『おしん』はアジアの国々の人々に熱愛された。われわれはそのことをよく知っていて、例えばエジプトなど中東の国で、親が産まれた娘の名前におしんと付けた例が多くあるという事実を知っている。『おしん』を語るときの中東イスラムの人々は生き生きしていて、作品への感動と日本への親愛の情に溢れている。中東の人々にとって『おしん』は日本そのもので、愛すべき日本のシンボルだ。それは東南アジアの国々でも同様である。2003年の日・ASEAN首脳会合に来日したメガワティが、晩餐会か何かの公式会合の席で、熱っぽく『おしん』について語る場面があった。橋田壽賀子の訃報を伝えるテレビ報道で、胡錦濤が『おしん』を語る映像が流れ、「主人公が自ら励み、苦労の末に創業した精神は、とても深い印象を残してくれた」とコメントを発していたが、(すでに要職にあって激務のはずだった)胡錦濤が本当にあの連続ドラマを全部見ていたのかはよく分からない。『おしん』を見て感動した中国人を代表しての言葉であり、あるいは中日友好外交のリップサービスであったかもしれない。
が、メガワティの感動の言葉はまさに本人の心からのもので、40代前半、政治活動をしながらずっと『おしん』に見入っていたことが明らかだ。『おしん』について話したくてたまらないという感じだった。『おしん』の感動を語ることは、日本を褒めることであり、日本について深く知っていることを伝えることであり、アジアの女性の生き方について普遍的な何かを共有する地平に立つことである。そういう作品を成してくれた橋田壽賀子に心から感謝したい。日本で放送されたのが83年4月から84年3月。いい時代だった。すぐにアジアの国々で放送され、タイの女性たちの紅涙を搾り取っているという情報に接した。バンコクにはタイ東北部の貧しい農村から働きに来ている若い女性が多くいて、薄給の中から家族に仕送りする生活を送り、おしんを我が身に重ね合わせてテレビに釘付けになっていた。それはインドネシアの女性たちも同じだっただろう。80年代のタイやインドネシアの農村がどのようなものか、日本の戦前の地主小作制と類似の社会関係があったのかどうか、正確な知識がないが、貧農の家の女の子はそうして一家の支えにならなければならなかったのだろう。
ブログで何度か論じてきたが、橋田壽賀子の描く作品にはまさしく講座派の社会科学の研究と蓄積がある。社会科学そのものだ。戦前の寄生地主制がどのようなものか、そこでの小作農の家族と生活がどのような現実だったのか、農村での家父長制がどのような実態だったのか、そこに置かれた女性の視点からリアルに描かれている。そして、日本の100年間の近現代史が生々しく分かりやすく描かれている。嘘がなく、真実がある。見落としがなく、大事なことがきちんと描かれている。いい時代だったからNHKが傑作を制作できた。『おしん』は日本の戦前社会を知る上での最高かつ完璧な社会科学の教材で、講座派の聖書たる山田盛太郎の『日本資本主義分析』を映像のドラマにしたものだ。そこでの諸範疇がモーション・ピクチャーで再現され説明されている。社会科学を学ぶ大学生は、『分析』を読みつつ『おしん』のDVDを見て欲しい。橋田壽賀子自身が講座派の学問をよく理解して概念を整理しているから、あのようにドラマを立体的に構成できるのであり、そしてそれが真実を描いているから、平均視聴率52.6%を取れたのだ。橋田壽賀子は知識人であり、日本の誇る偉大な知性である。
『おしん』はなぜアジアの人々に愛されたのか。右傾化・属米化の極みに達した現在の日本で語られない真相がある。それは、ドラマにおける社会主義・共産主義の要素とシンパシーだ。ドラマにはその部類に属する様々なキャラクターが登場し、おしんの人生に影響を与え、おしんの人生と寄り添っていく。中村雅俊が演じた反戦の猟師・俊作がそうである。逃亡兵として官憲に追われて非業の最期を遂げる。その次に渡瀬恒彦が演じる共産党活動家の浩太が物語を盛り上げる。地主の坊ちゃんでインテリ。戦前、戦中とおしんと助け、政治から離れた戦後もおしんを経済的に助け、心を通い合わせた事実上の伴侶として描かれる。特高の拷問を受けて足が不自由になる。いい役だ。そして並木史郎が演じた夫の竜三。佐賀の地主の次男で、昭和恐慌以降からファナティックな右翼の軍国主義者に変身するが、結婚前、東京生活している青年時代はハイカラなボンボンで、左翼思想に理解のある準インテリとして登場した。こうした人間関係の進行から、田中裕子演ずるおしんがどういう思想の持ち主かが一目瞭然で、それはおそらく橋田壽賀子と重なっていて、また、テレビの前の当時の高齢者の戦後民主主義と重なっている。
描かれる戦前日本の左翼は、こうして知的水準の高い存在で、最先端のインテリとして一般の尊敬の対象となっている存在だということが分かる。支配層はそれを悪魔視して否定・排除するけれど、大衆からは一目置かれた義士的な表象を持っていて、善良で優秀な青年たちが左翼活動に接触し没頭したのは、知的・倫理的な純粋な動機からであり、自負と使命感からだった。戦前がそういう時代だったことは間違いなく、今とは違って、左翼側の一般的な知的倫理的優越の前提がある。左翼が王道だったのであり、レーニン的な革命の理想が正義であり、それを弾圧する支配者側(天皇制ファシズム)の権力を見下して軽蔑する(江戸っ子の幕府批判のような)心性が成立していた。ここで指摘したいのは、アジアの国々の戦後も似たような過程と様相があったことだ。バンコクやジャカルタのテレビの前で紅涙を流していた女性たちにも、農村の実家に泉ピン子の母ふじや伊東四朗の父作造がいたのと同じく、人生の周辺に、都市や農村で活動する社会主義・共産主義のインテリ青年がいて、何がしかの関わりがあり、多少のシンパサイズと思想的影響(啓蒙)が及んでいたに違いない。それは少なからず悲痛で苦い記憶だっただろう。
タイでは、1976年にタンマサート大学虐殺事件が起きている。血の水曜日事件とも呼ばれている。この軍事クーデターと残虐な赤狩り事件がどのようなものであったか、具体的な資料はネットになく記憶も薄れているが、左派の学生と市民の犠牲者は100人を超えるという情報が載っている。当時のタイ国軍は暴虐性において今のミャンマーと変わるところがなかった。76年はサイゴンが陥落した翌年で、CIAも必死だっただろう。インドネシアについては1965年にスカルノ失脚の軍事クーデターがあり、史上最大規模の赤狩り虐殺事件が起きている。犠牲者数は数百万とも言われていて、まだ十分な検証はなされてないようだ。過去の歴史として落ち着いていない。事件はインドネシア国内でずっとタブーで、誰もにとって恐怖を呼び起こす身近で凄絶な記憶であり、メガワティが『おしん』を見たときもその環境の中にあった。親類のインテリ青年が犠牲になったという体験を持つ者が多かっただろう。スカルノの娘で中道左派のメガワティや、(中国のリベラル左派に見える)胡錦濤が、『おしん』に特にコミットするのは、理由のないことではないと思われる。人間のあるべき生き方が同じで世界観が同じなのだ。
『おしん』の放送で世界最高の視聴率90%を記録したイラン。ここでも凄絶な赤狩りがあった。イラン革命の後、1981年頃だったか、ツデー党(イラン共産党)が権力を握ったパーレビ派(革命評議会)に追い落とされて、弾圧されて大量の処刑が行われた事実がある。『フォーカス』か『フライデー』か忘れたが、当時の写真週刊誌で、クレーン車で何人もが絞首刑された公開処刑の写真が掲載され、息をのんだ記憶がある。イランで家族で『おしん』を見守った人々は、左翼に関わる物語の部分をどのような心境で見つめ、親は子どもたちに説明していただろう。クレーン車で共産党員が大量に吊されていたのは、放送の5年前の出来事だ。戦後のイランも、インドネシアも、タイも、戦前の日本も、農村に遅れた部分を抱え、32年テーゼ的な、レーニン的な後進国革命の構想と運動に衝き動かされた社会であり、そこに存在した思想と人間類型は類似していて、一人一人はその関係性の中に生きていた。そこには、知性と倫理に純粋で、社会を変えて貧者を救おうとするインテリ青年がいて、前衛たる高揚感にひたりつつ、大概は(と言うよりほぼ例外なく)政治に翻弄されて傷つき破滅するのである。
その傍らにおしんのような女性がいて、距離感を測りつつ見守っていた。橋田壽賀子はそれを見事に総括していて、彼女たちの心をグリップしたと言える。アジアの女性たちは、みな橋田壽賀子の同志であり、橋田壽賀子の教室の生徒たちだ。橋田壽賀子こそノーベル文学賞に相応しい。アジア諸国の政府や大学には、『おしん』に感動した者たちが要職に付いて指導している。そこに希望が持てる。日本が滅びても作品『おしん』は不滅だろう。最後に、訃報のニュース映像で紹介されていた橋田壽賀子の言葉、「昔の人はこんなに一首懸命生きていたのに、次の世代の人たちはそれを忘れている」を噛みしめ、呆然となりながら、1995年頃に聞いた司馬遼太郎と大橋巨泉の日本人への遺言的な予言を思い出す。思い出して悲しい。
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が、メガワティの感動の言葉はまさに本人の心からのもので、40代前半、政治活動をしながらずっと『おしん』に見入っていたことが明らかだ。『おしん』について話したくてたまらないという感じだった。『おしん』の感動を語ることは、日本を褒めることであり、日本について深く知っていることを伝えることであり、アジアの女性の生き方について普遍的な何かを共有する地平に立つことである。そういう作品を成してくれた橋田壽賀子に心から感謝したい。日本で放送されたのが83年4月から84年3月。いい時代だった。すぐにアジアの国々で放送され、タイの女性たちの紅涙を搾り取っているという情報に接した。バンコクにはタイ東北部の貧しい農村から働きに来ている若い女性が多くいて、薄給の中から家族に仕送りする生活を送り、おしんを我が身に重ね合わせてテレビに釘付けになっていた。それはインドネシアの女性たちも同じだっただろう。80年代のタイやインドネシアの農村がどのようなものか、日本の戦前の地主小作制と類似の社会関係があったのかどうか、正確な知識がないが、貧農の家の女の子はそうして一家の支えにならなければならなかったのだろう。
ブログで何度か論じてきたが、橋田壽賀子の描く作品にはまさしく講座派の社会科学の研究と蓄積がある。社会科学そのものだ。戦前の寄生地主制がどのようなものか、そこでの小作農の家族と生活がどのような現実だったのか、農村での家父長制がどのような実態だったのか、そこに置かれた女性の視点からリアルに描かれている。そして、日本の100年間の近現代史が生々しく分かりやすく描かれている。嘘がなく、真実がある。見落としがなく、大事なことがきちんと描かれている。いい時代だったからNHKが傑作を制作できた。『おしん』は日本の戦前社会を知る上での最高かつ完璧な社会科学の教材で、講座派の聖書たる山田盛太郎の『日本資本主義分析』を映像のドラマにしたものだ。そこでの諸範疇がモーション・ピクチャーで再現され説明されている。社会科学を学ぶ大学生は、『分析』を読みつつ『おしん』のDVDを見て欲しい。橋田壽賀子自身が講座派の学問をよく理解して概念を整理しているから、あのようにドラマを立体的に構成できるのであり、そしてそれが真実を描いているから、平均視聴率52.6%を取れたのだ。橋田壽賀子は知識人であり、日本の誇る偉大な知性である。
『おしん』はなぜアジアの人々に愛されたのか。右傾化・属米化の極みに達した現在の日本で語られない真相がある。それは、ドラマにおける社会主義・共産主義の要素とシンパシーだ。ドラマにはその部類に属する様々なキャラクターが登場し、おしんの人生に影響を与え、おしんの人生と寄り添っていく。中村雅俊が演じた反戦の猟師・俊作がそうである。逃亡兵として官憲に追われて非業の最期を遂げる。その次に渡瀬恒彦が演じる共産党活動家の浩太が物語を盛り上げる。地主の坊ちゃんでインテリ。戦前、戦中とおしんと助け、政治から離れた戦後もおしんを経済的に助け、心を通い合わせた事実上の伴侶として描かれる。特高の拷問を受けて足が不自由になる。いい役だ。そして並木史郎が演じた夫の竜三。佐賀の地主の次男で、昭和恐慌以降からファナティックな右翼の軍国主義者に変身するが、結婚前、東京生活している青年時代はハイカラなボンボンで、左翼思想に理解のある準インテリとして登場した。こうした人間関係の進行から、田中裕子演ずるおしんがどういう思想の持ち主かが一目瞭然で、それはおそらく橋田壽賀子と重なっていて、また、テレビの前の当時の高齢者の戦後民主主義と重なっている。
描かれる戦前日本の左翼は、こうして知的水準の高い存在で、最先端のインテリとして一般の尊敬の対象となっている存在だということが分かる。支配層はそれを悪魔視して否定・排除するけれど、大衆からは一目置かれた義士的な表象を持っていて、善良で優秀な青年たちが左翼活動に接触し没頭したのは、知的・倫理的な純粋な動機からであり、自負と使命感からだった。戦前がそういう時代だったことは間違いなく、今とは違って、左翼側の一般的な知的倫理的優越の前提がある。左翼が王道だったのであり、レーニン的な革命の理想が正義であり、それを弾圧する支配者側(天皇制ファシズム)の権力を見下して軽蔑する(江戸っ子の幕府批判のような)心性が成立していた。ここで指摘したいのは、アジアの国々の戦後も似たような過程と様相があったことだ。バンコクやジャカルタのテレビの前で紅涙を流していた女性たちにも、農村の実家に泉ピン子の母ふじや伊東四朗の父作造がいたのと同じく、人生の周辺に、都市や農村で活動する社会主義・共産主義のインテリ青年がいて、何がしかの関わりがあり、多少のシンパサイズと思想的影響(啓蒙)が及んでいたに違いない。それは少なからず悲痛で苦い記憶だっただろう。
タイでは、1976年にタンマサート大学虐殺事件が起きている。血の水曜日事件とも呼ばれている。この軍事クーデターと残虐な赤狩り事件がどのようなものであったか、具体的な資料はネットになく記憶も薄れているが、左派の学生と市民の犠牲者は100人を超えるという情報が載っている。当時のタイ国軍は暴虐性において今のミャンマーと変わるところがなかった。76年はサイゴンが陥落した翌年で、CIAも必死だっただろう。インドネシアについては1965年にスカルノ失脚の軍事クーデターがあり、史上最大規模の赤狩り虐殺事件が起きている。犠牲者数は数百万とも言われていて、まだ十分な検証はなされてないようだ。過去の歴史として落ち着いていない。事件はインドネシア国内でずっとタブーで、誰もにとって恐怖を呼び起こす身近で凄絶な記憶であり、メガワティが『おしん』を見たときもその環境の中にあった。親類のインテリ青年が犠牲になったという体験を持つ者が多かっただろう。スカルノの娘で中道左派のメガワティや、(中国のリベラル左派に見える)胡錦濤が、『おしん』に特にコミットするのは、理由のないことではないと思われる。人間のあるべき生き方が同じで世界観が同じなのだ。
『おしん』の放送で世界最高の視聴率90%を記録したイラン。ここでも凄絶な赤狩りがあった。イラン革命の後、1981年頃だったか、ツデー党(イラン共産党)が権力を握ったパーレビ派(革命評議会)に追い落とされて、弾圧されて大量の処刑が行われた事実がある。『フォーカス』か『フライデー』か忘れたが、当時の写真週刊誌で、クレーン車で何人もが絞首刑された公開処刑の写真が掲載され、息をのんだ記憶がある。イランで家族で『おしん』を見守った人々は、左翼に関わる物語の部分をどのような心境で見つめ、親は子どもたちに説明していただろう。クレーン車で共産党員が大量に吊されていたのは、放送の5年前の出来事だ。戦後のイランも、インドネシアも、タイも、戦前の日本も、農村に遅れた部分を抱え、32年テーゼ的な、レーニン的な後進国革命の構想と運動に衝き動かされた社会であり、そこに存在した思想と人間類型は類似していて、一人一人はその関係性の中に生きていた。そこには、知性と倫理に純粋で、社会を変えて貧者を救おうとするインテリ青年がいて、前衛たる高揚感にひたりつつ、大概は(と言うよりほぼ例外なく)政治に翻弄されて傷つき破滅するのである。
その傍らにおしんのような女性がいて、距離感を測りつつ見守っていた。橋田壽賀子はそれを見事に総括していて、彼女たちの心をグリップしたと言える。アジアの女性たちは、みな橋田壽賀子の同志であり、橋田壽賀子の教室の生徒たちだ。橋田壽賀子こそノーベル文学賞に相応しい。アジア諸国の政府や大学には、『おしん』に感動した者たちが要職に付いて指導している。そこに希望が持てる。日本が滅びても作品『おしん』は不滅だろう。最後に、訃報のニュース映像で紹介されていた橋田壽賀子の言葉、「昔の人はこんなに一首懸命生きていたのに、次の世代の人たちはそれを忘れている」を噛みしめ、呆然となりながら、1995年頃に聞いた司馬遼太郎と大橋巨泉の日本人への遺言的な予言を思い出す。思い出して悲しい。
by yoniumuhibi | 2021-04-07 23:30 | Comments(2)
Commented by nyckingyo2 at 2021-04-07 21:33
ときあたかも、現代のミャンマーとも酷似していますね。
中村雅俊が演じた反戦の猟師・俊作は、逃亡兵として官憲に追われて悲劇的な最期を遂げる。私たちはミャンマーに、アウンサン・スーチーからはじまる数万のおしんの影を把握できます。
中村雅俊が演じた反戦の猟師・俊作は、逃亡兵として官憲に追われて悲劇的な最期を遂げる。私たちはミャンマーに、アウンサン・スーチーからはじまる数万のおしんの影を把握できます。
Commented by コスモス at 2021-04-08 08:08 x
子供だったので、おしんは見たことがありません。Yオハンの女性がモデルと噂で聞いたことがありましたが(橋田先生が熱海在住だったからか?)、事実は違って、静岡県中部の女性から聞いた話をもとに先生が再構成されたのですね。
橋田先生がいいともに出ていた頃、番組のディレクターが、番組に出たことがありました。ディレクターが一橋卒と聞いて先生は「一橋出てこんな仕事してたらだめよ」と言ってのけ、番組は一瞬静まり返ったものの、生放送でしたのでそのまま放送されてしまったのです。
ブログ主さんのご投稿を読んで、先生は「一橋を出たような人間はもっと使命感を持って、やるべき仕事があるでしょう」と言いたかったのだろうなとわかりました。
私が印象に残っているのは、「おんなは度胸」という朝ドラです。桜井幸子演じる若い主人公が、通訳ガイド?の国家試験受けようとして失敗、旅行社では電話番のような仕事しかさせてもらえない、旅館を経営している実家ならおかみになれるという状況で苦闘していましたが、女性の社会進出が叫ばれていた時代に、女性の置かれる難しさをしっかりと描いておられました。先生は決して嫁姑ドラマの人ではなかったこと、ブログ主さんのご投稿で認識を改めました。
橋田先生がいいともに出ていた頃、番組のディレクターが、番組に出たことがありました。ディレクターが一橋卒と聞いて先生は「一橋出てこんな仕事してたらだめよ」と言ってのけ、番組は一瞬静まり返ったものの、生放送でしたのでそのまま放送されてしまったのです。
ブログ主さんのご投稿を読んで、先生は「一橋を出たような人間はもっと使命感を持って、やるべき仕事があるでしょう」と言いたかったのだろうなとわかりました。
私が印象に残っているのは、「おんなは度胸」という朝ドラです。桜井幸子演じる若い主人公が、通訳ガイド?の国家試験受けようとして失敗、旅行社では電話番のような仕事しかさせてもらえない、旅館を経営している実家ならおかみになれるという状況で苦闘していましたが、女性の社会進出が叫ばれていた時代に、女性の置かれる難しさをしっかりと描いておられました。先生は決して嫁姑ドラマの人ではなかったこと、ブログ主さんのご投稿で認識を改めました。
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