ぴあピアノ教室 in 目白

豊島区目白にある
小さなピアノ教室のページです。
日々の出来事を綴っています。

たまにはね

2012-02-23 10:23:19 | 演奏
たまには…真面目な話でも書いてみようと思う。
(普段がオチャラケ過ぎているとも言える…?)


昔々学生時代に何かの授業で「イデア論」について学んだ。
その詳しいことも、それがなんであったかもよく覚えていないが(おいおい
音楽の究極について考えさせられた記憶がある。

究極。

イデアという「真」の世界があって、
それを手に入れるべく現実の似た世界があるのとかどうとか。

…という難しい前提はさておき。
イデア論から、私が感じたことを書く。


音楽に合格ラインはない。
パーフェクトもない。

浅田真央ちゃんが以前はよく口にしていた「ノーミスの演技」も、
最近は芸術方面を重視しているのか、「ベストパフォーマンス」は言っても、
「ノーミス」は言わなくなった(…のかな?)

ノーミスは技術面ばかりを追いかけてしまいやすく、
練習さえ積めば、何とかなるかも知れない。
でも芸術面は、練習を積んだからどうにかなるものでもない。
演者が「こうなりたい」という一縷の糸を手繰るように
そこを目指して真摯に向き合う。

確かな形がないものだ。

演奏して行く中で、
「コレ」という到達点に辿り着いたら、
きっとそれ以降は下り坂だ。
落ちるしかない。
それ以上を目指さしていきたいのに、「コレ」にタッチしたら、
「コレ」にタッチしようと、そこだけを目指してしまう。
「コレ」にしがみつき、「コレ」が日々出せるようになったら安心。

きっと「コレ」自体が下って来てもだ。

目に見えない、一縷の糸を追い求め演奏する。

演奏とはそんな究極を追い求め続けるものだと、最近つくづく思う。

そしてその一縷の糸は、自分でしか見出せない。

どんな気持ちを伝えたいか、どんな情景を思い描いているのか、
形にはできないイデアを、心の中でずっと描き続けるしかないのだ。

まだピアノを始めて一年に満たないMさんは、
そのピアノ歴にも関わらず、そこ、感じ取っている。
だから、毎週同じ曲を弾いてもらってもいつも違う演奏になる。
「この部分って、どうしたいの?」と聞いても
「まだ、出てきていない」
とか
「前からの流れによって、全然違う風に弾きたくなったりして」
とか言う。
自分なりの音楽がぼんやりあるようで、
私はレッスン中、それにより近付けるよう横からチャチャを入れている。
私の提案に「ん~、そうではない」とか、きちんと言ってくれる。
じゃ、どうしたいんだ!と、二人でああでもないこうでもないと話す。
かなり楽しい。



音楽にゴールはない。
それを、とある方向に向かせ、人前で演奏する。

究極…だな。
コメント
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