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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

連載イギリスの「教育改革」1

2006年11月09日 | 人権
 連載 イギリスの「教育改革」 1
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<< 安倍首相が賛美するイギリス「教育改革」の実態 >>     │
│  安倍首相は、イギリスの「教育改革」を絶賛しているそうだ。また、「教 │
│育再生会議」とやらには、これにヨイショするのをもっぱら任務とする人物 │
│が何人も列なっている(ちなみに某居酒屋チェーンの社長は、イギリスでも、│
│アメリカでもほとんど支持を失った「バウチャー」推進担当のようだ)。け │
│れども彼らは、本当に「イギリスの改革」の実態を検証してみたのだろうか?│
│サッチャー以来20年以上続いてきている、「数値化された教育目標」を競わ │
│せ、学校自身には「私企業」のように振舞うことを求めるという政策が結局 │
│のところ若者を、教職員を、そして社会そのものを、どのような事態に追い │
│込んでしまったのか。このことを冷静に眺めるならば、「競争によって好結 │
│果が生まれた」などとは、普通の判断力を持った人ならばとても言えない。 │
└───────────────────────────────────────┘

<学校教育を私企業へ提供するための教育「改革」>
 「競争」による学力向上という方策は、控えめに見ても「格差解消には至らなかった」(ウイッティーIOE=ロンドン大・教育学研究所長、BBCインタヴューより)。
 ①しかも、若者たちは無理な競争のしわ寄せを受け、「100万人もの児童・生徒が治療を必要とするレベルの精神的不適応症状を示している」(インディペンデント 6/21/2006)という事態に陥っている。
また、learning fatigue(学習疲れ)という言葉を使い、「学ぶことに倦み、疲れてしまっていて、やる気が起こらない」若者たちの存在を描いている教育学者もいる (Stephen Ball, 2000)。
 ②一方、教職員たちが安定的に将来への希望を持って働き続けられないという状況も、改善されるどころか悪化している。
 ③こうした中、私企業の学校教育への進出がめざましく、「企業マインド」の学校現場への導入という政策は、結局のところ学校教育という巨大市場を私企業へ提供するための道筋をつけるという役割を担ってきていたのだ、と思う。

<見せかけの「高学力」の中で低学力化が進む「数値目標」教育>
 GCSE(高卒資格試験)やAレベルテスト(大学入学資格試験)において数値上は、確かに「改善」を示している。たとえば、5科目以上でA-Cレベルの成績を取る者の割合は、1988年には30%を少し超える程度であったが、2000年には60%近くに達している。
 にもかかわらず、「高卒者が(社会人として生きるのに)必要な学力を身につけていない」という批判は相変わらず強い。また、試験問題のレベルそのものが低下している、という指摘もある。政府側は、「現場の先生たちのきめ細かな努力で成績が上がった」としているが、私は批判の背後には、次の様な状況があると見ている。
 ①授業がGCSEの結果重視に流れていて、学びの豊かさが失われている。
 ②好結果を作り出すため、「障害」となる生徒は、エクスクルージョン(追放)という形で受験機会を奪われている。
 ③GCSE自体が上級コースと、それ以外のレベルに分かれており、A段階への到達は最初から望めず、「相応の」授業しか受けられない生徒が多く存在している。
 ④好結果を得るために学校による不正がある(とりわけ、GCSE点の25%程度を占めるというコースワーク(=論文など)で多いという。10/6/2006 BBCニュース)。
 このようにして、「全体の学力向上」ではなく、限られた予算や人員を見かけ上の「高学力」演出のために、いかに効率的に利用していくのか、に労力が費やされていて、最も手をかけるべき部分への対応がおろそかになっているのである。 (直)


 都高教有志ネットワーク『YOU SEE』198号
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