

 根本的な教育の在り方、いや政治や社会の在り方を見直し、子どもたちの未来に明るい光を見出したいと切に願うものである。これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられているのではないだろうか。

令和3(2021)年5月17日

大阪市立木川南小学校 校長 久保 敬

 

渡部通信(5/23) : 明けない夜はない(50)<大阪市立小学校校長の魂の叫び>==============================
5月17日、大阪市立木川南小学校の久保敬校長が、
松井大阪市長あてに、

「大阪市教育行政への提言
 豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」
(以下をクリックすれば全文が出てきます)
https://digital.asahi.com/articles/ASP5N6KWMP5NPTIL00R.html?fbclid=IwAR3wKEKV5pN
kz3dm5wAr7qBMtgeRiieTGjuXLnhkSeHwrDeI-oo_noAlPDo

を出したことが、大きな反響を呼び起こしている。

この「提言」の中で久保校長は、冒頭、
「子どもたちが豊かな未来を幸せに生きていくために、
公教育はどうあるべきか真剣に考える時が来ている。」
と問題を提起、この間に進められてきた「教育改革」(?)により、
「学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している。」
と明確に批判している。
そして、そのためになされる学力テスト、教員人事評価などは、
教育をより良くし、教員のやる気を喚起していないと述べている。

また、この間のコロナ禍により前倒しになった
GIGAスクール構想やオンライン授業のお粗末さも挙げ、
次のように述べている。
「その結果、学校現場は混乱を極め、
何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている。
結局、子どもの安全・安心も学ぶ権利もどちらも
保障されない状況をつくり出していることに、
胸をかきむしられる思いである。」

「つまり、本当に子どもの幸せな成長を願って、
子どもの人権を尊重し『最善の利益』を考えた社会ではないことが、
コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと
言えるのではないだろうか。」

「『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない。
そうでなければ、このコロナ禍にも、
地球温暖化にも対応することができないにちがいない。」

「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい。
子どもたちに直接かかわる仕事がしたいのだ。
子どもたちに働きかけた結果は、数値による効果検証などではなく、
子どもの反応として、直接肌で感じたいのだ。」

そうして、次のように結んである。
「これは、子どもの問題ではなく、まさしく大人の問題であり、
政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が
課せられているのではないだろうか。」
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これに対し、松井知事は、次のようなことを述べた。
①「校長の考えというのは一つあるんでしょうけど、
 僕とは少し違う」
②「校長だけど現場が分かってない。
 社会人として外に出たことはあるんかなと思いますね」
③「疲弊してやりがいが見つけらないんやたら、
 違う仕事を見つけたらいい」
④「個人の意見を言うのは構わないが、
 我々には教育振興基本計画がある。
 それに沿った形で運営してもらわないと、
 組織の一員として逸脱していることになる」
皆おかしな発言だが、
このうち③は、
大阪の疲弊する教職員たちに対する開き直りである。
現場教職員の労苦など考えてもいないのである。

④の「教育振興基本計画」というのは、
2006年教育基本法が改悪された際、
「愛国心」が入ると同時に入ったものである。
国家主義的教育を全面的に進めるためのプログラムであり、
国が定めた目標にそって各地方自治体でも定め、
それにそって学校現場の教職員も目標申告を出させられ、
その観点から評価される仕組みである。
だから、それに従えないものは「逸脱」している
というのである。まさに国家主義教育であり、
従えないものは「逸脱教職員」と言うことになる。
その後導入された「教員免許更新制」は、
こうした「逸脱教員」を排除するためのものである
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ところで、この問題が大きくなってきたので、
5月21日萩生田文科大臣は次のようなことを述べた。
「現場の先生が首長に意見をおっしゃることは決して悪いこと
だと思いません。ただ、大阪市は考えた上での結果だと思う。
やってみて不具合があったという報告だとすれば、
耳を傾けて改善したらどうですかね。」

彼はオンライン授業のことしか頭にないらしい。
しかし、久保校長が提言しているのは、
教育基本法改悪後の日本の社会や教育全体に対してであり、
それらを根本的に変えなけれならないということなのである。

今回の「提言」は、
「教育改革(?)」の最先頭を走ってきた
大阪(維新が牛耳る)から、
「もうこれ以上黙ってはいられない」として上げられた、
大阪市立小学校校長の魂の叫びである。
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以下のようなメールが届いています。

久保校長の提言読んだ方へ。
意見を松井市長にとどけます。omsknjhs@yahoo.co.jpまで。
メッセンジャー、LINE何でも可 できるだけ早く。
できるだけ多く。匿名希望の方はその旨お書きを。
----------------
内容(フォーム自由)
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お立場(               ) 例、〇〇市教員、〇〇市保護者など。
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