(写真にアップしたのは、次回「反骨者列伝」で書く予定のアイヌ人彫刻家砂澤ビッキ氏の死の直前の写真)
反骨者というと真っ先に思いだすのは、日本一のドキメンタリー作家故松下竜一さんと反骨を絵に描いた政治家故鈴木東民さん。
松下竜一さんはずっと長い間、豆腐屋さんの傍ら自伝的小説やドキメンタリーを。
◆「やっぱり優しさじゃろね、故松下竜一さんの妻洋子さん 」・・『松下竜一さんの素顔』は
◆僕が真っ先読んで感動したのも、天皇暗殺計画と三菱重工ビル爆破事件等を扱ったこの本『狼煙を・・』だった
◆戦後日本を知るために真っ先に挙げたいのはー『松下竜一全集』
◆◆個人的に大好きなのはー『松下竜一その仕事18 久さん伝』
◆◆この愛すべきテロリスト和田久太郎の文章が読めるのは『寒空文庫』
◆◆松下竜一についてのあれこれはーhttp://www.livingroom.ne.jp/w/mtstryic.htm
◆内容はちと古いけどこのサイトも欠かせないのでーhttp://www.cis.yamaguchi-pu.ac.jp/~kiyohara/personalweb/matsushita/ryuichimenu.html
◆松下竜一さんのスローライフ(相米慎二監督の映画を観たかった)はーhttp://www.sloth.gr.jp/library/nakamura/040707matsusita.htm
◆「松下竜一さんを偲ぶつどい」で国労闘争団員が偲ぶ言葉は『国労闘争団員の言葉』
・・東民は戦後間もなくの読売争議で指導者的役割を果たし、その敗北後、故郷釜石市の市長に。そこで公害反対の姿勢を新日本製鉄から睨まれて落選し一市議に。それも会社側の反対運動のために落選。
◆詳しくは『反ナチ、読売争議そして市長ー鎌田慧著 「反骨―鈴木東民の生涯(講談社)参照をー『反骨』
◆挫折しない東民という視点からはー『挫折しない東民』
◆岩手・忘れ得ぬ人びと②北山愛郎(元社会党副委員長)、鈴木東民、伊藤猛虎(戦前伊藤律を取り調べた特高でゾルゲ事件へ発展)は『岩手・忘れ得ぬ人びと』
◆ケーテ・コルヴィッツの日記を訳したのは、鈴木マリオンではなくて父の鈴木東民だったとかーhttp://w2.avis.ne.jp/~hito-art/nikki-6-6-14.htm
・・これら本の中で僕が驚いたのは、東民と宮澤賢治との交流だった。東大前の印刷所で一緒に働いたのが縁となり、宮澤家訪問のいきさつもほんとにほのぼのした内容。
宮澤賢治の社会主義への関心や、関東大震災以来の社会への関心(労農党支援等)は、鈴木東民との交流にその一因があるのではと想像させられる。
トヨタグループ時代は釜石出身の人が多くて、色々教えてもらった釜石市長・市議だった頃の東民の話を懐かしく思いだす。死後もとても人気がある日本の政治家では稀有の人だったんだなと思う。
反骨者というと真っ先に思いだすのは、日本一のドキメンタリー作家故松下竜一さんと反骨を絵に描いた政治家故鈴木東民さん。
松下竜一さんはずっと長い間、豆腐屋さんの傍ら自伝的小説やドキメンタリーを。
◆「やっぱり優しさじゃろね、故松下竜一さんの妻洋子さん 」・・『松下竜一さんの素顔』は
◆僕が真っ先読んで感動したのも、天皇暗殺計画と三菱重工ビル爆破事件等を扱ったこの本『狼煙を・・』だった
◆戦後日本を知るために真っ先に挙げたいのはー『松下竜一全集』
◆◆個人的に大好きなのはー『松下竜一その仕事18 久さん伝』
◆◆この愛すべきテロリスト和田久太郎の文章が読めるのは『寒空文庫』
◆◆松下竜一についてのあれこれはーhttp://www.livingroom.ne.jp/w/mtstryic.htm
◆内容はちと古いけどこのサイトも欠かせないのでーhttp://www.cis.yamaguchi-pu.ac.jp/~kiyohara/personalweb/matsushita/ryuichimenu.html
◆松下竜一さんのスローライフ(相米慎二監督の映画を観たかった)はーhttp://www.sloth.gr.jp/library/nakamura/040707matsusita.htm
◆「松下竜一さんを偲ぶつどい」で国労闘争団員が偲ぶ言葉は『国労闘争団員の言葉』
・・東民は戦後間もなくの読売争議で指導者的役割を果たし、その敗北後、故郷釜石市の市長に。そこで公害反対の姿勢を新日本製鉄から睨まれて落選し一市議に。それも会社側の反対運動のために落選。
◆詳しくは『反ナチ、読売争議そして市長ー鎌田慧著 「反骨―鈴木東民の生涯(講談社)参照をー『反骨』
◆挫折しない東民という視点からはー『挫折しない東民』
◆岩手・忘れ得ぬ人びと②北山愛郎(元社会党副委員長)、鈴木東民、伊藤猛虎(戦前伊藤律を取り調べた特高でゾルゲ事件へ発展)は『岩手・忘れ得ぬ人びと』
◆ケーテ・コルヴィッツの日記を訳したのは、鈴木マリオンではなくて父の鈴木東民だったとかーhttp://w2.avis.ne.jp/~hito-art/nikki-6-6-14.htm
・・これら本の中で僕が驚いたのは、東民と宮澤賢治との交流だった。東大前の印刷所で一緒に働いたのが縁となり、宮澤家訪問のいきさつもほんとにほのぼのした内容。
宮澤賢治の社会主義への関心や、関東大震災以来の社会への関心(労農党支援等)は、鈴木東民との交流にその一因があるのではと想像させられる。
トヨタグループ時代は釜石出身の人が多くて、色々教えてもらった釜石市長・市議だった頃の東民の話を懐かしく思いだす。死後もとても人気がある日本の政治家では稀有の人だったんだなと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます