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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ 学術会議任命拒否情報開示裁判 学者意見陳述書(2024年7月16日)

2024年07月16日 | 平和憲法

令和6年(行ウ)第62号/令和6年(行ウ)第63号
行政文書不開示処分取消等請求事件/保有個人情報不開示処分取消等請求事件
原告 相原健吾 外165名/芦名定道 外5名
被告 国

東京地方裁判所民事第38部御中

2024年7月16日

◎ 意 見 陳 述 書

第62号事件原告
小 森 田 秋 夫
(東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授)

 小森田秋夫と申します。東京大学と神奈川大学を定年で退職した元大学教員です。
 私は、2011年10月に日本学術会議会員となり、16年9月に定年で退任しました。最後の2年間は、人文・社会科学系の第一部長を務めました。
 退任の直前には、会員候補者の選考に対する官邸の介入の始まりという、前例のない事態を経験しました。正式な推薦に先立ち、官邸の求めに従い、補欠の会員3名について2名ずつの候補者を順位を付けて示したのに対して、そのうちの2名について、理由を示すことなく順位を入れ替えるよう求められたのです。
 このような介入はその後も繰り返され、ついには2020年の6名の会員の任命拒否に行き着きました。
 したがって私は、任命を拒否された方々とは異なるとはいえ、半ば当事者のひとりとして任命拒否という深刻な事件を受け止めざるをえず、行政文書の開示を求める原告のひとりとして行政訴訟に加わることにした次第です。

 この意見陳述においては、ふたつのことを申し上げたいと思います。
 ひとつは、任命拒否の経緯を示す文書は、政府が任命拒否の根拠として援用している内閣法制局の見解に照らしても開示されなければならないはずである、ということです。
 もうひとつは、任命拒否問題が未解決であることは、現在行なわれている学術会議のあり方に関する議論にも無視できない影響を及ぼしている、ということです。

 まず、当時の菅首相は国会審議において、内閣総理大臣が学術会議の会員を、学術会議の「推薦のとおりに任命しなければならないわけではないという点については、内閣法制局の了解を経た政府としての一貫した考え」であるとした上で、「通常の公務員の任命と同様に、その理由について、これは人事にかかわることだから答えは差し控えるべきだ」と述べました。
 ここでいう「内閣法制局の了解」とは、本件における証拠として提出されている学術会議事務局名の2018年11月13日づけ文書(甲A第56号証9頁以下、甲A第58号証)を指していることは明らかです。
 私は、国会議員から入手した内閣府によって開示された資料にもとついて、内閣法制局と学術会議事務局との度重なるやりとりをつうじてこの文書が作られてゆくプロセスを分析しました。
 その結果として明らかとなったのは、この文書が、出発点において立てられた課題、すなわち「内閣総理大臣が、その総合的な判断によって、〔学術〕会議から推薦された候捕者を任命しないことは、法的に許容されるものと解される」という自由裁量的権限を正当化するという課題に答えることに失敗している、ということでした。
 この文書は、「内閣総理大臣は、任命に当たって学術会議からの推薦を十分に尊重する必要がある」、と述べざるをえませんでした。にもかかわらず、内閣総理大臣に「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」と主張しています。
 それでは「絶対的に推薦に拘束される」わけではないのはどのような場合かが問われるはずですが、文書の作成過程では欠格事由などの議論もされていたにもかかわらず、最終的にはそのような例外を具体的に示すことができず、「国民および国会に対して責任を負えるものでなければならない」という極めて抽象的な文言を示すだけの、不完全で説得力の乏しいものとなっています。
 この点と関連して注目すべきなのは、任命拒否後の国会審議における内閣法制局の答弁です。

 2020年11月5日の参議院予算委員会において、近藤正春内閣法制局長官は次のような趣旨の答弁をしています。
 すなわち、「普通の任命」が「自由な裁量の中で適材適所にいろんな方を任命していく」という「実質的な任命」であるのに対して、推薦にもとついて任命する場合には、100%任命しなければならないわけではないとはいえ、任命権はかなり制限されており、任命を拒否できるのは「国民に対して責任を負えない場合」である一一。このような理解を前提とすれば、任命を拒否するのであれば、「国民に対して責任を負えない場合」に当たることを示さなければならない、ということになるはずです。
 ところが前述のとおり、菅首相には、任命権に対する制約という発想がまったくなく、学術会議会員の任命を「通常の公務員の任命と同様」と答弁しているのです。
 菅首相の認識と、近藤長官の認識とのあいだには大きな隔たりがあることになります。このような認識の隔たりを放置しておくことはできません。そのためにも、任命拒否に至る経過とその理由にかかわる文書を全面的に開示させることは、きわめて重要であると考えます。

 もうひとつは、現在行なわれている日本学術会議のあり方に関する議論とのかかわりです。
 2023年8月、内閣府特命担当大臣の決定にもとづき、学術会議の在り方に関する有識者懇談会が設置されました。
 懇談会は12月21日に「中間報告」をまとめ、これにもとついて翌22日に、「日本学術会議を国から独立した法人格を有する組織とする」として「法制化に向けた具体的な検討を進める」ことを謳った大臣決定が下されました。現在、これにもとついて、法人化という、1949年の発足以来の学術会議の性格の改変につながる立法化作業が進められています。
 指摘しておきたいのは、それに先立つ12月9日の学術会議総会において採択された声明が、法人化方針についての懸念を示しつつ、「政府と日本学術会議との間の信頼関係の再構築」を訴え、両者の信頼関係が損なわれたまま議論が行なわれていることに注意を喚起していることです。
 信頼関係が損なわれている理由はいくつか考えられますが、学術会議に対しては会員候補者の選考の透明性を高めることをくり返し求める一方、任命拒否の理由の説明を一貫して拒否するという政府側の一方的な態度がそのひとつであることは疑いありません。
 さらに、法人化の主張においては、任命拒否を既成事実とするだけではなく、国の組織として存置する場合は任命拒否のようなことが起こることは避けがたいとして、任命拒否を逆手にとり、法人化が望ましい根拠のひとつとするという、転倒した論法が用いられていることも無視することができません。
 学術会議を法人化することが、「我が国の科学者の内外に対する代表機関」として、政府からも利害関係者からも独立した科学の立場から、政府や社会に対して「科学的助言」を提供するという役割をより良くはたすことにつながるのかどうかは、当事者である学術会議や科学者にとって重要であるだけではなく、政治的決定やさまざまな意思決定にあたって、信頼できる科学的知見をますます必要としている社会全体にとって、決して無縁ではない問題です。
 このような問題についての議論が、政府と学術会議とのあいだでの信頼関係にもとづいて、社会が納得できる形で建設的に行なわれるためには、まずは任命拒否問題にはっきりとした締めくくりをつけることが不可欠です。
 そのためには関連情報を開示し、何が起こったのかを明らかにすることが切実に求められます。

 以上、裁判所のご賢察をお願いして、私の意見陳述を終わります。

(原文中の傍点は、当ブログにはその機能がないためアンダーラインで示しました。)


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