取り調べの可視化の実現を<3>
◆ 全面的な証拠開示義務の法制化を
黙秘したゴビンダさんには、「自白」はなかったが、同郷のネパール人から不利な証言がとられた。彼らにはオーバーステイや密入国、観光ビザでの就労など入管法上の弱みがあった。
警察は、彼らの弱みにつけ込み長時間の強圧的な取調べを行い、殴ったり、蹴ったり、首を絞めるなど暴行まで働いて意図に沿う供述を強要した。
例えば、同居人のイラさんは、現場のカギの返却について初めは事件前の3月6日に返したと言っていたが、暴力的な取調べに耐え切れず、「事件前に返したと言ったのはウソで、ゴビンダさんに口裏合わせを頼まれた」という調書に無理矢理署名させられた。
このことを彼は、法廷で生々しく証言したが、カギ返却時期はなんら決定的な意味を持つものでないことが明らかになっている。
実は、もっともっと重要な証拠、別人の犯行を裏付ける証拠が捜査の初期から存在した。しかし、それらは原審では法廷に持ち出されることはなかった。
再審の決め手になった新証拠、即ち再審請求審で行われたDNA鑑定の対象となった数々の新証拠は、実は新証拠ではなく、すべて検察の手持ち証拠の中から出てきた。
遺体の体表から検出された唾液が、ゴビンダとは異なる血液型だったことを初動捜査の段階から知っていながら隠し続けていたことさえ明らかになった。
再審開始決定は、「これらの新証拠が確定審で出されていれば、被告人の有罪認定には到達しえなかった」と言っている。
ならば、なぜ出されなかったのか。検察に法的な提出義務がないからだ。
それこそ問題にすべきではないか。
法制審特別部会では今、取調べや供述調書に依存し過ぎず、客観的な証拠を得られる新たな捜査手法として、なんと司法取引や刑事免責が今後の検討対象になっているという。
しかし、これは捜査当局にとって都合の良い方法への誘導だ。
この点は、同居人イラさんの例を見ればよく分かる。検察は有利な証言を引き出した見返りとして、不法滞在者のイラさんに、強制送還どころか、職業を斡旋するなど利益供与さえしていた。
過去の有名な冤罪事件でも、アメとムチによる共犯者や関係者の偽証は多々見られることだ。つまり、事実上の司法取引めいたことは、今までも内々で行われていたのであって、新たな捜査手法としてこれを合法化しようなどというのは、正に”泥棒に追い銭”以外の何物でもない。
本来、客観的な証拠とは科学的に検証可能であり、新たな捜査手法とは、供述ではなく、物証重視の捜査だ。
だからこそ、新時代の刑事司法というにふさわしい科学的な物証や状況証拠による事実認定は、当然ながら全面的な証拠開示を前提にしなければならない。
なんのための、誰のための司法改革なのか、冤罪をなくすという原点に立ち返って、証拠開示と可視化を制度化することこそが緊急であり、必要だ。
『週刊新社会』(2013/3/5)
◆ 全面的な証拠開示義務の法制化を
黙秘したゴビンダさんには、「自白」はなかったが、同郷のネパール人から不利な証言がとられた。彼らにはオーバーステイや密入国、観光ビザでの就労など入管法上の弱みがあった。
警察は、彼らの弱みにつけ込み長時間の強圧的な取調べを行い、殴ったり、蹴ったり、首を絞めるなど暴行まで働いて意図に沿う供述を強要した。
例えば、同居人のイラさんは、現場のカギの返却について初めは事件前の3月6日に返したと言っていたが、暴力的な取調べに耐え切れず、「事件前に返したと言ったのはウソで、ゴビンダさんに口裏合わせを頼まれた」という調書に無理矢理署名させられた。
このことを彼は、法廷で生々しく証言したが、カギ返却時期はなんら決定的な意味を持つものでないことが明らかになっている。
実は、もっともっと重要な証拠、別人の犯行を裏付ける証拠が捜査の初期から存在した。しかし、それらは原審では法廷に持ち出されることはなかった。
再審の決め手になった新証拠、即ち再審請求審で行われたDNA鑑定の対象となった数々の新証拠は、実は新証拠ではなく、すべて検察の手持ち証拠の中から出てきた。
遺体の体表から検出された唾液が、ゴビンダとは異なる血液型だったことを初動捜査の段階から知っていながら隠し続けていたことさえ明らかになった。
再審開始決定は、「これらの新証拠が確定審で出されていれば、被告人の有罪認定には到達しえなかった」と言っている。
ならば、なぜ出されなかったのか。検察に法的な提出義務がないからだ。
それこそ問題にすべきではないか。
法制審特別部会では今、取調べや供述調書に依存し過ぎず、客観的な証拠を得られる新たな捜査手法として、なんと司法取引や刑事免責が今後の検討対象になっているという。
しかし、これは捜査当局にとって都合の良い方法への誘導だ。
この点は、同居人イラさんの例を見ればよく分かる。検察は有利な証言を引き出した見返りとして、不法滞在者のイラさんに、強制送還どころか、職業を斡旋するなど利益供与さえしていた。
過去の有名な冤罪事件でも、アメとムチによる共犯者や関係者の偽証は多々見られることだ。つまり、事実上の司法取引めいたことは、今までも内々で行われていたのであって、新たな捜査手法としてこれを合法化しようなどというのは、正に”泥棒に追い銭”以外の何物でもない。
本来、客観的な証拠とは科学的に検証可能であり、新たな捜査手法とは、供述ではなく、物証重視の捜査だ。
だからこそ、新時代の刑事司法というにふさわしい科学的な物証や状況証拠による事実認定は、当然ながら全面的な証拠開示を前提にしなければならない。
なんのための、誰のための司法改革なのか、冤罪をなくすという原点に立ち返って、証拠開示と可視化を制度化することこそが緊急であり、必要だ。
『週刊新社会』(2013/3/5)
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