《澤藤統一郎の憲法日記》から
◆ 「授業をしていたのに処分事件」勝訴報告記者会見で
「記者会見」 《撮影:gamou》
福嶋常光さんの代理人の澤藤です。福嶋さんは、先ほど、東京地裁民事第19部の法廷において、都教委を被告とする訴訟での「減給6か月の懲戒処分を取消す」という全面勝訴判決を得ました。私からは、取材の皆さまに2点についてお話し申し上げたい。
その第1点は、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制、あるいは「日の丸・君が代」強制に従えないとして処分された教員に対する服務事故再発防止研修受講強制の本質について。
私は弁護士です。在野の存在。権力との対峙を職務としています。けっして権力のイデオロギーに屈服してはならない。常に、そう自分に言いきかせています。
皆さんはジャーナリストだ。まさか、権力の垂れ流す情報を右から左に伝えることが職分だとお考えではないでしょう。国家のいうとおりにはならないことこそが、あなた方ジャーナリストの矜持であり、真骨頂だ。
実は教員だって同じこと。戦前の教員は、国定教科書で国家神道のイデオロギーを子どもたちに注入する道具だった。その結果が、「戦争は教室から始まる」といわれる軍国主義教育となって国を亡ぼした。その反省から、教員には、専門職としての教育の自由が保障されている。憲法23条の「学問の自由」がそれだ。教員は、けっして権力の伝声管ではない。子どもたちを、国家権力への従順な僕にしてはならない。そう考える教員は起立・斉唱・ピアノ伴奏に従えない。この点をご理解いただきたい。
とりわけ、累積加重システムとはなにか。起立・伴奏の命令に屈服するまで、際限なく懲戒処分が加重される仕組み。これは、思想や良心を変えるまで処分を加重するという、思想の転向強要システムではないか。再発防止研修の強制も同じことだ。さすがに、最高裁判決も、これはまずいといっている。累積の処分も、加重したら裁量権濫用で違法ということは、さすがに認めている。
今日の判決は、そのような文脈でのもの。最高裁は、「日の丸・君が代」強制を違憲とまではいわないが、思想良心自由を侵害する側面のあることは認めて、戒告を超える過重な処分を違法とした。福嶋さんに対する、本件の服務事故再発防止研修の強制もそのような意味で違法とされ、取り消された。この意味は小さくない。
もう1点。都教委のやり方が、余りにも滅茶苦茶であること。
福嶋さんは、絵に描いたような真面目な教員。都教委は、その真面目な教員に、1日の授業を潰して再発防止研修を受けろと命令した。福嶋さんは、これを拒否しなかったが、指定された日には5時間の授業があった。この授業は他の教員に交代ができない。だから、福嶋さんは、研修の日程を授業のない日に変更してもらうよう申し出た。しかも、候補日を6日も挙げてのこと。信じられないことに、都教委はこれを拒否したのだ。特に理由はない。処分を受けた者に、研修日程の変更を申し出る権利などないということなのだ。
真面目な教員が授業を大切にする立ち場から研修の日程変更を要望し、不真面目極まる都教委が授業などどうでもよい、というのだ。このコントラストが際立っている。結局福嶋さんは、授業を優先せざるを得なかった。それが、減給6か月というのだ。呆れた話しではないか。東京都教育委員会とは、「非教育的委員会」でしかない。
さすがに、こんな滅茶苦茶は裁判所も認めなかった。その意味では、今日の判決は当然の判決。まさか、都教委が控訴することはあるまいと思うが、ほかならぬ都教委のこと、敗訴の確定を少しでも先延ばしにしようと無駄な控訴をするかも知れない。私たちは、「控訴は恥の上塗りとなるだけだ」「税金を無駄にする控訴はするな」と要請行動をする予定。ぜひ、これについても報道していただきたい。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年12月19日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1734
◆ 「授業をしていたのに処分事件」勝訴報告記者会見で
「記者会見」 《撮影:gamou》
福嶋常光さんの代理人の澤藤です。福嶋さんは、先ほど、東京地裁民事第19部の法廷において、都教委を被告とする訴訟での「減給6か月の懲戒処分を取消す」という全面勝訴判決を得ました。私からは、取材の皆さまに2点についてお話し申し上げたい。
その第1点は、「日の丸・君が代」への敬意表明の強制、あるいは「日の丸・君が代」強制に従えないとして処分された教員に対する服務事故再発防止研修受講強制の本質について。
私は弁護士です。在野の存在。権力との対峙を職務としています。けっして権力のイデオロギーに屈服してはならない。常に、そう自分に言いきかせています。
皆さんはジャーナリストだ。まさか、権力の垂れ流す情報を右から左に伝えることが職分だとお考えではないでしょう。国家のいうとおりにはならないことこそが、あなた方ジャーナリストの矜持であり、真骨頂だ。
実は教員だって同じこと。戦前の教員は、国定教科書で国家神道のイデオロギーを子どもたちに注入する道具だった。その結果が、「戦争は教室から始まる」といわれる軍国主義教育となって国を亡ぼした。その反省から、教員には、専門職としての教育の自由が保障されている。憲法23条の「学問の自由」がそれだ。教員は、けっして権力の伝声管ではない。子どもたちを、国家権力への従順な僕にしてはならない。そう考える教員は起立・斉唱・ピアノ伴奏に従えない。この点をご理解いただきたい。
とりわけ、累積加重システムとはなにか。起立・伴奏の命令に屈服するまで、際限なく懲戒処分が加重される仕組み。これは、思想や良心を変えるまで処分を加重するという、思想の転向強要システムではないか。再発防止研修の強制も同じことだ。さすがに、最高裁判決も、これはまずいといっている。累積の処分も、加重したら裁量権濫用で違法ということは、さすがに認めている。
今日の判決は、そのような文脈でのもの。最高裁は、「日の丸・君が代」強制を違憲とまではいわないが、思想良心自由を侵害する側面のあることは認めて、戒告を超える過重な処分を違法とした。福嶋さんに対する、本件の服務事故再発防止研修の強制もそのような意味で違法とされ、取り消された。この意味は小さくない。
もう1点。都教委のやり方が、余りにも滅茶苦茶であること。
福嶋さんは、絵に描いたような真面目な教員。都教委は、その真面目な教員に、1日の授業を潰して再発防止研修を受けろと命令した。福嶋さんは、これを拒否しなかったが、指定された日には5時間の授業があった。この授業は他の教員に交代ができない。だから、福嶋さんは、研修の日程を授業のない日に変更してもらうよう申し出た。しかも、候補日を6日も挙げてのこと。信じられないことに、都教委はこれを拒否したのだ。特に理由はない。処分を受けた者に、研修日程の変更を申し出る権利などないということなのだ。
真面目な教員が授業を大切にする立ち場から研修の日程変更を要望し、不真面目極まる都教委が授業などどうでもよい、というのだ。このコントラストが際立っている。結局福嶋さんは、授業を優先せざるを得なかった。それが、減給6か月というのだ。呆れた話しではないか。東京都教育委員会とは、「非教育的委員会」でしかない。
さすがに、こんな滅茶苦茶は裁判所も認めなかった。その意味では、今日の判決は当然の判決。まさか、都教委が控訴することはあるまいと思うが、ほかならぬ都教委のこと、敗訴の確定を少しでも先延ばしにしようと無駄な控訴をするかも知れない。私たちは、「控訴は恥の上塗りとなるだけだ」「税金を無駄にする控訴はするな」と要請行動をする予定。ぜひ、これについても報道していただきたい。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年12月19日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1734
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