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2005年4月22日(金曜日) 召喚
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昨日、東京地裁に行った。傍聴に行ったのではない。召喚状が来たのだ。
「・・・・午後1時30分に公判を開廷するから、当裁判所104号法廷(1階)に出頭されたい。」とあった。
「出頭されたい」との言い方は丁寧であるのか命令であるのか、妙な言い回しである。次いでこうある。
「正当な理由がなく出頭しないときは、拘引状を発することがある。」
拘引とは何か。とらえひくこと、かどわかすこと、と辞書にある。
その場合は裁判所職員が、かどわかしに来るのであろうか。誰が紐を持って自宅に来るのだろう。世の中分らぬことばかりだ。かどわかされてはたまらない。
出かけた。
104号法廷前は傍聴者でごった返していた。あとで聞くと身体検査され荷物は取り上げられたと言う。
召喚状を見せたら、法廷横の入り口から窓のない密室に案内された。
傍聴者規制で揉めていたらしい。なかなかお呼びがかからない。15分過ぎて、弁護士席の後ろの入り口から廷内に通された。
何やら変な雰囲気、裁判官と弁護士が角突き合わせていた。誰も当方に注目してくれない。傍聴席に一礼した。さびしい登場であった。
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2005年4月23日(土曜日) 番外地
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廷内に入り、弁護士席の前に長椅子があったのでそこだろうと思い着席した。
開廷宣言はなかったように思う。すでに始まっていたのか。
「被告人、前へ」と聞こえた。
裁判長に向かい合った地点に証言台とおぼしきものがある。そこへ向かう。
「名前があるんだから、名前を呼べ」と言いそうになったが、予定されている陳述の原稿の活字以外一切喋るなと何度も厳命されているので、致し方なく前へ進む。
「名前は?」にはじまる人定質問とやら。その前に黙秘権についての通知がある。
生年は西暦で答える。「1941年」と言ったら、裁判長が「昭和61年」と言った。それなら19歳だ。「違う人です」と言って帰ってしまえばよかった。
本籍を問うのは、国籍の確認であるらしい。本籍は日本国内どこでも移せる。こんなことなら、「千代田区千代田1-1」とでもしておけばよかった。皇居の番地である。北海道の時のをそのままにしておけばよかった。白糠郡白糠町茶路マサルカ番外地である。本籍地を百人余もの前で発声するなどとは思いも及ばなかった。番外地がよかったのになどどアホなことを考えた。
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2005年4月24日(日曜日) 謙虚
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法廷で傍聴人が発声したら退場させられる場合がある。友人のKは、検察官発言に対し、「ふざけんな、この野郎」とか言って退場になった。N氏の友人は、裁判長に向かって、「こんこんちき裁判長・・・」とか言った。裁判長に対して言うとこれは不敬罪である。直ちに別室に留置され日本唯一の秘密裁判をもってして1ヶ月の勾留を食らったらしい。今度会ったら正確な話を聞いてみよう。
一段と高い処にいて皆を見下ろしてばかりいたら自然とそのような思考に染まっていくであろう。そのようなとは、引っぱってこられる人々に対しての尊大な態度、心持である。
人間、謙虚であるということはその仕事の性格に影響されること大であろう。そんなこととは関係なしに常に謙虚たる人はまことに立派である。
学生の頃、事前の断りもなくその住居に向かった。玄関で来意を告げると、本人が出てきて玄関先で正座して対応された。まことに恐縮した。突如の講演の依頼である。快く応じていただいた。教育学者の宗像誠也教授であった。樫山教授宅に行ったときは、おはなはんに同様に対応された。
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2005年4月25日(月曜日) 赤点
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・・・government of the people,by the people,for the people,shall not perish from the earth・・・とあった。
shall・・以下の文がついているとは知らなかった。
英語は敵性語、中学より苦手であった。反米の時代、戦後のそれは憧れの裏返しでもあった。
高校のとき当てられて、英文を読まされた。彼女のSHEを、「しー」と言った。しつこく直された。先生が別の「シー」と言うのだが同じにしか聞こえない。屈辱であった。ますます嫌になった。「こんばーせーしょん」と発音したら皆が笑った。英語に関しては嫌な思い出が多々ある。
ところで、この「shall」は何なのだ。
・・I shall return・・は、「必ずもどってくるぞ」の意とすると、「人民のための統治は、この世から消えることがあってはならない」となるのか。
それとも、そうは言ってもこのような理想的政府ないし統治は、この世では消滅しないようになどとは、ありえないという意味なのであろうか。
英語は赤点だ。
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2005年4月26日(火曜日) 恨
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被告席についてつくづく思うことがある。相手は国家権力だ。人員も金も高度な最新技術も持ち合わせている。その機関が有罪であると宣言して臨んでくるのだ。軽い犯罪ならまだしも死刑や長期刑の可能性がある場合、冤罪である被告はどのような思いで検察の冒陳を聞くのであろうか。
起訴状に出てなかったことが次々と陳述される。「この野郎、嘘つくな」とか「でたらめだ」などと怒鳴った被告はいないのだろうか。
軽くとも、職や名誉が懸かっている。世間の爪弾きに合う。判決の瞬間は尚更であろう。
証拠は検察に不利なものは隠される。全証拠開示の法的保障が確立されなければ真実は明らかにされ得ない。少なくとも弁護側の要求する証拠は出さねばならない。
検察の証拠占有が冤罪を生む最大の要因であろう。
冤罪で有罪とされたら何とも言い様のない心の恨が噴出することであろう。事実に基づいての判決ではない。でっち上げ、偽証による判決である。これまでどれ程の人が口惜しい思いをして来たであろう。
被告席の固いベンチに座らされて心からそのことを実感する。
2005年4月22日(金曜日) 召喚
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昨日、東京地裁に行った。傍聴に行ったのではない。召喚状が来たのだ。
「・・・・午後1時30分に公判を開廷するから、当裁判所104号法廷(1階)に出頭されたい。」とあった。
「出頭されたい」との言い方は丁寧であるのか命令であるのか、妙な言い回しである。次いでこうある。
「正当な理由がなく出頭しないときは、拘引状を発することがある。」
拘引とは何か。とらえひくこと、かどわかすこと、と辞書にある。
その場合は裁判所職員が、かどわかしに来るのであろうか。誰が紐を持って自宅に来るのだろう。世の中分らぬことばかりだ。かどわかされてはたまらない。
出かけた。
104号法廷前は傍聴者でごった返していた。あとで聞くと身体検査され荷物は取り上げられたと言う。
召喚状を見せたら、法廷横の入り口から窓のない密室に案内された。
傍聴者規制で揉めていたらしい。なかなかお呼びがかからない。15分過ぎて、弁護士席の後ろの入り口から廷内に通された。
何やら変な雰囲気、裁判官と弁護士が角突き合わせていた。誰も当方に注目してくれない。傍聴席に一礼した。さびしい登場であった。
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2005年4月23日(土曜日) 番外地
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廷内に入り、弁護士席の前に長椅子があったのでそこだろうと思い着席した。
開廷宣言はなかったように思う。すでに始まっていたのか。
「被告人、前へ」と聞こえた。
裁判長に向かい合った地点に証言台とおぼしきものがある。そこへ向かう。
「名前があるんだから、名前を呼べ」と言いそうになったが、予定されている陳述の原稿の活字以外一切喋るなと何度も厳命されているので、致し方なく前へ進む。
「名前は?」にはじまる人定質問とやら。その前に黙秘権についての通知がある。
生年は西暦で答える。「1941年」と言ったら、裁判長が「昭和61年」と言った。それなら19歳だ。「違う人です」と言って帰ってしまえばよかった。
本籍を問うのは、国籍の確認であるらしい。本籍は日本国内どこでも移せる。こんなことなら、「千代田区千代田1-1」とでもしておけばよかった。皇居の番地である。北海道の時のをそのままにしておけばよかった。白糠郡白糠町茶路マサルカ番外地である。本籍地を百人余もの前で発声するなどとは思いも及ばなかった。番外地がよかったのになどどアホなことを考えた。
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2005年4月24日(日曜日) 謙虚
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法廷で傍聴人が発声したら退場させられる場合がある。友人のKは、検察官発言に対し、「ふざけんな、この野郎」とか言って退場になった。N氏の友人は、裁判長に向かって、「こんこんちき裁判長・・・」とか言った。裁判長に対して言うとこれは不敬罪である。直ちに別室に留置され日本唯一の秘密裁判をもってして1ヶ月の勾留を食らったらしい。今度会ったら正確な話を聞いてみよう。
一段と高い処にいて皆を見下ろしてばかりいたら自然とそのような思考に染まっていくであろう。そのようなとは、引っぱってこられる人々に対しての尊大な態度、心持である。
人間、謙虚であるということはその仕事の性格に影響されること大であろう。そんなこととは関係なしに常に謙虚たる人はまことに立派である。
学生の頃、事前の断りもなくその住居に向かった。玄関で来意を告げると、本人が出てきて玄関先で正座して対応された。まことに恐縮した。突如の講演の依頼である。快く応じていただいた。教育学者の宗像誠也教授であった。樫山教授宅に行ったときは、おはなはんに同様に対応された。
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2005年4月25日(月曜日) 赤点
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・・・government of the people,by the people,for the people,shall not perish from the earth・・・とあった。
shall・・以下の文がついているとは知らなかった。
英語は敵性語、中学より苦手であった。反米の時代、戦後のそれは憧れの裏返しでもあった。
高校のとき当てられて、英文を読まされた。彼女のSHEを、「しー」と言った。しつこく直された。先生が別の「シー」と言うのだが同じにしか聞こえない。屈辱であった。ますます嫌になった。「こんばーせーしょん」と発音したら皆が笑った。英語に関しては嫌な思い出が多々ある。
ところで、この「shall」は何なのだ。
・・I shall return・・は、「必ずもどってくるぞ」の意とすると、「人民のための統治は、この世から消えることがあってはならない」となるのか。
それとも、そうは言ってもこのような理想的政府ないし統治は、この世では消滅しないようになどとは、ありえないという意味なのであろうか。
英語は赤点だ。
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2005年4月26日(火曜日) 恨
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被告席についてつくづく思うことがある。相手は国家権力だ。人員も金も高度な最新技術も持ち合わせている。その機関が有罪であると宣言して臨んでくるのだ。軽い犯罪ならまだしも死刑や長期刑の可能性がある場合、冤罪である被告はどのような思いで検察の冒陳を聞くのであろうか。
起訴状に出てなかったことが次々と陳述される。「この野郎、嘘つくな」とか「でたらめだ」などと怒鳴った被告はいないのだろうか。
軽くとも、職や名誉が懸かっている。世間の爪弾きに合う。判決の瞬間は尚更であろう。
証拠は検察に不利なものは隠される。全証拠開示の法的保障が確立されなければ真実は明らかにされ得ない。少なくとも弁護側の要求する証拠は出さねばならない。
検察の証拠占有が冤罪を生む最大の要因であろう。
冤罪で有罪とされたら何とも言い様のない心の恨が噴出することであろう。事実に基づいての判決ではない。でっち上げ、偽証による判決である。これまでどれ程の人が口惜しい思いをして来たであろう。
被告席の固いベンチに座らされて心からそのことを実感する。
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