ピアノを教える、ということを続けていく中で、
たびたびこんなお家の声に出会いました。
「一日何回くらい弾けばいいですか?」。
あるいは、
「今週は一日5回ずつ弾かせました」。
右手○回、左手○回。
これ、私としてはちょっと困ってしまう声。
だってピアノはスポーツとは違うから。
腹筋100回やりましょう!は、スポーツ選手にとってはアリだと思うのですが、
ピアノを弾くにはナシだと思うのです。
ピアノの練習。
確かに、何回も繰り返し弾くことがいいとは思うのですが、
頭ごなしに○回弾こう!は、ちょっと違うと思います。
頭を空っぽにして腹筋をがんばるのとは目的が違うと。
大切なのは、自分の耳を使って聴きながら弾くこと。
まずは、音を間違えずに弾けているか。
耳を使わずに弾いていると、
間違った音を弾いているかさえ気付かないことがあります。
いつも同じところで間違えていないか、止まっていないか。
演奏中、止まったことさえ全く記憶にない場合もあります。
それから先はもっと深い練習になりますよね。
表現、音、流れ…。
自分の演奏をチェックできる耳、
客観的に聴ける耳を養わなければいけません。
だから、「○回弾こう!」では無理を感じます。
「あと○回弾いたら練習終わり」、
なんて思いながら、自分の演奏を客観的に聴けているとは思えないから。
願わくば、「ここだけでも、こう弾けたら練習終わり」
のほうが、自分の演奏を客観的に聴けるのではないかと思います。
レッスンの中でもよく
「今の演奏どうだった?」と聞きます。
「ん~、分かんない」も、残念ながらよく聞こえてきます。
でも、
「じゃ、止まらないで弾けるか、もう一度弾いてみよう」や、
「ここの強弱がうまくできるか、もう一度弾いてみよう」など、
具体的な「聴きどころ」を作って演奏してもらうことで、
「ん~、分かんない」という答えも少しずつなくなってきます。
「どうだった?」
「ここらへんが、つっかえてて残念」
「じゃ、どうやって練習しようか」
「うんとね~…」
と次第に練習の仕方を自分で考えられるように促していきます。
難しいことですが、気付き始めると、
客観的な耳はどんどん養われていきます。
演奏自体もどんどん変わっていきます。
一音一音が大切に弾けるようになっていきます。
レッスンの中で、小さな声かけを積み重ねて、
客観的な耳を作る助けができればと、いつも思っています。
たびたびこんなお家の声に出会いました。
「一日何回くらい弾けばいいですか?」。
あるいは、
「今週は一日5回ずつ弾かせました」。
右手○回、左手○回。
これ、私としてはちょっと困ってしまう声。
だってピアノはスポーツとは違うから。
腹筋100回やりましょう!は、スポーツ選手にとってはアリだと思うのですが、
ピアノを弾くにはナシだと思うのです。
ピアノの練習。
確かに、何回も繰り返し弾くことがいいとは思うのですが、
頭ごなしに○回弾こう!は、ちょっと違うと思います。
頭を空っぽにして腹筋をがんばるのとは目的が違うと。
大切なのは、自分の耳を使って聴きながら弾くこと。
まずは、音を間違えずに弾けているか。
耳を使わずに弾いていると、
間違った音を弾いているかさえ気付かないことがあります。
いつも同じところで間違えていないか、止まっていないか。
演奏中、止まったことさえ全く記憶にない場合もあります。
それから先はもっと深い練習になりますよね。
表現、音、流れ…。
自分の演奏をチェックできる耳、
客観的に聴ける耳を養わなければいけません。
だから、「○回弾こう!」では無理を感じます。
「あと○回弾いたら練習終わり」、
なんて思いながら、自分の演奏を客観的に聴けているとは思えないから。
願わくば、「ここだけでも、こう弾けたら練習終わり」
のほうが、自分の演奏を客観的に聴けるのではないかと思います。
レッスンの中でもよく
「今の演奏どうだった?」と聞きます。
「ん~、分かんない」も、残念ながらよく聞こえてきます。
でも、
「じゃ、止まらないで弾けるか、もう一度弾いてみよう」や、
「ここの強弱がうまくできるか、もう一度弾いてみよう」など、
具体的な「聴きどころ」を作って演奏してもらうことで、
「ん~、分かんない」という答えも少しずつなくなってきます。
「どうだった?」
「ここらへんが、つっかえてて残念」
「じゃ、どうやって練習しようか」
「うんとね~…」
と次第に練習の仕方を自分で考えられるように促していきます。
難しいことですが、気付き始めると、
客観的な耳はどんどん養われていきます。
演奏自体もどんどん変わっていきます。
一音一音が大切に弾けるようになっていきます。
レッスンの中で、小さな声かけを積み重ねて、
客観的な耳を作る助けができればと、いつも思っています。