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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

土肥裁判第6回口頭弁論報告

2010年06月08日 | 暴走する都教委
 ★土肥裁判第7回口頭弁論 6月28日(月)午前10時30分~ 東京地裁527号法廷
 【転送歓迎】
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 支援する会 ニュース 2010/5/29
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 ★ 土肥裁判 第6回口頭弁論報告

 5月27日(木)の傍聴席は満員、10人以上が入れないほど、集まってくれました。今回はこれまでにない傍聴人の広がりでした。
 土肥先生の授業を受けている法政や立正大学の学生さんが来てくれたのです。若い力が支援に活かされる希望が持てます。一緒にがんばろっ!
 ☆ 尾木直樹法政大学教授の鑑定意見書を提出
 教育の本質と教育行政のあり方をシャープに提起。尾木さんは高校や中学校の先生でした。意見書も、現場教員としての経験や研究活動が立論の基礎にあります。
 浪本立正大学教授の鑑定意見書は次回提出の予定。
 また、原告(土肥)、被告(都)双方の新たな準備書面も提出されました。

 ☆土肥さん、閉廷後「報告会」で
 「大嶽先生の裁判ではいい判決が出てよかった。
鑑定意見書を3人の先生が書いて下さり感謝する。そして陳述書(生徒や保護者)は現在までに66通も寄せてくれて、大変うれしかった。
都教委の反論の書面を読むと気持ちが暗くなる。なぜ毎回ウソを書いてくるか。これがまかり通ったら日本はどうなるか。」
 う~ん、都教委がひどすぎて、土肥さんは「憂国の士」になりつつあるか。
 でも、大丈夫。陳述書は100通にもなりそうな勢い。生徒や保護者に気持ちは十分に通じてます。
 
◎ 陳述書A

 1私の立場

 私は、平成6年3月に都立小川高校の全日制を卒業した卒業生です。私が高校2年生から3年生の時、土肥先生が、都立小川高校の担任でした。
 現在は,総合広告代理業株式会社○○、○○支店に勤務しております。

 2土肥先生について覚えていること
 エピソード1【『神の見えざる手』】

 土肥先生の教え子で、このワードを知らないものはいないと思います。当時の授業のことです。なかなか難しいテーマのなか、土肥先生は、このような講義をされました(土肥塾伝統の講義!?)。
 黒板を『バァーン』と平手打ちされました。当然、黒板には、先生の手の平の跡が『うっすら』と付きました。その後、先生は、言いました。「これが、見えざる手!!」と。
 卒業して17年。今なお記憶に残るこの授業。理解するための授業を、常に工夫されていたと思います。エピソードの一部に過ぎないですが、先生に出会い、それまで受身授業であった自身の姿勢に変化をもらったことを覚えています。
 これは、大学時に思ったことですが、土肥塾は、授業ではなく、講義であったと思いました。また、意思伝達の創意工夫を学ぷきっかけでもあったと思いました。これは、社会で生きていく上での原点であったと言っても、過言ではありません。土肥塾で学んだ者で、教壇に立っている者がいるとしたら、きっと土肥先生のスタイルを模範としている者は多いことでしょう。もちろん様々な分野で、活躍する教え子全員がそうだと思います。
 最近でこそ、創意工夫の授業を展開する教師・学校が台頭してきているかと思いますが、土肥先生は、先駆者であったのではないでしょうか。昨今土肥先生は、講演会をされることがあるようですが、ぜひとも全国展開して欲しいですね。
 エピソード2【土肥先生が、校長初就任された時】
 私が卒業から9年後の2002年のことでした。当時の級友から、土肥先生が、神津高校の校長先生に、初就任したニュースを聞きました。その年の年末、土肥先生を囲んで、同窓会兼校長就任のお祝い会を開催しました。
 その会には、20名以上が集まりましたが、その際のサプライズとして、先生宛てのお祝いメッセージビデオを、作成しました。当時のクラスのメンバーはもちろん、他クラスのメンバー、担当されていたサッカー部のメンバー、上下のサッカー部OBも含めて、総勢70名のメッセージが集まりました。
 これが、全てを物語っております。如何に、土肥先生が、尊敬をされ、愛されていたかを、語ります。
 最後に、今後も土肥先生を支持していきたいと思います。また、この日本社会のなかで、目的・信念をもって生きて抜いていくこと!これが、先生に対しての恩返しであると思っています。都立小川高校は.偏差値という指標では、決して高くない高校にあって、土肥先生と出会えたこと、また教え子であったことを、誇りに思います。(以上)
 
◎ 陳述書B

 1,私の立場

 私は、平成20年3月に三鷹高校の全日制を卒業した卒業生の保護者でした。息子が1年生から3年生まで、土肥先生が校長先生でした。私は息子が3年生の時PTAの学年代表として本部役員としてPTAの運営に携わりました。
 2,土肥先生について覚えていること
 私が土肥先生と初めて言葉を交わしたのは、私がPTAの学年代表になりご挨拶した時でした。名前と息子の所属するクラブは吹奏楽部だと答えると、先生は息子の印象とクラブの定期演奏会の時に配られるプログラムの中にある部員紹介の小さなコメントまで覚えておられるのに大変驚きました。これほど、生徒一人一人を把握されている校長先生は他にはいないと思いました。
 またPTAの定例会では、先生が陰になり日向になり会議をまとめて下さいました。私たち役員の様々な意見をとても尊重して下さっていました。時に的外れな意見に対しても、その意見をまず尊重した上で、学校側としてその案を通せないと言うことを大変分かり易く説明して下さいました。1年間土肥先生とPTAの仕事をして「こう言う人が本当に真のリーダーなのだ」と思います。
 そして息子が一浪の末、第一志望校に合格した時も、わがことのように喜んで下さり、これほど生徒への愛情のある先生が他にいるだろうか、と思えました。こういう先生と、一人でも多くの子どもたちが触れあうことがとても大きな意味があると思います。

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