◆ 武力国家を築いた近代天皇制
戦争責任の明確な謝罪と反省はない (週刊新社会)
去る7月13日、NHKにより現天皇の「生前退位」の意向があるとの発表以後、話題を呼んでいる。
「明治」以前は、譲位・退位が当たり前におこなわれ、時に僧籍に入る前天皇もおり、法王と呼ばれた。譲位・退位できなかった結果、昭和天皇裕仁のように高齢に至るまで、宮中祭祀や「公務」なるものに出席せねばならなかった。
わたくしは、人間平等の思想から、人を序列・差別化する天皇制そのものに反対するものだが、高齢の天皇・皇后たちをみていると、やや複雑な思いがしないでもない。
「明治皇室典範」をほぼ踏襲する現皇室典範は、日本国憲法に合わせ、制定され、側室制の廃止を決めたほかは、生前退位・譲位は認めず、女性の天皇も否認。
現天皇家には秋篠宮以降、男児の誕生がなく、2001年皇太子夫妻に待望の第一子敬宮愛子内親王が誕生後、小泉純一郎内閣のとき有識者会議が開催され、女系・女性天皇を認める旨の報告書が出された。
これは、いうまでもなく、天皇家の存続を図るためであった。しかし、2006年九月、秋篠宮夫妻に第三子・悠仁親王が誕生すると、急速に「女性天皇論」が萎んだ。
◆ 依然として、男系男子天皇制にこだわる~女性差別の原形
意味するのは、近代天皇制は依然として男系男性血統中心であり、女たちの存在は、后妃や側室は、継嗣を生むのが役割とされ、内親王はいずれは「降嫁」する存在として位置づけられた。
しかし、天皇家には古代には推古天皇以来6人8代、江戸時代には2人の女性天皇(1人は徳川家から入内した妃が生んだ内親王が天皇になった)が存在した。
近代天皇制は、急速に欧米列強に追いつき、アジア諸国・地域への膨張主義・侵略・植民地支配を敢行するために、軍事国家として、天皇が自ら大元帥となり、軍権を握り、指揮統帥権を持ち、巨大な武力国家を築きあげた。
1882年、「軍人勅諭」が発布され、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」とし、軍隊の指揮統帥権・編成権を有し、宣戦布告・講和条約締結、戒厳令布告の権限を一手に掌握していた(大日本帝国憲法(第一一条~一四条)。
女性は、庶民も「上層支配階級」も、内助の功を発揮し、その家の継嗣を生み、育てることを本分とされ、天皇と国家のお役に立つ子どもを生み、育てることが至上課題とされた。
◆ 庶民の女性は、天皇制から恩恵は受けず
「大国意識」を吹き込まれた日本の民衆は、実際は、農民労働者らの「下層階級の」子女子弟は、「女工」や「女中」「丁稚」「徒弟奉公」などとして、低賃金労働者どして働かざるを得ず、搾取と酷使に堪えねばならぬ生活を強いられた。
天皇を家父長とする「大国」と謳われた国家の恩恵を受けるどころか、国家を支えながら、不当な待遇を受けていた。
とくに女性の政治・経済・社会的地位も低く、政治参加は、1890年の治安警察法によって完全に封殺された。
こうした近代日本のジェンダー政策は、女性を貶め、自由や権利を蹂躙した。庶民女性などとくに華族・上流階級に属していない女性は、「天皇制」から被害を受けることはあっても恩恵は少しも受けていない。たとえ女性天皇であっても、同様であったろう。
◆ アキヒト・ミチコ天皇制~象徴天皇制を根づかす
現天皇・皇后の時代になると、アキヒト・ミチコ天皇制といわれるように様変わり、「神の裔」と思っていた昭和天皇と違って、現天皇明仁は「象徴天皇」であることをよく理解し、「庶民」に接し、被災民慰問、戦蹟巡り・戦死者慰霊等を積極的に展開し、外国訪問も繰り返し行い、「象徴天皇」制づくりに成功した。
しかし、父昭和天皇の戦争貴任について、明確な謝罪や反省をおこなったとは到底いえない。
日本国憲法のもとでは天皇の象徴としての地位は、「国民の総意」に基づくとされているが、この70年間「国民の総意」は一度も問われてはいない。
憲法は、天皇は「国政に関する権能を有」さず、権能は「憲法の定める国事行為」のみと限っている。
だが、現実の天皇は「国事行為」のほか、「宮中祭祀」をも含む、上記の慰問・慰霊行為や各種イベントへの出席、外国元首との親善など広範な行為をなしている。これら多くの事例が「公務」とされる。
『週刊新社会』(2016年10月18日)
戦争責任の明確な謝罪と反省はない (週刊新社会)
女性史研究家 鈴木裕子
去る7月13日、NHKにより現天皇の「生前退位」の意向があるとの発表以後、話題を呼んでいる。
「明治」以前は、譲位・退位が当たり前におこなわれ、時に僧籍に入る前天皇もおり、法王と呼ばれた。譲位・退位できなかった結果、昭和天皇裕仁のように高齢に至るまで、宮中祭祀や「公務」なるものに出席せねばならなかった。
わたくしは、人間平等の思想から、人を序列・差別化する天皇制そのものに反対するものだが、高齢の天皇・皇后たちをみていると、やや複雑な思いがしないでもない。
「明治皇室典範」をほぼ踏襲する現皇室典範は、日本国憲法に合わせ、制定され、側室制の廃止を決めたほかは、生前退位・譲位は認めず、女性の天皇も否認。
現天皇家には秋篠宮以降、男児の誕生がなく、2001年皇太子夫妻に待望の第一子敬宮愛子内親王が誕生後、小泉純一郎内閣のとき有識者会議が開催され、女系・女性天皇を認める旨の報告書が出された。
これは、いうまでもなく、天皇家の存続を図るためであった。しかし、2006年九月、秋篠宮夫妻に第三子・悠仁親王が誕生すると、急速に「女性天皇論」が萎んだ。
◆ 依然として、男系男子天皇制にこだわる~女性差別の原形
意味するのは、近代天皇制は依然として男系男性血統中心であり、女たちの存在は、后妃や側室は、継嗣を生むのが役割とされ、内親王はいずれは「降嫁」する存在として位置づけられた。
しかし、天皇家には古代には推古天皇以来6人8代、江戸時代には2人の女性天皇(1人は徳川家から入内した妃が生んだ内親王が天皇になった)が存在した。
近代天皇制は、急速に欧米列強に追いつき、アジア諸国・地域への膨張主義・侵略・植民地支配を敢行するために、軍事国家として、天皇が自ら大元帥となり、軍権を握り、指揮統帥権を持ち、巨大な武力国家を築きあげた。
1882年、「軍人勅諭」が発布され、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」とし、軍隊の指揮統帥権・編成権を有し、宣戦布告・講和条約締結、戒厳令布告の権限を一手に掌握していた(大日本帝国憲法(第一一条~一四条)。
女性は、庶民も「上層支配階級」も、内助の功を発揮し、その家の継嗣を生み、育てることを本分とされ、天皇と国家のお役に立つ子どもを生み、育てることが至上課題とされた。
◆ 庶民の女性は、天皇制から恩恵は受けず
「大国意識」を吹き込まれた日本の民衆は、実際は、農民労働者らの「下層階級の」子女子弟は、「女工」や「女中」「丁稚」「徒弟奉公」などとして、低賃金労働者どして働かざるを得ず、搾取と酷使に堪えねばならぬ生活を強いられた。
天皇を家父長とする「大国」と謳われた国家の恩恵を受けるどころか、国家を支えながら、不当な待遇を受けていた。
とくに女性の政治・経済・社会的地位も低く、政治参加は、1890年の治安警察法によって完全に封殺された。
こうした近代日本のジェンダー政策は、女性を貶め、自由や権利を蹂躙した。庶民女性などとくに華族・上流階級に属していない女性は、「天皇制」から被害を受けることはあっても恩恵は少しも受けていない。たとえ女性天皇であっても、同様であったろう。
◆ アキヒト・ミチコ天皇制~象徴天皇制を根づかす
現天皇・皇后の時代になると、アキヒト・ミチコ天皇制といわれるように様変わり、「神の裔」と思っていた昭和天皇と違って、現天皇明仁は「象徴天皇」であることをよく理解し、「庶民」に接し、被災民慰問、戦蹟巡り・戦死者慰霊等を積極的に展開し、外国訪問も繰り返し行い、「象徴天皇」制づくりに成功した。
しかし、父昭和天皇の戦争貴任について、明確な謝罪や反省をおこなったとは到底いえない。
日本国憲法のもとでは天皇の象徴としての地位は、「国民の総意」に基づくとされているが、この70年間「国民の総意」は一度も問われてはいない。
憲法は、天皇は「国政に関する権能を有」さず、権能は「憲法の定める国事行為」のみと限っている。
だが、現実の天皇は「国事行為」のほか、「宮中祭祀」をも含む、上記の慰問・慰霊行為や各種イベントへの出席、外国元首との親善など広範な行為をなしている。これら多くの事例が「公務」とされる。
『週刊新社会』(2016年10月18日)
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