《澤藤統一郎の憲法日記》から
◆ 都教委の諸君、君たちは「裸の王様」だ
~10・23通達から10年の日に
本日は、2003年に「10・23通達」が発出されてからちょうど10年。その「負の記念日」に、教育庁交渉をした。
またまた、東京都教育庁の情報課長に苦言を呈しなければならない。
10・23通達関連での前回の<われわれの請願は、教育委員会の場に届けられていないというではないか。教育委員会は、最高裁で敗訴が確定し、自らの行為が司法によって断罪されたことに関して何の反省もしていないばかりか、検討もしていない、議論もしていない、関連書類が委員の目に触れてさえいない。
教育委員諸氏は裸の王様だ。一番大切な問題について、周りの人間が真実を知らせていない。だから、自分がピエロの存在に貶められていることをご存じないようだ。当たり障りのない問題に限って、決まった結論に到達するよう、議論をしたような振りをさせられているだけの哀れな存在。
事務局から提供された資料だけに基づいて、お膳立てされた筋書きに沿って、「異議なし」というだけの役割。本当にこれでよいのか。
教育委員会の諸氏が「裸の王様」でないのなら、私の言うことに耳を傾けていただきたい。
まずは、10・23通達に基づく「日の丸・君が代」強制訴訟で、25人についての30件の懲戒処分が違法とされ、取り消されていることの重みを受けとめていただきたい。一行政機関のこれだけの数の行政処分が、最高裁によって、違法と指摘され取り消しが確定したのだ。国家の基本構造としての三権分立の運用には、各国それぞれの流儀がある。我が国の司法が、就中最高裁が、行政の行為を敢えて違法というのは、よくよくのことだ。しかも、ことは憲法や教育基本法の大原則に関わる問題。本件で、懲戒処分が違法と判断されて取り消されたことは、都教委の姿勢に根本的な誤りがあったことの指摘なのだ。最高裁の処分違法の判決を深刻に受けとめていただきたい。何とも、みっともなくも恥ずべき事態だということを認識していただきたい。
当然のことながら、まずは誤った処分によって深く傷つけられた教員に対して、深甚の陳謝の意を表しなければならない。それは、現在の教育委員のメンバーの仕事になる。
それだけでは済まない。このような不祥事がなぜ生じたかを真摯に反省しなくてはならない。そして、責任の所在を明確にし、責任者を処分しなければならない。
そして、再発を防止するためにはどうするか、実効性のある方策を考えねばならない。おそらくは、教育委員や教育庁の幹部職員の、教育の本質や、憲法・人権・教育法規の神髄などについての徹底した講習が必要だろう。そのときには、是非私を講師の一人として加えていただきたい。
「最高裁で敗訴したのは、450件の処分のうちの一部でしかない」という考えがあるとしたら、大きな間違いだ。たった1件でも行政に違法があるのは大問題だというだけではない。最高裁によって違法と断罪されたのは、一連の「日の丸・君が代」強制に表れた都教委の思想の根幹であり、本質部分なのだ。このことを銘記していただきたい。
なぜ、最高裁は減給以上の懲戒処分を違法としたか。それが、憲法解釈と深く結びついていることの理解が必要である。
最高裁は、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」、あるいは、「ピアノ伴奏をせよ」という職務命令に対して、自らの思想や良心、あるいは信仰から、これに応じ難いとした人の動機が真摯なものであったことを認めている。精神的自由の根底にある「思想・良心の自由」(憲法19条)が最大限尊重されなければならないことが、懲戒権の逸脱濫用論に反映しているのだ。
さらに、もっと分かりやすい理由がある。懲戒処分は、軽い方から戒告・減給・停職、そして極刑としての免職まで4段階がある。当初都教委が企図していた処分量定は、初回処分が戒告。2回目は減給(10分の1)1か月、3回目は減給6か月。4回目となると停職1か月、5回目停職3か月、6回目停職6か月。そして、おそらく7回目は免職を予定していたはず。
われわれは、都教委が発明したこの累積加重の処分方式を、「思想転向強要システム」と名付けた。不起立・不斉唱・不伴奏は思想・良心に基づく行為である。思想や良心を都教委の望む方向に変えない限り、処分は際限なく重くなり最後には教壇から追われることになる。この、「踏み絵」と同様の、思想・信仰への弾圧手段が違法と断罪されたのだ。
さらに、理解していただきたい。最高裁は、30件・25人以外の戒告処分については問題ないと言ったのではない。「10・23通達⇒職務命令⇒懲戒処分」による国旗・国歌強制は、少なくとも教員の思想・良心を間接的には強制していることを認めた。そして、違憲・違法とまでは判断しなかったが、けっして問題なしとはしていないのだ。多数の裁判官の、補足意見がそのことを物語っている。何とも、教育の場で、見識を欠いたことをやっていることか、というのが最高裁のホンネなのだ。
いま、都教委に、10・23通達関連問題以上の喫緊の課題があろうはずはない。最高裁からのシグナルを適切に受けとめるにはどうすればよいか。真剣に議論していただきたい。またまた、本日の請願が握りつぶされるようなことがあれば、請願権の侵害についての国家賠償請求も本気になって考えなければならない。
改めて、教育庁の情報課長に申し上げる。
あなた方は、壁になり、防波堤になって、教育委員会への申立を事務レベルで処理しようとしているが、そのような姑息な態度を根本的に改めていただきたい。あなた方は、この問題では防波堤になり得ない。勝手に作った内部規則を盾にとって、都民の請願権をないがしろにすることはできない。
これだけ大勢の教員や元教員が、真摯にあるべき教育を考え、憂えて、訴えているのだ。是非とも、われわれの請願が関係資料とともに、教育委員諸氏に読んでもらえるように、あなたにも真摯な努力を期待したい。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年10月23日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1397
◆ 都教委の諸君、君たちは「裸の王様」だ
~10・23通達から10年の日に
本日は、2003年に「10・23通達」が発出されてからちょうど10年。その「負の記念日」に、教育庁交渉をした。
またまた、東京都教育庁の情報課長に苦言を呈しなければならない。
10・23通達関連での前回の<われわれの請願は、教育委員会の場に届けられていないというではないか。教育委員会は、最高裁で敗訴が確定し、自らの行為が司法によって断罪されたことに関して何の反省もしていないばかりか、検討もしていない、議論もしていない、関連書類が委員の目に触れてさえいない。
教育委員諸氏は裸の王様だ。一番大切な問題について、周りの人間が真実を知らせていない。だから、自分がピエロの存在に貶められていることをご存じないようだ。当たり障りのない問題に限って、決まった結論に到達するよう、議論をしたような振りをさせられているだけの哀れな存在。
事務局から提供された資料だけに基づいて、お膳立てされた筋書きに沿って、「異議なし」というだけの役割。本当にこれでよいのか。
教育委員会の諸氏が「裸の王様」でないのなら、私の言うことに耳を傾けていただきたい。
まずは、10・23通達に基づく「日の丸・君が代」強制訴訟で、25人についての30件の懲戒処分が違法とされ、取り消されていることの重みを受けとめていただきたい。一行政機関のこれだけの数の行政処分が、最高裁によって、違法と指摘され取り消しが確定したのだ。国家の基本構造としての三権分立の運用には、各国それぞれの流儀がある。我が国の司法が、就中最高裁が、行政の行為を敢えて違法というのは、よくよくのことだ。しかも、ことは憲法や教育基本法の大原則に関わる問題。本件で、懲戒処分が違法と判断されて取り消されたことは、都教委の姿勢に根本的な誤りがあったことの指摘なのだ。最高裁の処分違法の判決を深刻に受けとめていただきたい。何とも、みっともなくも恥ずべき事態だということを認識していただきたい。
当然のことながら、まずは誤った処分によって深く傷つけられた教員に対して、深甚の陳謝の意を表しなければならない。それは、現在の教育委員のメンバーの仕事になる。
それだけでは済まない。このような不祥事がなぜ生じたかを真摯に反省しなくてはならない。そして、責任の所在を明確にし、責任者を処分しなければならない。
そして、再発を防止するためにはどうするか、実効性のある方策を考えねばならない。おそらくは、教育委員や教育庁の幹部職員の、教育の本質や、憲法・人権・教育法規の神髄などについての徹底した講習が必要だろう。そのときには、是非私を講師の一人として加えていただきたい。
「最高裁で敗訴したのは、450件の処分のうちの一部でしかない」という考えがあるとしたら、大きな間違いだ。たった1件でも行政に違法があるのは大問題だというだけではない。最高裁によって違法と断罪されたのは、一連の「日の丸・君が代」強制に表れた都教委の思想の根幹であり、本質部分なのだ。このことを銘記していただきたい。
なぜ、最高裁は減給以上の懲戒処分を違法としたか。それが、憲法解釈と深く結びついていることの理解が必要である。
最高裁は、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」、あるいは、「ピアノ伴奏をせよ」という職務命令に対して、自らの思想や良心、あるいは信仰から、これに応じ難いとした人の動機が真摯なものであったことを認めている。精神的自由の根底にある「思想・良心の自由」(憲法19条)が最大限尊重されなければならないことが、懲戒権の逸脱濫用論に反映しているのだ。
さらに、もっと分かりやすい理由がある。懲戒処分は、軽い方から戒告・減給・停職、そして極刑としての免職まで4段階がある。当初都教委が企図していた処分量定は、初回処分が戒告。2回目は減給(10分の1)1か月、3回目は減給6か月。4回目となると停職1か月、5回目停職3か月、6回目停職6か月。そして、おそらく7回目は免職を予定していたはず。
われわれは、都教委が発明したこの累積加重の処分方式を、「思想転向強要システム」と名付けた。不起立・不斉唱・不伴奏は思想・良心に基づく行為である。思想や良心を都教委の望む方向に変えない限り、処分は際限なく重くなり最後には教壇から追われることになる。この、「踏み絵」と同様の、思想・信仰への弾圧手段が違法と断罪されたのだ。
さらに、理解していただきたい。最高裁は、30件・25人以外の戒告処分については問題ないと言ったのではない。「10・23通達⇒職務命令⇒懲戒処分」による国旗・国歌強制は、少なくとも教員の思想・良心を間接的には強制していることを認めた。そして、違憲・違法とまでは判断しなかったが、けっして問題なしとはしていないのだ。多数の裁判官の、補足意見がそのことを物語っている。何とも、教育の場で、見識を欠いたことをやっていることか、というのが最高裁のホンネなのだ。
いま、都教委に、10・23通達関連問題以上の喫緊の課題があろうはずはない。最高裁からのシグナルを適切に受けとめるにはどうすればよいか。真剣に議論していただきたい。またまた、本日の請願が握りつぶされるようなことがあれば、請願権の侵害についての国家賠償請求も本気になって考えなければならない。
改めて、教育庁の情報課長に申し上げる。
あなた方は、壁になり、防波堤になって、教育委員会への申立を事務レベルで処理しようとしているが、そのような姑息な態度を根本的に改めていただきたい。あなた方は、この問題では防波堤になり得ない。勝手に作った内部規則を盾にとって、都民の請願権をないがしろにすることはできない。
これだけ大勢の教員や元教員が、真摯にあるべき教育を考え、憂えて、訴えているのだ。是非とも、われわれの請願が関係資料とともに、教育委員諸氏に読んでもらえるように、あなたにも真摯な努力を期待したい。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年10月23日)
http://article9.jp/wordpress/?p=1397
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