〔週刊 本の発見〕第101回(2019/3/21)【レイバーネット日本】
◆ 教育破壊がとまらない
『英語教育の危機』(鳥飼久美子、ちくま新書、780円、2018年1月)
『国語教育の危機-大学入学共通テストと新学習指導要領』(紅野謙介、ちくま新書、880円、2018年9月)
教育労働者は長時間労働に疲れ果て、なり手がいない状態にまで追い込まれている。
疲弊した教育現場に追い打ちをかけるように「教育改革」が持ち込まれる。改革という名の破壊がその実態に他ならないことを明かした2冊の本をあわせて紹介したい。
まず◆ 『英語教育の危機』(鳥飼久美子)から。
新「学習指導要領」(2017年)によって、20年度から小学校5、6年生で英語教科が始まる。
中・高の英語は英語で教えることが義務付けられた。すでに2008年第1次安倍内閣時に教育基本法が改悪がされた。
それを具体化する「グローバル人材育成推進会議」(2011年)の「グローバル人材育成戦略」があり、さらに促進するための経団連提言「世界を舞台に活躍できる人づくりのために」(2013年)もある。
鳥飼はこの提言を「英語を駆使してグローバルに闘う企業戦士の育成」と皮肉を込めて要約している。
会話重視というが10年以上前から学校英語はそうなっている。だがそれらしい成果など今に至るも聞こえてこない。
学校の英語は使えないという俗論がマスコミにもはびこり、現場の状態を誰も知ろうとしない。それが「英語は英語で教えろ」などという暴論になる。
こんな「改革」は混乱をもたらすのみ。鳥飼はそう厳しく批判する。
母語で教えてこそ「コミュニケーション能力」(学習指導要領)は深まるし、能力別学級より協同学習によって初めて学習への自律したモチーフが育つ。
センター試験に代わる「大学入学共通テスト」にTOEICなどの民間業者試験が導入されるなど、誰のための改革なのか。これこそ無理が通れば道理引っ込むではないか。
本書には「英語教育」にとどまらない政府の教育政策を問う厳しい批判が脈打っている。
◆ 『国語教育の危機』(紅野謙介)に移る。
今回は学習指導要領(戦後にはじまり徐々に拘束力を強めた)はじまって以来の大改訂と著者は指摘する。
センター試験に代わる「入学共通テスト」の ①記述式モデル問題例 ②マークシート式問題例 ③プレテストのそれぞれについての分析が、本書の大半を割いてなされる。
決めつけたり、先見的に裁断したりするのを避け、設問と解答自体に潜む出題者の意図を緻密に解明する方法をとった著者によって、問題作成者たちの狙いが隠しようもなく浮き彫りになる。
「作成者の思想(イデオロギー)」は、「現在の日本の政治・経済・社会によって規定されている『公共』の概念を絶対条件として受け入れようという意思」に他ならない。
「問題文」を「資料」と呼び、それを軍事用語由来の「情報」などという言葉で現そうとする、その言語感覚を著者は批判する。
高校国語の新しい科目編成では、詩、小説、評論など文学より公文書、契約書などの実用文が重視され、そのうえ「古典」なども結局後景に退くことになる。
「『伝統』を掲げる者たちによって『伝統』が破壊されていく」との指摘は鋭い。
かれらの復古主義は実利主義と背中合わせで、その日本愛は我利我利亡者の自己愛に他ならない。それが世界に通ずるはずはない。
膨大な予算と人手をかけて、こんな「破壊的な社会実験」をするのか、日本の官僚主義・集団主義は「いったん走り出したら、止められない」のかと紅野は憤る。
言うまでもないが著者ふたりはともに教育・研究者の畑の人。それがここまで強い危機感を示し発言している。
危機であるよりすでに崩壊に等しいのが現実なのだ。そこからどんな人が育つというのか。
政府は教育現場を思想闘争の最前線ととらえ、戦後一貫して矛先を日教組に向け、執拗な攻撃を繰り返してきた。
教育労働者が疲れ切ってしまったのは、日教組の衰退のために他ならない。
積み重ねられた教育実践もこわされた。学校現場にどうやって教育労働運動を蘇らせるか。それこそ喫緊の課題と思うのだ。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。
『レイバーネット日本』(2019-03-21)
http://www.labornetjp.org/news/2019/0321hon
◆ 教育破壊がとまらない
『英語教育の危機』(鳥飼久美子、ちくま新書、780円、2018年1月)
『国語教育の危機-大学入学共通テストと新学習指導要領』(紅野謙介、ちくま新書、880円、2018年9月)
評者:志真秀弘
教育労働者は長時間労働に疲れ果て、なり手がいない状態にまで追い込まれている。
疲弊した教育現場に追い打ちをかけるように「教育改革」が持ち込まれる。改革という名の破壊がその実態に他ならないことを明かした2冊の本をあわせて紹介したい。
まず◆ 『英語教育の危機』(鳥飼久美子)から。
新「学習指導要領」(2017年)によって、20年度から小学校5、6年生で英語教科が始まる。
中・高の英語は英語で教えることが義務付けられた。すでに2008年第1次安倍内閣時に教育基本法が改悪がされた。
それを具体化する「グローバル人材育成推進会議」(2011年)の「グローバル人材育成戦略」があり、さらに促進するための経団連提言「世界を舞台に活躍できる人づくりのために」(2013年)もある。
鳥飼はこの提言を「英語を駆使してグローバルに闘う企業戦士の育成」と皮肉を込めて要約している。
会話重視というが10年以上前から学校英語はそうなっている。だがそれらしい成果など今に至るも聞こえてこない。
学校の英語は使えないという俗論がマスコミにもはびこり、現場の状態を誰も知ろうとしない。それが「英語は英語で教えろ」などという暴論になる。
こんな「改革」は混乱をもたらすのみ。鳥飼はそう厳しく批判する。
母語で教えてこそ「コミュニケーション能力」(学習指導要領)は深まるし、能力別学級より協同学習によって初めて学習への自律したモチーフが育つ。
センター試験に代わる「大学入学共通テスト」にTOEICなどの民間業者試験が導入されるなど、誰のための改革なのか。これこそ無理が通れば道理引っ込むではないか。
本書には「英語教育」にとどまらない政府の教育政策を問う厳しい批判が脈打っている。
◆ 『国語教育の危機』(紅野謙介)に移る。
今回は学習指導要領(戦後にはじまり徐々に拘束力を強めた)はじまって以来の大改訂と著者は指摘する。
センター試験に代わる「入学共通テスト」の ①記述式モデル問題例 ②マークシート式問題例 ③プレテストのそれぞれについての分析が、本書の大半を割いてなされる。
決めつけたり、先見的に裁断したりするのを避け、設問と解答自体に潜む出題者の意図を緻密に解明する方法をとった著者によって、問題作成者たちの狙いが隠しようもなく浮き彫りになる。
「作成者の思想(イデオロギー)」は、「現在の日本の政治・経済・社会によって規定されている『公共』の概念を絶対条件として受け入れようという意思」に他ならない。
「問題文」を「資料」と呼び、それを軍事用語由来の「情報」などという言葉で現そうとする、その言語感覚を著者は批判する。
高校国語の新しい科目編成では、詩、小説、評論など文学より公文書、契約書などの実用文が重視され、そのうえ「古典」なども結局後景に退くことになる。
「『伝統』を掲げる者たちによって『伝統』が破壊されていく」との指摘は鋭い。
かれらの復古主義は実利主義と背中合わせで、その日本愛は我利我利亡者の自己愛に他ならない。それが世界に通ずるはずはない。
膨大な予算と人手をかけて、こんな「破壊的な社会実験」をするのか、日本の官僚主義・集団主義は「いったん走り出したら、止められない」のかと紅野は憤る。
言うまでもないが著者ふたりはともに教育・研究者の畑の人。それがここまで強い危機感を示し発言している。
危機であるよりすでに崩壊に等しいのが現実なのだ。そこからどんな人が育つというのか。
政府は教育現場を思想闘争の最前線ととらえ、戦後一貫して矛先を日教組に向け、執拗な攻撃を繰り返してきた。
教育労働者が疲れ切ってしまったのは、日教組の衰退のために他ならない。
積み重ねられた教育実践もこわされた。学校現場にどうやって教育労働運動を蘇らせるか。それこそ喫緊の課題と思うのだ。
*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。
『レイバーネット日本』(2019-03-21)
http://www.labornetjp.org/news/2019/0321hon
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