<転送歓迎>(重複ご容赦)・「都教委包囲首都圏ネットワーク」、・「新芽ML」、・「ひのきみ全国ネット」、・「戦争をさせない杉並1000人委員会」の渡部です。
▲ スガ政権の「五輪命」のかたくなな姿勢は変わらない。
6月3日、分科会の尾身会長が「パンデミックの中で開催することが普通でない」と言ったことについて、
田村厚労大臣は「自主研究」だと述べた。
また、昨日(6月7日)の参院決算委員会では、西村経済再生大臣は、「分科会は五輪の可否などを審議する場所ではない」と述べ、
また、スガ首相は「私は(大会の)主権者じゃない」と述べた。
専門家の意見も聞かず、五輪強行の責任も取ろうとしないスガ政権。
もはや「何をかいわんや」である。
6月5日の「東京新聞 こちら特捜部」には、<本気?小中学生ら「動員」 都内公立校 五輪81万人観戦変えず>という記事が出た。
その中には、次のようなことも書いてあった。
「コロナ禍でも会場で観戦させる目的は『選手の姿を目の当たりにしてもらえば、子どもたちに人生の糧となるかけがえのないレガシーを残すことができる』と述べた。」
コロナ禍でも強行するつもりなのである。
本日(6月8日)昼、「戦争をさせない杉並1000人委員会」では新高円寺駅頭で新たなビラ<東京五輪は即刻中止を!!>をまき(37枚まけた)街宣した。
ビラを受け取った年配の男性が「五輪はやれると思うか」と聞いてきたので、
「わからない。でもスガ政権は強行するつもりだ」と答えると、
「スガや小池は自分の為にやろうとしている。だがやれば大きなことが起きる」というので、
「それはどんなこと?」と聞くと
「言えない」と言い、
「みんながコロナで苦しんでいるときに五輪をやるなんて。五輪はやめて苦しんでいる人々をたすけるべきだ」と言って去って行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この間、この4月に新しく岩波文庫から出版されたカミュの『ペスト』を読んだ。
この本は第二次大戦中、ナチスに占領されたフランスで書かれ、解放後の1947年に刊行された。
この中でカミュは次のようなことを書いていた。
――――――――――――――――――――――――
江戸時代の哲学者・三浦梅園は、『贅語』という本の中で、次のようなことを述べている。
<講演> 岡田正則さん(早大大学院法務研究科教授>
<発言> 東京・大阪を含め全国から
<日時> 2021年7月18日(日)10:30~17:00
<場所> 日比谷図書文化館コンベンションホール(旧日比谷図書館地階)
◎集会後銀座デモ
◎文科省交渉 7月19日(月)
<主催:集会名の実行委員会>
<連絡先>090-7015-3344(永井)
==================
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
==================
東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
==================
*********************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://hinokimitcb.web.fc2.com/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.
▲ スガ政権の「五輪命」のかたくなな姿勢は変わらない。
6月3日、分科会の尾身会長が「パンデミックの中で開催することが普通でない」と言ったことについて、
田村厚労大臣は「自主研究」だと述べた。
また、昨日(6月7日)の参院決算委員会では、西村経済再生大臣は、「分科会は五輪の可否などを審議する場所ではない」と述べ、
また、スガ首相は「私は(大会の)主権者じゃない」と述べた。
専門家の意見も聞かず、五輪強行の責任も取ろうとしないスガ政権。
もはや「何をかいわんや」である。
6月5日の「東京新聞 こちら特捜部」には、<本気?小中学生ら「動員」 都内公立校 五輪81万人観戦変えず>という記事が出た。
その中には、次のようなことも書いてあった。
「コロナ禍でも会場で観戦させる目的は『選手の姿を目の当たりにしてもらえば、子どもたちに人生の糧となるかけがえのないレガシーを残すことができる』と述べた。」
コロナ禍でも強行するつもりなのである。
本日(6月8日)昼、「戦争をさせない杉並1000人委員会」では新高円寺駅頭で新たなビラ<東京五輪は即刻中止を!!>をまき(37枚まけた)街宣した。
ビラを受け取った年配の男性が「五輪はやれると思うか」と聞いてきたので、
「わからない。でもスガ政権は強行するつもりだ」と答えると、
「スガや小池は自分の為にやろうとしている。だがやれば大きなことが起きる」というので、
「それはどんなこと?」と聞くと
「言えない」と言い、
「みんながコロナで苦しんでいるときに五輪をやるなんて。五輪はやめて苦しんでいる人々をたすけるべきだ」と言って去って行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この間、この4月に新しく岩波文庫から出版されたカミュの『ペスト』を読んだ。
この本は第二次大戦中、ナチスに占領されたフランスで書かれ、解放後の1947年に刊行された。
この中でカミュは次のようなことを書いていた。
――――――――――――――――――――――――
災禍というのは実際のところありふれたものだが、――――――――――――――――――――――――――――――――――
それが自分の身にふりかかったとき、その災禍を信じることはむずかしい。
これまで世界は、戦争と同じほどペストにも見舞われてきた。
しかしペストと戦争は、いつも同じく、備えのできていない人々を見つけ出す。
医師リュー(主人公でカミュの分身とも考えられる:渡部注)もまた、わが市(フランスの植民地アルジェリアのオラン市:渡部注)民と同じく、備えができていなかった。
彼のためらいはそのように理解すべきだ。
そしてまた、彼が不安と同時に確信を抱いたことも、同様に理解すべきである。
ひとたび戦争が起きると、人びとは言う。
「こんなことは長続きはしない。あまりにもばかげている」。
たしかに戦争はあまりにもばかげているだろう。
だからといって、長続きしないという保証にはならない。
ばかげたことはいつまでも続くのだ。
自分のことばかり考えるのをやめれば、私たちはそれに気づくだろう。
わが市民は、この点にいおいて、他の人びとと変わりがなかった。
彼らは自分のことばかり考えていた。
つまり、彼らは人間を中心に考えていたのであり、災禍が起こるなどとは想定もしていなかった。
災禍は人間の尺度で測ることなどできない。
だから人びとは災禍は現実に起こるものではないと考え、やがて過ぎゆく悪夢と見なすのだ。
しかし悪夢はつねに過ぎゆくわけではない。
悪夢から悪夢へと過ぎゆくのは人間たちのほうなのだ。
それもまず第一に人間を中心に考える人たちである。
というのは、彼らは警戒を怠ったからである。
わが市民が人並み以上にとがむべきだったわけではない。
彼らは謙虚さを忘れていた、それだけである。
そして自分たちにはまだすべてが可能であると思っていた。
それは、災禍など起こるはずがないということが前提だった。
彼らは商取引を続け、旅行の準備をととのえ、自分たちの主義主張を抱いていた。
未来も移動の自由も議論をも奪うペストのことを考えるなど、どうしてできただろうか。
彼らは自由であると信じていた。
ところがだれもけっして自由ではないのだ、災禍というものがある限り。
江戸時代の哲学者・三浦梅園は、『贅語』という本の中で、次のようなことを述べている。
「有限のこの身を、無窮の体(天地の体:渡部注)に並列して比べ、
有窮の智恵で無窮の気(宇宙全体に充満している物質のようなもの:渡部注)をはかろうとする。
ここにこそ、独りよがりの類推が生ずるのである。」
☆ 全国から集う!全国で闘う! ☆
第11回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会
~コロナ下で進行する学問と教育の国家支配はゴメンだ!~
第11回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会
~コロナ下で進行する学問と教育の国家支配はゴメンだ!~
<講演> 岡田正則さん(早大大学院法務研究科教授>
<発言> 東京・大阪を含め全国から
<日時> 2021年7月18日(日)10:30~17:00
<場所> 日比谷図書文化館コンベンションホール(旧日比谷図書館地階)
◎集会後銀座デモ
◎文科省交渉 7月19日(月)
<主催:集会名の実行委員会>
<連絡先>090-7015-3344(永井)
==================
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
==================
東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
==================
*********************************************************
「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://hinokimitcb.web.fc2.com/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます