イラク戦争・ガザ侵攻時との国連の二重基準 - 「窮鼠」を封じる暗殺作戦

アメリカのイラク侵攻が起きたのは2003年の3月。19年前のちょうど今頃、NYの国連ではこの問題をめぐって侃々諤々の議論が紛糾していた。安保理で連日激しい論争が交わされ、開戦に反対する仏ロ中と、攻撃やむなしとする米英と、P5が2派に分かれて激論の火花を散らしていた。伊達男のドヴィルパンが主役に浮上して活躍、華麗な弁舌と論陣で注目と人気を集めた。なぜ、あのとき、米英以外の理事国13か国は、今回のように総会の緊急特別会合開催へ歩を進める手続きに出なかったのだろう。

何度も起きたガザ侵攻。06年、08年、14年。とりわけ記憶に残っているのは08年から09年のときである。毎日懸命にブログを書いた。イスラエルの爆撃を受け、子どもたちが殺された。イスラエルは、そこに多くの子どもがいるのを知っていながら、故意にミサイル空爆して大量殺戮した。市街に入った地上部隊が残酷に子どもを小銃で射殺した。兄弟の目の前で。何で、何で、安保理理事国は今回の手続きを使い、国連総会で虐殺を糾弾する動きに出なかったのか。総会での非難決議の政治を行わなかったのか。口惜しい。

08-09年のガザ侵攻で、パレスチナ側は1417人の死者を出し、926人が民間人でうち子どもの死者が313人である。2014年のガザ侵攻では同じく2251人の死者を出し、70%が民間人で、うち子どもが551人である。これほど大量に、数次にわたって子どもが殺されたのに、残虐な暴力と人道への罪に対して国連は何もしなかった。2012年に報告されたイラク戦争の民間人の犠牲者は12万7980人。50万人という推定もある。戦争が長期化し、イラク側がゲリラ戦で抵抗したため、犠牲者の数は途方もなく多くなった。民間人を殺してPTSDになった帰還米兵には同情が集まるが、名も無く殺されたイラク人を弔う者はいない。二重基準。

アメリカの方は、こうしたプーチンの危険性を嗅ぎつけ、また口実にして、どうやらプーチンの斬首作戦を立案する段階に入っている。プーチンの精神状態が異常だという説が週末からどんどん流されている。プーチンの人格否定の言説攻勢が始まり、この男は頭がおかしくなっているのだ、ロシア政府内でも浮き上がっているのだ、ロシア国民から支持されてないのだ、という情報宣伝が流布され敷き固められている。だから暗殺されてもしかたないのだという世論作りの布石だ。カダフィやアラファトのときも、似たような言説工作をやっていた。トマホークで仕留めるか、SEALs刺客団を送るか。

それはトゥキディデスの罠に踏み込み、世界が破滅に向かう進行に違いない。キューバ危機のときのことを思い出すべきだと思う。あのとき、戦略を仕掛けた側はソ連で、追い詰められた側はアメリカだった。そして、フルシチョフの譲歩で事なきを得た。今回、同じ展開があり、今回は追い詰められた側がロシアで、振り上げた拳の落としどころに窮したのはロシアだった。プーチンは、2月12日のバイデンとの電話会談で、アメリカが譲歩してくると踏んだのだろう。核戦争・第三次世界大戦を回避するにはそれしかなく、必ずロシアの要求に耳を傾けて妥協してくると推断したはずだ。

四面楚歌の中で、そこしか(論理的な)活路と展望がない。もし仮に、核戦争になり、欧州と世界が破滅の地獄になったなら、すべての後で、この歴史はキューバ危機と比較されることになるだろう。あのとき、フルシチョフは苦汁の決断だった。結論を言えば、互いに妥協を試みた努力の末、トゥキディデスの罠から脱却することができた。今の国連の動きを見ながら、私はとても悲観的な気分になる。ロシアを悪魔視して一方的に仕置きしても平和の問題解決にはならない。ロシアの中には、一定部分、プーチンのウクライナ戦争の動機を支持する者がいるはずだ。
欧米がプーチンを失脚させ(暗殺含む)、レジームチェンジ(ロシアのカラー革命)に成功したとしても、そこから反動が起き、ロシア・ナショナリズムが勃興し、ロシア国内は内乱状態になるだろう。ヨーロッパは阿鼻叫喚の嵐になる。人命が大量に失われ、収拾がつかない破局と破壊に襲われる。














※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます