◆ 奥野さん「減給」裁判を最高裁に上告
「信教の自由」(憲法20条違反)「意見書」を準備
10月24日の大阪高裁不当判決に対して、奥野泰孝さんは最高裁に上告しました。弁護団に支援2団体も加わって、1月3日提出期限の「上告理由書」等の年内作成を急いでいます。
従来の弁護団に加えて、「憲法20条(信教の自由)」違反について、新たに「鑑定意見書」を書いてもらうことになりました。
最高裁判決が禁じている「減給」という重処分の唯一の根拠は、受付業務が終わってから、「あえて」式場に入ったことです。
地裁・内藤判決は、奥野さんが式場に入って混乱させようと考えて入場したと思われると、人の心の中を勝手に想像して判決理由にするという、トンデモ判決でした。
私たちの批判ビラも意識した高裁・中村判決は、式場に入ったら混乱するだろうと予想できたのに入ったから重罰、と修正し、減給追認の理由を固めました。
ただしもちろん、結果的には何の混乱もなかったことは、一方で事実認定しています。
要するに、「混乱するかもしれないと思っていたはずなのに、入った」意志だけが、重罰の理由になります。
このことに関連して、本件の1年近く前の入学式直前の話し合いの場で、新入生担任だった奥野さんは准校長から、とにかく「立つ。」と言ってくださいと迫られたことを、今思い出しています。
その時奥野さんは、思わずこう答えたそうです。「心と体が引き裂かれると人間崩壊していきますわ。私、もう二年もつか三年もつかわかりません。」
新たに「鑑定意見書」を書いてもらう弁護士にも出席してもらった先日の弁護団会議で、このことに関して奥野さんは、こんな趣旨の説明をしました。
「事前には、本心から、迷っているとしか言えないんです。神の意志はまだ判らないからです。」
「式当日の斉唱の場になって初めて、神の声を受け止めて行動するしかない・・・。もしかしたら、踏み絵を踏め!それが信仰を守ることだ!という声かもしれません。」
絶対者としての神を信仰する奥野さんに対して、「後から座るのは仕方ないが、ウソでも立つと言え!」と迫るのは、間違いなく信教そのものの否定です。
本件「減給」処分の時も奥野さんは、受付業務が終わった後、単に「不起立でまた処分になるかもしれないけれど、式場内で介助にあたる教員が不足しているから入るべきだ。」という仕事の義務感だけで入ったのではないと感じます。
それだけなら、「君が代」が終わってから入るとかの「世俗の知恵」もあります。奥野さんは受付が終わった時点では、「不起立なら処分の可能性」もあることを想ったり、「(判決が言う)あえて入る」のはやめよう、と迷うことはあまりなかったんだと思えてきます。
「君が代」斉唱の場に臨むまでは神の意志は未だなら、式の途中に生徒に何かあったときに備えるという次の仕事に移るのは自然で当たり前のことです。
上告理由書は、「国旗国歌条例」・「職員基本条例」下の大阪の強制と処分が、教職員の統制だけでなく子どもへの強制に直結していることの主張が柱ですが、この「信教の自由」違反についても、新たな意見書提出を受けて、大きく主張していこうと相談中です。
「世俗の知恵を・・」という裁判官に、憲法20条を説く構えで!
■ 奥野・山口支援2団体の合同総会
1/14(土)午後1:00~ PLP会館・4階中会議室(JR天満)
・講演 堀智晴さん
(奥野さんの3つ目の「戒告取消!」府人事委員会で、意見書協力をいただいています。)
『大阪ネットワークニュース 第11号』(2016/12/25)
「信教の自由」(憲法20条違反)「意見書」を準備
「奥野さんを支える叫ぶ石の会」
「支援学校の君が代不起立応援団」
「支援学校の君が代不起立応援団」
10月24日の大阪高裁不当判決に対して、奥野泰孝さんは最高裁に上告しました。弁護団に支援2団体も加わって、1月3日提出期限の「上告理由書」等の年内作成を急いでいます。
従来の弁護団に加えて、「憲法20条(信教の自由)」違反について、新たに「鑑定意見書」を書いてもらうことになりました。
最高裁判決が禁じている「減給」という重処分の唯一の根拠は、受付業務が終わってから、「あえて」式場に入ったことです。
地裁・内藤判決は、奥野さんが式場に入って混乱させようと考えて入場したと思われると、人の心の中を勝手に想像して判決理由にするという、トンデモ判決でした。
私たちの批判ビラも意識した高裁・中村判決は、式場に入ったら混乱するだろうと予想できたのに入ったから重罰、と修正し、減給追認の理由を固めました。
ただしもちろん、結果的には何の混乱もなかったことは、一方で事実認定しています。
要するに、「混乱するかもしれないと思っていたはずなのに、入った」意志だけが、重罰の理由になります。
このことに関連して、本件の1年近く前の入学式直前の話し合いの場で、新入生担任だった奥野さんは准校長から、とにかく「立つ。」と言ってくださいと迫られたことを、今思い出しています。
その時奥野さんは、思わずこう答えたそうです。「心と体が引き裂かれると人間崩壊していきますわ。私、もう二年もつか三年もつかわかりません。」
新たに「鑑定意見書」を書いてもらう弁護士にも出席してもらった先日の弁護団会議で、このことに関して奥野さんは、こんな趣旨の説明をしました。
「事前には、本心から、迷っているとしか言えないんです。神の意志はまだ判らないからです。」
「式当日の斉唱の場になって初めて、神の声を受け止めて行動するしかない・・・。もしかしたら、踏み絵を踏め!それが信仰を守ることだ!という声かもしれません。」
絶対者としての神を信仰する奥野さんに対して、「後から座るのは仕方ないが、ウソでも立つと言え!」と迫るのは、間違いなく信教そのものの否定です。
本件「減給」処分の時も奥野さんは、受付業務が終わった後、単に「不起立でまた処分になるかもしれないけれど、式場内で介助にあたる教員が不足しているから入るべきだ。」という仕事の義務感だけで入ったのではないと感じます。
それだけなら、「君が代」が終わってから入るとかの「世俗の知恵」もあります。奥野さんは受付が終わった時点では、「不起立なら処分の可能性」もあることを想ったり、「(判決が言う)あえて入る」のはやめよう、と迷うことはあまりなかったんだと思えてきます。
「君が代」斉唱の場に臨むまでは神の意志は未だなら、式の途中に生徒に何かあったときに備えるという次の仕事に移るのは自然で当たり前のことです。
上告理由書は、「国旗国歌条例」・「職員基本条例」下の大阪の強制と処分が、教職員の統制だけでなく子どもへの強制に直結していることの主張が柱ですが、この「信教の自由」違反についても、新たな意見書提出を受けて、大きく主張していこうと相談中です。
「世俗の知恵を・・」という裁判官に、憲法20条を説く構えで!
■ 奥野・山口支援2団体の合同総会
1/14(土)午後1:00~ PLP会館・4階中会議室(JR天満)
・講演 堀智晴さん
(奥野さんの3つ目の「戒告取消!」府人事委員会で、意見書協力をいただいています。)
『大阪ネットワークニュース 第11号』(2016/12/25)
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