最初に、意見書をお願いしている西原博史さんから体調不調のため提出が遅れるとの連絡があり、裁判官に伝えたところ、2月23日に予定されていた次回法廷が4月18日に延期になったとの説明がありました。
その後、本裁判すなわち「君が代」不起立減給処分取消処分控訴審について、現状と今後の方針についてお話しいただきました。以下に掲載します。
=辻谷減給取消控訴審第1回法廷後報告集会=
◆ 空野佳弘弁護士の解説
最高裁判決の枠組みによると、戒告以上の減給処分をする場合は、たんに過去に処分を受けたことがあるというような事情だけでなく、減給処分という重い処分を基礎づける相当な事情がないとできない、というのが裁量についての判断枠組みなんですね。
辻谷さんは、過去には戒告1回しか受けたことがありませんから、しかも卒業式の進行が特に何か具体的な支障が生じたということもないので、それだけだと明らかに最高裁の判断枠組みから逸脱しているので減給は取り消されなければいけない、ということになるわけですが。
唯一違うのは、その前段に場外警備の職務命令が出ていて、それにも反した。府が強調するのは、二重に違反した、そこのところだけなんですね。
事前に場外警備の職務命令が出ていて、それに違反して不起立も行ったというケースは、東京ではまったくないんですよね。今回、控訴理由書のなかで、東京の判決を全部送っていただいてこちらにプラスになるものは高裁に出して、こういう判決と比較しても減給処分は重過ぎで最高裁判決に違反している、という主張をずっと展開しているんですが。ただ、東京の事例には2つの職務命令に違反したというのがない。結局そこがどう評価されるのか、その問題だけなんですね、減給処分が取り消されるかどうかというのは。
それで、考えてみますと、教師が卒業式に出るってことがそんなに悪質なことなのか、という基本的なことですよね。そこのところに焦点をあてて辻谷さんが冒頭陳述で述べたわけですが。
むしろ、逆にですね、不起立が予想される教員は式は入れない、それで全員起立した式を遂行させる、それが当局側の狙いで、だから起立斉唱命令と不起立の恐れのある人について場外警備を命じる、式には入れないーーこれはですね、目的と手段のふたつが緊密に結びついた、そういう当局の職務命令ですよね。
結局、式に出たい教員については、場外の職務命令に違反せざるをえない、そういう状況に追い込まれて二者択一が迫られる、今日の意見陳述にもありましたが。そこが、最高裁判決によってどういうふうに判断されるのかということです。
私は、むしろ不起立が予想される教員を排除してですね、全員起立の卒業式を遂行するということの方がよっぽど問題でそちらの方が非難されるべきで、場外警備に違反してそんなに非難される、なにも悪質とまでいわれる事情はまったくないと思っていますが。
これに関連して、これまでの裁判例を考えてみると、このことを述べている最高裁の判事がいるんですよね。ピアノ判決で反対意見をかいた藤田宙靖、行政法の専門家ですが。
教員個人の思想・良心の問題以外に、こういう公の式で全員が一致した行動を取らなければいけない、そのことに懸念を表明するという、そいういう問題があるのではないか、それもひとつの思想良心の自由で、その面の侵害があったかどうか判断すべきだということで、破棄差し戻しすべきだ、という反対意見を書いています。
まさに、今回の当局は、統一した、全員起立した式を遂行するために2つの職務命令を出したわけでしょ。そこに直接焦点をあてると、藤田裁判官がいうように、まさにそのことの是非が問わなければならない、そういうことになると思うんですね。
そこに焦点を当てると、卒業式・入学式が慣例上の儀式だというような議論は吹っ飛んでしまいます。関係ががなくなる。そうすると間接的制約とか直接的制約とか、そういう議論も吹っ飛んでしまうんですよ。
で、その後の、慣例上の儀礼的所作、間接的制約という最高裁判決が相次いで出ていますが、そのときに、藤田裁判官の意見がどういうふうに評価されたかというと、最高裁も意識していて、その点はね、個人の思想・良心に付随して述べられているので別途審議する必要はない、と。だから個人の思想・良心の自由だけ判断すればいい、という。オミットしてごまかした、で、ずっとごまかし続けて来ている、そういうのが今の経緯だと思います。
だから、そこに焦点をあてて控訴審で書面を出すつもりですが、西原意見書を読み、その内容によって控訴審で争っていくつもりです。
『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2017-01-27)
http://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/78adfebdc593fc41cd2883b03301d7c1
その後、本裁判すなわち「君が代」不起立減給処分取消処分控訴審について、現状と今後の方針についてお話しいただきました。以下に掲載します。
=辻谷減給取消控訴審第1回法廷後報告集会=
◆ 空野佳弘弁護士の解説
最高裁判決の枠組みによると、戒告以上の減給処分をする場合は、たんに過去に処分を受けたことがあるというような事情だけでなく、減給処分という重い処分を基礎づける相当な事情がないとできない、というのが裁量についての判断枠組みなんですね。
辻谷さんは、過去には戒告1回しか受けたことがありませんから、しかも卒業式の進行が特に何か具体的な支障が生じたということもないので、それだけだと明らかに最高裁の判断枠組みから逸脱しているので減給は取り消されなければいけない、ということになるわけですが。
唯一違うのは、その前段に場外警備の職務命令が出ていて、それにも反した。府が強調するのは、二重に違反した、そこのところだけなんですね。
事前に場外警備の職務命令が出ていて、それに違反して不起立も行ったというケースは、東京ではまったくないんですよね。今回、控訴理由書のなかで、東京の判決を全部送っていただいてこちらにプラスになるものは高裁に出して、こういう判決と比較しても減給処分は重過ぎで最高裁判決に違反している、という主張をずっと展開しているんですが。ただ、東京の事例には2つの職務命令に違反したというのがない。結局そこがどう評価されるのか、その問題だけなんですね、減給処分が取り消されるかどうかというのは。
それで、考えてみますと、教師が卒業式に出るってことがそんなに悪質なことなのか、という基本的なことですよね。そこのところに焦点をあてて辻谷さんが冒頭陳述で述べたわけですが。
むしろ、逆にですね、不起立が予想される教員は式は入れない、それで全員起立した式を遂行させる、それが当局側の狙いで、だから起立斉唱命令と不起立の恐れのある人について場外警備を命じる、式には入れないーーこれはですね、目的と手段のふたつが緊密に結びついた、そういう当局の職務命令ですよね。
結局、式に出たい教員については、場外の職務命令に違反せざるをえない、そういう状況に追い込まれて二者択一が迫られる、今日の意見陳述にもありましたが。そこが、最高裁判決によってどういうふうに判断されるのかということです。
私は、むしろ不起立が予想される教員を排除してですね、全員起立の卒業式を遂行するということの方がよっぽど問題でそちらの方が非難されるべきで、場外警備に違反してそんなに非難される、なにも悪質とまでいわれる事情はまったくないと思っていますが。
これに関連して、これまでの裁判例を考えてみると、このことを述べている最高裁の判事がいるんですよね。ピアノ判決で反対意見をかいた藤田宙靖、行政法の専門家ですが。
教員個人の思想・良心の問題以外に、こういう公の式で全員が一致した行動を取らなければいけない、そのことに懸念を表明するという、そいういう問題があるのではないか、それもひとつの思想良心の自由で、その面の侵害があったかどうか判断すべきだということで、破棄差し戻しすべきだ、という反対意見を書いています。
まさに、今回の当局は、統一した、全員起立した式を遂行するために2つの職務命令を出したわけでしょ。そこに直接焦点をあてると、藤田裁判官がいうように、まさにそのことの是非が問わなければならない、そういうことになると思うんですね。
そこに焦点を当てると、卒業式・入学式が慣例上の儀式だというような議論は吹っ飛んでしまいます。関係ががなくなる。そうすると間接的制約とか直接的制約とか、そういう議論も吹っ飛んでしまうんですよ。
で、その後の、慣例上の儀礼的所作、間接的制約という最高裁判決が相次いで出ていますが、そのときに、藤田裁判官の意見がどういうふうに評価されたかというと、最高裁も意識していて、その点はね、個人の思想・良心に付随して述べられているので別途審議する必要はない、と。だから個人の思想・良心の自由だけ判断すればいい、という。オミットしてごまかした、で、ずっとごまかし続けて来ている、そういうのが今の経緯だと思います。
だから、そこに焦点をあてて控訴審で書面を出すつもりですが、西原意見書を読み、その内容によって控訴審で争っていくつもりです。
『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2017-01-27)
http://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/78adfebdc593fc41cd2883b03301d7c1
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