詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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最後の晩餐には&『ゲド戦記外伝』....日本もまた占領下の国

2021年05月15日 | 歴史

最後の晩餐には
熱々のお茶漬けがいい
飲みつかれた後にしみじみと
焼いた塩鮭かタラコに熱いお茶で

大根下ろしを掛けるのもいい
チリメンジャコかイクラを
ご飯に乗っけて

漬物はやっぱりニシン漬けがいい
お袋の味を思い出しながら
大根とキャベツをぼりぼりと

おお今夜もやっぱり
風がえらい泣いてるなと呟きながら


『ゲド戦記外伝』ル・グウィン(岩波)再読
ファンタジーの中で、何回読んでも好きなのは『影との戦い』(『ゲド戦記シリーズ』第一巻)だが・・表題の別巻は、より現代を反映した『ゲド戦記』シリーズ最高の出来栄えかもと思う。映画化された「ゲド戦記」は、たぶん映像化の容易さを最優先したために失敗したのだろう。

この『ゲド戦記外伝』の魅力はー
「カワウソ」「湿原で」の二章につきる。前者では、かっての革命的組織の再復興をなした・・まるでチェ・ゲバラのような一人の魔法使いの一生が語られる。
そうして作られた魔法の学校が「影との戦い」の舞台の・・ロークの魔法学院。
後者は「影との戦い」の後日箪。《メドラなる名を持つ若者は死んだ女をその腕に抱いて、ぬかるみの中にすわりこみ、ひとり、静かに泣きつづけた。
「この女はおれを救ってくれたのに、おれはこの人を救えなかった。」若者はだどりついた山間の村の人びとに、男女を問わず、泣いて訴え、すでに硬直した、雨に濡れたままの遺体を、人びとから守ろうとするかのように、ひしと胸に抱きしめて、離そうとはしなかった。》(「カワウソ」より)

日本もまたずっと続ずく占領下ではないんだべか。
戦前は、憲法を恣意的に解釈して天皇の名を語った「統帥権」で、財閥と軍と官僚がこの国を占領した独裁国家だった。それに言及せずに、戦前の日本は素晴らしかったとか、「自虐史観」だと言っても・・この基本的な捉え方が間違っていてはどうしようもない。

戦後はアメリカと、その意を受けた官僚層の占領した国だった。在日米軍基地の75%が置かれた沖縄でそれが顕著だった。特に数十兆円もの税金をつぎ込んで銀行・農協等を責任者の罪を問うことなくうやむやにした住専問題以後は、資本主義とも言えない日本国であり、その後数千兆円が宗主国米国へと貢がれてきた。

資本主義の基本とは、「借りた金は返す」「借金を返す担保・信用がない者には貸さない」というのが資本主義の基本だ。その基本を無視した者たちは罪を問われるべきだからだ。特に我々の税金で救済する場合には。

《占領とは、他者の人間性の否定、他者の尊厳の否定です。一民族全体が、組織的かつ集団的に、その人権を否定され、人間としての尊厳を否定される、それが占領です。 サラ・ロイ「ホロコーストとともに生きる」『みすず』2005年3月号より)》(「憲法9条の会」のtodaysongさんの書き込みから引用ーhttp://cafe.ocn.ne.jp/cafe/bbs.cgi?mode=detail&art_no=1975176&m_no=99210&t_no=0)

その意味では、ガザと日本は同じなのではないのか?ただわずかな違いはと言えば、日本の場合は太らせてから収奪するという方法・・だっただけの違いではないのだろうか?


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