新しいカテゴリー「海外のJW事情」つけ加えました。アメリカ以外にも他の国の情報があるのでこれからかいていきたいと思います。
新しい雑誌(日本語は来るの遅いので、私には新着です)はかなり神経に触るものがありました。排斥された2世の方は今日のブログは読まれないほうがいいかも…。
「子供が反抗の道に進んでも硬く立つ」って記事です。ぱらっとめくってぱらっと読んでいたら「う!!」ときたのでちょっと聞いてください、、
「ジョイというクリスチャンの女性は息子がエホバを愛するように一所懸命育ててきました。しかしその息子は十代の後半になると、親に反抗して家を出ていきました。ジョイはこういいます、”今で経験したことがないほど深く傷つきました。裏切られたように感じ挫折感に教われました。」
って、10代後半になったら親元を離れるのが反抗、、ですか、、。子供がひとりの個人として信仰を選ぶ権利はどこに???
信仰は個人のものです。どうして親がその結果に「深く傷つけられた」気持ちになったり挫折したりするの?????もし、そのことを子供に伝えるなら、子供に親を喜ばせる選択をしろ、と信仰を脅迫しているようなものじゃないですか、、。
親にはそんなことをいう「権利」はないと思います。それをごく普通の感情だ、、というように載せるものみの塔、、を疑います。
次のページに共に祈っている両親の写真と、同じく両親が集会に出席している写真が載っています。昔からさし絵に注目しろ、協会は挿絵に多くの意味を込めていると教えられてきたのでじっと観察しました。そこに載っている母親の感情のない、ロボットのような表情にぞっとしました。
それはそれとして、、。
「親は多少決まりの悪い思いをするかもしれません。子供の行動によって家族の評判が損なわれたのではないかと思うこともあります。」だって。
家族の評判がそんなに大事ですか。親にとって一番大切なのは子供だと思ってました。それに家族の評判って一体なんでしょう、、、。
問題はその後の「厳しい懲らしめが与えられた時」です。
「子供がバプテスマをうけている場合、中略-排斥されるかもしれません。親が排斥された子供とどの程度接触をもつかは子供の年齢と事情によってきまります。」
って?
????
排斥って排斥ですよね、年齢と事情
って、なんでしょう、、事情って妙に範囲が広い設定ですよね、、、。いつから排斥が年齢と「事情」によって異なるように??
「子供が未成年で親元で暮らしているなら-中略- 子供には道徳的な訓練や懲らしめも必要であり親にはそれを与える権利があります。子供との聖書研究を司会したいと思うかもしれません。またクリスチャンの集会に伴い自分の隣に座らせることができます。」
って??待って!!!排斥されてるのに??まだ研究させる?集会に出席させる???って。排斥になっても研究から逃げられないって勘弁してあげて涙
未成年だってもうJWでいられないから、悩んで、苦しんで、傷ついて、排斥という道をとったんです。吐き気がするような異端審問のような審議委員会にさらされてきたんです。(私も経験があります。)
読んでいて悪夢をみているような、そしてむかつく気分におそわれました。信仰は個人のもの、親にはそれを強要する「権利」なんてありません。ここまでするなら親を訴えてもいいでしょうね、立派な拘束行為だと思います。
問題はでも、そういうことではないと思うんです。親を訴えるなんて、子供ならしたくないし、まして未成年なら親の精神的、経済的援助が必要なころなんだし、、子供もひとりの人間、裏切られたとか親が子供にいうのは卑怯。親の資格がない。
ものみの塔はひどい!!!こんな人の人権を踏みにじるようなことを平気で書くなんて。直接投稿したくなった、、。
新しい雑誌(日本語は来るの遅いので、私には新着です)はかなり神経に触るものがありました。排斥された2世の方は今日のブログは読まれないほうがいいかも…。
「子供が反抗の道に進んでも硬く立つ」って記事です。ぱらっとめくってぱらっと読んでいたら「う!!」ときたのでちょっと聞いてください、、
「ジョイというクリスチャンの女性は息子がエホバを愛するように一所懸命育ててきました。しかしその息子は十代の後半になると、親に反抗して家を出ていきました。ジョイはこういいます、”今で経験したことがないほど深く傷つきました。裏切られたように感じ挫折感に教われました。」
って、10代後半になったら親元を離れるのが反抗、、ですか、、。子供がひとりの個人として信仰を選ぶ権利はどこに???
信仰は個人のものです。どうして親がその結果に「深く傷つけられた」気持ちになったり挫折したりするの?????もし、そのことを子供に伝えるなら、子供に親を喜ばせる選択をしろ、と信仰を脅迫しているようなものじゃないですか、、。
親にはそんなことをいう「権利」はないと思います。それをごく普通の感情だ、、というように載せるものみの塔、、を疑います。
次のページに共に祈っている両親の写真と、同じく両親が集会に出席している写真が載っています。昔からさし絵に注目しろ、協会は挿絵に多くの意味を込めていると教えられてきたのでじっと観察しました。そこに載っている母親の感情のない、ロボットのような表情にぞっとしました。
それはそれとして、、。
「親は多少決まりの悪い思いをするかもしれません。子供の行動によって家族の評判が損なわれたのではないかと思うこともあります。」だって。
家族の評判がそんなに大事ですか。親にとって一番大切なのは子供だと思ってました。それに家族の評判って一体なんでしょう、、、。
問題はその後の「厳しい懲らしめが与えられた時」です。
「子供がバプテスマをうけている場合、中略-排斥されるかもしれません。親が排斥された子供とどの程度接触をもつかは子供の年齢と事情によってきまります。」
って?
????
排斥って排斥ですよね、年齢と事情
って、なんでしょう、、事情って妙に範囲が広い設定ですよね、、、。いつから排斥が年齢と「事情」によって異なるように??
「子供が未成年で親元で暮らしているなら-中略- 子供には道徳的な訓練や懲らしめも必要であり親にはそれを与える権利があります。子供との聖書研究を司会したいと思うかもしれません。またクリスチャンの集会に伴い自分の隣に座らせることができます。」
って??待って!!!排斥されてるのに??まだ研究させる?集会に出席させる???って。排斥になっても研究から逃げられないって勘弁してあげて涙
未成年だってもうJWでいられないから、悩んで、苦しんで、傷ついて、排斥という道をとったんです。吐き気がするような異端審問のような審議委員会にさらされてきたんです。(私も経験があります。)
読んでいて悪夢をみているような、そしてむかつく気分におそわれました。信仰は個人のもの、親にはそれを強要する「権利」なんてありません。ここまでするなら親を訴えてもいいでしょうね、立派な拘束行為だと思います。
問題はでも、そういうことではないと思うんです。親を訴えるなんて、子供ならしたくないし、まして未成年なら親の精神的、経済的援助が必要なころなんだし、、子供もひとりの人間、裏切られたとか親が子供にいうのは卑怯。親の資格がない。
ものみの塔はひどい!!!こんな人の人権を踏みにじるようなことを平気で書くなんて。直接投稿したくなった、、。