「1984」と言えば、村上春樹さんの「1Q84」の続編が出るみたいですね~。
読後「え、これで終わり~?」と思ったのでなんとなく納得です。
それはそうと!
ジョージオーエルの「1984」の記事を書いたあとにもう一度「1984」を読む機会ができました。
(前回のジョージ・オーエルの「1984」の記事はこちら。)
読んでとても引っかかったのが主人公が惹かれる女性ジュリアの描き方でした。
主人公は体制に不満を持っているので、体制の中で活動的なジュリアを憎んでいます。
彼はジュリアと一度も話した事がないのに「ああいう女が自分のような人間を密告する」とか「自分を怪しんでいる」とパラノイアに近い憎悪を抱いています。
ついには次にあったら(自分を守るために)彼女を殺してやるとまで決心するのですが、
はじめてジュリアとすれ違った時彼女からメモを渡され
意外にもそのメモには「好きです」と一言書かれていた。
それであっさり主人公は彼女を好きになってしまうのです。
彼女が主人公の周りをうろついていたのは彼を密告するためではなく単に好きだったからなのですが
彼女も自分がレジスタントだと告白します。
しかし彼女はエホバの証人でいう「ニュータイプ」二世みたいな人だったのです。
「悪いこと」(セックスなど)はしたいので「良いこと」(「1984」の中では政治活動)を沢山してそれを覆い隠す。
自分が熱心に活動していれば周りは自分をほうっておいてくれるから良い活動はたくさんするのだと。
心から信じて活動をしているのでも、やりたいから活動するのでもなく、自分がしたい事ができるように良い活動をするのだと。
そういう事をあっさり言ってのけるのです。
一方主人公は「1984」の中のイデオロギーにまじめに抵抗し、疑問を感じ、人間はこうあるべきではないと葛藤する。
それを聞いてジュリアは「どうでもいい」とか「よくわからない」といって関心を示しません。
ジュリアという登場人物は本当にエホバの証人の中のニュータイプそのものなので、読んでゆくにつれ
社会主義のような体制の中では人が変化するパターンのようなものがあるのかな?と思ってしまいました。