=6・12大阪ネットまとめ集会にあたって=
◆ 身捨つるほどの祖国はありや
◆ コロナ禍で、国家と人権のあり方が見えてきた
演出家で歌人の寺山修司(1935~85)の父は、秋田県の特高部長刑事であった。45年9月にセレベス島で戦病死し、送られてきた骨箱には石ころと一葉の枯葉が入っていた。母親は三沢基地の米軍将校のハウスメイドとして働く傍ら、米兵の接客をし、修司を早稲田大学に進学させた。
修司は海岸に音もなく吹き寄せてくる夜霧を、父の霊魂のように感じ
「マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」
と詠み、56年に発表した。
父を奪い貧困と苛酷な境遇を強いた国家への呪誼が込められている。
コロナ禍の第3次緊急事態宣言下で、医療崩壊しつつある大阪府の健康医療部医療監(次長級)は、
府内18ヵ所の保健所に4月19日に「少ない病床を有効に利用するためにも年齢が高い方については入院の優先順位を下げざるを得ないことをご了承いただきたい」とメールで発信していた。(朝日新聞21年5月1日)
10日後に撤回し謝罪したが、ナチスの優生学的な命の選別で、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が公権力によって奪われる状況がつくり出されている。
「身捨つるほどの祖国はありや」と自問せざるを得ないといえる。
◆ 「囚われの聴衆」へのガバメント・スピーチとしての教育
新型コロナウイルスは飛沫感染で広まるため大阪府は、卒・入学式の「君が代」(国歌)の起立斉唱に関し「2m(最低1m)の間隔をあけ、それができない場合は歌詞付き国歌を清聴することにする」との主旨の教育長通達を出した。「命よりも国家」なのである。
天皇敬愛の情の表明を通じて、国家の絶対性・権威性を体得させ、身体化させるのである。
戦時中、「君が代」や「天皇陛下」という言葉を聞くと、ピリッと直立不動の姿勢をとらされた。
この権力によってつくり出された身体行動を「慣例上の儀礼的所作」とし「日の丸・君が代」への起立斉唱は当たり前、行わない者は「非国民」とし排除する。
集団による同一行動の同調圧力によって、個々人の思考停止をもたらし、憲法19条の「思想・良心の自由」を奪っているのである。
アメリカの連邦最高裁のダグラス判事は、「教育とは『囚われの聴衆』に対するガバメント・スピーチ(政府の意思伝達)に与えた美称にすぎない」と断じている。
私たちは今一度、76年5月の旭川学テ最高裁判決を想起し、最高裁につきつけ、大阪府・市の国旗国歌条例の違憲性を明らかにさす必要がある。
「政党政治の下での多数決原理によってなされる国政上の意思決定はさまざまな政治的要因によって左右されるので...教育内容への国家介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」、
「国家的介入例えば誤った知識や一方的観念を子どもに植え付けるような教育を施すことを強制することは憲法26条、13条の規定から許されない」と判示しているのである。
◆ 五輪前に「国旗損壊罪」の成立を企む自民党
今夏の東京オリンピック・パラリンピックは「コロナ感染拡大の大イベントになり、医師1万人の派遣は不可能で中止すべきだ」との世論の高まりの中で、国家の施策批判として「日の丸」に×印をつけたり、焼却したりする抗議行動を危惧する自民党は、高市早苗前総務大臣を顧問とする自民党議員連盟「保守団結の会」を結成し、「国旗損壊罪」法案を今国会で成立させようとしている。
法案は「日本国を侮辱する目的で国旗を損壊、除去、汚損した人は、2年以下の懲役か20万円以下の罰金を科す」というものである。
憲法19条の「思想・良心の自由」、21条の「表現の自由」を侵すものである。
アメリカでは抗議のための国旗の焼却や汚損は認められている。
「日の丸」は太陽を表し、太陽神の天照大神の末裔とされている天皇を意味している。戦前・戦中の不敬罪に通じる思想性をもっている。
高校の新教科の公共科が「公共空間の形成と社会規範」を教え込む道徳教育の教科化であることとも通底している。鋭い批判が必要だ。
『大阪ネットワークニュース 第22号』(2021年5月15日)
◆ 身捨つるほどの祖国はありや
「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット代表 黒田伊彦
◆ コロナ禍で、国家と人権のあり方が見えてきた
演出家で歌人の寺山修司(1935~85)の父は、秋田県の特高部長刑事であった。45年9月にセレベス島で戦病死し、送られてきた骨箱には石ころと一葉の枯葉が入っていた。母親は三沢基地の米軍将校のハウスメイドとして働く傍ら、米兵の接客をし、修司を早稲田大学に進学させた。
修司は海岸に音もなく吹き寄せてくる夜霧を、父の霊魂のように感じ
「マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや」
と詠み、56年に発表した。
父を奪い貧困と苛酷な境遇を強いた国家への呪誼が込められている。
コロナ禍の第3次緊急事態宣言下で、医療崩壊しつつある大阪府の健康医療部医療監(次長級)は、
府内18ヵ所の保健所に4月19日に「少ない病床を有効に利用するためにも年齢が高い方については入院の優先順位を下げざるを得ないことをご了承いただきたい」とメールで発信していた。(朝日新聞21年5月1日)
10日後に撤回し謝罪したが、ナチスの優生学的な命の選別で、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が公権力によって奪われる状況がつくり出されている。
「身捨つるほどの祖国はありや」と自問せざるを得ないといえる。
◆ 「囚われの聴衆」へのガバメント・スピーチとしての教育
新型コロナウイルスは飛沫感染で広まるため大阪府は、卒・入学式の「君が代」(国歌)の起立斉唱に関し「2m(最低1m)の間隔をあけ、それができない場合は歌詞付き国歌を清聴することにする」との主旨の教育長通達を出した。「命よりも国家」なのである。
天皇敬愛の情の表明を通じて、国家の絶対性・権威性を体得させ、身体化させるのである。
戦時中、「君が代」や「天皇陛下」という言葉を聞くと、ピリッと直立不動の姿勢をとらされた。
この権力によってつくり出された身体行動を「慣例上の儀礼的所作」とし「日の丸・君が代」への起立斉唱は当たり前、行わない者は「非国民」とし排除する。
集団による同一行動の同調圧力によって、個々人の思考停止をもたらし、憲法19条の「思想・良心の自由」を奪っているのである。
アメリカの連邦最高裁のダグラス判事は、「教育とは『囚われの聴衆』に対するガバメント・スピーチ(政府の意思伝達)に与えた美称にすぎない」と断じている。
私たちは今一度、76年5月の旭川学テ最高裁判決を想起し、最高裁につきつけ、大阪府・市の国旗国歌条例の違憲性を明らかにさす必要がある。
「政党政治の下での多数決原理によってなされる国政上の意思決定はさまざまな政治的要因によって左右されるので...教育内容への国家介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」、
「国家的介入例えば誤った知識や一方的観念を子どもに植え付けるような教育を施すことを強制することは憲法26条、13条の規定から許されない」と判示しているのである。
◆ 五輪前に「国旗損壊罪」の成立を企む自民党
今夏の東京オリンピック・パラリンピックは「コロナ感染拡大の大イベントになり、医師1万人の派遣は不可能で中止すべきだ」との世論の高まりの中で、国家の施策批判として「日の丸」に×印をつけたり、焼却したりする抗議行動を危惧する自民党は、高市早苗前総務大臣を顧問とする自民党議員連盟「保守団結の会」を結成し、「国旗損壊罪」法案を今国会で成立させようとしている。
法案は「日本国を侮辱する目的で国旗を損壊、除去、汚損した人は、2年以下の懲役か20万円以下の罰金を科す」というものである。
憲法19条の「思想・良心の自由」、21条の「表現の自由」を侵すものである。
アメリカでは抗議のための国旗の焼却や汚損は認められている。
「日の丸」は太陽を表し、太陽神の天照大神の末裔とされている天皇を意味している。戦前・戦中の不敬罪に通じる思想性をもっている。
高校の新教科の公共科が「公共空間の形成と社会規範」を教え込む道徳教育の教科化であることとも通底している。鋭い批判が必要だ。
『大阪ネットワークニュース 第22号』(2021年5月15日)
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